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コメント
51,3482023-01-28 09:20:46/rail/kido2/main3.html [コメント一覧]8
ミレニアムの劈頭は2001年です
51,3472023-01-27 18:11:20/mini/267_/main.html [コメント一覧]10
とうとう北海道筆頭オブザ廃の黄金道路登場ですね!
平成初期のころから見慣れた道をヨッキさんがどう攻略するか楽しみに待ってます
51,3462023-01-27 05:05:26/road//ookuzure/main11.html [コメント一覧]10
面白かったー!
51,3452023-01-26 14:55:10/mini/270/main2.html [コメント一覧]8
今度見に行こうと思っているので、参考になりました。
51,3442023-01-26 12:44:53/road/bodai/main7.html [コメント一覧]10
国会図書館デジタルコレクションの全文検索対応増量のおかげで、この道の整備主体に関すると思しい文書を見つけましたので、以前お送りしたものと併せてお知らせします。
どうやら整備時期は明治40年代前半、整備主体は鳥海清治氏を中心とした「千葉県安房郡東条村の耕地整理組合」のようですね。
路線名は不詳ですが、「和泉山路線」「和泉道」という言及が散見されますので、「和泉」の名を冠する道路だったのではないかと。
以前、演習林が木炭をこの道を経由して鴨川港から搬出していた時期に、木炭倉庫を鴨川(東條村和泉区)で借り上げた資料を発見した記憶があるのですが、再発見できませんでした。明治44年に設置された「和泉倉庫」が、おそらくソレだと思うのですが……
第2代千葉県令(初代千葉県知事)だった船越男爵の来村(とおそらくこの道の通過)も明治44年ですので、この時期が最も往来が盛んだったんでしょうな……

るくす


表題:耕地整理研究会報 (13)
出版:大正2年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1505707/1/35
>千葉県鳥海氏と耕地整理
>千葉県安房郡東條村耕地整理組合は同村豪農鳥海清治氏が発起に依り開拓せる
>現に林道を開鑿して清澄の大学演習林と鴨川町との往来を便にし
>去る明治四十一年八月組合を設立
>現在にては東西を以て山麓に至る迄自由に往来する事を得るに至れり


表題:農村の模範事業
出版:大正5年
https://dl.ndl.go.jp/pid/956061/1/77
>鳥海戸長隣村戸長飯塚耕太氏等亦斡旋頗る努めたので、遂に協約は成立
>和泉区では鋭意其経営に当たり林道を開通
>或いは山脚を切開いては、東京農科大学の演習林に接続する道路を作り、又同大学の方でも【和泉山路線】に連絡を執り
https://dl.ndl.go.jp/pid/956061/1/78
>数箇所には隧道を設け車馬の往来に便宜ならしめて、
>今や農科大学演習林二千町歩に渉る大森林から産出する林産物を鴨川町に運搬し得るに至った。
>▲模範的村夫子鳥海翁の功労


表題:男爵船越衛伝 (芸備叢書 ; 第2編)
出版:対象9年
https://dl.ndl.go.jp/pid/962738/1/59
>安房の謝恩会
>明治四十四年千葉県安房郡東條村に、態々船越翁を招待して謝恩会を開いた
https://dl.ndl.go.jp/pid/962738/1/61
>率先当事者鳥海清治最近の美挙をも列載し


表題:東京帝國大學農學部附屬千葉縣演習林概要
出版;昭和8年
https://dl.ndl.go.jp/pid/3460062/1/25
>演習林林道(車馬ヲ通スルモノ)
>相澤林道
>郷台畑苗圃下相ノ澤橋南詰ヨリ相澤本流ニ沿ッテ上リ東ノ澤上ニ於テ【和泉道】上部ニ合ス


表題:千葉演習林地質図(折込・カラー資料1枚)
出版:昭和30年
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/26434
>安房郡鴨川町字和泉入会山林
>至東條村


