千頭森林鉄道 逆河内支線 第10回 

公開日 2011.11.24
探索日 2010.04.21
所在地 静岡県川根本町

5号隧道 内部探索



2010/4/21 15:30 《現在地》

遂に辿り着いた、念願の地。
5号隧道(仮称)の洞内へ歩みを進める。

坑口はコンクリートのごく平凡なものだったが、
そこから見える範囲の洞内もまた、同様であった。




振り返る坑口。

本隧道に残された唯一の坑口だが、大量の土砂が堆積していて、全体の半分くらいは埋もれてしまっている。
しかし、圧壊するようなよほどの事態が無い限り、この坑口が完全に閉塞してしまうことは無いと思われる。

なぜそう言えるかって?
坑口前の路盤が余りに狭く、そこには隧道を埋没させるほどの大量の土砂を置くことが出来ないからだ。




入坑から15mほどで、コンクリートの巻き立てが突如姿を消し、見慣れた素堀に変化した。

しかし、壁面や天井などに崩れている様子はない。
地被りは大きくなく、しかも上を林道が通行しているのだが、岩盤がよほど堅牢なようだ。
地上の崩れまくっている岩とは別物のようであるが、これがまさに風化作用というものなのだろう。

また、地被りの浅さのせいか、洞内はとてもじめじめしていた。
壁面も濡れている。
今朝方まで雨が降っていたことも、もちろん影響しているだろう。

まだ浅いのに、目に見えるくらいの水蒸気が立ちこめていて、フラッシュを焚いて撮影するとそれが水滴状に反射して写った。




入坑50m、まだ坑道は続いていた。

そして、再び素堀からコンクリート巻きに変化した。

連想されるのは、反対側の出口(西口)が近いと言う事だ。

しかし、当然のように外の光は全く現れず、それどころか、視界がますます悪くなる罠…。

変態は霧に消える。

私は濃厚過ぎる“水蒸気の壁”に、行く手を遮られた。




水蒸気の壁が行く手を阻む。


「そんなバカな」とお思いだろうか。

霧靄は物理的な壁ではないが、ここまで視界を奪われると、
圧迫感と盲目感の二重の恐怖を感じ、足は止まる。

有毒ではないと分かっていても、洞内の澱みを現すカビくさい白霧は、
とても気持が悪い。

ここでは、私の野蛮で野太い興奮が、
不安と不快に埋め戻されるまで、数秒と要さなかった。





前方にいかなる光も見えないため、照明を付けて歩くしかないが、その照光が激しく乱反射して、ますます私を惑わせた。

もはや、周りの壁さえもよくは見えない状況ゆえ、ややぬかるんだ土の洞床の軟らかい足触りさえ、いたずらに不安感を駆り立てたのである。

そこには、レールはもちろんのこと、枕木や壁面に取り付けられた碍子など、林鉄時代を彷彿とさせるものは、何も見あたらなかった。

そして、霧の穴は音もなく閉塞していた。
この写真には閉塞壁である瓦礫の壁が写っているが、分かりにくいだろう。天井まで土砂が来ていて、特に壁面に破壊は見られなかった。九分九厘ここが西口である。外部から土砂が侵入する形で埋没閉塞しているのである。

安堵しつつ、落胆もする。

嗚呼、非常に苦労してここへ来たが、大したものは無かったな。

しかし、これは小さくとも確かな一歩だ。
この成果を世に公開すれば、同じ落胆を覚える人が、少しは減るかも知れないのだから。(それがオブローダーにとって幸運かは分からないが…)

何より重要なことは、私自身が納得できたということだ。

実は、私がまだ逆河内支線などという名前も知らなかった昔、林道から写した先の坑口の写真を、ある人に見せてもらったことがある。
そしてその瞬間から、いつか内部を自分の目で確かめたいと、ずっと願っていたのだ。




15:32

私は己の好奇心が満たされた満足を、少し遠くに感じられる入口を目指しながら、やや遅れて感じていた。

結局、隧道は全長60〜70m程度だったと思う。
両側の坑口付近はコンクリート巻きで、中央部は素堀という、いつものパターン。

印象的なのは、両坑口は死ぬほどやばい場所にあるのに、洞内は全く平穏で、霧が時の流れを止めているような印象だったこと。
これで思いだしたのが、昔「森吉森林鉄道」の関係者に聞いた、一般の人はトンネルを皆怖がったが、我々にしてみれば、トンネル内は一番安全で安心出来る路盤だった という話しだ。
なるほど、隧道こそ逆河内の天変地異から身を守る一番の術であったようだ。(地下鉄にすれば、問題はなかった…!)






危なかった〜!



往路は霧×照明のため視界が悪く、
復路は完全に気抜けしていた。



だから、危うく

見逃す… ところであった!



この隧道に辿り着いた者に与えられる、“発見”を。




往路に撮った写真にも、それはちゃんと写っていたのだが…

気付いて撮影をしたのは、復路であった。

ヘバ、ソレハナニカ?




