| ▼番号 | 書き込み日時 | 書き込みURL | 点数 |
|---|---|---|---|
| コメント | |||
| 53,712 | 2024-03-16 06:32:17 | /road/tatikawa/main7.html | 10 |
| 要塞がらみで機密だからと紀行文すら情報が薄い中、実は軍機の公文書がきちんと保管されていたのがおもしろかった | |||
| 53,711 | 2024-03-16 03:58:08 | /road/tatikawa/main7.html | 10 |
| 由良湊神社に伝わる、「生石岬の侍伝説」みたいですね。>読めない部分 http://yuraminato.html.xdomain.jp/samu.htm | |||
| 53,710 | 2024-03-16 03:14:40 | /road/tatikawa/main7.html | 10 |
| >文字が潰れていて内容は全然読み取れず の部分ですが、「正慶二年阿波屋形」とか「細川」とか「三好」とか読み取れるので、細川氏の興亡に関する何らかの来歴が記されているのではないかと…… https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%B0%8F | |||
| 53,708 | 2024-03-16 02:29:03 | /road/tatikawa/main7.html | 10 |
| いつもお疲れ様です。淡路島は大阪方面に行くのにいつも通過していて、おもしろい店でもないかと思ってあちこち分け入ってきたのですが… 東海岸縁にこんな激しい廃道があるとは、思いもよらなかったです。淡路島には鉄道の廃線跡はあるとは聞いていましたが… 国道28号線周辺の穏やかな様子からは、この廃道の存在はまったく想像も及ばなかったです。 | |||
| 53,704 | 2024-03-16 00:05:26 | /road/tatikawa/main7.html | 10 |
| 最終回の最後の写真の中津川バス停の後ろにある橋が、旧道の橋と同じデザインに見えるけど、同時代のものだろうか。 机上調査編の最初の昭和3年の地図だと、中津川のカーブで海岸に出ないでこの橋の方に進んでいるように見えるけど旧道かな。 | |||
| 53,703 | 2024-03-15 11:04:00 | /road/tatikawa/main7.html | 10 |
| その他、見つけた情報です。 日本の廃道 第116号『上灘道』にも、歴史的な経緯が記載されているんですね…… 書名:兵庫県郡役所事績録 下巻 出版:昭和2 https://dl.ndl.go.jp/pid/1269442/1/215 >本郡洲本岩屋間道路改築に關し古く明治十年既に其の企劃をなし、之が改築費として金五千圓國庫より借用出願したるも、 >東岸岩屋町より洲本町に通ずる最捷路なるも同所は道路として具すべきものなく、僅に海岸に沿ひたる自然道によりて漸く交通せる狀態にして、勿論車馬の通行等不能なりし 書名:関西地方風水害調査報告 昭和9年 出版:1936 https://dl.ndl.go.jp/pid/1878350/1/50 >線路名府縣道沼島·洲本線,被害金額28108円被害原因該地は断崖絕壁の中腹に道路を築造せる状態にして波浪の侵害を受けたるに非ず,空積石垣の辛じて留まれるに岩盤を傳へる雨水が滲透して辷動落下せるに依る(図-4參照) >被害狀況殆んど全部辷落し道路の形態なく自然の岩盤を露出す。災害對策幅員僅かに2m不足の道路にして交通稀なるも道路築造の必要は存す。 >岩盤を切均して基礎を强固ならしめ練積石垣を施し寧ろ路面を簡單にコンクリート等を以て鋪裝し水の滲透を避け且つ山側の側溝を完全にし排水を充分ならしむべし。 日本の廃道 第116号『上灘道』 https://books.google.co.jp/books?id=vVJBEAAAQBAJ&pg=PT134&lpg=PT134&dq=%22%E6%B2%BC%E5%B3%B6%E6%B4%B2%E6%9C%AC%E7%B7%9A%22&source=bl&ots=uFQB05WdCp&sig=ACfU3U1PnIMEz2IR4UgfGpgs7HG1A09ykA&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjDi9-EkPWEAxWMmq8BHXSfANYQ6AF6BAgKEAM#v=onepage&q=%22%E6%B2%BC%E5%B3%B6%E6%B4%B2%E6%9C%AC%E7%B7%9A%22&f=false るくす | |||
