地図上ではあまり特徴のない“離島県道”だったが……
《周辺地図(マピオン)》
本州と四国と淡路島と小豆島に囲まれた播磨灘は、多島海風景で知られる瀬戸内海の中では比較的島の少ない海域だが、姫路市の沖合10kmほどの位置に、40ほどの島からなる家島諸島がある。
中でも大きな4つの島が有人島であり、人口の多い順に、家島(いえしま)、坊勢島(ぼうぜじま)、男鹿島(たんがじま)、西島(にしじま)であるが、大半は前者2つに居住している。後者2つは専ら採石プラントの島である。大阪城の石垣にもこれらの島々の石が使われているそうだ。
さて、さっそく道路ファン的な観点からの話をするが、人口が多い家島と坊勢島には兵庫県道が存在する。家島に2本、坊勢島に1本。
私の中で、離島県道巡りも長期的なテーマの一つであるから、先日これら3本の県道を経験しに行ってきた。
今回はそのうちの1本、一般県道426号網手の浜加野線(あでのはまかのせん)を紹介しよう。
同路線のwikiページによると、家島南部にある網手港近くの起点から、島最大の市街地を形成している真浦の終点に至る、全長1798mの道路で、終点で島のもう一本の県道である県道425号宮真浦線と接続している。
早瀬かをる氏のサイト「GuCHuGuCHuSCRiBBLe」内のコンテンツ「県道路線第1次認定 兵庫」によると、諸島内の他の2路線とともに昭和34(1959)年10月6日に兵庫県道の認定を受けており、現行道路法下で長い歴史を有する路線である。
上に掲載したのは最新の地理院地図であるが、特に違和感はない。
実際私も取り立てて見たい景色があって通行したわけではなく、単に離島県道をコンプリートするための通過点と見做していたのだが……、わざわざ紹介するということはもちろん、なかなか衝撃的な場面があった!
それではさっそく、本編… …のちょっと前からスタート。
2026/4/23 14:40 《現在地》
海を走る船の上から、全天球動画(youtubeでならグリグリできるよ)で、コンニチワ。
ここは、坊勢島と家島を結ぶ、有限会社坊勢渡船の航路である。同航路は、平日なら毎日11往復、片道10分で二つの島を結び、その家島側の港が、県道426号の起点である網手港だ。
少しこの状況も説明すると、この日(井倉峡での隧道探しに暮れた日の翌日)は朝から自転車同伴での家島諸島島巡りをしていた。西島を除く3つの有人島がターゲットで、男鹿島と坊勢島を走破した後、最後の家島へと向かっている場面だった。
そして動画を見れば一目瞭然、この日は“生憎”の一言で収めるにはいささか過酷な土砂降り、強雨の一日であった。そんな中で1日中野外活動をしようというのだから、身体が濡れることは当然受け入れていたが、生活防水性能程度の一眼レフ(PENTAX KP)を使えば必ず壊れるだろうと、完全防水のTORQUE G07をメインカメラにしていた。そのためちょっと写真の色味がいつもと違う(この全天球動画は別のカメラで撮影)。
あと、これも今となっては笑い話だが、このたった10分間の海上が、この日の中でも特に酷く濡れた10分間だった。
一見すると屋根(幌)があるデッキに私は着座していて、動画の中ではさして水を被ってはいないが、船が動き出した直後の3分間ほどは、その動揺と強風によって幌に溜まっていた大量の水がデッキへ滝のように降り注ぎ、私はそれをもろに被ったのである。それはさながら、いにしえのコント番組でバケツの水を豪快に頭から受けるのと変わらない激しさだった。
しかも、たまたま一緒に乗船した親切な郵便配達員が、そこは濡れるかもしれませんよと忠告してくれたのに、「まあ大したことは無かろう」と、勇猛果敢なフリをして居座っていたものだから(客室もあるが、全身ぐしょ濡れの私が入るのは気が引けた)、爆水を被った後にすごすごと退散するのもカッコが悪く、最後まで不動の体制を維持したといういじましさである(笑)。
