廃線レポート  
玉川森林鉄道  その1
2004.3.7



 玉川森林鉄道は、生保内営林署によって昭和10年から敷設が開始された軌道であり、その全長は40.5kmと記録されている。
さらに、多数の支線も存在しており、玉川源流部からの原木輸送を目的とした、県内有数の一大森林軌道網を形成していた。
本路線について特筆すべきは、中盤の鎧畑地区におけるダム開発によって付け替え線が生じている事だ。
県営鎧畑ダムは昭和27年に施工され、33年に竣工を見ているが、この前後の軌道は昭和31年に新線に切り替えられている。
ただし、県内で同様の経緯を持つ森吉森林鉄道におなじく、新線の供用期間はきわめて短期であった。
沿線の道路整備が、差しあたり玉川温泉を目指し奥地へと進むにつれ、軌道は順次トラック輸送に転換され、遂に昭和38年には全線が廃止されている。
すなわち、付け替え線が現役だったのは僅か8年足らずという事になる。
森吉と決定的に異なるのは、付け替え軌道の大部分が予め車道との併用軌道として建設され、軌道廃止後も国道などとして利用されたという点だ。
現在でも、この新線については、その大部分を辿る事が出来るが、旧線や、ダム以外の部分となると、かなり風化が進んでいる。
今回は、起点であった生保内から順に、ダム下流の田沢集落付近まで紹介していこう。
まずは、下の地図をご覧頂きたい。

 軌道は玉川に沿って上流を目指しており、現在の国道の道筋とは異なる部分も多かった。
そして、田沢集落付近で、新旧の軌道の分岐地点がある。




田沢湖町 生保内
2003.11.19 8:00


 玉川森林鉄道を探索するべく、始発で秋田を発ち田沢湖駅に降り立つ。
今回の探索はアプローチというものが無く、ずばり駅裏が、かつて軌道の発着所であった木材工場の敷地である。
軌道は、奥の杉林の方へと延びていたはずである。
写真は、田沢湖駅の通路から撮影。



 自転車を組み立て、早速駅裏へ向かう。
工場の敷地内へは立ち入らなかったが、さすがに軌道はのこされていないようであった。
工場の正面玄関から真っ直ぐ北に延びる1車線の舗装路が、かつての軌道の跡である。
現在は、生活道路になっている。


 1kmほど民家の間を進んでいくと、90度のカーブで右に曲がる。
車道にしてはやや緩やかなカーブである事から、この部分も軌道跡をそっくり車道化したものと思われる。
さらに言えば、カーブ内側の古いコンクリート擁壁は、もしかしたら軌道由来?



 直角コーナーのすぐ先で旧国道を横断する。
その先は、すぐ砂利の駐車場などになっており、軌道の痕跡や、転用されたと思われる道はない。
一旦軌道跡から離れ、旧国道を北上すると、500mほどで旧国道は小さな川を渡る。
このコンクリートで固められた小川を少し上流へ進むと、対岸の斜面に軌道の切り口を発見した。
しかし、その両岸共に、橋台などの構造物は残っていない。

この先軌道跡は、旧国道に沿って、一段高い林内に続いている。




 旧国道から見上げる軌道跡の平坦部。
杉の植林地に、旧国道とは付かず離れず続いている。
敢えて平坦な地上部を通らなかったのは、民家を避けての事だろうか。
本路線は、昭和10年から工事が開始されており、当時既に一帯には現在とそう変わらない人口があった。



 軌道跡に登ってみてびっくり。
なんと、レールさえ敷けば今すぐ列車を走らせられそうな様子ではないか。
車道として利用されている様子でもないのだが、なんか不自然だ。

よく見ると、最近盛り土された雰囲気がある。
実はこれ、水路の埋設工事によるものだ。
軌道跡が近年、水路の埋設スペースとして利用されている。
この様な利用は、正確には分からないが、先達地区付近までなされている模様。
軌道跡がはっきりするのは良いが、一度掘り返されているだけに、当時の痕跡を求める事は難しい。