| 53,702 | 2024-03-15 10:19:33 | /road/tatikawa/main7.html | 10 |
| 先日書き込んだ「京阪一日の行樂」が大正12年出版でしたが、もう少し古い記述はないかと探してみたところ、 明治43年〜大正年3年出版の「新撰名勝地誌 巻9 南海道之部」という書籍にも旧道と思しき記載がありました。 ……ただやはり記載は「海岸の嶮道」とそっけなく、「要塞として詳しく書くことは許されていない」影響を感じますね…… 書名:京阪一日の行樂 出版:1923.2 https://dl.ndl.go.jp/pid/1899392/1/168 >由良は洲本から二里半ほどある。 >要塞として詳しく書くことは許されてゐないが、地形はかなりに優秀で、風景もまた捨て難いところがある。 >港から南に生石岬を迂回し、嶮しい海岸の路を進むと、三里で、灘村がある。 書名:新撰名勝地誌 巻9 南海道之部 出版:明43-大3 https://dl.ndl.go.jp/pid/762087/1/19 >由良港より南方生石岬(式内の古祠生石明神あり)を迂回し、海岸の嶮道を進めば、灘村の前面に一島を望む。 >即ち沼島なり。 るくす | |||
| 53,700 | 2024-03-15 07:35:59 | /road/tatikawa/main6.html | 10 |
| 危険な旧道探索ご苦労様でした。 机上調査で名前が不明だった橋の名前が判れば良いですね。 | |||
| 53,696 | 2024-03-14 21:31:14 | /road/tatikawa/main6.html | 10 |
| 最後の最後まで、気の抜けない廃道でしたね。 無事、探索完了で良かったです。 | |||
| 53,695 | 2024-03-14 21:25:26 | /road/tatikawa/main6.html | 9 |
| 2022年のストリートビュー見ると 民家の土台のあたりが崩れて補修してる跡が・・・ | |||
| 53,690 | 2024-03-14 17:37:07 | /road/tatikawa/main6.html | 10 |
| 書名:京阪一日の行樂 出版:1923.2 https://dl.ndl.go.jp/pid/1899392/1/168 >由良は洲本から二里半ほどある。 >要塞として詳しく書くことは許されてゐないが、地形はかなりに優秀で、風景もまた捨て難いところがある。 >港から南に生石岬を迂回し、嶮しい海岸の路を進むと、三里で、灘村がある。 旧道に関する記載が少ないのは、「要塞として詳しく書くことは許されていない」ためかもしれませんね…… るくす | |||
| 53,689 | 2024-03-14 15:11:37 | /road/tatikawa/main6.html | 10 |
| 伊能大図 https://www.inopedia.tokyo/02dataRm/inoh_map_check/daizu/138.pdf 今回の探索とは直接関係ないですが、伊能忠敬も測量時にこの辺りを通過してるんですね。(当然と言えば当然ですが) 書名:伊能忠敬 出版:1917 https://dl.ndl.go.jp/pid/1874853/1/99 >三月五日岩屋より淡路沿岸の實測をはじめ東海岸を南下し洲本、由良を經て南海岸に至り附屬島嶼をも測り進んで福良より鳴戶岬までの測量を遂げ西海岸の測定はこれを歸路に讓り三月十六日を以て阿波撫養に渡れり。 サラッと書かれてますが、岩室から鳴門までの淡路島東岸〜南岸を、10日あまりで踏破して測量してるんですね…… 日刊建設工業新聞 連載 「伊能忠敬の足跡をたどる」 第32回:淡路島 https://www.jsurvey.jp/press/kougyou-inou32.jpg >淡路島の測量は、阿波藩の藩を挙げた支援のもとに行われた 阿波藩の支援があったとはいえ、この険峻をよくもまぁ…… ホント凄いですねぇ…… るくす | |||
| 53,682 | 2024-03-13 22:07:44 | /road/tatikawa/main6.html | 10 |
| 橋に使われてるガードレールのデザイン的に実は中津川集落側から小屋の辺りまでは阪神淡路大震災前まで通れたのかな? | |||
| 53,681 | 2024-03-13 21:46:55 | /road/tatikawa/main6.html | 10 |