……動画で顔が泣きそうじゃないかって……? そりゃそうだろwww 泣きそうになりながら、貴重な移動時間にパンを貪った。
そんな地獄のような10分を乗り越えて、私は家島諸島の主島、人口約2700人が暮らす家島へ上陸したのだった。
14:46 定刻上陸! 《現在地》 ヨッキ再び島に放たれる。
家島は伝統的に、島の西側の真浦と東側の宮の二地区に分かれており、市街地も、本土の姫路港との連絡船が発着する港も分かれている。
この網手港があるのはぎりぎり真浦地区内だが、周辺はあまり開発されておらず、あくまでも家島と坊勢島を結ぶ渡船場という機能に徹している感じ。
とはいえ島内交通的に重要な位置にあるのは間違いなく、だから県道の起点になったのだろう。
猛烈な雨の中、船から降り立ったのは私と郵便局員ともう一人だけで、彼らが上陸するなり待機していた郵便バイクや自家用車で走り去ると、私を運んできた「あーす」がポツンと残ったが、それも数分後で坊勢港へ引き返していくはずだ。
というわけで、間もなく無人となる、待合室さえない港に別れを告げ、私の中の新たな島の道へ轍を刻みはじめる。
14:48 《現在地》
網手港を出るとすぐに丁字路にぶつかる。
この道が今回のターゲット、県道426号である。
直進すると真浦へ、右折すると宮へ、それぞれこの場所からの最短ルートになっている。
ちなみに県道の起点は、ここを右折して200m進んだ先の交差点であったのだが、うっかり私は見過ごして(ここを起点だと勘違いして)、そのまま真浦方向へ直進した。
14:58 《現在地》
10分後、網手港から1.5車線程度の県道を約700m進むと、当路線の“最高地点”を乗り越えた。
全長約1.8kmと短い県道であるが、家島の南岸と北岸を最短距離で結ぶので、ここで島の脊梁を越える。
大した高さではないものの(約50m)、網手側からは結構な急勾配であった。
なお、ここまで県道であることを明示する“ヘキサ”はないが、路傍の道路標識の支柱に「兵庫県」とペイントされていることが、県管理の道路であること(≒県道)を物語っていた。
“峠”を超えるとすぐに、住宅が現れ始めた。
一見これは何の変哲もない風景だが、この島に関する一つの事前情報のおかげで、ここでの人家の出現に、普段以上に着目した。
その事前情報とは、この島の人口密度のことである。
5.4平方kmの小島に2700人近くが暮らす家島は、離島としては人口密度が高い(500人/平方キロ)。
しかも、地形図を見るとこれがよく分かるのだが、この少なくない人口は真浦と宮の二つの市街地に圧倒的に集中していて、これらの地区では人口密度以上の密集度がある。
真浦集落の家並みが、このように峠の近くにまで達していることも、島の人口密度と無関係ではないと思ったのだ。(そしてこの印象は、この後より強烈に補強されることになる)
あともう一つ、道路的に注目すべきものが、このシーンにはある。
【車線数減少】
の警戒標識が設置されているのであるが、厳密に言えばこれは正しくない。本来設置されるべきは【幅員減少】
だろう。
……なんてツッコミを入れたくらいにして、軽くスルーされた警戒標識だったのだが……
直後。
ガチで狭くなってきた!
しかも、路肩に逃げ場のない狭さだ!!
道の片側、そして両側に、人家の壁や擁壁が容赦なく押し出してきている。
結果、まるで垂直に切り立った深い切り通しみたいな道路のシルエットになっている!
15:04 《現在地》
“切り通し”みたいな所をすり抜けると、すぐに「熊本マンション前」というバス停が現れた。
つうか、ここまでもバス停が点々とあったのを見てきたが、さっきまでは普通の道幅だったから気にならなかった。
でも今なら、この道をバスが通るのか?! と、驚かざるを得ない!
