橋梁レポート 無想吊橋 第2回

所在地 静岡県榛原郡川根本町
探索日 2010.4.21
公開日 2011.5. 1

ヘルス・チェック! 橋頭編



2010/4/21 14:07 《現在地》

着いた。

いったいどれくらいの長さなんだろう。

途方もない大きさを前に、当然のように足が止まる。
そう易々と一歩目を踏み出せそうにないことは、【遠目で見た】ときから予想がついていたが…。

この橋は、フェアであると同時に残酷だ。
ここへ来る前に、その全体像を知ることを半ば強制しているのだから。
こうして橋の前にたどり着いて、いざ渡ってみようと思うとき、【あの景色】が脳裏から離れない。

空中に架け渡された板きれの列は、たおやかな懸垂曲線を描いて、対岸の山腹へと吸い込まれるように達している。
橋は見ての通り、まだ架かっている。
すぐ近くとだいぶ遠くの2箇所で踏み板が部分的になくなっているのが見えるが、それ以外はまずまず整っている …ような感じを受ける。

しかし、まだこの外見を見ただけで、渡って良いかどうかの判断は出来ない。
実際に構造をよく確かめて、体重を十分に支えられる強度があるかどうかと、踏んでよい場所と悪い場所を知った後でなければ、とてもじゃないが落ちて助からない高さへ進み出る気にはなれない。

まずはチェックだ!
自分を守るための、橋のヘルスチェック!




う、薄い!

やばすぎる薄さ…。

マジカヨ…。

横から見ると、本当にペラッペラ。

ガチで “板きれ” じゃねーか。

頼るべき踏板は、その厚みが2cm程度しかないのである。空手の達人ならば、素手で割りそうな厚み。
この踏板を下で支えるように30cm程度の間隔で敷かれた横板も、基本的には同じくらいの厚さでしかない。

また、鉄線1本だけの手摺りなどは、よろけた体を支えるつもりは毛頭なく、よろけないようにバランスを取る程度の役に徹している事が分かる。
橋の上で左右に転倒した場合は、そのまま橋外へ転げ出る可能性がある。




一旦下がり、改めて橋の袂の状況をチェックする。

まず驚いたのは、これほど大規模な橋でありながら、主塔部分にコンクリートや鉄を一切用いていない事だ。
門のように立っている2本の木柱が主塔であり、その上端にケーブル(主索)が張られている。
ケーブルの一方は対岸の主塔に架け渡され、手前側は前回見てきた通り、ここへ来る途中の立ち木や岩盤などに分担されたアンカーに続いている。

単純な吊橋の力学では、この主塔全体は鉛直下方向に吊橋の自重の半分程度の力を受けているはずで、柱1本はそのさらに半分の力を受けている。
にもかかわらず、主塔材は特に加工されていない木材で、しかも見るからに左右の太さが異なっているという適当ぶりなのだ。
桁がいくら軽量に作られているとしても、この主塔の華奢さでは、無理があるのではないかと思った。

だが、よくよく観察すると、この主塔以上に堅牢に作られた部分があることに気づいた。




ここだ!

この構造が、華奢な主塔を補う重要な役割を果していると思われる。

主塔の3mほど手前の地面にケーブルで固定されている木材は、主塔とは比べものにならないほど太いものである。
そして、この部材には合計16本の鉄線が結わかれており、その一端は橋門(主塔)をくぐって吊橋全体の桁に通されている。
1本1本は細い鉄線であるが、これだけの本数があれば、桁の重さをかなり分担していると思わる。
そしてそれを期待するがゆえに、固定部材がこれだけ頑丈に作られているのだとも考えられる。




以後この桁を支えている鉄線を「敷き鉄線」と呼ぶことにする。

敷き鉄線の“アンカー”部材の他にも、主塔より太い部材があった。
それは主塔の桁よりも低い位置を支えている部材で、ちょうど桟橋のようになっている部分だ。
この部分も、敷き鉄線から伝わる桁の重さを、相当に分担しているに違いない。