それは、とてもべっぴんな、白黒の標柱だった。

もちろんこの配色、林鉄の遺物である。
車道転用の無かった場所柄、それは言うまでもない。

こうした木製の林鉄用標識としては、保存状態が凄まじく良い点が、特筆の一だ。

そして、これが初めて実物を見る「曲線標」であったことが、特筆の二である。


一般鉄道用の曲線標はよく知られているが、林鉄でも林野庁が林道規定細則(昭和32年制定)で定めていた。この「R=」は曲線半径(m)を指示する。しかし数字の部分は消えてしまったのか、全く読み取れなかった。

良好な保存状態について、検討したい。
まずこれは、変化の激しい地上にあっては、ほぼ望めない保存状態だと思う。
そして、これがただの材木ではないことも重要だ。
財政面では日本一のマンモス営林局であった東京営林局謹製の標柱は、上等なクレオソート(防腐剤)仕上げである。
さらに重要な要素としては、この標柱が “まだ新しい” ということだ。

林鉄時代の遺物なのに、新しい。
なにせ、標柱が路線と同時に誕生したとしても、たかだか昭和37年生まれなのである。
防腐処理を施された木材を、年中気温と湿度が一定に近い地下に設置するのであれば、これはまだ耐用年数内だ。たぶん。

わずか数年の間しか使われなかった曲線標は、辿り尽きがたい本隧道の主として、また来訪者の目的物として、これからも長く君臨し続けるに違いない。

私は軽く手を触れて、それから立ち去った。

この発見は危うかったが、結果オーライ。 来て良かった。

そして、ありがとう隧道さん。




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疑惑。 5号隧道(仮称)は、本当に“5号”か?!


15:34 《現在地》

霧に惑わせられはしたが、往復150mの隧道探索に要した時間は、わずか4分。

安寧な地の底から、明るい死地 に、戻ってきた。

後は基本的に林道へ戻るだけだが、その前に、せっかく来たんだ。

落石に見舞われるリスクはあるが、ちょっとだけ、橋台の前の方に行ってみよう。

ガラガラ…




15:35 《現在地》

途絶と戦慄を専らとする橋頭。

ここから見ることが出来る林鉄に関するものと言えば、対岸の崩れかけた橋台と、そこからはだいぶ離れていて、常に薄い砂煙の向こう側にある微かな軌道跡のライン(黄色の矢印)くらいだ。

…となる、はずだった。

しかし、往路でも私を悩ませた“正体不明の出っぱり”が、またしても私の心に突き当たった。

このコンクリートのような質感を持つ、角張った物体。

往路では、日向林道の高所から見下ろすアングルしか得られなかった事から、正確な位置関係を把握出来ず、【第5回】の途中でも書いたが、軌道跡とは無関係なものであると結論付けた。


しかし、こうして正面の位置から見ると、橋台と“それ”とは、ほぼ一直線上に並んでいるという事実が、明らかとなった。

やはりこれは、“あれ”なのかもしれない……。




←あれ。

もし本当にそうならば、明らかにぐぬぬぬぬぬ(地団駄)だ。

なにせ、此岸だけでもこんな苦労したのに、対岸まで同じように下降して確かめろとは、今日は勘弁であって、流石にこれはスルーした。
残念ながら翌月の再訪時にも、時間的な問題からスルーしている。

実際に下降して確かめる事が可能かどうかの検討も、現地ではまだ行っていない。
まあおそらく、林道から対岸の橋台までは、今回と同じように下れるだろうが、隧道があるか否かを確かめるというのは、無理かも知れない。

少なくとも、坑口は埋もれている。
そして、反対の出口の位置も不明だ。
(その先に路盤があるので、左の図に示したあたりに出口がないと不自然だが…跡形も無い気がする…)

そもそも、まだここに隧道があったかは分からないのだ。
しかし、もしも“謎の突起物”が隧道であったならば、それこそが第5号隧道(仮称)なのであって、私がいままで丹精込めて探索したものは、第6号隧道(仮称)に押しやられる事になる。




私が仮で付けた名前などどうでも良いが、隧道の有無は重大。
いずれ3回目の探索を行う際には、何か有意義な報告が出来るように頑張りたい…。

また、机上調査でも答えは出ていない…。

    




15:36 それから私は…


“下降ルート”をそのまま“上昇ルート”に変えて、

ガッシガッシ!

下る時と違って下が見えないので、恐怖は俄然少なかった。



15:40 登り始めて4分後には、林道に無事復帰。

それからすぐに、“源平クズレ”を駆け足で横断して…

(上の写真は核心部より撮影し、例によってピンぼけだ)




15:42 《現在地》

5号隧道の見納めとなる、“源平クズレ”左岸の林道上に到達。
対岸にぽっかり口を空けているのが見えるが、今さらながら、良く辿り着けたものだ。

特に、私が通路としたガレ場の下方の有様は、身の毛もよだつレベル。
私に蹴落とされた瓦礫の中には、火花と共に砕け散ったものも多いだろう。

そして、私の中で最後まで物議を醸した、此岸の隧道および路盤の有無。

“明り”ならば、この眼下を横断しているのだが、何も見えないのが現実だ。
また隧道であるとしても、その両の坑門は、全く存在を感じさせない。

要はこの此岸の100mばかり、完全に路盤が消失している状態だ。

疲労困憊な私が、この景色を前にしてどうこうしようという気になれなかった事を、分かって欲しい…。