どんなバスか知らないけども!!
ってか、この先さ……
もっと狭くなっているんだが!!!
これはヤバいwww
真面目に供用中のところ大変恐縮ですが、これは吹かざるを得ないwww
自転車道かよwwwwwww
すぐさま実測。
……
…………
………………実測値発表!
白線内幅117cm
白線外幅145cm
(参考:自転車専用道路の幅員は原則3.0m以上、やむを得ない場合は2.5mまで縮小可能)
いやいやいやいや、ヤバいでしょこの県道www
一瞬だけ狭いとかなら、まだ分からなくもないんだよ。
あるいは、根本的に車が通れない前提の区間とかなら分かるんだ。
また、島の道が狭いというのも、確かにその通り。特に、島の路地なんてのは大抵こんなもんだ。
でもここは違う! 県道だぞ! そして家島のメインストリートだ!
流石に県道昇格後60年以上も、路地の幅で満足していて良い道じゃないと思う。
実際交通量だってそれなりにある(令和3年度一般交通量調査では、昼間12時間交通量(上り・小型車)90台/(下り・小型車)102台、(大型車0)と実測されている。なお、小型車は四輪車のみ)。
ヤバくて、楽しい!!!
一旦狭くなってからは、もうそれでいいと道が諦めてしまったかのように、どう考えても四輪車は左右の白線を同時に踏まずに通れない道幅が、もう100m以上は続いている。
確かに、実質的な道幅というのは、白線よりもだいぶ広い。
特に道路右側のコンクリートの側溝蓋は幅が広いので、そのおかげで実質の幅員はぎりぎり2mくらい確保してありそう。
だから白線を気にしなければ、とりあえず乗用車が通れはするんだろう。
……じゃあ、なんのために白線描いたんだよww
無理だから、この幅で歩車分離なんて理想論!w
同じ様な幅の周辺の路地に白線はないから、やはり県道だから、幹線だから、目立たせるために白線を敷いたのだろう。僅か幅1m強の白線をwww
勝手知ったる島民しかまず運転しない道だからって、無茶しやがって!
ストレートの先のカーブも、狭さ据え置き!!
まだ続くのかよwww
「事故注意 この先カーブ スピード落とせ」とか貼ってあるけど、ここまで狭いと、事故といっても壁に擦ったり歩行者に擦ったり、まあ大事には至らなそうな感じがする。死亡事故なんてまず起こらなそう。狭い道が実は安全だというのはあると、私は思う。
15:13 《現在地》
そして挙げ句の果て、この幅のまま、ブラインドカーブ!!!
もう200mも道路上にすれ違える余地がないまま(なので実質、沿道の民地、駐車スペースなどを使って離合せざるを得ない)、ブラインドカーブとは恐れ入った!
今さらカーブミラーがあっても、焼け石に水感が否めない。
つうか、ここで道が分岐してるのも地味にヤバいな。
次の写真は、この分岐を振り返って。
右の県道の方が狭く見えるじゃねーかwww(白線の収斂効果と思ったが、本当に狭いのかもw)
で、追分の内角に小さなお堂が鎮座していて、中は確かめなかったが、外壁に「右 ぼうぜ」「左やまみち」と、道標であるかのようなプレートが掲げられていた。
これは地味に面白い内容で、「ぼうぜ」というのは隣に浮かぶ坊勢島のこと。
この道標が古いものだとしたら(見た目は古くないが、地蔵尊由来なら相当古そう)、大昔から家島を横断して網手港より坊勢島へ渡る経路が確立していた証しかも。
全天球写真。
両手を広げれば、一人で完全に県道を塞げてしまうスケール感www
今やこんな状況にまでなったのに、結局ドライバーに示された事前情報といえば、【車線数減少の警戒標識】
1枚ポッキリだったというのも、安定の身内(=島内)クオリティで面白かった。もし、島外の人が何も知らずにレンタカーなんて借りたら、一番広いと思うはずの県道で四苦八苦する未来しか見えない!(少し調べてみると、やはり島内に普通自動車を使った一般向けのレンタカーは営業していないらしく、少し古いニュースだが、三輪の小型電気自動車を観光客向けに提供開始したという記事を見つけた。)
そしてこの撮影をしていると…… 接近音アリ!