| 最後の最後に現れた岩盤は、ズレて隆起した断層なのかしら。日本構造線は紀淡海峡では東西方向の断層なので、南北にずれている感じは阪神淡路大震災の原因断層である野島断層の尻尾なのかな〜。 でもちょっと南過ぎるかな。 | |||
| 53,671 | 2024-03-13 01:18:06 | /road/tatikawa/main6.html | 5 |
| > 様な一枚岩なんだが、地中に隠されていた中央構造線の断層面だったりするのだろうか。 > 専門外だから全く見当違いなことを書いているかも知れない はい。まさしく全くの見当違いです。 | |||
| 53,664 | 2024-03-12 14:19:23 | /road/tatikawa/main5.html | 10 |
| 旧道の記載を国会図書館で探していたらこんな記述がありました。 書名:国立公園紀行 第1編 (瀬戸内海・大山) 出版:1954 https://dl.ndl.go.jp/pid/2986167/1/37 >海から100メートル余の高い道を歩きながら、なお、見上げるような山腹に家があった。 「灘海岸の道」というキャプションの写真が載っていますが、由良から阿万までの灘海岸全体に、こんな小道が通っていたみたいですね。 https://dl.ndl.go.jp/pid/2986167/1/36 >上灘方面はことに道路が波に洗われ、自転車さえ通ずることができず、嶮崖に架けた丸木橋や、危険な小道をたどるより方法がない。 >船上から、くずれ落ちた道路のけわしさを望見することができた。 桟橋ですらなく、丸木橋で繋げた部分もあったとは……やはり道を作るには、淡路島南岸は相当過酷な環境なんですねぇ…… るくす | |||
| 53,656 | 2024-03-11 16:49:12 | /road/tatikawa/main5.html | 10 |
| 洲本灘賀集線の現行道路は「上灘バイパス」と呼ばれていた時期があるようで…… 書名:わが村わが町のビジョン 出版:1966 https://dl.ndl.go.jp/pid/9525593/1/53 >南淡町灘地区現勢略図 >上灘バイパス https://dl.ndl.go.jp/pid/9525593/1/51 >昭和41年洲本市上灘に新設された上灘バイパス >東の上灘バイパス ……という記載がありました。 「写真4 絶壁をぬう県道」が東西どちらの道かはわかりませんが、今回探索された区間も現役当時はこんな景色だったんでしょうねぇ…… しかし「上灘バイパス」という名称はWEB上にほとんど残っていないようで、洲本市の広報誌位しか見つけられませんでした。 広報すもと 2006年��003 https://www.city.sumoto.lg.jp/hp/kouhou/sumoto/06/0604.pdf#page=14 >昭和40年 上灘バイパス完成 「バイパス」と言うからには「迂回元」の道路がある筈で、ソレが恐らく冒頭に出て来た「昭和39年度道路付替工事」で付替対象になった、 書名:最新日本分県地図 出版:1949 https://dl.ndl.go.jp/pid/1152916/1/159 >30 兵庫県 1949年の地図にも出てくる「縣道オヨビコレニ準ズルモノ」と表記されている今回探索された道だったんでしょうな…… 旧道自体に言及している記述はあまり見つけられず、 書名:歴史と神戸 : 神戸を中心とした兵庫県郷土研究誌 24(5)(132) 出版:1985-10 https://dl.ndl.go.jp/pid/7939918/1/6 >由良(洲本市)から通ずる道路は、自転車がやっと通れるほどのものであり、それもしばしば土砂崩れで不通になるので、まさに陸の孤島であった。 くらいでした。 あとは……完成直後の上灘バイパスの写真もありました。 書名:住民参加の共同社会開発 出版:不明 https://dl.ndl.go.jp/pid/1903604/1/66 >完成した上灘バイパス >洲本市越田−中津川付近で 完成後しばらくは砂利道だったみたいですね…… るくす | |||
| 53,655 | 2024-03-11 13:58:12 | /road/tatikawa/main5.html | 10 |
| 地理院地図の航空写真を見ると70年代にはすでに橋があるような…? | |||
| 53,654 | 2024-03-11 11:59:09 | /road/tatikawa/main5.html | 9 |
