その25国道101号線旧道 岩崎隧道2003.3撮影
青森県岩崎村


 青森県西津軽郡岩崎村の沿岸部を南北に貫く国道101号線は、秋田と青森とを結ぶ長大な国道である。
3桁の国道としては最も小さな番号を持つ同路線は、西津軽地区の唯一の縦貫道路として比較的早い時期から整備が進められており、今回紹介する岩崎隧道を含む旧道にも程近い県境の大間越地区では昭和40年代初めに、国の権限代行工事を持って改良された経緯を持つ。
 標高1000m超の白神山地が日本海に落ち込む急峻な海岸線に点々と存在する漁村由来の集落内には、改良以前の旧国道が集落道として残されている部分が多い。
この岩崎村森山地区もそのような場所であり、国道101号線全線を通して僅か二本しか無い隧道のひとつがここに残されている。
もっとも、現役当時には、これが全線で唯一の隧道であったが。






 深浦町から秋田県と接する岩崎村へと国道101号線を南下。
観光名所である十二湖が近付いてくると、その直前に小さな半島がピョンと日本海へと突き出している。
ここにも、ガンガラ穴という海食地形の名勝があるが、現国道は半島の地形には従わず、付根をトンネルで通り過ぎてしまう。
もちろん、旧国道はここも律儀に海岸線に沿って進む。
さっそく、突入だ。





 旧道に入ってすぐの場所にあるのがこの、森山橋である。
昭和33年の竣工で、同年代には鉄の欄干を持つ橋が台頭し始めていたはずなのに、昔ながらの石橋である。
技術的に遅れていたのかもしれないし、あるいは海岸近くということで、塩害による腐食を考慮したのかもしれない。
この先、旧道は1.5車線ほどの幅で、森山の集落に吸い込まれてゆく。




 ちなみに、現国道は昭和48年竣工延長290mのこの森山トンネルで小さな半島を貫いている。




 旧国道は森山の集落に入る。
背丈の低い民家が海岸線に寄り添うように密集する光景は、この一帯ではよく見られる。
年中強い海風が吹き荒れる西津軽海岸の厳しい環境故の景色だ。
一方でその厳しい環境が育んだハタハタをはじめとする豊富な海の幸が、古くから人を住まわせたとも言える。





 旧国道からすぐ間近に迫る日本海を望む。
今ではJR東日本を代表する観光路線として脚光を浴びる五能線は、さらに海岸線の近くを走っている。
写真にも、そのレールが写っていよう。
 たしかに、五能線の車窓からの風景は見飽きるということが無い。
輪行に利用する身にとっては、いつも空いているというのも高ポイントだ。
しかしまた、その運行本数の少なさや、速度の遅さから来る延着性は致命的であり、余り利用することは無いが。






 旧道に入り500mほどで、早くも半島の突端近くに至る。
集落もここで尽き、その先の道には一本の小さな隧道が口を開けている。
半島の鞍部を貫く隧道は、遠目に見ても大変に細く、現役時代大型車の通行が可能であったのか、気になる。
他に迂回路が無い国道だけに、この隧道の狭さは致命的だったろう。
接近してみる。



 これが岩崎隧道であり、おなじみ『山形の廃道』サイト様からの情報によれば、延長は48m、幅員3.7m、高さ4.0mとなる。
なるほど、手前にある幅員・車高制限の標識(いずれも3.0m制限)も頷ける狭さだ。
ただし、竣工年度が不明である。
推測だが、藩政時代からここには津軽西街道が通っており、その時代から素掘りの隧道が利用されていたのではあるまいか?
この後に判明するが、この小さな半島の海岸線は大変に険しく、隧道を除いては陸上を通行する術が無いと思われるのだ。
その時代からの隧道を、改良に改良を重ねながら利用しているのではないかと思う、あくまで推測だが。



 内部の様子。
坑門ともども、意外に綺麗に化粧されており、古さは感じない。
電灯設備もあるが、昼間だけかもしれないが、この時は点灯していなかった。
ちょうどこの時、散歩と思われるご老人が私の写真撮影の鈍行ペースに合わせて移動しており、2枚上の写真にも写っている人物がここでも写っている。
決して、心霊写真ではないぞ。





 そしてこれがその反対側。
狭い切通に続く坑門、しかも蛇行している。
これは大変な難所であったろう。
しかし現在では通行量も少なく、散歩にも適した海岸線の長閑な小道である。
 この先、短いくだりの先、海岸線を少し走り、そのまま現国道に合流する。
レポートはここで終わっても良いが、一つオマケを。





 坂の下に下った場所からの眺め。
半島の海岸線が如何に切り立っているかがお分かりいただけるだろう。
そして、その岩肌を貫くいくつものトンネルが見えよう。
右上の白いガードレールに続くトンネルが、先ほどの岩崎隧道。
その左下に二つ連なって写っているいるのが、このアングルからだとまるで廃線跡の隧道のようだが、現役の五能線である。
思わずこの眺めに惹きつけられた私は、線路上のバラストを辿って、慎重に坑門まで接近してみた。





 仙北岩隧道である。
銘板によれば、延長は驚きの9.5m(短い!)、徒歩で10秒で通過できるという注意書きがあったが、そんなには掛かるまい。
とは言っても、これ以上先まで営業中の線路を歩くのは危険だし、気が引けたので、海岸線に降りて見ることにした。




 海岸線の岩肌には、海食洞と思われる巨大な洞門が口を開けていた。
海面からは少し高い位置にあり、人間が容易に通れるサイズから、岩崎隧道開通以前の旧道の道筋かと疑った。
岩山をかき分け接近を試みる。
この穴の向こうの景色を知りたいのだ。




 ここから100mもはなれていない海岸線には景勝「ガンガラ穴」があり、それは海上の小島に空いた観光用の小船が容易に進入できるほどの巨大な海食洞群なのだが、この名も無き海食洞も(或いはこれが仙北岩なのかも知れ無い)大層立派なものだ。
人家からこれほど近い場所にも、十分に魅力的な観光資源が手付かずのままに残っているというのも、白神山地も然りだが、みちのくの奥深さといえよう。
 ここの雄大かつ繊細な景色はいくら見ていても飽きないが、先へと進んでみる。
はたして、これは古の街道だったのか?





 しかし、残念ながらその先は哀れ道など全く無く、一歩足りとて進むことの出来なかった。
どんなに深いのか、黒々とした海面が足元にうねり、強風のせいで恐怖感すら感じた。
やはり見ていて飽きない景色だが、万が一風にあおられでもして墜落したら事なので、早々に退散した。

ここは、隧道以外には通り抜けの出来ない場所だったと思える。
船で往来していたのだろうか?




 この海岸線から、海を挟んで反対側にも、島か、半島か良く分からない陸地がある。
こんな書き方は、なんともおざなりに思うかもしれないが、いや本当にそんな印象なのだ。
地図と照らし合わせてみても、海岸線の地形の複雑さゆえ、これが島なのか、地続きなのか、本当に分からなかった。
今でも分からないし。
 そこにも、不自然とも思えるような、立派なあなぐらが見えていたが、結局ここには接近できなかった。
近付こうとすると断崖が邪魔をし、回り込もうとすると、見失う。
そんな不思議な穴なのだった。
多分これも海食洞だろうが、気になる…。



 まだまだ分からないことも多い、西津軽の海岸線。
その不思議の一端を垣間見つつ、レポートはこれにて終了。
次の謎を、お楽しみに。




2003.6.2作成
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