コミュバス、キタ――!!!
普通乗用車だったが、当然、白線ガン無視で走ってったなww
そりゃそうなるw
最後に改めて、この驚きの白線狭隘区間を通した走行動画を撮ったので、ご覧ください。
走行方向は、レポートと同じ方向である。(↓)
ハイ楽しいねぇw
楽しんだ後は、いよいよ“終点”へと連なる、終盤戦へ……。
そして街の中心にある終点へ
15:15 《現在地》
地形図上でも県道がクランク状に連続屈折している場所だ。
確かにそのようなカーブになっていて、案の定見通しが激悪。
しかも地形図にはない枝道が途中で左から合流していたりもする。
それでも、
「ふぅっ…」。
っと、思わず一息が漏れたのは、クランクの途中から道が少し広くなっているのを認めたからだった。
それでも、普通に考えたら依然として車1台分だけの狭路である。1.5車線路ともいえない狭い道。
しかもブラインドカーブの連続だし。今までが、あまりにも狭すぎたのだ。
!!後方よりエンジン音接近!!
いま私がすり抜けてきた狭路から、1台のバイクが勢いよく飛び出してきたが……
あっ!(笑)
この日、この雨の諸島内では既に散々目撃した、傘さし運転者登場であるww
これは当然違反行為で、昨今は自転車の傘さし運転でも青切符だなんだとうるさくなっているのに、さすがは離島。エンジン付きでも容赦ないw
これはこの島に限らない話で、もう見慣れてしまった風物詩のようなものである。
(直前まで居た坊勢島では、バイクの傘差し&ノーヘル運転も見たぞ。ワルニャンも霞むワルさだ)
15:18
クランクの後半から、それを抜けた直後は3〜4mの道幅があったのだが、いくらも進まぬうちに再び両側の建物がわあっと押し寄せてきた。そして、激狭再び!となった。
地形図上では、この辺りから沿道の表現が個々の建物の配列から、総描建物という高密度市街地を表現するものへ変わり、いよいよかつての飾磨郡家島町の中心的市街地である真浦の核心部へ入っていく。家島諸島全体を領域としていた家島町は、平成の合併で姫路市の一部となるまで、淡路島にある自治体を除けば県内唯一の離島自治体として独立性を保っていた。
再度激狭となったこの道幅は、2m程度である。
実質的な全幅は先ほどと変わらない感じだが、今度は白線が道幅いっぱいに敷かれている。
したがって、白線をはみ出す車は直ちに沿道の電柱やら塀やらに接触するだろう。
そんな狭さのただ中に、島内唯一のコンビニ的チェーン店、「ヤマザキショップ」が営業していた。
他にも、文房具屋や服屋などがこの界隈にあって、県道の車上からウィンドウショッピングを強要される距離感だった。
全天球写真。
地形図が周辺を総描建物で埋めているのも宜なるかなで、とにかく沿道には一切の間隔を空けず多数の住居や商店が建ち並んでいる。
そのため車が出入りできるような分岐路は皆無である。
そして道自体もかなり直線主体だが、ただただ狭く、道幅のギリギリまでブラインドになる建物が迫っている特殊な状況であるため、見通しは良いのに周りは見えないという不思議な景色だった。まるで深い切り通しの中をずっと進んでいくような感覚……。というか私は、昔のコンピュータゲームによく描かれた四角い壁で囲まれた3Dダンジョンを連想した。フィールドや街も全て3Dで描かれるタイプのゲームの街みたい。
歩いている人は全くいないが、ときおりスクーターとエンカウントする。
15:19 《現在地》
そんな“ゲーム脳”も発揮しながら、相変わらず土砂降りの雨にも振込められながら、道幅2mギリギリの激狭市街地を進んでいくと、またもコミュバスの停留所が目に留まった。
「福島写真場前」という停留所だ。
写真場という表現を初めて見たので印象に残ったが…
停留所の向かいに建つ福島写真場は、これまで沢山の街の人たちの記念の日を記録していそうな佇まい。歴史がありそう。