表題:千葉演習林沿革史資料(2) : 林産物処分の施業期・林班別集計
出版:昭和52年
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/26335
>8.参考事項
>3.主な木炭倉庫
>和泉倉庫(1911年【明治44年】設)
51,3432023-01-25 18:08:28/road/kpr511/main4.html [コメント一覧]10
いつも楽しく拝見しておりますが、自分の生活圏の記事はひときわ面白く拝見します。
51,3422023-01-25 17:26:19/road/odarumi/main3.html [コメント一覧]10
近所の自転車屋で、大垂水峠は坂の中では緩いほうなんですけどね、、、と言われましたが、そんなことないと思いました。
51,3412023-01-25 17:09:30/road/kpr515/main4.html [コメント一覧]10
相模湖を楽に抜けるルートを探していてこの記事に行き当たりました。やっぱり地図上でうねうねしている道はこうなんですね…
51,3402023-01-25 00:58:29/tunnel/shirahone/main4.html [コメント一覧]10
お疲れさまでした。
来骨!!!
51,3392023-01-24 09:45:01/road/r343_sasanoda/main6.html [コメント一覧]10
今、50代後半から60代前半の大原山口地区の大人が小中学生の頃は、何度も笹ノ田峠まで自転車や徒歩で遊びに行きました。峠まで行ってただ帰って来るだけなのですが本当に楽しかったです。勿論、旧道ですよ!!峠の十字路から下の方に茅葺き屋根の家が数件見えました。今の当摩地区の家ですが当時は、まだ子供でしたので何処の集落なのか判らなかったです。丁度その頃は、笹ノ田トンネルがまだ工事中でした。旧道を歩いていると沢がある谷間の下方に橋を架ける工事が4ヵ所で行われており大原側に近い橋の2ヵ所は既に完成していてトンネルに近い橋はまだ工事中なのが見えました。この工事を行っていたのは昔、岩手三陸地方最大手の丸哲と言う建設会社でした。大原の新山橋の近くに工事事務所がありました。現在は地元建設会社の倉庫が立ってます。話は替わって小黒山の人首(ひとこべ)から旧道を通り現国道343号へ合流する所に止まっていたダブルキャブの道路維持車両は陸前高田の〇〇川建設もしくは、〇立建設の車両です。一関市と陸前高田市の境、標示合から高田側の国道343号の道路維持作業を行っている建設会社です。車両が止まっていた廃道は以前は地元坂下の子供K君のマラソンの練習コースでした。おそらく、一番最後まで旧道を利用した人だと思います。その後は、春に、たまに山菜採りに入る人がいたでしょうけど年月が立つに連れ文字通りの廃道となりました。そんな状況の廃道から突然、レポ−タ−の貴殿が自転車を押して現れたのだから作業員の方もビックリしたでしょう。でも、ドライバーにとって彼ら作業員の方々は守り神みたいな存在です。冬は寒い朝、早く起き除雪車で除雪をしてくれます。また、落石があれば石を片付けてくれます。カ−ブミラ−が汚れていればキレイにしてくれます。大雨が降り沢から土砂が流れ出た時に片付けてくれます。本当に彼らがいなければ車は安全に走行出来ません。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。そんな中で車から空き缶やゴミをポイ捨てしているドライバーは、後でバチが当たりますよ。覚悟してください。
51,3382023-01-24 06:41:39/tunnel/totiori/main3.html [コメント一覧]10
久し振りに拝見しました。
私の叔父の奥さんが八尾町出身で、そのお父さんが郵便を利賀まで届けていました。
叔父が23年生まれなのでその奥さんのお父さんは大正生まれと想像できます。
大変に頑強な体の人でした。
利賀村は私が釣り(FF)のためよく通いました。
栃折の通行止めの道路は何度か通ったことがあり、旧山田温泉玄猿楼の前の山田川へとつながります。
大変興味深く拝見しました。
ありがとうございました。
51,3372023-01-23 19:17:31/tunnel/kazuno/main7.html [コメント一覧]10
真木小金沢林道はレポしないのだろうか?
エキサイティングで廃トンネルもいくつかある。
51,3362023-01-23 14:46:14/bridge/akimoku/main.html [コメント一覧]10
先日の「鉄鋼建設ワークショップ」に記載されていたLecoq社の貿易カタログを見つけましたので追記します。

