磯根崎海岸道路(仮) 第2回

公開日 2010. 4.14
探索日 2010. 2. 4

ループ橋の先には、何がある?



2010/2/4 7:08 《現在地》

躍動感が無く、しかも埃を被っていて…、まるで石臼のようなループ橋を抜けると、

即座に行く手を竹叢が遮った。

まだまだ私の中の「ゴール」は4km以上も先だ。


これは、前途多難なのか?





と思いきや、直進する藪道の左側に、U字に迂回し即座に本線へと戻る通路があった。

なんていう親切! ありがたや。

という予想外の展開で、廃道化は免れた。

そこをこうして振り返ってみると、幅2車線分の当初の路盤が土砂崩れでほとんど埋もれた所に、迂回路が出来ていたのである。
これはおそらく、非公道であろう。




再び、歪みのない道が始まった。

ループとの時とそっくりの、幅2車線完備の登り坂。
それなのに、新しそうな轍は皆無で、路上の凹凸は水の流れた跡のように思われる。

そして何より不思議なのは、この状態でも、誰かが刈り払いをしているのだろうと思われることだ。
しかも、道幅全部だ。

…不思議である。



右の高台の上に鳥居が現れた…。

覚えておいでだろうか。
この道の入口の所にも、これとそっくりな鳥居があった事を。

この鳥居の扁額も、「浅間神社」であった。
鳥居の「飾り付け」も全く同じである。
おそらく、里宮と奥宮の関係と思われる。

それにしても、いったい誰を祀り、誰が参詣に来ているのだろうか。
刈り払いの状況を見る限り、この謎のループ橋を歩いて参詣しに来る人はきっといるはずだが、今ひとつ血の通っている感じがしないのは、寒々とした時候のせいであろうか。
そして、曲がりなりにも「刈払われていた事情」が判明した今。
この先の道路状況が、心配だった。



なお、読者さまからこの道路、ないし神社について、次のような「地元情報」が寄せられているので紹介したい。

地元の釣り師のオジサンの話しですと、神社だか道路だかの工事の際に、白蛇が沢山出た事があり、この山は神様の山だとの事でした。
また、沖に見える大島とは、姉妹関係にあるのだとか。
若干オジサンも情報も怪しいですが、面白い話しなので記憶に残っております。
匿名読者さま提供情報




7:13 《現在地》


あやしくなってきた…


奇妙にねじれた木々の一本一本が、みな何か意志を持っているように見える。

両隣の黒い照葉樹も、ぶ厚い葉陰に何かを隠していそうだ。


道と私は、房総の森の中で、たちまち肩身が狭くなった。





7:15 

やっぱり、こうなる…。


つうかこれ、道… 無いよ。

辛うじて人一人が通れる土道が、左の方にまだ続いてはいるが、それは明らかに車道の勾配では…。




全国8000万の車道ファンの皆様には、ここで残念なお知らせをしなければなりません。


まだ、始まってから1kmも来てませんが…


ご臨終です……。

車道は、どうやらここまでだったようです…。

ループ橋を勢いよく作り、ぐんぐんと登って神社の下を抜け、どどーんと堀割をぶち抜いたところで…

工事…断念………   …ウッ…ウッ…



つまらなくなりましたな…。

ぶっちゃけ…歩道になっちゃうと、ショボンとします。

まあ、確かに車道工事が途中までされていた=未成道を確認できたという意味では「成果大」だったわけであるが、終点の佐貫地区まで残り4km以上も…山道ですか…。

と、落ち込んでいても始まらない。
幸いにして、この道には途中にも何箇所か脇道がある。
そういった場所からも、車道工事が進められた可能性はあると思うしね。




車道は潰えてしまったが、道自体は地形図の表記に忠実な感じで続いていた。

車道消失地点から、まずは左の尾根に登る。
約30mほどの距離だが、自転車を押して登らねばならない勾配で、一気だ。
その登りきったところが、上の写真である。

そして、この上る途中の道ばたに、右のコンクリート製標柱が立っていた。

四面のうち一面のみに文字が陰刻されているが、その文字が読み取れなかった。
おそらく2文字で、1文字目は「大」である。だが、2文字目が文字なのか記号なのか…。
一応候補としては、この地の旧行政区名 「大貫」ないし「大佐(和)」 が考えられる。
(大貫町(〜昭和30年)→大佐和町(〜昭和46年)→富津市という経緯である)

これがこの道路に係わる境界標ならば、また道沿いにポツポツ現れるだろうと思い、斜面の苦しいところで見つけた一本目を解読せぬまま素通したことを、いまは少し後悔している。
このデザインは、道路境界標そのものである。



“MOWSON”開店ですかな?

