その79旧 祭畤橋2005.6.19撮影
岩手県一関市祭畤(まつるべ)


国道342号線は、秋田県横手市と宮城県本吉郡津山町(現:登米市)を繋ぐ、全長約170kmの一般国道である。
道中、秋田と岩手の県境には栗駒山が横たわっており、本国道は須川【すかわ(地名)】峠にて海抜1100m以上をもって、これを克服している。
その長大難渋な峠道の岩手県側麓にあたるのが、一関市の真湯【しんゆ(地名)】温泉であり、近接する最奥集落の祭畤【まつるべ(地名)】である。

この祭畤地区で鬼越沢川を跨ぐ場所には、現在昭和52年開通の祭畤大橋が架橋されていて、一跨ぎである。
同様に、祭畤と真湯温泉との間にも、同年開通の真湯大橋が、巨大なアーチで磐井【いわい】川を跨いでいる。
このうち祭畤大橋の下に、一見して道が通じていないような別のトラス橋が存在していることが、読者情報として寄せられた。
今回はこの正体に迫ってみよう。





 実は今回は、いつもながらの山チャリではない。
私の傍らに、愛車であるルーキー号も無ければ、汗だくの腐臭漂うシャツに身を包んでいるでもない。
それどころか、クーラー馬鹿効きの高級乗用車の助手席で、ゆったりクルージングを満喫していた。

当サイト掲示板にて、樹海のような緑の谷間に取り残されたような、水色の風雅なトラス橋の写真がアップされてから、まだ24時間も経っていない。
ちょっと前までなら、日曜日は必ず仕事をしていたのだが、いまは好きなときに好きなだけ休みがある。怖いぐらいだ。(作者はこの6月から無職です)
パタリン氏と細田ミリンダ氏を誘って、“噂の”トラス橋へと、ゆったりと午後からのドライブ。

祭畤に到着したのは、午後5時を少し回った頃であった。





 今も昔も、祭畤はこの道沿いの最奥の集落である。
国道が須川温泉へ伸び、秋田県へも繋がるようになって久しいが、夕暮れは通り過ぎる車も稀で、だだっ広い祭畤大橋が所在なさ気に見える。
道の真ん中に立ち止まって写真を撮っていても、まったく急かされることもない、国道342号線。
ただ、この日は、陽が薄雲に隠れてもなお、蒸し暑さは一向に収まらず、アスファルト上では、ただ立ち止まっていてもじんわりと汗が滲んできた。




 掲示板にアップされた写真は、当初、真湯大橋から撮影されたものと思っていたが、真湯大橋上からいくら眺めてみても、それらしい橋は見あたらなかった。
それで、真湯大橋からさらに3kmほど国道を下り、この祭畤大橋へ来たのだ。
欄干の色こそ違えど、路上から見る外観はとてもよく似た真湯と祭畤二つの大橋である。

写真は、祭畤大橋から下流側を撮影。
真湯大橋は磐井川を跨いでいるが、この橋は磐井川に注ぐ支流の鬼越沢川を跨いでいる。
そして、奥に見える湖のような水面が、本流:磐井川である。
磐井川は、この1kmほど下流に大規模な砂防ダムがあって、小さなダム湖の様相を呈している。

しかし、この下流側には、目指すトラス橋は見あたらない。





 発見!

写真で見たのと同じ橋が、そこにはあった。

祭畤大橋から鬼越沢川上流方向に目を遣れば、森に浸食された小振りなトラス橋が目に入る。
その直ぐ上流には、新しげな砂防ダムの白っぽいコンクリートが存在感を誇示している。
トラス橋は、現橋からはおおよそ100mほど上流、そして、40m以上下方にある。
緑が余りにも濃くて、前後に道らしきものが見あたらず、我々も果たしてどのようにして接近して良いのか、しばし考えさせられた。
だが、その答えは、意外にあっけなく提示された。



