橋梁レポート 八郎潟湖東の気になる橋 前編

所在地 秋田県潟上市・井川町・五城目町・八郎潟町
探索日 2003. 9.3
公開日 2003. 9.6
全面改訂 2011. 5.6

皆さんは八郎潟はご存知だろうか。

昔は日本第二の大きな湖だったが、戦後の昭和32年から国策の干拓事業が始められ、私が生まれた昭和52年に完成すると、そこに大潟村という、それまでは全くの無であった村がひとつ生まれた。

残存湖は冬になると今でも氷結し、ワカサギ釣りのメッカになっている。
いちおう知名度的には、田沢湖と並んで秋田の有名な湖と思われる。

私が秋田に引っ越してはじめて暮らした天王町(現:潟上市天王)は、この大きな残存湖と日本海に挟まれた砂丘地帯にあって、あまり“山チャリ”と縁がありそうな雰囲気ではないところだったが、砂丘といっても起伏が大きく、長い間の防砂事業で鬱蒼と松が茂った森が私の一番の遊び場だった。

話がすこし脱線した。
私が当時八郎潟に抱いていた印象は、次のようなものだった。

広い。

お米の産地。

チャリで走るとダルイ。

どれもシンプルな感想であるが、海抜ゼロメートル地帯に延々と田んぼが広がる風景は、実際に限りなくシンプルなものだ。

しかし、この広大な八郎潟の干拓によって誕生した数多くの橋の中には、全国的に珍しい昇開橋(可動橋)がいくつもあった。
それは、この八郎潟の残存湖を秋田と能代を結ぶ大運河の一部に改造し、沿岸を巨大コンビナートに作り替えようという壮大な夢の跡である。
結局は工事中くらいにしか可動することもなく、いまではその一部は可動部が撤去され、いくつかは残っているがもはや動く可能性の無い状態になっている。


だがしかし!

本編が取り上げようとするのは、そういう「マイナーの中のメジャー」ではない。

そうでなはく、これはもっと真っ当な…「マイナーの中のマイナー」である。

東西12km、南北27km、周囲100kmにも及ぶ広大な八郎潟の湖畔のうち、特に湖東地区と呼ばれる東岸一帯は、もっとも古くから干拓が進められてきた部分である。
太平山系より西流する大小の河川が幾つも湖に流れ込んでいて、その河口部には、かつての湖岸に沿うように小さな集落が点在している。
そしてこの湖東地区のうち、南東部から中東部にかけて南北に貫く農道が湖東農道である。
この探索は、特にあてもなく湖東農道を南から北へ走っている最中に、たまたまに遭遇した“小さな橋”が主役である。



1本目の小さな橋との出会い



2003/9/3 7:15 【現在地(マピオン)】

当時の自宅から北へ約4km。
もう今からだと何代目の愛車かは忘れたが、やはりMTBの形はしていたものにまたがって12分ほど漕ぐと、湖東農道の南の入口に着いた。

正面に見える道は当時は国道101号で、奥に見える築堤はまだ建設中だった。
開通後にそれが国道101号になったが、確か作っている最中から開通直後までは、県道104号だったはず。

まあ、今さらどうでも良いことだが…。




築堤をくぐると大昔には湖の内側だったエリアになるが、堤防の向こうに押しやられた湖面は遠く、まったく見えない。
堤防さえ、目を凝らさなければ見えないレベルだ。
そして堤防のある側も、本来の陸地であった側も、手の届きそうな範囲は全て水田という、“らしい”景色である。
わざわざ大潟村(島になっている干拓部)に入らなくても、こんな感じだった。

ここで地名を書いてみても、よほど地元の人でないと実感もないと思うが、探索当時は南秋田郡昭和町大久保…現在では潟上市昭和大久保になっていると思う。
大久保というと、なんだろな。
あまり印象はないな…。近くに奥羽本線の大久保駅があるんだが、東京の山手線に同じ駅名があるせいで、田舎の大久保だと言われていたくらいしか印象にないかもしれない。すまない。




正式な路線名は、湖東農免道路という。
懐かしのチャリ馬鹿トリオにとっては「湖東農道」という方が通りが良いが、潟上市昭和大久保から、同市飯田川(旧飯田川町)、井川町を経て、八郎潟町一日市に至る、湖東沿岸部の幹線的農道である。
この東側に並行して、各市街地を通る県道303号線(旧国道7号)があり、さらに山側に国道7号と秋田自動車道が並んでいる。
国道の抜け道として湖東農道は当時よく使われており、朝夕の通行量はかなりあった記憶がある。

なお、この道には大変多くの橋が架かっている。
なかでも、色をそれぞれ塗り分けられた4本のトラス橋は、印象深い存在だった。
写真はもっとも南側にある馬踏川大橋である。
この少し先で当時は昭和町から飯田川町へ看板が変わった。