これは、なつかしいアイテム。
母の化粧台の椅子は、座るところがパカッと開くようになっていて、その中には銀色の袋が納められていた。
そして、紐で開閉できる袋の中には、大きめの懐中電灯やローソク、水の缶なんかと一緒に、これが必ず入っていた。
数年に一度消費期限が来ると、或いは来なくて…もたまに我慢できなくなって…、こっそりと食べた悪ニャンコの想い出がある。

…嬉し恥ずかし、カンパンだ。

ちなみに、「1985年製造」と刻印されており、野外にあった割に缶の保存状態は良さそうに見える。
誰かがオヤツに持ってきて、捨てていったのだろう。




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急坂で登ったあとは、即座に平坦な道に戻った。
しかし、もはやあの2車線道路の面影はない。
勾配的には車も通れそうだが、道幅は0.5車線である。

なお、この約5kmの道のりを、細か目にアップダウンで分解すると、
「 海→山(現在地)→谷→山→谷→山(最高所)→海 」
という風になっている。

つまり、小刻みなアップダウンが多いのであるが、中でもこの最初のアップダウンは磯根崎の基部を越えるものであり、天然の鞍部を越えている。
それだけに、車道が開鑿される前から道があっただろう事は、容易に理解できる。
いま辿っている小径が、それだろう。




海抜82.8mに三角点の磯根崎の「山頂」(地形図には名前がないが「磯根浅間山」というらしい)から、東へ50mほど下った位置が峠(海抜60m)であり、越えるとすぐ「小久保」の谷へ下り始める。

この峠を含む「高所平坦路」はわずかで、すぐに下りが見えてきた。
この下り初めの部分もいかにも古びた堀割道の姿をしており、道幅は明瞭に車道未満である。

登ってくるときには目新しいループ橋があったりして、さほど登った印象を受けなかったのだが、こうやって生粋の山道になると、結構な高低差である。
そして中程まで下ったところで、前方が豁然と開いた。





なんか、小笠原あたりの無人島だと言われても、そのまま信じてしまいそうな眺めであった。

この正面の小高い山が「大坪山」といって、これもなぜか最新の地形図からは名前が消えているが、
昔から東京湾(江戸湾)を見晴らす天然の展望台として、それなりに知られていたのである。

今私が辿っているルートからそう遠くないところを、あの「ループ橋」に連なる道も通る予定だったと想像できる。
間もなく一旦「谷」に下りるが、車道工事跡とは再会できるのだろうか。



7:26 《現在地》

なんだか、予想以上に辺鄙な場所に出た。

ポツンと小さな溜め池があり、その一段下に広場がある。
その両側は緑深い山裾で、今私はその一方から下ってきたことになる。

広場からは、3本の道が出ていた。

一本はこの道。
もう一本は国道465号と広場を結ぶ道。
残る最後の一本が、私の進路である。






スタート(大貫漁港)から、ちょうど1km。

海抜、30m。

最初の谷だ。

道は右から来て、広場の砂利を掠めて、そのまま左へ進む。

真っ正面に進む道も地形図には描かれているが、全く見あたらない。
完全に藪に埋もれてしまったようである。
なお、海岸線まではこの方角に300mほどである。




「第二区間」とでも言うべきエリアに入る。

お手製の車止めが邪魔をしているが、四輪車以外は容易く入ることが出来る「車道」である。
もっともあの2車線道路の復活にはほど遠い状態だが。




地形図だと、このすぐ左側に溜め池が二つあるようになっているが、照葉樹の森が覆い被さるようであり、冬でもよく見えない。
この道は先ほどまでとはうって変わった緩やかな登り坂であり、土には確かな轍が刻まれている。
車止めを外してまで入り込む人がいるのだろうか。




広場から300mほどで森が晴れ、ススキの原野に出た。
道はここから再び登り坂となり、いよいよ大坪山の山脚へ取り付く。
登りが始まると途端に急坂なのは先ほどと同じで、轍も中央に絞られてシングルトラックになってしまった。

一応道幅はまだ車1台分あるのだが、流れ水で中央が深くなっており、典型的なシングルトラックだ。

そして、この道が次に目にする風景は…




7:37 《現在地》

1.4km地点、海抜60m付近。

パッと出た。

海が、すごく唐突に現れた。

直前が全く視界の効かない竹藪の堀割道で、しかも視線を落としがちになる急坂だっただけに、この景色の変化は爽快である。

その加点を含めても、この無名の場所からの眺めは本当に素晴らしかった。







あれ? ここ「山行が」だよね?


そーですよ。 


東京湾(浦賀水道)を挟んで、対岸の三浦半島(横須賀市)から相模一帯を望見。

これは、観光道路欲しかったかもねぇ…。

富嶽に沈む夕陽をバックに告白すれば、これはもう、ウッドボールじゃね?

オレがオンナなら、絶対最寄りの藪に逃げ込むね。





「山行が」だよね?


うるさいな。


オレだってたまには楽していい景色をみたって、いいだろー。



しかし、真面目な話、こうやって見ると房総は、本当に「山国」なんだな。