そして、より目を引いたのは、3階建ての写真場の隣に建つ、圧倒的に高いビルだった。
おそらく7階建てで、私が見た限りでは家島で最も階数がある建物だった。
「若宮海運建設株式会社」の屋号を掲げていて、地元企業だと思う。
ちょうどこのビルの真っ正面で県道にぶつかる路地があり、その路地に入ってビルを振り返ったのがこの写真だ。
街中で一際高くて目立つビルだが、それが両隣の建物より大きな土地を占有していることはなく、古くからの地割りに収まっているのが印象的。
いかに地元の有力企業であっても、新たな土地を得るのは容易ではなく、ならば限界まで階を重ねることで社屋を大きくししようとした……のかは分からないけれど、私は勝手にそんな理由を想像して、人家の密集度に印象が集約しているこの島の“らしい”眺めだと思った。
そもそも、このビルの存在自体が、一介の漁村的繁栄を遙かに越えた人と財の集積を島が重ねてきたことの証しといえそう。
15:23
これも面白い眺めだ。
道が二手に分かれている。左が県道で、右は名もなき路地(市道)。
自然なカーブを描いた二又の道は、都市計画的なものとは対極にある、いかにも人が歩いた道をなぞったような自然発生的古さを感じさせる線形だったが、ここではその形も幅も保ったまま、すっかり立錐の余地なき市街地へ組み込まれている。
二又という記号的な線形と、居住性より空間を充足することに専念したような家並みの組み合わせが、ますますコンピュータゲームの3Dダンジョンらしい風景を作っていた。街ダンジョン。
普段ならもっと明るい賑わいがあるのだろうが、すべてが白く霞んだようなの強雨の中では、とかく無機質の印象が強かった。
自然と縦写真ばかり撮っているのも、どこまで行ってもこの道の視界が横には広がらないからだった。
この辺りの沿道家屋の高さは、いわゆる地方都市の中心部のそれだ。
平家や2階建てはあまりなく、3階層以上のビルディングが多数を占めている。
だが、普通の街並みに比べると、圧倒的に道と駐車のためのスペースは足りない。
実際に往来を見ていると、島の中では四輪の自動車よりも圧倒的にスクータータイプのバイクが多く利用されているようだ。
ご覧の道路事情や、そもそもの島の大きさ、内地との行き来の手段を考えても、二輪車が重宝されることには納得しかない。
そして、写真奥の少し広くなっている場所まで行くと、ようやくダンジョンめいた狭路は明けた。
それが次の写真の場面である。
15:24 《現在地》
県道を含むいくつかの狭い道が集まって広場になったところが、真浦神社の立派な石鳥居の門前だった。
神社の由緒由来ははっきりしないらしいが、近世以前から真浦の鎮守として長く崇敬を受けてきたという。
その衰え知らずの大切にされっぷりは、平成16年に新装されたという社殿を含む境内の際立った清浄さや、鎮座する狛犬たちの誇らしげなハト胸ぶりからも十二分に伝わってきた。
なお、この神社の住所だが、「兵庫県姫路市家島町真浦字加野597-1」となっている。
そしてこの“加野”というのが、県道の路線名「網手の浜加野線」に登場するそれである。
大字真浦の中で完結する県道を命名するために、大字の下の字名を抜擢したのだろう。加野という地名は地形図にも道路地図にも出ていない。
そんなマニアックな地名が出たところで――
15:25
兵庫県道426号網手の浜加野線 完 となる交差点が現れた。
この信号も横断歩道も停止線もない交差点が、県道426号の終点であり、同時に県道425号宮真浦線の終点でもある。二つの県道はここで接続し、地図上ではひと繋がりの県道のように見える。
結局最後まで、県道の存在を明示する“ヘキサ”は現れなかったが、他に信号機、横断歩道、センターラインといったものも、この島にはないものだった。
