ミニレポ第268回 国道249号旧道 荒木浦 中編

所在地 石川県志賀町
探索日 2022.09.14
公開日 2022.12.03

能登半島最古級の隧道は今も健在… からの謎解きへ


2022/9/14 5:45 《現在地》

写真は越えたばかりの荒木浦の新旧隧道を振り返って撮影した。
かつて徒歩交通の時代には、越後の親不知に匹敵するとまで恐れられた難所だったようだが、現代の道路の前ではずいぶん小さくなってしまった感はある。

ただ、難所というのは、実際にそこを難しいと感じる人が多くなければ、人口に膾炙するものではない。
ましてインターネットのような通信手段がない大昔に恐れられたのは、ここが能登半島の南北を結ぶ幹線・外浦街道として、実際に通行して難儀な思いをした旅人が、それだけ多かったということだろう。




これも同じ地点で、今度は進行方向である南を向いて撮影した。
左に見えるのは現国道で、私がいる場所はその歩道(歩道と車道の間に植栽エリアあり)としか見えないが、最新の地理院地図だと、この歩道でしかない海側の道を別の車道のように描いている。

実際、この部分は元の旧道だったらしく、その証拠が、(チェンジ後の画像)海際に残された無用の防護柵として残っていた。
この防護柵の造りは、そこまで古くはなさそうだが、現道が結構な嵩上げを受けていることが分かる。

このまま歩道を通って、次の旧道がある七海へ向かう。



5:48 《現在地》

荒木第二隧道から約600mで、七海(ひつみ)集落の新旧道分岐地点へ。
わざわざ説明も不要そうだが、右の道が現国道、七海バス停がある三叉路の左が旧道だ。

七海は、七海川の河口に広がる小さな漁村だが、耳慣れない変わった地名だ。
『角川日本地名辞典』を軽く調べると、七海と書いて「ひつみ」と呼ぶ地名は全国的に多くないが、能登半島にばかり3箇所(鳳至郡に2箇所と、この羽咋郡の1箇所)点在しているようだ。
一応地名の由来として、「清水(しみず)」から「ひつみ」に変化したという説があるようだが、能登地方にばかりあるのは不思議である。

旧道から集落に入ると、すぐに七海川を渡る橋が現われる。
さすがは旧道、狭い橋だな思ったが… ちょっと違和感がある?




車1台分の幅しかない集落内のこじんまりとした旧橋の名が、「七海新橋」?!

取り付けられた銘板の竣工年も、「平成13年3月架」ってなってるし、現国道の七海橋(昭和48年竣工)よりもめっちゃ新しい。
いや、必要に迫られて旧橋を架け替えたから新しいのは別に珍しいことじゃない。
でも、「七海橋」と素直に名付けたところが、プチ違和感に繋がっている。

そんなことを考えていると……、突如、耳にキタ!




ボリュームをオンで、この動画をご覧いただきたい。

いまは午前5時50分という特徴のない時刻だったが、防災無線と思われるスピーカーから突然鳴り始めたのは、あの国民的アニメ「サザエさん」のお馴染みのテーマだった。

オルゴールアレンジの静かなメロディで、これがとても耳に優しい。
だが、予期せぬ唐突なアニソン(?)だったので結構驚いた。
ちなみに、なんの脈絡もなく曲の途中で終わったうえに、そのまま内容なく放送は終わってしまった。時報だったんだろうけど、敢えての5:50? 10分前行動推奨?

なお、帰宅後に「なんでサザエさん?」と思っていろいろ検索してみたところ、町内にある「道の駅とぎ海街道」などで売られている名物お菓子の名前が「さざえ最中」であることを掴んだのだが…………、はい、それくらいしかサザエさんとの繋がりらしいものは見つけられませんでした(笑)。楽曲採用の経緯をご存知の方がいたら、教えて欲しい。



5:50 《現在地》

七海新橋を渡るとすぐに現道と再会。100mくらいしかないミニ旧道だったが、この合流地点は地味に地域色豊かな景色となっていた。
この左に見える建物の前に立て掛けられている、背の高い垣根のようなものだが、これは能登半島に古くから伝わる間垣というナチュラル素材の防風&日よけのフェンスである。以前、輪島市内の上大沢という集落で大規模なものを見たことがあって知っていた。

また、この地点を左折して七海川沿いに行く道があるが、これも歴史の深い道である。




右図は、現在の地理院地図と昭和28(1953)年の地形図を比較したものだが、後者では海沿いの道だけでなく、「現在地」から東へ向かう道も県道を示す太さで描かれているのが分かる。

かつてこの地点は、外浦街道と富来街道の分岐地点で、これらの道のもう少し詳しい説明は次回に行う予定だが、どちらの道も最終的には、現在は志賀町役場がある高浜という地区へ通じていて、この2本は同じ区間の交通を海側と山側に分担する役割があった。時代ごとにそれぞれの盛衰はあっても、2本のルートが共存して富来と高浜(志賀)を結んでいることは現在も変わらない。

七海は、このような歴史深い2ルートの分岐地点だった時期があるが、今回はこのまま国道を直進する。富来街道ではなく外浦街道の探索が今回のテーマだ。




あっという間に七海集落を過ぎて再び海岸線スレスレの国道を進むこと200mほどで、分岐に先駆けてこの写真の青看が現われる。

観光地らしくピクトグラムを多用した青看で、金沢や観光地の巌門へは国道をこのまま直進すること、右折すると「機具岩(はたごいわ)」へ行けることが表示されている。
この右折の道が、今回探索したい次なる旧道である。