19 世紀から 20 世紀初頭にかけてのベルギーの鉄鋼建設ワークショップ: 貿易カタログによる作品の検索
Iron and Steel Construction Workshops in 19th and early 20th century Belgium: Retrieving their Oeuvre via Trade Catalogues
https://www.scipedia.com/public/Wouters_Wibaut_2021a

貿易カタログ
Aug. Lecoq & Cie. Constructeurs Hal (Belgique)
https://www.mot.be/webhdfs/v1/resource/RCB/26601/rcb026601.pdf

5ページ目みたいな橋も輸出してたみたいですね……

るくす
51,3352023-01-22 20:56:35/mini/270/main2.html [コメント一覧]10
吊り橋みて発電所の取水堰の脇に良くあるヤツと似た雰囲気だったので或程度その辺は私も読みながら予測しました〜。最近は廃道よりも水発がメインになってる私であるので行ってみなくては♪
51,3342023-01-22 20:39:37/mini/268/main3.html [コメント一覧]10
すげ〜,軽便鉄道なんかあったのか!すげえちっさそうなトロッコに毛が生えたか生えてもないくらいのやつかな〜。ここは当然,廃道となった?破線で描かれてるR249旧道と併せて悪にゃん期待したい所♪
51,3332023-01-22 10:49:44/mini/270/main2.html [コメント一覧]8
こんにちわ〜。こりゃまた凄いですね

天龍橋旧橋の下に放水口があり、そっから出ててる風
(GoogleMapに旧橋からのビューがあり、写ってる)
51,3322023-01-22 10:40:19/tunnel/honzongan/main3.html [コメント一覧]10
足駄橋と芦田橋、担当部署や人員のセンスを感じますね。
足駄が雪駄や下駄と同じような意味合いだとして、作業に使う下駄橋としての側面を持ちつつ、最終的には増結して本線橋となる存在。
架け替えた芦田橋(新)側に[芦田橋]の銘板、足駄橋側に[あしだばし]の銘板が付けば、利用者からは総てが『あしだばし』であり、工事関連部署では書面上での作業部位が『足駄橋と芦田橋が判別可能』、実に想像が膨らみます。
51,3312023-01-22 09:37:32/road/omori/main4.html [コメント一覧]10
面白かったです!
51,3302023-01-22 00:18:04/road/mpr263/main3.html [コメント一覧]10
初めまして。
根白石は旧奥州街道のさらに前、言うなれば古奥州街道の宿場町だったようです。この街道はさらに北側の宮床地区まで繋がっていました。現在で言うと県道264号〜上谷刈〜七北田川に比定されます。宮床は伊達藩の重臣が配され、万が一の時の脱出路でもあったそう。

