その65小坂鉱山専用線跡 後編2004.9.1撮影
秋田県鹿角郡小坂町



 小坂川に架かる長いガーダー橋には、廃線跡に沿って設置された送泥管がボックスに収納された状態で、相乗りしている。
ボックスはカーブしている橋を直線で渡るものだから、写真のようにレールを跨ぐ形になる。
管理用の人道橋もまた、ボックスを踏まないように、わざわざ通路をかさ上げして対応している。
ガーダー橋自体は錆び付いているが、同じ色の人道橋部分は、比較的新しめだ。

私も、この狭い通路に従って、対岸を目指す。
流石に人目に付きそうで、ビクつく。(周辺市街地であり、人通りは少なくない。)



 鉱山鉄道の、さらにその支線である。
これほど立派な橋を想像しては居なかった。
それだけ、この路線が小坂鉱山にとって生命線とも言える、重要なものだったのであろう。
精錬所から出荷される製品の大部分は、この橋を渡って駅へと運ばれていたはずだ。
通常の旅客線以上の重量物が往来する訳で、強度の要求は高かったのだ。

なお、その気になれば複線でレールを敷けるだけの幅がある。




 透き通った小坂川を見下ろす気持ち良い眺め。
枕木が朽ちており、その上に無造作に乗せられただけの通路用の金網も、がたついている。
万が一のことを考えると、枕木のない中空部分の金網に体重をかけたいとは思わなかった。

この写真からは、内側のレールの幅が推定できそうだ。
私の足の幅を12cmとして、レールの幅はその5〜6倍程度に見える。
すなわち、60cm〜72cm程ではなかろうか?
となると、軌間の規格として良く用いられた幅で近いのは、610mmか。

内側のレールが果たして、走行するためのレールとして利用されていたかは、分からないが…。




 渡りきった。

この先、しばらく小坂川に沿って小坂鉱山の入り口にあるガードまで真っ直ぐだ。
この部分は築堤になっており、見通しがよい。
見通しがよいので、人目に付きたくない私は、引き返すことにした。

ガードまでは、約500mだ。
周りの建物は、銀山商店街である。
当然鉄道側に向いている商店はなく、ただの民家が連なっているように見える。

さて、一度引き返そう。



 振り返ってみて、残念ながら4本のレールは異なる軌間が同居したものではなかっただろう事が判明。
内側のレール同士では、軌間がおかしな事になってしまう。
しかし、かといって、外側のレール同士でも…?

訳が分からない。
いったい、どうなっていたのか?
そもそも、手摺りの設置のためにレールを移動させているのだろうか?

これは、しっかりとメジャーを持って、しかも“鉄”に詳しい方に調べて頂きたい。
もしかして、同じ軌間が重なり合っている「ガントレット」という構造だとしたら、もの凄く貴重なのだが…。



  駅側の戻った。
橋の袂から、県道と、その向こうの小坂駅方面。
やはり、鉄道の痕跡は失せている。


次は、ガード、そして小坂鉱山へと、銀山商店街を通ってすすむ。



 さ、寂しい。
向かって左のアカシヤの木があるところが町役場なのだが、寂しすぎる。
商店街の真ん中に役場があるというのも、何とも古めかしい。
平日の午後3時前だというのに、営業している商店は、2割くらいだった。

…寂しすぎる。
小坂川を挟んで反対側、国道が通る側には「康楽館」などモダンな空間があり、明るい街を演出していたのに、鉱山を失った鉱山街に当然あるはずの姿を、目の当たりにしてしまった気がする。
こればかりは、仕方がないのだろう。
街は生きているのだから、中心が銀山街から、国道沿いの住宅地に移っているのだ。



 「銘菓 鉱山最中 本舗」とシャッターに大書きされた商店も、営業している様子はなかった。
鉱山最中などという、得体の知れないものが売り出されるほどに、鉱山で浮かれていた時代が…あったのだ。

しかも、この小坂ではそう遠い昔のことではなく。

小坂鉱山は単一の鉱山ではなく、一体の複数の鉱採地をまとめて呼ばれている。
最後まで黒鉱(黒鉱とは、銅や鉛や亜鉛を含んだ混合鉱石である)の採掘を続けていた内の岱鉱採地が廃止されたのは、平成2年のことだ。
それは、小坂鉱山175年の歴史の幕だった。