 旧国道沿いは民家や会社が点在しているが、その背後には軌道跡が、森と町を分かつ境界線のように続いている。
この辺りは、車道から確認するだけに留めた。



 生保内の起点から2〜3kmほどの軌道跡の景色。

立派な杉林を一直線に割るように、真っ直ぐ軌道跡は残る。
地中に水路が埋設されている為なのか、或いは旧国道が傍を走っているためか、車道に転用される事もなく、殆どの軌道跡が今も当時の雰囲気を伝えている。

これなど、なんとも林鉄らしい景色だと思わないだろうか。


造道
8:33

 相変わらず民家が続く旧国道沿い。
桧木内川という玉川の小支流を渡る部分には、水道管が敷設された古そうなコンクリート橋が架けられている。
奥に見える切り通しは軌道跡のものであり、このコンクリート橋は軌道用の橋を改築したものなのかもしれない。



 造道の交差点で旧国道と現国道が合流する。
そして、すぐにまた分かれる。
今度は、旧国道が川側となる。
軌道跡もまた、この付近で2度、現国道を横断している。
これは、地形的な要因によるものと思われる。
現国道は、張り出した山肌を切り開きミニバイパスとなっているが、軌道は素直に等高線に沿っていた。

ここで一旦、軌道跡が車道に利用されている。
正面の道がそれだ。
私も軌道跡を追って、現国道を横断する。



 真新しい舗装路は200mほどで行き止まる。
そこには、墓地があった。
軌道跡はさらに、枯れ葉の積もる細道となって、墓場の左を崖沿いに続いている。

侵入だ。



 墓場の隅に軌道跡の小道が続く。
この辺りには、水道管は埋設されていないのかもしれない。
長い間放置された、よく見る軌道跡らしい景色になってきた。

チャリごと進むには非常に辛い展開だが、そうは長く続かないはずだ。


 すぐ足下には旧国道と、住宅地。

軌道が如何に、住宅地のすぐ近くを通っていたかがよく分かる景色だ。


 案の定、生のままの軌道跡は100mも続かず、現国道にぶつかり消えた。
一直線に山を割って走る国道の反対側に、軌道跡の細道は続いている。
この先は再び、軌道跡は道の東、山側に続く。

この下りの先に見える青看は、県道との十字路である。


小先達こせんだち
8:33

 この十字路で国道は二つの県道と分かれる。
左は、主要地方道38号線で、田沢湖畔へ。
右は、一般県道127号線で、田沢湖高原や乳頭温泉郷へ続いている。
ここは、秋田県下有数の観光銀座である。
本国道も、日本一の湧泉量を誇る玉川温泉を目指す。
そして、軌道もまた、玉川温泉を目指していた。
実際、軌道は多くの湯治客達も運んだらしい。

ちなみに、大正11年に公布され「改正・鉄道施設法」には、建設すべき予定線として『秋田県生保内ヨリ鳩ノ湯付近ニ至ル鉄道 』という記述がある。
鳩ノ湯というのは、玉川温泉よりやや下流にある温泉で、現在でも営業している。
予定された鉄道は建設されなかったが、当時から玉川温泉が如何に著名な温泉地であったかが分かる。



 この辺りの軌道跡の様子。

放置されたままになっているが、レールなどは見あたらない。



 さらに少し進むと、国道脇の民家の裏手に、一本のコンクリート橋が残されていた。
これは、間違いなく軌道の痕跡である。
近づいてみる。



 長さ2mほどのごく小さな橋だが、橋台や手前の石垣などが、ほぼ完全な形で残っている。
民家の敷地内であったことが、幸いしているのかもしれない。
石垣に至っては、今でも適宜補修されているようにも見えた。

さらに接近。


 橋台に立って、終点方向を見る。
民家の敷地外は、藪と化してしまっている。
橋台に渡された2本の桁間の狭さが、林鉄らしい。


 同じ場所から、民家側(起点側)を振り返る。

草も刈られ、管理されている。




こんなに民家に近い場所に、未だ完全な形で橋が残されていたのは、思わぬ収穫であった。

このあと、いよいよ軌道は山間に入っていく。
次回を、おたのしみに。




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