その65小坂鉱山専用線跡 前編2004.9.1撮影
秋田県鹿角郡小坂町


 小坂鉄道といえば、鉄道ファンの間では比較的知られた、歴史と話題に事欠かない鉄道である。
簡単に紹介すれば、小坂鉱山の専用鉱山鉄道として明治41年には早くも小坂〜大館間が開通している。
間もなく旅客輸送も開始し、一部電化や支線の建設、762mmから1067mmへの改軌など当初順調だったが、近年では鉱山の閉山や旅客輸送の廃止など激しく時代に揉まれている。
が、紆余曲折を経つつ生き続けている、希有な存在でもある。

この小坂鉄道には、比較的よく知られた廃線が2つある。
当初は別会社の鉱山鉄道であった花岡線と、現存すれば日本一の閑散線であったろう長木沢線である。
いずれも短い路線であるが、さらに小さな廃線が、終点小坂にある。

今回は、この廃線を紹介しよう。


 右図中赤線で示したのが、今回紹介する専用線だ。
最近の地図からは抹消されているが、いつ頃に廃止されたのかは、分かっていない。
ただ、その創始は相当に古い時期(おそらくは明治期)ではないかと思われる。
路線長は、推定1700mほど。
旧小坂駅付近の操車場から分岐し、すぐに小坂川を渡ると、そのまま鉱山街を築堤で駆け、ガードを設けて町道を渡った後は稼働中の小坂精錬に呑み込まれ辿れなくなる。
終点は旧大谷地選鉱場辺りと思われる。

それでは、私の探索した順序とは若干異なるが、小坂駅から辿ってみよう。




 主要地方道2号線の踏切から望む終点小坂駅の姿。
旅客輸送を終えたとは言え廃線ではないから、駅の向かいにある車庫や整備棟には、忙しく働く人々の姿。
現役であることを確かに感じさせる姿に、思わず微笑んでしまった。

滅多に閉まらない踏切だけに、のんびり和む私である。
(現在は朝夕の二往復が大館駅との間になされている。)




 踏切に立って、大館方向を望む。
町の木であるアカシヤの木立が印象的だ。

小坂町は、元は秋田県ではなく、藩政時代にも佐竹藩ではなく南部藩に属していた。
いまでも、小坂の街並みや風習は、どことなく県内他所とは異なる気がする。
実際、県都からはあまりに遠く(小坂線を利用できない今、小坂町からは県都に鉄道利用では行けない!)、青森や盛岡の方がよほど近くである。




 駅前は、駅舎を含めほとんど往時のままだ。
ロータリーがあまりにさっぱりしすぎている事を除けば、廃止された駅とは思われない。
小坂町では、まだ完全に旅客輸送を諦めた訳ではなくて、臨時列車などの利用を考えているようである。
実際、数年前に秋田内陸線の廃止が取りざたされ始めた頃だったと思うが、秋田新幹線角館駅から内陸線経由で鷹巣、奥羽線で大館と経て、小坂鉄道に乗り入れ小坂に至るという、スペシャルな臨時列車を検討していた時期があったと思うが
…あれはどうなったのだろう?

すごく面白いと思うのに…お蔵入り?!


 当然の事ながら待ち人は居ないホーム。
しかし、清掃は行き届いている。
奥の車両基地には、多数のタンク貨車が出番を待っている。
今や小坂鉄道唯一の荷物が、あの貨車に満載されて送られる濃硫酸なのである。
ある意味、世界一危険な鉄道かも知れない。

実際、このことが平行する県道でのトラック輸送への切り替えを躊躇わせる要因だとも言われている。
また、この輸送は路線を所有する小坂精錬の社内輸送にすぎず、一切の利益もないといわれている。

ちなみに、濃硫酸のタンク車の多くは、大館駅からは奥羽線に乗せられ、秋田市の秋田貨物駅経由秋田臨港鉄道に乗り入れで、最終的には海運で近畿地方など出荷されている。
そう言えば、秋田臨港線も貨物専用だし、運行されているのもタンク貨車ばかりと、まるで小坂鉄道の延長線のようである。



 鍵の掛かった母屋は、いくらか取り外された備品などが散在している他は、利用されていない様子。
壁に駆けられた時計も、正確に時を刻み続けていた。 床に置かれたものの中には「祝 小坂鉄道 開業95年」などと書かれた看板もあったりして、涙を誘う。

って、95周年といえば、2003年のことでは?!

ということは、旅客輸送は終えてからの出来事だ。

へー、
それでも、みんなで祝ったんだなー。おそらくは盛大に。

そう気が付くと、今度はまたも和みムードに。
小坂鉄道には、湿っぽい哀愁は似合わないよな。
なにせ、逆境に耐えに耐え、生き続けるプロだ。



 駅から離れて、車両基地の方へ行ってみると、あるある!