 主要地方道2号線の橋よりも一本上流に架かる町道の橋から、ガードを望む。
専用線中唯一のガードである。
この景色だけを見ると、今にも重い唸りを響かせて列車が現れそうだ。
ガードは未だペンキを塗り替えられ、明るい佇まいである。

だが、このガードはただ綺麗に管理されているだけではなかった。
すごいのだ。




 何がすごいって、ガードの橋台の小坂鉱山側の造りは、想像以上のものだ。

ゲタになった部分が開いている事を見るに、この橋台は初代であり、現在のコンクリ橋台が、この初代橋台の上に乗っているのだろう。
残念ながら、駅方向の橋台はコンクリに覆われている。

しかし、この石垣は一見の価値ありだ。
これと良く似た重厚感のある構造物は、小坂鉄道本線でもなかなか見られない。
使用している石材ぱ石(゚石は鉱滓を固めたものだ)と思われるが、色合いは白っぽく、違うかも知れない。
いずれにしても、サイズの異なる石を上端にあしらった装飾など、美しさと重厚さの同居した、素晴らしい遺構である。

このガードはここが白眉であり、別に無理に上に登る必要はなかった。



 小坂鉱山跡に多いに健在の小坂精錬への道であるガードは、常時大型車が往来しており、ここをよじ登るのはかなり労した。
馬鹿げたことでもある。

苦労して登った割りには、特に見るべきものはなかった。
写真は、ガードから鉱山側へ続く廃線跡。



 一方、こちらは振り返って、先ほど探索したガーダー橋や、小坂駅方面。
バラストは敷かれたままだが、それ意外は綺麗さっぱりなにもない。

また振り返り、ガード上へ身を低くして進んでみる。




 乗り越えられぬゲートでもないが、この先へ進むことは遠慮しておいた。
間もなく、小坂精錬工場の敷地内に入る。

実は、ここも紹介の順序と、探索の順序が逆になっているからこその撤退であった。
もし、この先にある小坂精錬の様子を私が知らなければ、無遠慮に乗り越えて進んだと思われる。

レポの最後になるが、いよいよ終点の小坂精錬へと進もう。

すごいぞ。
マジで。

マジで。





 小坂鉱山の入り口は、細長い谷状の地形をなしており、天然の関となっている。
この谷の上にも煉瓦造の工場があって、まずはこの工場に驚いたのだが、それを写真に納めることも忘れるほどに衝撃的な景色に、出遭うのである。
小坂鉱山に赴くなら、この景色から入ることを真剣にお勧めしたい。


何が凄いのか、分からない?

じゃ、望遠で。




 うひょー である。

…そうでもない?

そうでもない方は、今回のレポはここまでで終わりです。
もう、鉄道は出てきません。
あとは、私の自慰的なレポに終始しますので…。

この景色に息を呑んだ人、

あなたは、工業マニアですね。

私も、ひそかに工業地大好きなんである。

自然大好きの山チャリストと思わせながら実は、人工物のまったく無い自然の造形には、感心はすれども興奮はしない性質なのだ。
なんといっても、私が愛するのは、人工物である。
それも巨大なもの、 物言わせぬ説得力がある!




 谷間を進むと商店が途切れ、谷間を抜けると、広大な小坂鉱山の跡にて今も稼動する小坂精錬が現れる。
どこからどこまでが小坂精錬かと問われれば、この景色の範囲すべてだ!
めちゃくちゃ広い。
往時の釜石鉱山新日鐵工場にも負けていないだろう。

どう見ても近代的ではない巨大なレンガ造りの建物に、今風の小坂精錬のエンブレムが輝く。
最高にアツイ、ミスマッチングだ。
平日だけあって、工場はどれも元気に稼働中! 写真なのが残念だ。音を聞かせたい!
鉄のはじける音、蒸気の噴き出す音、モーターの駆動音、喧騒。
それら全てが、渾然一体となって、初めて踏み込む私に猛烈に迫ってくるのだ。
一瞬にして、メロメロである。




 文化財かと思われるような煉瓦組みの巨大建造物。
しかし、その中からも、もの凄い轟音が響いてくる。
開け放たれた窓から中を覗くと、所狭しと金属の機械が並べられている。
黙々と機械に向かう作業服の男達が、眩しい。
アツイ!
ここは、なんてアツいんだ!!