交差点の右後方は、冒頭に登場した網手港とは反対側の海に面した真浦港である。
ここからは姫路港への連絡船が頻繁に発着しており、宮地区にある宮港と並んで島の表玄関になっている。
途中驚くほど狭かったが、ひとまず島の横断を成し遂げたところで、本県道の探索も終了である。
ミニ机上調査編 〜国会でも議論された県道の狭さ?!〜
今回探索した県道については、机上調査を張りきって行うほど大きな疑問点や不明点があるということはなく、島の環境に根ざして長く使われてきた県道が、内地で暮らす私の目にはたまたま驚きの狭さに感じられたということに過ぎないかと思う。
島という独自性を育みやすい環境がもたらした個性が、全国共通の道路制度や交通法規と微妙にずれた風景を現出しているということに不思議はないだろう。
そのような念頭に立ちつつ、私も普段の山行がのやり口で机上調査を行った。
@ 地理院地図(現在)
|
|
|---|
A 昭和42(1967)年
|
|---|
B 大正12(1923)年
|
|---|
まずはいつもの歴代地形図。
@地理院地図は、本編でも散々見たとおり。
今さらながら、地形図はこの県道の一部を「一車線」ではなく「軽車道」で描くべきだと思うが、なぜかそうしていない。内地の道路だと、実態以上にすぐ「軽車道」表現をするという印象があるのにね。ストリートビューもこの狭隘部分には立ち入っていないし、おかげで私は通行の瞬間まで、あの狭さを予期しなかった。
A昭和42(1967)年板は、全体的に@と大きく違わない。県道は既に認定されていた(地図表現上は区別が付かないが)。特に真浦市街地の道は、この時代の整備状況のままだと思う。それまでの手押し三輪車や自転車、リアカーといった無動力車に代わって、小型バイクが大量に普及したであろうこの年代の…。
一方で、集落外の網手から真浦に山を越える部分などは、この年代には細い未舗装路だったろうものが、今は県道らしい県道になっているなど進化があるし、集落外の車道はだいぶ増えたことが分かる。
B大正12(1923)年版の時点で、真浦や宮は密集した集落で、真浦、宮、そして網手の3ヶ所に渡船の記号がある。前者2つは「汽船による通船」、後者は「人渡」の記号だ。
また、家島の呼び名も古くは「えしま」であったとされるが、この図ではふりがながそうなっている。
明治以来の家島村が、町制を敷いて家島町になったのは、この図の少し後の昭和3(1928)年だ。大正期までは島の中央部に日本鉱業の巨大な亜鉛製錬施設があった。図中には「旧」を付して描かれている。撤退後、島は衰退の危機に瀕したが、近隣諸島の良質な石材の切り出しや、地の利を活かした海運業、漁業など多方面への進出が成功し、家島は離島にありながら長らく人口増が続いた島であった。家島の人口は江戸中期1900名、明治末5800名、昭和初期6500名、最盛期の昭和40年代には1万人に達した。しかしその後は減少に転じ、平成初期6000人、現在は2700人ほどである。
今日まで連なる島の基幹産業の中でも、採石業は島に多大な収入をもたらした一方で、劇的に島々の形を変えてしまった。
家島諸島の4つの有人島のうち、面積が最も大きい西島や、3番目に大きな男鹿島は、いずれも島全体が良質な石材で出来ていたために、僅かな集落周辺を残して巨大な採石資本の手で削られ続けている。結果、空から見たこれらの島の形と色は、自然のものではなくなった。近い将来、これらは無人島に帰すると見られるが、まだまだ形を変え続けることだろう。
そんな家島諸島の姿は、まるで大海原を二人で旅する羊飼いのよう。羊飼いは家島と坊勢島で、羊は男鹿島と西島。毛を刈って、さらには肉も切り取って、それを売り歩くことで二人の羊飼いは生計を立てている。

