その26国道101号線旧道 大間越2003.3撮影
青森県岩崎村


 大間越は白神山地最高峰の白神岳の直下にあり、険しい山肌がそのまま日本海に没する急峻な地形である。
梅津川河口部に拓かれた大間越集落には、江戸時代関所が置かれていた。
西津軽街道は、大間越街道とも呼ばれており、かつてこの大間越が道中最も険難な場所であったことを感じさせる。
その大間越だが、現在の国道101号線は昭和50年に完成した延長627mの大間越トンネルであっという間に通過してしまう。

 そこに残る旧国道を、今回は紹介したい。






 岩崎村大間越は津軽沿岸最南の集落であり、これより南には県境を越えて秋田県八森町の岩館まで10kmほど人の住む場所はない。
しかし、現国道沿いにはこれといって店も無く、集落裏手を一直線に駆け抜けている。
いかにも、バイパス的な道だ。
集落内に入る旧国道は、写真の場所から入る。





 現道から見える印象とは異なり、意外に人家が密集し栄えている。
集落内を1.5車線の旧国道を進むと間も無く、JR五能線のガード下を潜る。




 クランク状に屈曲しており、大型車の往来には難儀しそうである。
大間越駅は、集落中心部よりもやや南寄にあって、不便そうだ。 また、大間越駅より南にしばし駅は無く、ローカル線としては異例に駅間が広い区間だ。




 白神岳から流れ出る急流河川の梅津川の河口部をこの梅津橋で跨ぐ。
銘板には昭和参拾弐年参月竣工と古字体で刻まれており驚いた。
もっとも、平文で書かれた銘板も別の親柱にあり、謎である。
しかし、それなりに古い橋なのは間違いない。




 親柱には改築の跡が見られ、古い造りの石と鉄の欄干には真っ白なペンキが塗られていた。
渚と白い欄干のコントラストが、どこか日本離れした景観を生み出している。
厳しい北国なのだが、温暖な異国をイメージさせる。




 かつて関所があったのは梅津川河口付近だったので、ここはもう秋田領だったのだろうか?
しかし現在では引き続き青森県岩崎村である。
そうこうしている内に、いよいよ断崖が海岸線にせり出してくる。
1.5車線の旧国道もそれに合わせ、高度を上げ海岸線をなぞる。
この先に人家は無く、大間越のハイライトの始まりだ。





 海岸線にせり出した断崖がどこまでも続いているのがお分かりいただけよう。
最も遠くに見える高い山がちょうど県境になる大鉢流山(標高626m)だ。
あそこまで国道101号線は徐々に高度を上げつつ、厳しい山岳海岸地帯に挑むのだ。

旧道の厳しい区間の入り口であるここには、大きなテトラポットのようなコンクリートの障害物が置かれ、大型車が入れないようになっていた。
乗用車なら問題なく通行できるが。



 うねる様に続く枯れた山肌と波しぶきを上げる海岸の隙間の急な断崖に、旧国道は狭い道を穿つ。
現在特にここがかつて国道であった痕跡は見られないが、塩害にやられ赤錆びたガードレールなど旧道然とした景色があり、周辺の景色の美しさと相俟って、大層愉快な旧道探索である。





 1km足らずで断崖地帯は終了し、小さな砂浜海岸が見えてくる。
ちょうどその直前で振り返って撮影したのがこの写真。
晴天に恵まれ大変に気持ちよい道だったが、ひとたび北の海が牙を剥けば、地獄の道に変化しよう。
かつてこの道が国道であった頃も、相当の難所であっただろう事は、地形の険しさを見れば想像が付く。
だからこそ、西津軽沿岸の国道101号線にはたった2本しかないトンネルの一つが、ここにあるのだろう。




 大間越影の浜海岸は、遊泳も出来る美しい砂浜である。
この日は3月、全く人の姿は見られなかったが。





 現道と合流する直前、再び五能線を潜る。
前後の道よりもガード下は狭く、しかもその向こうには急なカーブが控えている。
見通しも最悪だ。
…私はチャリで探索しており、あくまでも想像だが、自動車、とりわけ大きな車には厳しい旧国道だったろう。
ちなみに、五能線もこの区間はトンネルで貫いており、車窓から大間越の岩肌を見ることは無い。


 そして現道に合流となる。
正味2kmほどの旧国道であった。

この写真では、まっすぐ海岸を貫く大間越トンネルと海岸線に細く道を刻む旧道との対比が、良く撮れたと思う。


ここは、乗用車でも気軽に探索できるオススメの旧道である。
ただし、風雨のある日は、全く違う姿で我々を待ち受けている可能性が高い。
注意されたし。






2003.6.3作成
その27へ

一つ戻る