調べてみると、目を惹くこの煉瓦の工場は「旧電練場」であり、なんとなんと、明治42年竣立である。
長さ95mもある、長屋のような形をした工場で、道路沿いに延々続くといった表現がぴったりだ。
これで現役なのだから、そりゃアツイ。




 決して広くはないメーンの通りを、始終ダンプやタンクローリー、乗用車はもちろん、様々な車輌が行き来している。
作業服姿や、白衣姿の人も歩いている。
一応は、町道であり、公道なのだが、余りにも私は肩身が狭い。
貧弱なチャリで、軟弱な私がカメラを構えて歩いて良いようなムードでは、明らかにないのである。

内心ビクつきながら、それでも好奇心と興奮に突き動かされて、上り坂になった通りを進む。
突如、背後の工場から大音響のアラームが。
右の工場から、けたたましいブザーが!

うっわー。
マジでこれが活きている工場だ。工業だ。
感激!

そんな中に掲げられていた標語は『世界一の複合精錬所を目指そう』だった。

小坂精錬は、鉱山の閉山などにめげてはいない!
その培ってきた技術と有り余る設備を生かして、精錬所として世界一を目指そうというのか?!
秋田にあって、格好良すぎるぞ、小坂精錬!
思わず、ヨイショしちゃうぞ、小坂精錬!! 万歳!!




 位置的には、廃止された専用線の終点は、この工場の辺りだと思われる。
一面のアスファルトには、その痕跡は認められなかった。

メーンの通りだけが公道であり、そこから四方に分岐する道は全て、工場の専用道路であり、一般人の立入は出来ない。
とてもじゃないが、この場所では私も借りてきた猫のように、一切の規律違反をせず、ただ粛々と見学させて頂くのみであった。

迫力が、尋常でないのだ!




 さらに進むと、先ほど高台から見えていた、超のっぽな建物が近くなってきた。
しかし、かなりの高台であり、どうやって行くのだろうか分からない。
敷地内に張り巡らされたパイプラインは近代的だが、その土台に見えるのは、自然石ではない。
黒光りする゚(カラミ)石の石垣や、かつては何かの設備であったろう、まるで遺跡のような場所を、近代的なパイプラインが通っている。
おおよそ200年の隔たりがある種々の建造物が同一の場所に同居しているのだ。
それはまさに、鉱山の栄枯盛衰の歴史が凝固したそのままの姿だ。

私は見とれた。



 多くの工場が稼働しているが、沈黙したままの工場もやはりある。
その最たる例が、この建造物。

立派な銘板が埋め込まれているから、始めてきた私でも、これが何かすぐに分かった。
「大谷地選鉱場」

選鉱場は、鉱山としては中心的な施設である。
しかし、自前の鉱石を持たない今の小坂精錬には不要の設備なのだ。
固く閉ざされた鉄の扉の向こうには、恐らくは異次元のような圧倒的孤独が満ちているだろう。

想像するだけで、底冷えが。





 私がこの日探索したのは、ここまでだった。
見上げる以外にどうしようもない、言葉を失わせる圧倒的存在感。

遂に見た、精錬所の心臓部、高炉。

もう、見ただけでお腹一杯だ。
高炉を見ただけで、私は撤収したのである。
もちろん、大満足で。

やばいな、本格的に工業萌えが復活しはじめているぞ、私。

これを書いている次の休みにも、きっと私は小坂へ行きそうな気がするのだ。
遠くから眺めるだけでも良いから、また行きたい。

写真は、高い青空すら、高炉の熱に曇っているようだ。


最高に余談だが、私はファイナルファンタジーシリーズでは、圧倒的にZが好きである。
作品の中心に据えられている「魔晄炉」と呼ばれる動力炉は、現実にあれば、まさにこんな景色だと思った。
キャラクターとかには興味はないのだけど、その世界観が好きだったなー。Z。

これからも、工業地萌えは、エスカレートしていきそうだな…。



2004.9.4作成
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