姫路市WEBマップおよび、道路台帳図より
右図は、姫路市が公開する姫路市WEBマップ上で見た県道426号の一部である。
このサイトでは、姫路市道の全ての路線図と道路台帳を見ることが出来るのだが、県道426号の経路をつぶさに確かめてみると、その大部分は、県道であると同時に、姫路市道でもあることが判明した。つまりは、市道と県道の重用区間ということである。
通常、道路法のルール的には、より上位の道路として扱われる事になるが、これは市道としての管理権が及ばないということを意味しないので、現地では兵庫県の姫路土木事務所ではなく、姫路市の道路管理課が管理にあたっているのかもしれない。
具体的には、印象的な狭隘区間の大半は、姫路市道家島73号線と県道の重複区間であった。
この市道の道路台帳を同サイトで見ることができ、道路台帳にはチェンジ後の画像のように各区間の幅員が表示されているので、【最も狭い箇所は2.2m】
、【2番目に狭い箇所は2.3m】
となっていて、これらを含む数百メートルの区間が2m台であることが確かめられた。
幅2mといえば、乗用車には余裕があると感じられるかもしれないが、ここで言う道路幅とは道路区域の幅であり、車道の幅だけを指すのではないことに注意を要する。区域内に占有物である電柱などが存在している可能性がある。
次は、県道426号網手の浜加野線の歴史についてであるが、文献的な情報はほとんどない。
ただ、本編冒頭でも紹介したように、「県道路線第1次認定 兵庫」によると、県道への認定は昭和34(1959)年10月6日と、諸島内の他の2県道とともに、現行道路法下の一般県道としては第一次認定に属する最古参の路線である。
『土木部要覧 昭和48年度』では、この路線の全長は1600m、対して『土木部要覧 昭和57年度』では全長1710mとなり、wikiによれば現在の全長は1798mであるという。数十年の間に200mほど長くなっているのだが、その内訳は残念ながら不明である。
また、旧道路法時代について目を向けてみると、『兵庫県統計書 昭和3年』などの資料に、府県道真浦宮線の名前を見ることができた。これは現在の県道425号宮真浦線の前身であろう。さらに、『兵庫県会史 3輯2巻』を見ると、昭和9(1934)年12月23日に兵庫県知事が兵庫県郡部会に対して、府県道坊勢真浦線の認定について意見を諮った記録がある。路線名からして、現在の県道426号に相当するものと考えられるのだが、この年以降の統計書、例えば『兵庫県統計書 昭和12年』を見ても府県道坊勢真浦線という名前は登場しないので、実際は認定に至らなかったのかもしれない。資料不足によりはっきりしない点である。
ただいずれにしても、旧法時代から家島と坊勢島を結ぶ路線として県道化が検討されたことは間違いない。
最後に、WEBで検索可能な範囲について、姫路市議会、兵庫県議会、国会それぞれの会議録を、路線名で検索してみたところ、ローカルな前者二つでは全くヒットしなかったのに、予想外にも国会の会議録に該当するものがあった。
平成18(2006)年6月5日の第164回国会の会議録に、この県道が登場していた。
当時の大きな政治テーマであった道路特定財源の見直しを巡る議論の中で、地元(兵庫県相生市)出身の山口壮議員(当時民主党所属)と北側一雄国務大臣の次のようなやり取りである。
- 山口分科員
- 家島に行ったら、大体オートバイというかバイクがびゅんびゅん通る、自動車も軽自動車しかほとんど通れないんですね。そんな中で、家島について、道路整備というものが私にとってはとても大事だなという感覚が強いものですから、こういう離島という特殊のケースについてはまた特殊の配慮があるかもしれない。
