平成10年11月18日、この日に行われた記者会見の席上で、増田寛也前岩手県知事は、それまで県が進めてきた一般県道雫石東八幡平線の建設続行断念を発表した。
この道路の開通こそが、岩手山により分断されてきた八幡平の観光シーンをひとつに繋げ、さらなる地域発展の起爆剤になると信じていた雫石町および松尾村を中心とした関係町村の衝撃は大きかったが、知事は席上で建設断念の理由として、次のような事を述べたという。
県内でも有数の規模のトンネルとなり、莫大な費用を要することから、現在のような厳しい経済情勢下では県民の御理解をいただくことが難しいと考えたところでございます。また、観光を主体とした地域振興上の波及効果が必ずしも明確にならないことや、さらに自然と共生する新しいライフスタイルや21世紀を展望した新たな価値観に対応するためにも、このような選択をしたところでございます。 岩手県議会議事録より抜粋
そしてその代替策として、環境庁と県が合同で行う「緑のダイヤモンド計画」により、雫石町および松尾村地域にそれぞれ観光学習機能を持たせたビジターセンター「森の駅」を設置し、さらに周辺に多くの自然観察歩道を設けるような計画が発表されたが、平成23年現在において「森の駅」が完成したという話しは聞かない。
県道雫石東八幡平線とは、いかなる道路であったのか。
まずは全体像と位置関係を確かめてもらおう。→
右図中に赤線で示したものが県道212号雫石東八幡平線である。
起点は雫石町の中心部にほど近い地点で、終点は八幡平市の東八幡平とも呼ばれている八幡平温泉郷近くで、旧松尾村の中心地の柏台である。
その全長は37kmに及ぶが、中でも網張温泉から松川温泉へ至る区間は岩手山と奥羽山脈を結ぶ稜線を越す、海抜1200mオーバーの高山地帯となっている。
そしてそこは十和田八幡平国立公園の第一種地域に指定されていて、いわゆる尾瀬などと同じ“聖域”であった。
自然保護という点から、この路線の建設に対する反対論・不要論が出るのは当然のなりゆきであったが、そうした論調に容易に封殺されなかった点からも、この道がある程度以上の妥当性を持っていたことが頷ける。
地図を見れば明らかな通り、岩手山の南面に位置する小岩井農場などの高原観光地と、全国屈指の山岳観光地である八幡平を結ぶルートは従来、岩手山の東裾野を大きく迂回するものしかなく、地理的には隣接していながらも連携することが困難だった。
県は昭和30年代から解決策を検討しており、雫石〜網張〜松川〜八幡平頂上というルートの建設を決定。紆余曲折はあったが、環境庁の了解も得ていた。
県道318号八幡平公園線(八幡平樹海ライン)は、この計画の一部として建設・開通したものだったのだ。
それでは次に、この路線の歩んできた歴史を説明したいと思うが、その前にひとつ。
この道を語るときには、必ずといって良いほどついて回る“枕”があった。
それは、「通称:奥産道」というものだ。
当サイトの読者ならば、「またか」と思ったかも知れない。
そう、その「またか」である。未成に終わってしまった「奥産道」の話しをまたしようと思うのだ。しかも、同じ岩手県で、同じ時期に中止された。
この道が具体的な計画として現れたのは、昭和39年のことである。
この年に制定された奥地等産業開発道路整備臨時措置法は、交通不便のために低開発低利用に留まっている地域に対して、一定の国庫補助を与えて道路(奥地等産業開発道路=奥産道)の開設を行う手段を提供した。
当時はマイカーによる観光ブームが山地の奥深くまで浸透しはじめ、同時に自然保護の問題が各地で叫ばれはじめた時期でもあったが、十和田八幡平国立公園の南北を結ぶ網張〜松川間16.2kmの新道は、当時全国の国立公園を管轄していた厚生省の公園車道の認可を得た奥地等産業開発道路として岩手県が整備を決定し、昭和40年に着工された。
しかし、当初から順調に事は運ばなかった。
国立公園の第一種地域を通過する峠越えの計画は無謀であるとした反対運動が県内外の環境保護団体を中心に展開され、昭和46年に環境省が県に対し、第一種地域通過の方法やルートについて事前に協議を行うべきとの指導を行ったことから、県は工事の一時凍結を決定した。
そして昭和51年の県道認定(当初の路線名は雫石停車場東八幡平線であった)を経て、59年には第一種地域をトンネルで通過する新ルートが環境省の了解を得たことで、工事は13年ぶりに再開された。
そして平成6年には、環境との共生を謳った「エコロード」として整備されることも決定していた。
だが、道路の開通をいまかと待ち望む人々にとって悪夢にも似も事件は、その翌年の平成7年11月に発生し、翌年の8月に発覚した。
エコロードの大前提である環境影響調査を請け負っていた業者による、資材運搬用道路開鑿に伴う原生林の大規模な無許可伐採は、自然公園法並びに森林法違反の疑いで県及び工事担当者が書類送検されるという、前代未聞の事態を生んだ。