5:52 《現在地》

親の顔ほども見た気がする新旧道の分岐地点。
青看があるくらいだから旧道も元気に健在である。
私も右折して旧道へ。

なお、直進する現道に見えるトンネルは、「はたごトンネル」といい、昭和49(1974)年完成、全長は83mある。
特筆すべき特徴は、難読の「機具岩」に配慮したひらがなのトンネル名になっていることくらいしか見当らないが、これとこの次に待ち受けている「生神トンネル」の2本の完成によって、これからご覧いただく機具岩の美景は国道の車窓から身を退くことになった。



これが、景勝地・能登金剛を構成する美景の一つとして昔から名高い、機具岩だ。
旧道沿いの広いスペースからガードレール越しに、間近な海上に浮かぶ二つの小島を見晴らせる。(解説板の写真

巨大なしめ縄で結ばれたこの夫婦の島は、景観の類似性から伊勢二見にあやかった能登二見の別称をもつ。
日本海に沈む夕日をバックにした景観が至上とされるが、そうでなくてもよい眺めだ。
自然景観としてのスケールが殊更に大きいとは思わないが、道路から手の届きそうな至近にありながら、海上のため孤高さを失わず、どんなカメラで撮しても綺麗なスナップになってくれる、優しい観光地だ。広く愛される条件が揃っているカンジ。

ところで、機具(はたぐ)というのは機を織る器械のことで、昔話とかでは良く出てくるが、実際に現代人が実物を目にすることは滅多にない。だから私には、この岩の形のどこがどう機具を象っているのかも分からなかったが、昭和28年の地形図だとこの地点に「双子岩」という注記があり、これなら私にもすんなり理解できる名付けだ。「はたごいわ」という音からしても、最初は「ふたごいわ」という音に伝説が付与された地名なのかも知れない。



5:54 《現在地》

道路観察に戻る。

機具岩というステージを取り囲む観客席のような旧道は、2本のトンネルに挟まれた現国道の短い明り区間と極めて近接して並走する。
ここで旧道と現道は縁石のようなもので区切られているだけだが、互いに行き来は出来ない。
両者に挟まる位置には、かつてきっと観光客相手の商売をしていただろう一軒の空き家があるが、その玄関にアクセス出来るのも旧道だけだ。
現道から機具岩は見れない。 いいね。

奥に見える現道のトンネルは、生神(うるかみ)トンネル。昭和52年竣工、全長431m。
この完成のおかげで、機具岩の静かな鑑賞と、国道の安全で快適なドライブが、両立されるようになった。




機具岩という青看の目的をに辿り着いたので、あとは「通行止」
とはならず、この旧道はちゃんと再び現国道と再開するところまで通じている。
しかしこの先は、本格的に険しい地形がずっと続いていく。

遠望すると、緑に覆われてはいるが崖と変わらぬ急な傾斜を持つ海崖に、
一筋の段差のような道が電信柱を伴いながら、向こうの岬まで伸びていく姿が見えた。
この区間が、今回のミニレポで採り上げる最後の場面である。

勇んで突入!



センターラインはないものの、幅的には辛うじて2車線を確保できそうだ。
路面は最近打ち直されたのか綺麗だが、錆色のガードレールには年季を感じる。
昭和52年までは、国道249号として、ハイシーズンを中心にたくさんの観光バスがここを行き来した。

この狭い土地に道幅を確保するべく、山側の法面は非常に高く切り取られていて、
垂直に近くなってしまった岩場に、安全のため落石防止のネットが厳重に頑丈に取り付けられている。
隣では、まるで崖の垂直ぶりに押し負けたみたいに、電信柱が道路側へ傾いているじゃないか。

また、落石防止ネットにはたくさんのツタ植物が絡みついていて、計らずして沿道緑化がなされていた。
これがなければもっと遙かに岩場が目立つ、いかにも恐ろしげな風景になっていただろう。



5:55 《現在地》

機具岩の案内板がある展望地点から約100m南下したところだが……


みなさま、お気づきになられたでしょうか?

この写真に写り込んだ、隠しキャラ的存在。


矢印の位置に……



石碑が見えている。

「遭難之碑」

墓標の形の石碑の表面には、そう刻まれていた。
花立や線香台もあり、明らかに、この路上での事故に遭って不慮の死を
遂げねばならなかった哀れな何者かへの供養を意図した碑であった。

この道の険しさと、危険さを、如実に示す存在。
オブローダー的には大好物だが、単純に嬉しいというのは、もちろんちょっと違うよね。
でも、道路という公の土地の一角の所有を許された碑が、事故後も長らく存在を続け、
その碑への配慮から落石防止ネットの一部が切られているという事実には、
やはり嬉しいという気持ちが生じてくるのであった。

碑の左側面に小さな文字が刻まれていることに気付いたが、撮影不良のため解読出来なかった。
建立年や故人の名などが書かれているようではあるが。 →碑面画像(解読困難)





みなさま、お気づきになられたでしょうか?

この写真に写り込んだ、もうひとつの、隠しキャラ的存在にも。




何の変哲もない落石防止ネットの



奥に



“隠し”隧道。



続く


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