 祭畤大橋を一関側から祭畤側に渡り終えようと言うとき、それまでは緑に隠れていた祭畤側斜面に、しっかりと整地された車道が存在することが発覚。
おそらくは、この砂利道を下っていけば、トラス橋の傍へ行けるだろう。
トラスが旧道のものであるならば、この砂利道こそが、旧道なのだろうという推論も出来た。

この砂利道と国道との合流地点は、祭畤大橋から100mほど祭畤側に進んだ林中の向かって左側であり、鉄製のゲートが閉められている。
しかしこの時は、我先にと藪を掻き分け、砂利道へと迫ったいった。






 ……。

細田さん…。

なんか、怖いんですけど。

ミリンダの飲み過ぎじゃないんですか?
なんか、写真に映すと、いつも妙に浮いてますよ、細田さん。

その、食品工場から出てきたようなナリも、…怪しいですよ。





 我々は、砂利が妙に新しい感じがする下り坂を、早足気味で下った。
まもなく、さっき渡ったばかりの祭畤大橋の下を立体交差で潜る。
おそらくこのカーブを過ぎれば…、

眼前に目指すトラスが現れるはずだ。


さらに早足になって、カーブを曲がると…。



  あったあった!

期待通りに、トラス橋は間近にあった。

ここまで近づいてみると初めて、結構大きな橋であることが分かる。
頭上を跨ぐ国道の橋と比べるべくもないが、それでも、堂々としたトラスは決して小さな印象ではない。
大味でもなく、ミニサイズでもない、まあなんというか、ちょうど良いような、まあそんな適当なサイズだ。

訳わかんないって?!

あんまり大きな遺構が近づくと、なんつーか、圧倒されるような、近づくのが怖いような心境になるんだよね。
もちろん、小さくてショボイよりは大きい方が良いんだけど、このトラス橋のような、居心地の悪さを感じさせない、言い換えれば、
「果たして俺はヤツに勝てるだろうか?」というプレッシャーを感じさせない、ほどよい大きさの遺構というのも、大好きなんだよね。

とりあえず、この谷底にあるトラス橋は、そんな感じ。


 で、さらに近づこうとすると、今まで順調に橋へと向かっていた道に、違和感を感じる。

このまま砂利道を行くと、橋に近づけるは近づけるけど、またも橋の下をくぐってしまうじゃないか?!

やはり、橋は廃道なのか?


 砂利道は、トラス橋の直ぐ上流に見えていた砂防ダムの工事用なのか、橋をスルーし、そのまま河原を通ってダム直下へと通じていた。
しかし、よく見ると、橋の手前で砂利道とは分かれて、橋の袂へと向かっていく藪道が存在している。
やはり、今下ってきた砂利道も、かつての道筋だと見て間違いないだろう。

それにしても、この藪道、凄まじい草【いき】れに嘔吐感すら覚える。
これぞまさしく、夏場の廃道歩きの真実そのもの。
これが嫌なら、高原など高所に行くしかないのである。

数呼吸の内に我々は、汗・蜘蛛・花粉などに【まみ】れた。



 「ほれ、ヨッキ、先行って、まず撮れっ!」

そう言って、先頭を歩いていたパタ氏が、まだ我々の誰も足を踏み入れていない無垢な廃橋への道を、譲ってくれた。
私は、合同調査時にはいつもカメラを担当しているので、自然と最後尾を歩くことが多くなる。
探索が煮詰まってくると、くじ氏と一緒に先頭を先走りがちなのだが、まだまだ余裕がある時には、他メンバーの背中越しに景色を見ることも多い。
しかし、このような配慮を頂けるとは、合調隊が一丸となって、山行がの活動を意識してくださっていると言うことでもあり、誠にありがたい。

それはさておき、樹海の向こうに現れた、コンクリートの路面、鋼鉄製の骨組み。
まさしく、かつて車道であったろう、幅一車線のトラス橋が、そこにあった。




 遠目には、果たして現役なのか、それとも廃橋であるか。
また、車道橋なのか人道橋なのか、はたまた水道橋なのかなど、ハッキリとしなかった本橋であるが、辿り着いてみて、廃止された車道橋であったと結論づけることができた。