| 「中くらいの古さ」の「板チョコ」を形成しているコンクリブロックは あまり普遍的とは言えそうにない見慣れない形をしていますが こういう独自性のあるコンクリート二次製品は 製造された期間が短い場合が多いので 時代が特定できる可能性があるかもしれませんね 同じデザインらしきブロックが東側の橋台基部にも使われているので 堕ちた擁壁と橋の建設時期はかなり近いのかも | |||
| 53,638 | 2024-03-09 00:12:45 | /road/tatikawa/main5.html | 10 |
| 私は昭和37年生まれの62歳です。子供の頃昭和43年か44年に淡路島に住む親戚の車でこの道を通り水仙郷に連れて行ってもらったことがあります。その時は対向車のすれ違いに難儀したと覚えています。現県道が出来て久しくこの道があったことすら忘れていました。淡路島には昭和41年まで鉄道があり現在でも地元の古老は電車道と呼んでいる廃線跡もありますので機会があれば調査されると面白いと思います。なお四寸ほどの小さな徳利は神棚に奉る御神酒用ですね。 | |||
| 53,637 | 2024-03-08 22:41:19 | /road/tatikawa/main5.html | 10 |
| すんごい橋ですね! 橋があると言われて地図を見ると、ここだけ軽車道の記号になってるように見えます。 | |||
| 53,613 | 2024-03-06 16:04:36 | /road/tatikawa/main4.html | 10 |
| 地理院地図のほうで、延々と破線(徒歩道)が続く中で、 12:21《現在地》の地点附近のみ実線(軽車道)になっているのが気になっていましたが、そうきたか。 | |||
| 53,611 | 2024-03-06 09:23:36 | /road/tatikawa/main4.html | 10 |
| やっと出てきた、これが見たかった。 | |||
| 53,610 | 2024-03-05 23:41:28 | /road/tatikawa/main4.html | 10 |
| 2024/3/5 23:40現在 12:21の<現在地>がNot Foundになっています。 | |||
| 53,609 | 2024-03-05 21:57:22 | /road/tatikawa/main4.html | 10 |
| イベントと四国遠征から帰還されて一発目のレポート執筆、お疲れ様です。 「野球のボール」とあったので今回はそこに(だけ)反応しますが、道路が使われていた時期も合わせれば当然かと思いますが、この形状の軟式球は時代として相当古そうです。昔からあるバッティングセンターそこそこ見るくらい。 自分も愛媛の田舎にいた小学生時代は道路でキャッチボールをやっていて(相当な山奥だったから車なんて滅多に通らない)、たまに田んぼの下の崖に落としていたので、懐かしい気持ちになりました。 多分このボールも、そんな感じであそこに行っちゃったんだろうなぁ。 | |||
| 53,604 | 2024-03-05 10:15:49 | /road/tatikawa/main4.html | 10 |
| ドローン利用を検討した方が効率が良さそうですね | |||
| 53,602 | 2024-03-04 19:16:35 | /road/tatikawa/main4.html | 10 |
| よかった | |||
| 53,572 | 2024-02-25 09:31:23 | /road/tatikawa/main4.html | 10 |
| 淡路島一周サイクリングで新旧分岐があるのは知っていましたが、旧線がここまで凄まじい状態になっているとは! 良い子じゃなくても真似できません! | |||
| 53,571 | 2024-02-24 06:20:30 | /road/tatikawa/main4.html | 10 |
| 今回は踏破率(ヨッキさんが踏めた路盤の長さ / 本来の旧道の長さ)がかなり低くないですか? 中央構造線の影響って感じですか。そこに島の海沿いであることが崩壊への拍車をかけている? もう、わずかに残された部分から昔の様子を想像するしかないですね。 最初に道が付いたときには地元の人も喜んだんだろうけどなあ。今がすさまじすぎて。 | |||
| 53,568 | 2024-02-23 15:47:40 | /road/tatikawa/main4.html | 10 |
| ワクワク | |||
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