いまは使われなくなったという意味では廃道としても楽しめますよ。
51,3292023-01-21 17:59:26/road/r343_sasanoda/main6.html [コメント一覧]10
陸前高田市矢作町は森林資源が豊富で江戸時代中期から明治初期までたたら製鉄が盛んに行われて銅屋(製鉄所)が各所に有りました。雑木林から切り出した木を炭焼き釜で焼き木炭を生産して炉の中で砂鉄と一緒に燃焼させ銑鉄を取り出したのです。この一連の作業を行った施設を銅屋と呼びます。製鉄を行うには大量の木炭が必要でした。雑木林を伐採しきり終わると銅屋は次の雑木林がある場所に移動しました。勿論、炭焼き釜も次の場所で新しく造り直しました。では、砂鉄は、何処から調達したと言うと大原の内野からでした。内野地区を流れる川には花崗岩が風化して出た鉄(砂鉄)が川底に大量にあったのです。砂鉄川の名前の由来となりました。内野で採集した砂鉄は牛馬の背に乗せて当摩を通り今泉街道の笹ノ田峠を越え小黒山へ、又は銅山を越え黒森に、さらに、内野から峠を越え大松沢を下り生出まで運ばれ製鉄に用いられたのです。本格的な西洋式熔鉱炉での製鉄が釜石や大東の京津畑で江戸後期に始まっていましたが主力は明治初期迄は、矢作や大原では、たたら製鉄でした。大原の山口集落にも山口川の脇に銅屋が明治初期まで在りました。この山口川の川底には今でも川底に、たたら製鉄で出た銑鉄屑が多く見られます。木炭生産は昭和30年代後半まで盛んに行われていました。戦前又は、戦後直後に皇室(戦前は国有林は皇室の山でした。)から地域の人々に払い下げになった山林は平等に分配され(くじ引き方法が多かったみたいです)、地区共同釜や各個人所有の釜で木炭生産が行われました。矢作の坂下や小黒山では各釜で生産された木炭を今泉街道の路肩脇まで出し積み重ねてトラックに乗せて大船渡線の矢作駅まで運びました。当時の矢作駅は貨物列車に積み込む木炭が大量に矢作の各所から集まり積込人夫も多く賑やかだったそうです。しかし、昭和30年代半ばから徐々に化石燃料への転換が始まると木炭の需要も衰退が始まります。しかし矢作では、木炭生産で荒廃した山林への植林事業が盛んになり苗の植樹から山林の管理そして伐採から切り出し運搬と製材までの一連の仕事が事業として成り立つようになります。今でも矢作地区には伐採切り出し専門の会社や個人事業者もおります。更に製材会社も数件有ります。陸前高田では矢作地区に林業に関係している会社や個人事業者が集中しています。今泉街道時代から旧道そして現在の国道343号は時代が代わっても地域の産業を支え物資輸送や人々の往来の重要な路線となってます。
51,3282023-01-21 14:23:30/road/r127/main15.html [コメント一覧]10
初めて読ませて頂きました。明治時代の隧道の発見などとてもドキドキしました。道の歴史も分かり勉強になります。これからも拝見させて頂きます!
51,3272023-01-21 08:51:24/road/sabukawa/main6.html [コメント一覧]10
5〜6年ぶりに山いがを思い出していくつもの記事を一気読みしました。
2008年ごろに山いがに辿り着き、当時20代でドライブ大好きだった私にはとても興味深くて、毎日サイトをチェックするほどはまっていました。当時特に印象的だったのは、大間線の未成線、東海道線の石部隧道、国道158号の旧道探索シリーズなどです。
ヨッキれんさんの記事の面白みは、単に探検して「はい終わり」ではなくて、探索と発見を繰り返すうちに謎が謎を呼び「何?」「なぜ?」という読者の疑問が堆積していって、それが最後にスッキリ解決されるカタルシスにあると思います。よく構成されたドキュメンタリーのようで、たった一本の橋やトンネルにそんな物語があるのかと、思わず唸ってしまいます。
そんな私も40代になり、なかなか長距離ドライブをしなくなってしまいました。ヨッキれんさんも45歳になられたんですね。くれぐれも、転落、窒息、水難などの事故にお気を付けいただきますように。次回のレポート楽しみにしております。
51,3262023-01-20 20:18:26/road/kodakumi/main15.html [コメント一覧]10
海からもそう遠くない場所での山林。本当に山奥に感じました。
私も山林は大好きですが、ここまでの山道は勇気がでず行ったことがありません。

