| ▼番号 | 書き込み日時 | 書き込みURL | 点数 |
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| コメント | |||
| 19,079 | 2015-06-08 12:03:39 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| 鉄道ファンなだけに大谷隧道の姿には心を打たれてグッとくるものがありました、今度光明電鉄の歴史を調べてみようと思います。 | |||
| 18,398 | 2015-03-29 09:28:06 | /rail/koumyo/main3.html | 9 |
| このような廃線があったとはまっっっったく知らなかった! 時代の先を走り過ぎた…突っ走り過ぎた光明電気鉄道… 現在では、林業も廃れ過疎になりつつあるかの地を思うと、志は高かったが先見力が乏しいと思わざる得ないが、満願成就はしなかった先人の大胆な発想には敬意を表したいと思う次第です。 | |||
| 18,072 | 2015-02-28 02:26:35 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| 非常に楽しく拝見しました 大谷隧道は昔は自転車で往来できたそうで私が訪問した1995年2月はまだ阿蔵側のトンネル入り口は残存しておりましたが土砂が奥の方から広がっていて天井も低くなっていて2−3m中に入るのがやっとの状態でした 照明装置を持っていなかったので奥の方を確認する事は出来ませんでした あと友人の案内で土手だけ完成した佐久間線の工事跡がかなり美しい状態でしたが 現在はその場所を失念してしまいました 船明ダムには橋脚だけが残っているそうです 地元ではガラが悪く恐れられている天竜林業高校ですが70年代には校門前に水窪営林署のDLが展示されていました 95年に再訪した時は校舎裏に放置された状態で心配していましたが 後に四国の馬路森林に移管されて見事に復活しております 今後の活躍を期待しております 山歩きは危険なのでサンダルはやめましょう ちゃんと靴履いて下さいね | |||
| 17,810 | 2015-01-23 22:22:17 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| この大谷隧道も、最新の地理院地図では山をぶった切る直線として復活してますねっ(Mapion にも載っているし...)! まだ指定解除されてないはずの「清水国道」が跡形も無く消えていたり、逆に半世紀以上前に消えた隧道が復活していたりと、この地理院地図はどうも正確性に欠けるような... | |||
| 16,629 | 2014-08-24 21:02:42 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| 磐田市に住んでます。 楽しく読ませて頂きました。 二俣から春野町へ行く道の途中で、鉄道があっただろうと思われる、川を跨いで続く跡があり、いままで疑問に思ってましたが、この線の為だったんだなとわかりました。 今度自分でも行ってみようと思います。 | |||
| 15,886 | 2014-06-09 23:50:15 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| とても懐かしく拝見しました。私は船明生まれの63歳です。50年くらい前の小学校低学年の時は船明トンネルは崩落しておらず、二俣の町に向かう時は、よく利用しました。トンネルから北側は線路道が作られており、「電車道」と呼ばれていました。 | |||
| 15,395 | 2014-04-07 14:56:50 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| 非常にいいレポートで楽しめました。 | |||
| 13,281 | 2013-07-25 15:19:06 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| 実家が山東にある者です。子供のころ二俣川?に古びた橋脚が残っているのを見たことがあります。祖母の話によると光明線跡とのことでした。ちなみに山東周辺は光明線の痕跡は全く残っていません。 | |||
| 13,005 | 2013-06-20 09:59:58 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| 画像とかわかりやすいサイコー | |||
| 11,147 | 2012-11-29 19:06:56 | /rail/koumyo/main2.html | 9 |
| 二俣町駅南の栄林寺に実家のお墓がありますが、栄林寺と二俣町駅の間に30年ほど前は山の途中をえぐった地形が残っていました。今思うと電車を通すためにそのようにしたのかもしれません。当時はそんなことを想像もしませんでした。 母に電車が通っていた当時のことを聞いたら、栄林寺前までは電車が通っていた…とのことです。 | |||
| 9,115 | 2012-01-26 01:54:46 | /rail/koumyo/main3.html | 9 |
| この隧道、戦時中は軍需工場として利用されたようです。以下一部引用 http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/kyosei/hamamatsu.html 日本楽器は陸海軍の共同管理工場としてプロペラ・燃料補助タンクなどを製造していた。日本楽器の疎開工場のひとつが磐田郡光明村(天竜・船明地区)につくられ、「佐久良工場」とよばれた。(中略) 日本楽器の疎開工場について、当時、船明国民学校生だった松井誠次さんはいう。 「一五号線の東側に六ケ所ほどの工場が建設され、西側は大谷船明トンネル内に機械が搬入され工場となった。トンネル出口に工場が二つ建てられた。山東地区にも工場が建てられた。 | |||
| 8,779 | 2011-12-04 13:21:56 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| 知りたかったことをご教授していただき、感謝です。 | |||
| 7,106 | 2011-05-14 09:34:35 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| 私も阿蔵駅跡を何度も探しました。3回目にホームを見つけたときは感慨深かったです。 | |||
| 6,103 | 2011-01-27 16:37:41 | /rail/koumyo/main3.html | 9 |
| 私、この大谷に住む者です。 小さい頃はよく柵を乗り越えて、肝試しと称してトンネル前まで 行っておりました。 昭和60前後の事ですが、大谷側は落盤はしていませんでした。 | |||
| 3,048 | 2010-04-28 01:34:10 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| 謎の光明電気鉄道・・・私が知ったのは西野保行著「鉄道史見て歩き」でしたが、またひとつ知られざる事実が明らかになりました。ありがとうございます。 | |||
| 2,996 | 2010-04-25 16:43:57 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| いつも興味深く拝見させていただいております。 「ふなぎら」の地名について、当時の輸送手段(船)の要衝地ということから「船の目的地」転じて「船の明かり」、更に転じて「明」は「あきら」と読む事からこの地名になったのでは?あくまで推測ですのでご参考までに。 | |||
| 2,802 | 2010-04-11 01:13:30 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| 大変楽しく、興味深く読ませていただきました。 父が船明出身で、子供の頃(40年ぐらい前)実家の畑がこの坑道の直北あたりにあり、1,2度行った覚えがあります。ただ、その時点で、「中が崩れていて危ないから入ってはいけない。」と言われていました。 現在、坑道の北側は再開発工事が進められています。おそらく住宅地になることを考えると、残念ながらこの遺構も「危険だから」と、葬られてしまうのだろうと思います。 | |||
| 2,402 | 2010-03-20 21:57:23 | /rail/koumyo/main3.html | 8 |
| 大変良く調べてあって感心しました。現在船明に在住しています。ちなみに船明の明の音読みは明るくてギラギラしている様子を例えたものだと思われます。今後もたくさんの情報を期待しています。 | |||
| 1,859 | 2010-02-14 12:31:51 | /rail/koumyo/main3.html | 9 |
| 「船明=ふなぎら」は「ふな+あきら」の音から来た詠みかたかと思われます(たまたま上司が天竜区船明に住んでおります)。今回も楽しませて&勉強させていただきました。静岡県の読者より | |||
| 173 | 2009-10-27 21:39:51 | /rail/koumyo/main3.html | 10 |
| 磐田市に住んでいます。 私の手元にある、1991年 昭文社発行の 浜松市の地図には、大谷隧道と船明ダムまでの小道が普通に描かれています。 1991年の時点で、隧道が通れたかどうかは分かりません。 | |||
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