単純な吊橋の力学モデルは、桁をケーブルのみが支える(桁は地面に固定されていない)のであるが、本橋の場合は二つの吊橋を組み合わせた構造ということが出来る。
つまり、ケーブルによる吊橋と、敷き鉄線による“吊床板橋”の複合吊橋である。
それ故に、主塔に架かる重量はだいぶ軽減されていると見られるのだが、そうは言ってもどちらがメインかと言えば、間違いなく前者である。

なおこうした構造は本橋のみの特徴ではなく、大井川流域一帯で昔から建造されてきたようだ。
ここへ来る途中に見た「天地吊橋」も同様の構造であったし、「本川根町史」にもそういう記述がある。




ヘルス・チェック! 初渡編 



橋の構造が少し見えたおかげで、心は先ほどより浮ついていない。

如何にも頼りなさげな踏板に怖じ気づいたのも過去の事で、
今は足元に並べられた16本の鉄線が、頼もしく思われるのだ。

これは、いい流れ。

知識武装で恐怖を打ち消す、いい流れに入った。


主塔より前へ、一歩を踏み出す事にした。

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傾いている。


これだけ橋が長いゆえ、揺れ方はむしろ穏当である。
グラグラというよりは、ゆっさーりゆっさーりと…
人が乗っていなくても、常に目に見える程度は揺れている。

だが、普通にしている限りは、振り落とされる危険を覚えるような揺れ方ではない。
それにとても幸いにして、今日の峡の風は弱い。

耐風索(揺れ止め)が存在しない本橋の揺れ方については
非常に不安視していたところであるが、弱風に救われた。
(風が強い状態の揺れ方を見てみたい気もするが、渡るのはゴメンだ)



傾いているよ。

↑ 分かってるよ!!

確かに橋は左に傾斜している。

そしてその原因も明らかだ。

左の主索が、右の主索より1m以上も大きく下に撓んでいる。

はっきりいって吊橋の健康状態としては、この主索の歪みは最も危ういものだ。
この歪みは色々な破壊を誘発するのであるが、最大の問題は、真横から風を受けたときに傾いている分だけ多くの抵抗を受けるということ。
一部の踏板が抜けている原因も、それが人為的なものでないならば、風の破壊作用と見るべきだろう。

ただ、踏板については良い条件も判明した。
というのは、橋の上が完全に乾ききっており、幸い木部が腐朽しやすい環境ではないのである。
踏板も一部欠けているものがあるのは不安だが、靴越しに伝わる堅さは十分あり、そんなに傷んでいない印象を受けた。

…さて、知識武装の続きをしよう。まだ安心は出来ない。




<構造チェック!>

こうして模式図にすると、なんか妙に安心できる気がする。
最初は“板きれ”に見えた構造も、頼れる万全なものに思えてくるから不思議だ。

もちろん、現地ではそこまでの余裕は無かったが、それでもじっくり立ち止まって、
どの部材がどこに固定されているのか、また固定されていないのか。
それぞれの部材はどの程度信頼がおけるのか。
そういうことを、色々触って踏んで確かめてみた。

そして気づいたこと。
本橋を渡るうえで踏板以上に頼れる存在は、前述した「敷き鉄線」である。
敷き鉄線同士の間隔は約10cmしかないので、なんとも喜ばしいことに、その隙間から墜落することはあり得ない。

重要なので、もう一度。

敷き鉄線の隙間から堕ちる事は、絶対に無い!

