その55赤金隧道2004.5.24撮影
岩手県江刺市赤金 



現在市販されているたいていの道路地図帳にも記載されている、一本の隧道がある。
それは、北上山地の一画、岩手県江刺市の東端、赤金鉱山という地名の側にあって、独特の存在感を放っているのである。
その隧道は、おおよそ主要道路とは言い難いような山間の道同士を、直接結ぶ隧道である。
地図上のその延長は、1kmにも及ぶ。
地図を見慣れた者であるほど、その奇妙さに興味を抱く。

こんな不自然な場所にある隧道は、どうなっているのか?
私も、そんな疑問を当然のように抱き、そして、行ってきた。



 江刺市を通り太平洋岸大船渡市へ抜けていく国道397号線から、ちょっと寄り道。
伊手集落から北東の山中を越えて、主要地方道8号水沢米里線(盛街道)に続く、農免農道伊手・火石線に入る。
ここから先、峠まで幾つかの小さな集落をすり抜けて、ずっと2車線の上り坂が続く。
約5kmの登りで、海抜450mほどの峠に至る。
進むにつれ勾配が増し、思っていたよりもハードな登りであった。




 峠付近には人家はなく、高原的ななだらかな山並みが続く。
ただし、向かって右側の、丁度国道397号線との間を隔てる山は険しくそそり立つ。
この山に、昭和53年に閉山した、赤金鉱山があった。
今回の隧道も、この鉱山に関連して存在したものだろうと類推される。

目的地は、峠を越えればすぐだ。




 峠の頂上から、火石側への下りはさらに急勾配で、あっという間(約2km)に県道まで降りる。
下り初めてすぐ、カーブの外側に、右折する道がある。
少し分かりにくいが、ここ以外には、この方向へ曲がる道はない。
私も、はじめうっかり見落とし県道まで降りてしまった。

荒れた道へと入る。




 道は、かなりの急勾配で上り詰めていくが、あんまり進むとどこへ連れて行かれるか分からない。
地図上では、隧道は農道からそう離れていない場所に口を開けているはずなのだ。
遠くても、精々50メートルくらいの場所に描かれている。

やはり、はじめは見落として、もっと奥まで進んでしまった。
そして、引き返してきた私は、雑木林の一部が奇妙に平坦であることに気が付いた。
また、雑木林に放置された、重機の残骸。

この辺が怪しい。



 チャリを置き、冬枯れのせいで視界の利く雑木林を探索すると、間もなく、決定的な窪地に遭遇した。
湿地帯と化した窪みは、まっすぐ山へと向かっていく。
この山の反対側には、国道397号線や赤金鉱山(跡)がある。
目指す隧道は、いよいよか。



 隧道らしき穴が見えた。
ただし、その発見は手放しでは喜べなかった。
入り口は、頑丈な鉄柵で封じられている上に、どう見ても高さが足りなすぎる。
これは、本当に通路としての隧道だったのだろうかという疑念が、鎌首をもたげてきた。
水路や、或いは、坑道だったのではないだろうか。
大規模な鉱山にはよく見られる「通洞坑」というのは、鉱域同士を繋ぐ通路であり、性格上は隧道であるが。

そういえば、道路地図帳では道路同士を結ぶ隧道として描かれているが、先に挙げた地形図では、よく見ると隧道に続いているのは、車道ではないように描かれてる。
今私がいる側の坑口に続くのは、地形図凡例で「庭園路など」とされる、特殊道路である。
一体、どんな実態があったのだろうか?



 非常に目の細かい鉄の網が坑門に縫いつけられており、ビクともしない。
扉などはなく、もう、完全に封鎖されている。
穴の幅は、2mたらずと狭い。
また、入り口の下半分くらいは埋没しているようであり、残った高さは、1mにも満たない。
坑門は年代を感じさせる石組みであり、扁額のような突起物が認められたが、文字はない。
洞内から空風の流れは感じられず。




 網を避けて、カメラで内部を撮影。
指一本、自身が内部に入ることは適わなかったので。

そこには、静かな澄んだ水面が広がっていた。
また、すぐ側に土嚢が山と積まれているのが見えた。
水位は正確には分からないが、50cm程度はあるように見える。
錆色のライナープレート(内壁を覆う金属板)が、外にいる私にまで強烈な圧迫感を与えてくる。
もはや、内部に人の存在など絶対に認められぬのだというような、強い意志を感じずにはいられない。

さすがの私も、とりつく島もなく撤退。
反対側に一縷の望みを託すしかなかった。




 少しでも奥が見たくて、写真の明度を限界まで高めてみた。
土嚢の奥の方にずっと空洞が続いているのが分かる。
これが、地図に記載の隧道だとしたら、山の反対側の赤金鉱山付近まで、全長1000mは下らぬはずだ。
地図には真っ直ぐに描かれているが、出口の光は見えない。
奥の方の内壁には、待避口のような部分(或いは横坑?)も見える。

これ以上、私は内部の情報を得る術を持たなかった。




 坑門前の切り通し部分。
この先は、平坦な雑木林に続く。
かつては、鉱山関連の設備があったのかも知れない。
この隧道の反対側坑口の脇において、地形図には「どう・てつ」と、鉱山の記載がある。
赤金鉱山の中心地は、もう少し東よりではあるものの、この隧道も鉱区内だったと見て間違いないだろう。




 正直言うと、さっきの坑口が地図上のものではないのではないかという疑念は、まだ捨て切れていない。
なんとなく、位置に違和感を感じるのである。
私が個人的に、地図上の位置に最も近いと思うのは、さっきの坑口の東50m程の車道脇の田圃の側にある、写真の斜面である。
しかし、その場所には隧道はなかった。
ただし、ズリを積み上げた地形などが、そこいら中に散見されたが。
また、写真の岩肌には、空洞が妙に多かったのが印象に残っている。
まさか、坑門が埋まっている…?

このあたり、謎が多すぎるので、今後の情報待ちである。
だからこそ、ミニレポでの紹介なのだ。
はっきりとしたことが分かれば、隧道レポに格上げできそうな気もする物件だ。






 一面の鉱滓池跡。
ここは山を挟んで反対側。
国道397号線の通る、赤金鉱山跡だ。

赤金鉱山は、おおよそ950年前に発見され、平泉黄金時代の一翼を担う金山として発展した。
最盛期は明治で、坑道総延長50km、従業員数1000人以上の金・銀・銅採掘鉱山であったという。
昭和53年閉山。




 地図上で、赤金鉱山側の坑口があった場所は、この巨大な採石場の奥である。


また、お叱りを受けるかも知れないが…。
人の目を盗んで、ちょっと失礼…。




 うおっ!!!


と思ったが、これは新しい採石場の設備の一つだった。




 私有地内故多くは語らないが、結論から言うと、坑口はすっかり消滅したようだ。

このように、地形の改変は凄まじく、もはや位置を特定することも適わなかったが。
おおよそ、この写真内のどこかに隧道があったはずだ。
残念だが、やむを得ない。

赤金隧道の調査は、現在もこの進捗状況のまま停止している。

情報をお持ちの方は、ぜひご連絡下さい。



2004.5.24作成
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