ちょっと人の目があって近づけないものの、いかにも鉱山鉄道らしい蓄電池機関車(或いはただのモーターカーか?)の小さな車体や、そのお陰で妙に大きく見える、懐かしの客車だ。
あの客車は、ほんと懐かしいよ。

本来の趣旨から外れるが、誘われるように、さらにレールの終端部へ行ってみよう。
実際にレールが途切れるのはこの1km程南方、国道282号線と小坂川に閉じこめられるような感じで、車止めのある終点がある。



 終端付近にはご覧の3000トン近いタンクが4棟建っており、いずれも内容物は濃硫酸と記されている。
民家との間には塀と水路があるが、その距離は驚くほど近く、赤茶けたタンクが多い事もあり、少し住人の精神衛生を心配してしまった。

余計なお世話?




 そこから、ちょっとだけワルサをして、レール上へ。
終端付近だというのに、タンクがあるためだろうか、レールは黒光りしており、よく使われているようだ。
写真奥に並んでいるタンクが上の写真で紹介したものと同一。
そのさらに奥には、先ほどの小坂駅がある。
幾条ものレールが一本に収束した、その地点の僅か50m先に、車止めが現れる。




これが、車止め直前の景色だ。
写真の電柱の下に黒い車止めが設置されており、すぐ傍までレールは磨かれていた。
集落よりも一段高い位置にレールはあり、向かって左側はすぐ下を小坂川が洗う。

随分昔には、僅かこの8kmほど南方に接している鹿角市はJR花輪線十和田南駅のスイッチバック線に延長接続し、大館・十和田南・小坂・大館の環状運転などという、それぞれの鉄道の全く異なる由来を無視しての愚かな安いアイディアが語られたこともあったと記憶しているが、当然のように実現はしていない。
実現していても旅客廃止は変わらなかったと思うが、小坂町から盛岡方面の便だけは多少改善していたとは思う。



 さて、駅に戻り本題だ。

写真は、小坂駅前の人気のないロータリー。
この正面には主要地方道2号線が横切り、十和田湖へ通じる。
また、さらにその向こう、アカシヤの木立の中には日本最古の演劇場と言われる「康楽館」があり、近年人気を集めている。
レトロモダンというべき景観はその先もしばらく続き、そこをゆく遊歩道は県内では角館に次いでシニアに人気の観光地となっているように思われる。
平日午後の静けさは、私にとっても大変に魅力的に映った。

って、またも脱線しそうだ。
小坂は想像以上に良いところで、なかなかメーンの探索に入れないな。

目的の専用線は、写真右の街路樹のあたりから、右奥へと伸びていた筈だが、痕跡はない。
だが、すぐに目立つ痕跡に出会える。



 おそらくは専用線最大の遺構といって良い、小坂川に掛かる大きなガーダー橋である。
写真は、平行して渡る主要地方道2号線の橋から撮影したものだ。
赤茶けた様子からは廃止されて久しい事も感じられるが、情報が無く、断言は出来ない。
レールは向かって右側の奥に見える小高い山へと続いている。
あの山の中がまるまる鉱山と言うぐらい、広大な鉱山地帯であった。
言わずと知れた、小坂鉱山である。

なお、気になったのは、現在の橋脚とは異なる位置に、かつての橋脚の基礎工跡と思われるコンクリ塊が見えていることだ。
橋は付け替えられているのだろうか?




 小坂駅側(小坂側右岸)の袂から簡単に橋上へ進入できる。

ただし、当然の事ながら不法侵入なので、皆様におかれましては私の探索を見てだけで満足して下さい。



 接近してみて初めて分かるその“偉容”に、しばし硬直してしまった。

しかし、硬直が長いと連続技を叩き込まれるので(?)…いや、人目に付くのは避けたいので、早速枕木の上に踏み込む。

橋上のみはレールが残されており、感激もひとしおだ。






 橋は約30度ほどの角度で途中で曲がっており、ガーター橋としては特異なものだ。
そのせいで、幅広に取られた重厚なガーダー二組が一つの橋を形成している。
枕木は相当に風雨で傷んでおり、上を歩くとパコパコ言うが、保線用の金網もまた、乗ると揺れる。
また、橋は送泥管などに再利用されており、手摺りはレールに直に溶接されている。
これらが現役なのかは、分からない。

ここで最大の注目点は、足元にあるレールだ。
なんと4条ある。
しかも、交換用や脱線防止用のレールではないようだ。
となると、狭軌と標準軌の併用橋だったのか?

詳細な情報はなく、この光景を見て想像する以外にないのが悔しいが、小坂鉱山の坑内軌道は軌間762mmの他、610mmなどといった変則的なもの混交していたといわれるし、この専用線は1067mmの本線に接続していたであろうから、一つはその軌間である可能性が高い。

定規持ってくれば良かった也。


以下、続く。



2004.9.3作成
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