敷き鉄線の外に行かなければ、問題はないのだ。
そして、敷き鉄線の全幅は約1.6m程度ある。
幅20cmに過ぎない敷板2枚合計40cmが橋の幅だと考えると恐ろしいが、実際はこの1.6mが「命の幅」なのである。

他の部分の構造も見ていこう。
まず重要なのは(遊びのない構造なので全ての部材が重要だが)、踏板と敷き鉄線の間にある「そろばん板」と呼ばれる幅5cm厚み2cm程度の横板だ。
この横板1枚1枚は、敷き鉄線の1番目と16番目の2箇所で固定されている。そして隣り合う横板同士の間隔は30cm程度だが、正確に一定はしていない。
そして横板3枚〜5枚ごと(一定ではない)に、中横板と大横板(いずれも仮称)が交互に存在する。
これらはいずれも横板と角材の合板で厚みが5cm程度あり、全ての敷き鉄線に半固定(軸方向のみ)されている。
また、主索につながる生命線であるハンガーは、この中・大横板に接続されている。
踏板1枚1枚の端は、大横板に合わせられており、そこで釘固定されている。また中横板にも針金で半固定されている。
さらに大横板には欄干支柱が取り付けられており、手摺りとなる鉄線がそこに固定されている。

こういった構造を踏まえると、「安定姿勢」は次の通りとなる。
まず、橋上で一番安心がおける姿勢は、大横板上で欄干支柱に両腕を預けている状況(安定姿勢A)。
次いで安心出来るのは、中横板上で手摺り鉄線に両腕をかけている状態(安定姿勢B)。
そして、横板上で手摺り鉄線に両腕をかけている状態(安定姿勢C)がこれに続く。
以上の安定姿勢A・B・Cを間断なく続けていくことが、本橋を安全に渡橋する手段である。



ちょっと実際に近付いてみないと、状況の想像がつかない。
でもそれは、とんでもなく怖いことなんじゃないだろうか…。

↑先ほどまではこんな事を思っていたが、今は違う。

怖くないといえば嘘になるが、大丈夫だ。

この橋は大丈夫。ちゃんと計算された作りだ。

「ぎゃー!」「わーわー!」

そんな叫びを期待していた読者諸兄には申し訳ないが、私は本橋を粛々と攻略したいと思う。

過去に体験した“単なる平均台”の方が保険は利かなかった。




今恐ろしいのは、
本橋が「本来の完全な状況ではない」という一点だ。


橋頭から10mほどの位置にある、第一の踏板欠損地帯に到着した。

こういうのが無ければ、おそらく私は(私に限らず高い所が苦手でない人ならば)すたすたと本橋を攻略できるのだ。

この踏板の欠損は、ちょうど1スパン分(合計2枚)で、長さにして3m程度。
原因は渡橋を防止するために人為的にとも考えられるが、不明。
しかし横板も壊れているので、橋の揺動と橋下の樹枝が接触した事によるかも知れない。

だが、ある意味この“高さ”で欠損地帯を一度体験できるのは、幸運なのかも知れない。
ここなら万が一墜落しても命までは取られないという安心感から、多少乱暴な足運びを試して、横板自体の強度を確かめる事が出来るのだ。





このようにな。


で、こうしたチェックの結果…





ペキッ





右の写真を撮影した直後、右足に体重をかけたら、「ペキッ」ってなったよ。
横板一枚に体重の大半をかけるのは、無理があるらしい。
でもこうして「ペキッ」っていっても、敷き鉄線があるお陰で墜落はしない。
ズボッっと足が落ちることさえないのである。

大丈夫。
この「ペキッ」は嫌な音で、軽く動揺したが、横板は過信できないという教訓を与えてくれた。
有意義だ。これも有意義。
大丈夫…。
敷き鉄線は、堅牢だ…。




14:12 《現在地》

越えた。

踏板の欠損部分を、無事乗り越えた。

このあたりから、足元に絶え間ない揺動が伝わってくるようになる。
渡りはじめた最初はたいしたことないと思ったが、吊橋は中央に近付くほど大きく揺れるものである。

構造を理解した私だが、それが本橋の全てではないことを感じ始めていた。
頭で橋を渡るわけではないのだった。

一旦は抑え込むことに成功していた、強い恐怖心。

それが再びぬめりつく鎌首をもたげ、私の首筋に冷たい牙を添わせたのは、最初の難関を乗り越えたこの場所で、

改めて 前 を見た…







このときだった。



清らかな渓声を全方位に感じながら、
理性を越えた世界の 「空中歩行」 が始まる。






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