また和歌山県の山林話を期待してます。

現在は小匠ダムのトンネルは通行止めらしいです。
51,3252023-01-20 13:27:16/road/r158_midono/main6.html [コメント一覧]6
現役の標識の画像の奥によく見ると信号機があります。
51,3242023-01-19 19:26:53/road/hotokenoyama/main2.html [コメント一覧]10
朝日堂 夕日堂は
屋根がリニューアルされてしまい
ましたけど 健在です!
51,3232023-01-18 16:13:39/rail/kido2/main2.html [コメント一覧]10
ド素人のおいらでも一目瞭然の残り方
51,3222023-01-18 09:24:07/rail/kido2/main2.html [コメント一覧]10
林道化されてしまうとなかなか遺構はのこらないのですね
当時を偲べるものが出てくることを期待して次回を楽しみにしております
51,3212023-01-18 06:42:10/rail/kido2/main2.html [コメント一覧]10
地元民です。
あの谷を徒手空拳で降りるとは流石(汗)。
51,3202023-01-17 19:38:31/bridge/akimoku/main.html [コメント一覧]10
久しぶりに色々と探してみたら、以前は見つけられなかった資料がHITしたので書きに来ました。

LECOQについては、ベルギーのHalleという都市にあった「J.L. Lecoq」という、鉄道資材の製造販売を世界的にやっていた企業ではないかと。

奇しくも岩倉使節団のベルギー滞在と同年の設立のようで、当時のベルギー新聞に「鉄道資材の市場として有望」的なことが書かれているので、日本向けの製品もあったかもしれませんね……

1898年にコンゴで建設された鉄道の鉄橋に「J.L. Lecoq」の文字が確認できる写真が存在しているようなのですが、現物にはたどり着けませんでした。

見つけた資料の所在と、DeepLでざっと翻訳して抜き出した関連表記を下に置きます。

19世紀から20世紀初頭のベルギーにおける鉄鋼事業者(IRON AND STEEL CONSTRUCTION WORKSHOPS)
https://www.scipedia.com/wd/images/2/25/Draft_Content_759896223p690.pdf
1873年、ハレの実業家Auguste-Joseph Lecoqは、アントワープのEmile Ehlersと協力して、鉄と銅のボイラーや鉄道資材を製造販売する「Auguste Lecoq et Compagnie, a Hal」を設立しました。
1894年6月、Auguste Lecoqの死後、レコックの未亡人とその家族は、J.L. Lecoq et Cie社を設立したが、1895年末に倒産してしまった。
1898年には、鉄道や路面電車の固定車両や車両、蒸気機関車、橋、トラスなどの製造は、ソシエテ・デ・アトリエ・ド・コンストラクション・ド・ハル社によって継続されました。
1895年から98年までの活動に関する情報はありませんが、1898年にコンゴで金属製の橋を架ける際に撮影された写真には、Ch. De Fer.Matadi Congo.のペイント文字が一部確認できます。
Ateliers de construction.Aug. Lecoq. J.L. Lecoq Hal. Belgique "の文字があり、橋の建設が続けられていることがわかる。

植民地経済とハレ(Halle)
https://sites.google.com/view/dekoloniseerhalle/dekoloniseren-is-werkwoord/herontdekking-van-onze-congo/koloniale-economie-halle
コンゴでの鉄道建設は、ベルギー企業に利益をもたらした。
鉄橋はベルギーで製造され、ハレの事業者「Lecoq」が担当した。
1898年に「Les Ateliers J.L.Lecoq」から買収した「Les Ateliers de Construction de Hal」は、現在のハレのネデルヘムの場所にあった、
オーガスト・ルコック(August Lecoq)が設立した建築工房である。
鉄道車両、橋梁、金属構造物、鉄道機器、などが製造され、全大陸に納品していた

ベルギーにおける岩倉使節団
https://hosei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=20989&file_id=22&file_no=1
「ガゼット・ド・モンス紙」1873.2.18付
いまや日本の港は、世界と交易するために広く開かれているので、わが国(ベルギー)は直ちに日本において蒸気機関や鉄道に関するものの重要な販路を見出した。
というのは、日本はアジアの強国のなかで最初に鉄道を敷設した国だからである。

るくす
51,3192023-01-17 16:42:52/rail/kido2/main2.html [コメント一覧]10
どんな遺構が出てくるか、続きを楽しみにしております

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