この日は、雨の予報が出ていた。
だから、予定していた山チャリはキャンセルした。
でも、せっかくの休みにどこにも行かないのでは後悔が残るだろうと、カッパ持参で近場の探索に出掛けた。
普段は輪行でショートカットしてしまうような部分に目を向けてみたいと思って、北行きの奥羽本線にも沿った湖東を探索することにしたのだ。
だから、目的地はさしあたって、無い。

何年ぶりかに走る湖東農道は、丁度朝のラッシュに重なった為に、歩道もない2車線をひっきりなしに車の往来していた。
そして、湖東農道といったら“おなじみ”なのであったが、この日もやっぱり逆風だった。
平坦な道なのだが、妙に疲れやすいというのが、トリオの湖東農道に対する共通認識であった。
そうこうしているうちに、二本目のトラスが現れた。
緑色に塗られた豊川大橋である。




7:28 《現在地》

馬踏川大橋の900m先に架かる豊川大橋から眺める、湖畔の景色。

奥に見える水面が、八郎潟調整池と呼ばれる残存湖である。
八郎潟は元来汽水湖で、日本海とつながっていた。
干拓事業の経過や、その後の防潮水門の建設によって、だいぶ本来の淡水に近付いているといわれるが、現在でも蜆(しじみ)が採れる。

また、湖の対岸にかすかに見える山並みは、男鹿半島だ。
この平らな距離感は、当地随一のものである。
ずっと北の方に行くと、大昔に氷結した八郎潟を鹿の大群が渡ってきたという言い伝えがある、鹿渡(かど)という地名もある。
実際に氷結はするのだが、面白い伝説だと思う。




飯田川町の町域を北上していくが、ここまで路傍には一軒の民家も無い。
道の両側にあるのは9割方が水田で、減反政策によるまだら模様の休耕地が間にある。
民家も商店も、自販機すらも辺りには無い。

この傾向は湖東部だけではなく、むしろ干拓地の本体である大潟村においては、チャリにとっては死活問題といえるほどに顕著だった(笑)。
10km以上も一切の補給地がないというのは、下手な林道以上であって、笑えないのだ。




7:36 《現在地》

豊川大橋から1.1kmほど進むと今度は妹(いも)川を「妹川大橋」で渡り、さらに800m先で飯塚川を飯塚大橋で渡る。
これらの橋はトラス橋ではなく、平凡な桁橋である。
そしてこの飯塚大橋の20mほど手前に、同じ形の橋がもう1本ある。

銘板によると、こちらの橋は「干潟橋」という名前であったが、他の銘板に刻まれた「第三工区承水路」という河川名が珍しかった。
工区などという言葉は大抵工事中限りで地名に残らないが、銘板にその名を残していたのである。
また、承水路も余り聞きなれない言葉だ。
農業水利用語で、干拓地などの低地へ水の進入を防ぐために水域の周りに設けられる水路のことを言うらしいが。
たしかに湖東地区と大潟村を隔てる部分の水域(残存湖)も「東部承水路」と呼ばれている。
これは飯塚川という小さな水域に面した、小さな承水路なのであった。




そしてここで、ようやく今回の主役のおでましだ。

干潟橋の袂に、左へ分岐する砂利道があった。

そして、そのゆるやかなカーブの向こうには、件の第三工区承水路を渡る干潟橋よりも遙かに小さく古びて見える橋が、架かっていたのである。


………?


ま、だから何っていうようなレベルの景色なんだけど…。
これまで気にしたこともなかった橋へ、行ってみることにした。
なにせ今日は、特に目的もなんだ…。




7:37 《現在地》

う〜ん。

予想に違わぬ、平凡な橋。




これ以上なく単純なコンクリートの桁橋で、欄干には鉄パイプを利用しているなど、最近の橋とは違う感じがある。
もっとも、このあたりは全て干拓事業で誕生した陸地なので、昭和32年以前ではあり得ない。

先に目が行ったのは、竣工年の銘板だった。
やはり、大騒ぎするほど古くは無い。
竣工は、昭和39年9月であった。
これは大潟村開村の1ヶ月前であり、干拓事業が大体形になった時期である。

ただ、湖東農道の橋は大抵が昭和55年頃の完成だから、湖東農道よりは遙かに前からここにあった橋だということは分かった。

この橋が今回の主役だというのは、構造でも古さでもなく、その名前に惹かれたのだ。

その名も…




八橋。

別の銘板によると、読みは…

やつはし。


お前はたんに「生八つ橋」(京都のお菓子)が好きなだけちゃうんかい!とつっこまれそうだが、確かに私は生八つ橋は大好きだが、この橋の名前には不思議な興味を覚えた。

だって、なんで干拓地という本来は地名などないような場所に、こんないかにも「曰くありげな」名前の橋が架かっているんだろうかって。
それこそ湖東農道の橋の名前なんていかにもテキトーなんで、際立って感じられたのだ。





この違和感が、やがて深い感銘に変わる。

そんな8年越しの結着を、次回はようやくお伝え出来る(笑)。




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