そういう意味で、この家島の道路整備を何とかできないかなという観点から、大臣、こういう家島のような離島について何か前向きの考え方をいただけるかどうか、お願いできますか。
- 北側国務大臣
- お聞きしているところによりますと、この家島内の道路というのは、幅員も狭くて線形も悪い、島内の安全で円滑な通行の支障となっているというふうに聞いているところでございます。
これにつきましては、家島港と網手港とを結ぶ、島の幹線道路でございます県道の網手の浜加野線というのがございまして、こちらの早急な整備が望まれているところでございまして、県の方では、平成十八年度から地方道補助事業にてバイパス整備に着手したということでございます。
国といたしましても、兵庫県等地元とよく連携をとらせていただいて、またその要望をよく聞かせていただいて、この家島の道路の整備もしっかりと支援をさせていただきたいと思います。
- 山口分科員
- ぜひよろしくお願いをします。
『第164回国会 決算行政監視委員会第四分科会』(平成18年6月5日)会議録より
以上のように、当時の兵庫県は本県道の整備状況を問題視し、これを改善するために、平成18年度から地方道補助事業でのバイパス整備に着手したとあるのだ。
しかし、現地を探索した私には、どこがそのバイパスだったのか、全く分からなかった……。
皆さまのなかで、このバイパス整備の件について、ご存知の方はおられるだろうか?
この“謎のバイパス”にもしかしたら関わりがあるかもしれない、ちょっと気になる地図を見つけた。
令和4(2020)年のタイムスタンプが入った兵庫県管内河川図という地図なのだが、この地図の本題は兵庫県が管轄する河川の位置や関連施設の一覧である。
が、私が気にしているのは、この地図の下地の地図だ。
おそらく下地の地図は兵庫県管内図であり、兵庫県が管轄している県道の位置が記されている。

『兵庫県管内河川図』より
で、この兵庫県管内図の家島諸島部分をグッと拡大して見てみると……(→)
全県スケールの管内図らしい小縮尺の大雑把さで県道426号と425号が家島に描かれているのであるが、県道としての既知のルートとは別に、県道の計画線や未供用の区間を示すとみられる点線の道が描かれていることに気付く!
そして、この“点線の県道”に該当すると見られる道が実在する。
チェンジ後の画像の“赤点線”の位置にあるのがその道だ。
小縮尺の管内図との照合なので絶対とは言えないが、おそらくこの道だ。
この“赤点線の道”を前掲の姫路市WEBマップで確かめると、市道家島54号線、同45号線、同36号線のそれぞれ全部や一部に認定されており、ようは市道として認定・供用済みの道路であることが分かった。さらに道路台帳も見ると、大部分は幅6m前後あり、現在の県道よりは遙かに通りやすそうな道であることも判明。
加えて航空写真を見てみると、この一連の市道は昭和50年から平成3年の間に開通しているようであった。
これは私の推測に過ぎないが、兵庫県は平成18年当時、既に存在していたこの山越えの市道を、県道426号のバイパスとして再整備する事業を持っていたのではないだろうか。
ただ、それは完全には実現しなかったのだろう。もし完成していれば、県道426号として地図上に示されることになっただろうから。
最後に、このレポートに読者さまから寄せられた印象的なコメントを一つ紹介したい。
30年以上前に家島出身の方から聞いた話ですが 結婚するとき、男は島に土地がないなか何がなんでも頑張って家を建てて、女はその家に入るだけの家具を姫路で買って持っていくそうでした。このレポートを見てその話に納得がいきました。
読者さまコメントより
家島に、新たな家を建てること。
それが、島で生まれた男の甲斐性だと考えられていたという話。
なるほどなー。
――以上。