神岡軌道 第二次探索 (土編 第1回)

公開日 2009.10.10
探索日 2009. 4.27

しばらく更新の間が空いてしまったので、右図を見ながら簡単にここまでをおさらいをしてから本編に入ろう。

私はこのレポートを書いている2009年10月現在までで2度、神岡軌道の探索を行っている。
このうち1度目の探索は、2008年7月3日と4日にかけ、「日本の廃道」の永冨氏と一緒に、猪谷〜東猪谷〜六郎付近までの探索を行った。
そして、この成果による「神岡軌道 第一次探索」は「第1回12回」まで公開が済んでいるが、それはちょうど7月3日探索分の全てであり、区間としては漆山付近までである。

続いての第二次探索は、約半年前の2009年4月27日と28日に実施しており、これは単独である。
その目的は、第一次探索で時間的不足と時期的な藪の濃さのため探索を見送った小区間の探索を完遂させることと、新たに東猪谷〜笹津間の探索を行うことであった。 4月27日の探索が前者、28日が後者である。

本来ならば、第一次探索のレポートを完結させてから第二次探索のレポートを書くべきであったが、「分かっていること」が増えてしまった以上、「分からないフリをして」書き進めることは難しいと判断し、第一次探索でやり残した部分に関する第二次探索の成果を、先にレポートすることにした。
その方針で書き進められたのが、「杉山編」と銘打った前回までの3話である。

さて、今回から数回にわたってお送りする「土(ど)編」では、第一次探索の「第6回」から「第9回」の間に紹介した、茂住〜土(ど)間の「未探索部分」を紹介したいと思う。



茂住〜土の間は約4.2kmであるが、このうち第一次探索で実際に歩いて確かめたのは、僅かに1.5km程度である。
左右の図中の水色の部分が探索済みで、赤は未探索である。(黒は隧道や洞門)

前回としては、これでも“要所要所をおさえたつもり”であったのだが、

実際にはおさえきれていなかったということを、今回は嫌と言うほどに思い知ることになった。



ということで、まずは↑の図の僅かな“赤区間”を“回収”しておこう。
スタート地点は、前作でお馴染みの場所である。





永冨氏がかつてコーラ色の水を飲んだ水飲み場のある校庭から再開


2009/4/27 14:39 《現在地》

東茂住の旧鉱山社宅前にある、廃ではないが、恐らくあまり使われていないだろうグラウンド。
ここから探索を再開する。

永冨氏が水飲み場でコーラ色の水を平気な顔をして呑んでいたのも、なんか遠い昔の出来事のようである。
季節が違うせいか、同じ晴天でも今日は静かに感じる。(永冨氏が騒がしかったのではなく、蝉がうるさかったのだ)

あらかじめ告白すると、今回は先に車を使って「土」の近くに自転車を置き去りにしてきている。
よって私は今回、何の気兼ねもなく「土」まで歩き通すことが出来る。
もっともこれは逆のいい方をすれば、歩き通さなければならないということにもなる(笑)。

写真に黄線で示したのが、軌道跡のライン。
白線は、グラウンドと軌道跡を結ぶ階段の在処だ。




グラウンドを横断して、階段の下へとやって来た。

斜面を斜めに横断しているのが階段で、その上のあまり目立たない水平のラインが、軌道跡である。
一番目立っているラインは、その軌道跡の擁壁である。

階段から、軌道跡を目指す。
ここは前回、足元も見えないくらい激しい草藪だった覚えがあるが、まだ若葉のこの時期、擬木による階段が鮮明に見えた。




緩やかな数十段の階段を上りきると、軌道跡に出た。
前回はこの分岐の存在に気付かぬまま、気付いたときには階段へ入り込んでいたのであったが、それは目の高さまである夏草のせいであった。
今回くらいの草生であれば、問題なく軌道跡へ進むことが出来ただろう。

