ミニレポート 第89回 青葉山橋

所在地 仙台市青葉区
探索日 2006.01.21
公開日 2006.01.24

杜の都、その都市計画の影に…

 宮城県丸森町にお住まいのd-chさんからもたらされた情報を元に、私は仙台市郊外の青葉地区へと向かった。
そこには何やら、“山行が好み”なものがあるという。

 現地は東北自動車道の開通にあわせ「仙台宮城IC」が設置された事を契機にして、国道48号線の仙台西道路を始めとするバイパス道路の集約が進み、巨大なジャンクションがひしめき合う場所となっている。
仙台市中心部とは有名な青葉山を隔てているが、問題のブツは、青葉山と高速道路との、両方に関連しているらしい。




 周辺の地図は右の通り。

 車でも行くことが出来るが、それなりに入り組んだ一角なので、私は近くのコンビニに車を止め、チャリを組み立ててから行った。
 仙台宮城ICと仙台西道路(自専道)がジャンクションする片隅に現地への入口はあるが、目印は東日本高速道路株式会社(旧日本道路公団)の建物で、すぐ傍には道路資料館「みちあむ」がある。




 高速道路の側道を拡幅整備したような1.5車線の道は、渋滞を避ける地元ドライバーには知られた道なのか、朝のラッシュアワーの終わりにあたるこの時刻、そこそこの通行量があった。
入って直ぐに「みやぎ野霊園」があり、その先はずっと高速道路に沿っている。
向かって右が青葉地区、高速を挟んだ反対側の山は茂庭地区となる。



 朝日に向かって走るのが堪らなくむずがゆい(目の辺りがね)わけだが、我慢して走っていくと、後光を受けたようになった橋が見えてきた。

 地形図や道路地図にも記載されており、それが目指す「青葉山橋」であると、直ぐに気が付いた。

 しかし、何か変わったところがあるのだろうか?
さらに接近してみる。




 うふっ…

 やりましたぜ、旦那。
 こいつは分かり易い ネタ ですな。




  ズガーン!

 っという感じて、高速の向かいの山に橋が、突き刺さってます!


 足元の高速道路にはひっきりなしに往来があり、そのどれもが目では追えないほどのスピードだ。
おそらく高速走行中のドライバーにとっては、何ら違和感もない橋であろうということも、ポイント高し、と思う。



 あからさまな 夢やぶれ感  充ち満ちたる光景に、私の中の“ネタ”メーターは急上昇。
早速、この橋を“体感”してみたいと思うのも、当然の成り行きだったわけだが…。

 上れない…(涙)





 「上れない」では終われないと、変な使命感に燃え、辺りを執拗に見回してみる。
背後には、時折通りかかる仙台っこの訝しげな視線。
万が一にも通報などされる前に、さっさと橋の上に隠れなければ!

 近づいてみると尚更その高さが際だつコンクリートの壁。
手掛かりが無さ過ぎて、意外や意外、ここで大苦戦。

 結局、この写真の場所からどーにかこうにか、上っちゃいました。



 うわっ

 せっかく登ったのに

 何故か穴ッ!


 …説明しよう。

 私も良くその理由は分からないのだが、ともかく橋の私が登った側には、地面の高さよりも遙かに深い大穴が口を開けていた。
このような形の橋脚なのだろうし、路面が完成すれば当然蓋が付けられるのだろうが、思いがけない大穴にビクッと来た。
なにせ、登ったは良いが、もし先へ行こうとするなら、写真左上の足一つ分の“縁”を歩かねばならないのだ。

 もともと人が入るようなことを想定していない場所だから、この深さ10mくらいあるだろう穴の底へ降りる梯子などはなく、万一落ちれば、どんなに深いのか分からない氷水に浸かるだけではなく、絶対に上がってこられないだろう。
しかも、空から相当注意深く探さないと、ここに人が落ちていることなんて発見のしようもない。

 つまり、落ちれば死。
しかもそれは、おそらく一番ご免こうむりたい死に方… 閉じこめられ死 確定なのである。

 別に恐怖を煽っているわけではなく、実際縁を歩くとは言っても欄干に手を掛けながらなので、そう危険ではない。
ただ、ここまで明確に「嫌な死に様」を連想させられると、軽くひく。
それを言いたかったのだよ。



 慎重に… 慎重に…


 いつになく恐る恐る歩く数歩。
下は 見なかった。



 地獄の縁を渡り、天国のように真っ白な雪原へと躍り出た。


 登りと穴とで思いがけず緊張を強いられたので、かなりほっとした。



 東北自動車道を跨ぐ跨道橋の一つである本橋は、仙台市の象徴的な名を冠している。
また、橋の幅は2車線プラス両側に歩道を設置しても十分なほどに用意されている。

 これらの事実は、かつてこの橋を重要な幹線道路として利用しようという計画があったことを、今に伝えている。

 今を遡ること30年前の11月28日。
足元を開通祝賀パレードが通り過ぎたときにも、もうこの橋は存在していた。
真新しい姿で。




1975年2月
日本道路公団建造
道示 (1973) 一等橋
施工 北海道ビーエスコンクリート株式会社
フレシネー工法




 橋の先には、一切の道はおろか、町や集落もなかった。

 1kmほど先には県道31号線が通っているが、途中は小高い丘になっており、おそらくトンネルを掘って開通させる予定だったのだろう。

 ちなみに、こちら側にはあの怖い穴は空いていなかった。




 渡り終えたばかりの青葉山橋を振り返る。

 澄み切った零下の空へ聳え立つ電波塔は、青葉山のてっぺんに立っているようだ。(なお、地図上に青葉山という山は存在せず、地名としてのみ存在している。)

 どこにも繋がっていない孤高の橋は、その計画の通りに行けば、トンネルに挟まれたものになったのだろうか。



 いまでも、この橋が成そうとした事の名残を知ることは出来る。

左の図は、平成12年に仙台市によって作成された「新中期都市計画道路整備計画」によるものだが、都市計画道路「長町折立線」の末端部分として、か細き点線が描かれている。
これが東北道を跨ぐ位置に、青葉山橋は架かっており、関連性が高いと思われるのだ。

 この計画は、平成12年から平成22年までの計画を示しており、図中の細い点線で描かれている部分は、今回の計画期間内での事業化予定がない場所とのことである。
つまり、いまから30年以上前には既に存在していた計画が、未来数年に亘って事業化予定がないということになる。
図中には、他にも無数の計画線が描かれており、この道だけが特別というわけではないのであろうが…、



 山に挟まれ、どこにも繋がらぬままに放棄された橋の姿は、
東北最大の街が描いた未来地図の思うに任せぬ現状を、物語っているかのようだった。

 その躰の下を矢のように駆け抜ける無数の車たちに、無念の視線を向けながら…。