さらに現橋の竣工がである昭和52年で、国道指定は昭和49年であるから、たったの3年ながらも、この橋が国道として利用された実績があることも、想像される。
橋の由来は、おそらくさらに古くて、昭和中頃の建造とも思われるが、残念ながら、扁額の類が全て失われていたために、断定できない。
トラス自体にも、建造時のプレートが残っているかと思われたが、それも未発見である。



 相変わらずムンムンと暑い谷底にて、しばし、開放的な橋上の眺めに身を委ねる。
風は無く、期待された川面の涼を得るには至らなかったし、むしろ、立ち止まると次々に【むし】【たか】ってくる。
やや華奢【きゃしゃ】なトラスは、水色のペイントが残っている。
そのトラスの内側に、腰丈ほどの高さの、鉄パイプ製の欄干があり、転落を防いでいる。
道幅は約5mで、河床までの高さも5mほど。
コンクリートが剥き出しの路面には、かなり植生が侵入している。
永らく利用されていないムードが漂うものの、橋の隅にはゴム製の水道管らしきものが、ややうねりながら続いている。


 はい。ここでまた私の無知をさらけ出してしまいました…。

実はこの橋、トラス橋ではないんですね。
一見して、鋼材を組み合わせた橋梁構造に、トラスだろうと判断してしまいましたが、そもそもトラスとは、三角形の組み合わせで強度を得る構造。
しかし、この橋の場合は、どこにも三角形はない。
この橋は、桁の上に渡したアーチから垂直な鋼材で桁を支持しており、ランガー橋という構造であるとのこと。
ランガー橋は、構造的にはトラスとは全く異なり、むしろアーチ橋の一種だと言うから、見た目で即決してしまった私は甘かった。

余談ですが、戦前に建造されたランガー桁橋は、東北にただ一つしか現存していないとも言われ、この橋が万一戦前の建造であった場合、貴重な新発見となる可能性があるようです。

以上、ORJの頼れるアニキ、nagajis先生よりタメになるご指摘でしたー。

2005.6.21追記 nagajis様提供情報より


   ブシューーー!

 あわわわわ…

ちょうど橋の中程には、ゴム管に蛇口が付いている場所があって、ちょっとした好奇心で捻ったならば、
なんと水が勢いよく噴き出すじゃありませんか!
その水は反対側の欄干をびしょ濡れにするほど激しく、死んでいるのかと思っていたゴム管が、実は水道管として未だ通水していたことが判明。
これが、祭畤地区の正式な配水管なのかどうかは分からないが、もしそうだとしたら、廃橋が密かにライフラインとして再利用されていたと言うことになる。



 写真左は、旧橋から見上げる現橋。
その圧倒的比高を感じて欲しい。

 写真右は、川上を見る。
真新しい砂防ダムが間近にある。
おそらく完成して5年以内だろう。
この工事の折に、国道からここまでの旧道部分が再整備されたのだろう。
この旧橋が邪魔だと撤去されなかったのは、予算の都合か、或いは水道管敷設の為なのか。




 旧橋のはるか頭上には、もう一つのライフラインである送電線が渡っている。

残骸のような鋼鉄のトラスが、夕暮れ迫る祭畤の谷にて、また無言のままに一日を終えようとしている。

現橋からでは、恐怖心を押して谷を覗かねば、その存在にさえ気がつけない旧橋。

静かすぎる現国道でさえ明るく見えるほど、旧橋は、完全に取り残されている。

それだけに、思わず勢いよく吹き出した噴水が、なんか愛おしかった。




 次回の後編では、かつて国道だったはずの藪に、激突入!!



      ヨッキ、藪ダー!

      装着、ネオプレーン!! ガシーン!




      …。




 
2005.6.20作成
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