この事件を受けた増田知事は、直ちに工事の無期限凍結と、破壊された植生の調査と復旧を決定したのである。
こうして二度目の工事中断となった時点で、全長16.2kmに対する完成分は13.1km(完成率81%)、事業費ベースでは62%の46億円が既に投じられていた。そして未着工の3.1kmのうち、約1kmがトンネルの予定となっていた。
このニュースは盛んに報道もされ、県民の関心は高かったが、平成9年に行われた岩手日報社の世論調査では、50.4%の県民が工事中止に賛成しており、世論も真っ二つに割れていた。
そして県議会でもこの問題は、当時同じように工事の続行か否かで揺らいでいた沢内村(現:西和賀町)の奥産道安ヶ沢線と共に、「奥産道問題」として盛んに議論された。
さて、運命の時が近付いてきた。その序曲は平成9年8月に奏でられる。
県の道路検討委員会が工事継続の可否について種々検討を行った結果として、環境への影響を考慮すれば従来のルートでも不完全であり、未着工区間の大半をトンネル化する以外にはないという答申を行ったのである。
すなわち、直線でも全長2kmを越えるトンネルの建設が想定されるわけだが、工事費は当初の35億円に対し倍近い67億円と見積もられ、さらに両坑口の標高が150m近くも違うという安全上もかなり問題のあるものとなってしまった。
そしてこれが決め手となり、平成10年11月18日の増田知事会見による計画中止の発表となるのであった。
なお、同知事はこの年に「環境創造元年」を宣言しており、岩手県の従来の基調であった開発指向に対して、財政的な面からも歯止めを掛ける必要に迫られていたと考えられる。
(なお、並行して議論されていた安ヶ沢線は、平成12年から工事が中断され、17年に中止が決定された)
僅か3kmばかりを残して隔絶された、全長13kmを越える未成道。
その活用方法についての議論も真剣に行われ、平成14年までに現道を最大限活用する方針が決定した。(なお、これまでに使われた国庫補助金の23億円についても、現道を活用することで返還が回避された)
そして平成19年6月29日、県道雫石東八幡平線は着工以来43年ぶりにして全通し、全線の供用が開始された。
もっとも、不通区間を登山道で結ぶという、新たな「登山道県道」の誕生という形ではあったが……。
さて、肉厚で生々しい“現代的道路史”に痺れていただけただろうか。
続いては、未成区間中のうち今回紹介する網張工区(雫石側)の地形図を見ていただこう。
奥産道の起点は、標高750mの高所に位置する網張温泉。
8世紀に発見された長い歴史を持つ温泉場で、藩政期には岩手山信仰の霊場となって入湯は禁止され、周囲に網を張られたといわれている。
岩手山有数の登山基地であったが、昭和38年には国民休暇村に指定され、後に網張温泉スキー場も整備されている。
奥産道はそこからほぼ一定の勾配で登りつつ山腹伝いに西進し、小松倉山の尾根を回り込んでから、4km地点(標高950m)で大松倉の渓谷を跨ぐ。
5km地点より登りは急激となり、同時に九十九折りが始まる。
その途中から破線の道が分かれているが、これが平成19年に接続された“登山道県道”の部分である。
地形図上の終点は8km地点。
そしてこの数字は、記録されている網張側の既設長と一致している。
標高は1250mに達しており、峠の三ツ石湿原との標高差は僅か30mに過ぎない。距離も直線で700mと近接している。
はっきり言って、そこに技術的な問題はない。
その気になれば、道はあっという間に峠を極めて、湿原を横断し得たに違いない。
だが、こんな地形の脆弱に対して暴力的な道路造りを是とはしないのが、自然保護という、今日的な「常識」なのだろう。
土木の自重である。
東北広しと言えども、これほどの高標高に達しながらも未成に終わった道は、他にはないだろう。
…さあ、想像してみて欲しい!
東北の屋根のただ中、国立公園の核心には、どんな“道路の極まれる風景”が待ち受けているのだろう?!
それでは最後に、旅立ちの風景を。
雫石町の国道46号(秋田街道)からは、晴れていれば漏れなくこんな車窓が得られる。
この姿を晒していて、地域の顔にならないはずはない。
岩手県の最高峰である岩手山には、岩鷲(がんじゅ)山、岩手富士、南部富士、南部片富士、巌手山、磐手山、岩堤山、霧山岳、薬師岳、薬師ヶ天井などの呼び名がある。
標高2038mの複成火山で、最近では大正8年に小噴火が記録され、そして奥産道の工事中止が決定された平成10年から15年にかけても火山性地震が頻発したので、人の無計画に対する山の怒りと評する人もいた。
そして、あの壁のような山並みの裏が八幡平だが、目指す三ツ石湿原がどこにあるかというと、左の隅っこ…。
鞍部と言っても、十分高い!
そして、遠い!!
脚が鳴るぜ!
(三ツ石湿原は、岩手山と奥羽山脈を結ぶ約15kmの稜線(雫石町八幡平市境)中の最低地点である)

