その78-2謎のガーダー橋 再訪編2005.9.11撮影
秋田県由利郡由利町西沢



 2005年2月に、秋田県由利本荘市(旧由利町)の県道287号(南由利原鮎川)線沿いで発見された、場所に似つかわしくない重厚なガーダー橋について、改めて現地調査を行ったので報告する。
またこの再調査により、従来知られていた県道の舞台橋傍のガーダー橋のほか、もう一本が発見された。
さらに、地元住人からの聞き取りの結果も合わせて報告する。

なお、このレポは山行がとして初めて自身の運転する自動車で移動を行っている。



 

 約半年ぶりの来訪。
その橋は、そこに変わらずあった。

幹線でもなんでもない山村の県道と、なんでもない田んぼとをつなぐ、場所に似つかわしくない重厚なガーダー。
いったい、何故ここにある?

半年間、気持ちの中に引っかかっていた。
決着の時、来たる?!





 半年前は1mを超える積雪のため、全く近寄ることも出来なかったが、県道から橋へと降りる農道は、細いながらも舗装されており、ちょうど私が路傍に車を止め、カメラを持って橋へと歩き始めたとき、1台の軽トラが躊躇いもなくスロープへと消えていった。
そして、そのまま速度を落とさず、ガーダー橋へと吸い込まれていった。

 橋は、なお現役だった。





 やはり、遠目で見たとおり、橋は屈強なものだった。
鮎川を跨ぐ、全長20mほどの、橋脚の無い鋼製下路ガーダー橋だ。
全体に錆が浮き茶色くなっているが、もともとは薄い水色のペイントが為されていたようだ。
路面は、コンクリートで舗装されており、その幅員は2mほど。
ガーダーとコンクリの間に草が生えている場所があるが、ここはよく見ると空隙になっている。




 しかし、近づいてみると尚更に、変わったデザインである。
特徴的なのは、ガーダーの欄干そのものの山型デザインと、側壁に設けられた窓の存在だ。
鋼材は思っていたほどの厚みではなく、強度的にはそれほどでもないのかもしれない。
山型シルエットが、もしかしたら鉄道用の転車台を転用したものなのではないかという想像をさせたが、帰宅後に実際の転車台のデザインと見比べた結果、このように側面に穴が開いているものは見つけられなかった。
また、ガーダー橋と言うことで、鉄道由来、特に近接する国鉄矢島線(現:鳥海山麓鉄道矢島線)の掛け替え橋梁の転用ではないかという推論もあったが、裏付けはとれなかった。



 正体を知る上でもっとも期待されていた、ガーダーの製造銘板は、発見できなかった。
側壁の外側・内側については、その痕跡すら見られなかった。

果たして、行き止まりの農道(この先の田んぼ数反で農道は行き止まり)に、かような頑丈なガーダー橋を採用したのは、何故なのか?
この道のために建造されたものなのだろうか?

 あなたは、この姿から、何を感じただろ?
よく似た橋をご存じという方は、山行がまでご一報いただきたい。



 おい かえるさん  

 この橋 なんぞや ?

 おしえてたもれ 。




 結局、接近して見ても橋の正体については推論をでることが出来なかった。
夕暮れ時で、近くに人の気配もなく、あきらめ車を出す。

平成6年式の中古エスクードが動き出すとすぐ、助手席で、「また橋あったよ」との声。

「あ、あったの?」

 不覚ながら、全く廃道初心者の上様によって、新たなる橋を発見されてしまった。
この道は、チャリによっても一度通っているというのに…。
まあ良い、脇見運転は良くないしな。
速やかに路肩に車を止め、まだ見ぬ橋へと、再び車外の人になる。



 先ほどのガーダー橋は県道の舞台橋の袂にあるが、新しく発見されたこの橋は、そこから県道を500mほど北上(下流方向)した所にある田代橋と平行している。
立地的には、まるで県道の旧橋であるが、その姿は余りにも異なっている。

軽トラの轍の付いたあぜ道を県道から100mほど入ると、ポンプ小屋のところで轍が消え廃道らしくなる。
この藪道も、元々の幅は車道の幅があったようだが、シングルトラックとなっている。
そして、その藪を30mほどすすむと、鮎川に突き当たり…橋がある。



 規模、形状、古さとも、先ほどの橋とよく似ている。
だが、こちらは中程の路面に継ぎ接ぎが見えており、この強度不足が原因で車は通れないようだ。
ガーダーには、やはり薄水色の塗装があったようだが、殆どそげ落ちている。



 橋台は、コンクリート製であった。




 中程まで渡ると、デザインの相違が見て取れる。
すなわち、舞台橋脇のガーダー橋よりも、より窓が大きく、多い。
ここまで脇が甘いガーダー橋というのは、珍しい。

川風が頬を撫でる。
初秋の夕暮れ、田んぼの中に残された不思議な橋が、山チャリでも何でもない私の日常を、感傷と好奇心で揺さぶってくる。
ちょっと運転の練習がてら立ち寄って見ただけなのに、廃道たちは、私を逃したくないようだ。

とことんまで、つきあってやろう。




 橋を跨ぐと、その反対側にもあぜ道続き、県道に戻っていた。

穂を実らせたまま倒れ伏したたくさんの稲は、数日前に猛烈な暴風をもたらした台風14号の傷跡だ。

再び橋へと戻る。



 ひっそりと佇むガーダー橋。

赤茶けた体躯は、どこから来たのだろう?

勇気を持って、私は質問してみることにした。

ここに来る途中、すまこ刈り(畦の草刈り)中のおじさんがいた。
もしかしたら、橋の由来を知っているかもしれない。
この2本の橋は、いずれも銘板や扁額、親柱などが存在せず、手掛かりが少なすぎる。
しかし、この近接した範囲内によく似た“変わった橋”があることには、何らかの事情が潜んでいるはずだ。





 ちょうど、軽トラの荷台に腰を預けて、すまこ刈りの手を休めタバコを吹かしているおじさん。
赤黒く日焼けした彫りの深い顔、お歳は50代後半か。親しみを込めていうなれば、いかにもお百姓さん。
私は、正面から近づきつつ一礼。
にっこり笑って、こんにちわ。  「変わった橋ですね。」

 おじさんは、とても親切に、人なつっこい笑顔で質問に答えてくださった。

最近、と言ってもここ1ヶ月ほどだが、私は現地の方に話しかけて情報を得ることを、避けなくなった。
なんというか、コアな探索対象になればなるほど、もはや図書館での机上調査では限界があることを知った。
地元のことは、地元に聞くべし。 
それは、ORJの仲間たちが私に教えてくれたことの、一つだ。




  1. 2本の橋は、県道が通る以前から、農道用として存在していた。
  2. 少なくとも、40年前には既に存在していた。
  3. 名前は特にない。
  4. 由来は分からない。(鉄道からの転用かという質問にも、分からないとの答え)
  5. 下流の橋(後から紹介した方)は10年ほど前に壊れ、それ以来車は通れなくなった。

 劇的な情報はない。ミラクルもない。
だが、この情報を、自分で聞き出したと言うことが、充実感を私に残した。
おじさん。ありがとうございました。

 なぜ、このような狭くて行き止まりの農道に、あえて立派な鋼橋が設けられたのか、40年以上前の出来事に、なお興味は尽きない。


 
2005.9.13作成
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