ここから、前回は探索しなかった「小区間(1)」が始まる。




グラウンドを見下ろす軌道跡には、八重桜が植えられていた。
廃線後すぐに植えたにしては若すぎるが、立派に桃色の花を咲かせていた。

一方の擁壁は、おそらく軌道時代からのものであろう。
年季の入った、コンクリートの平らな壁である。




若草を踏みしめ100mほど進むと、眼下からグラウンドが消え、代わりにコンクリートの広大な平場が現れた。
その正体は、国道41号を雪崩や落石から守るシェッドである。
そして、その更に向こうの一番低いところが、水の少ない高原川渓谷である。

国道と軌道跡の比高は20〜30mもあるが、これが「土」を少し過ぎたあたりで10mくらいになることを第一次探索で確かめている。
したがって、今回完抜を試みる区間においては、この位置関係は変化しない事になる。
第一次探索において、この区間の探索をやや軽視したのは、国道との近接にも原因があった。




14:48 《現在地》

予想外の事態が発生。

歩き出して5分も経っていないが、ロックシェッド上の軌道路盤が、消滅していた。

原因はずばり、国道の法面改良である。
路盤のあった位置がすっかり崩され、コンクリート吹き付け工を施した法面に変わっている。
さっそくにして、一番恐れていた展開が現実のものとなったことを知る。

行き止まりから、細い獣道が上へ逃れているのを見つけ、これを頼りに高巻きを敢行する。




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消失した路盤の長さは20mにも及んだが、無事に高巻きを成功させて、その先の復活した路盤へと降り立った。

写真は、これを振り返って撮影したものである。

とりあえず一箇所は突破したものの、この先もこんな展開がまた待ち受けているかも知れないと思うと、少し憂鬱だ。




私の苦労など知ることなく、眼下のシェッドは無表情のままに続いている。

そうこうしているうちに、水の少ない渓谷に犯人とおぼしきものが現れた。
新猪谷ダムだ。

このダム湖とも、「土」までずっと一緒だ。




軌道跡が、国道を落石や雪崩から守るための重要な敷地になっている。

元法面にある鉄のネットに、路肩の鉄柵。

どれも、木箱のなかに人間を乗せたものがここを通っていた当時は、無かったものだ。
しかし今の国道は、頑丈な屋根に覆われた上で、さらにこれだけの備えをしているのである。
旅行や交通に対する安全の意識が、この数十年でどれだけ変わったのかということを見る思いだ。





14:54 《現在地》

それから間もなくして、見覚えのある景色が現れた。

詳しくは第一次探索のレポートを見て欲しいが、この大岩の横たわる場所は、前に向こう側からここまで来て引き返した地点だ。

約400mあった「小区間(1)」の攻略は、一箇所だけ高巻きがあったが、つつがなく完了した。




この巨大な雪崩防止擁壁も見覚えがある。
これを過ぎれば、間もなく“アレ”が現れるはずだ。




と、その前に、国道のシェッドから脱出するための階段の出口が見えた。

前回はあそこから出てきて、軌道跡の前後300mくらいを探索して後、引き返したのであった。
それは、私と永冨氏がのためだけに用意された穴のように見えて愛おしかったが、今回は頼らない。




“アレ”が出た。

前回探索済みの、長さ50mほどのロックシェッドである。
前は夏草や灌木の海に文字通り溺れるようであったが、今はそうでもない。
雪崩を受け止めず、屋根の上を滑らせて逃がす作りが、よく観察されるのである。

ここは紹介済みなので、省略。





それって、どんな音?


にょきにょき…  とか?


あなたの思う音を、感想欄から投稿して欲しい。





いやこれ、本当に土の中から音がしてきそうな春の萌。

ずっと写真を眺めていると、少しずつ雲が流れているようにさえ見える。




ロックシェッドから200mほど進むと、それまであった河岸段丘が俄に狭まり、軌道跡は嶮しい山腹に押しつけられるように左へ曲がっている。

前回は、この場所で引き返している。
それは、背丈に勝るほどの猛烈なススキの藪に阻まれたことが第一だが、「この先には特にめぼしい遺構は無さそうだ」という判断をしたことが、レポートにも書かれている。

それは、誤りであった。



次回、
「小区間(2)」で、戦慄の展開が待つ。