釜生林道 最終回

公開日 2009.1.4
探索日 2008.4.3

同日中リベンジ


2008/4/3 16:41 

南側からのアプローチでは、はじめこそ会心の隧道発見に歓喜したものの、最終的には打つ手打つ手が裏目となって敗残の兵となった私。
結果はどうあれ積極的行動に終始していた私以上に、読まされている皆様の方がイライラしたことだろう。
隧道はまだかと。

あれから4時間余り。
私は“大きい方の愛車”と共に、黄昏迫る「北口」にあった。
“小さい方”を降ろし、いざ再戦!!

なぜ4時間なのかといえば、フツーに別の場所行ってました(笑)。



ここまでのアプローチは、釜生林道(仮)と同じく国道465号から入る「坂畑林道」。
こちらは完全舗装の林道である(上の写真の下に写っている舗装路がそれ)。

この入り口には標柱が立っている(左写真)。
林道名が判明するかと期待したが、残念ながら林道と言うよりも、この周辺一帯の森の所有権を示したものだった。
林班という、林業上の区域を示したものだ。




北側からのアタック。
もし地形図通りに道があるなら、ここから800mで“4号”隧道が現れ、さらに100mほどで“3号”が現れるはずだ。
しかし、3本目隧道の南口は現存しないはず。
もし現存するとなれば、私は己の探索眼を自照しなければならなくなるだろう。

二日間の房総探索。図らずもそのトリを飾ることになった釜生林道だ。
これで成果が得られなければ、この2日も何か残念なものに括られてしまいそう。

…心して、隧道捜すぜ!!




うむ。

思わず頷くイイ感じ。

イイ感じだぞ。
地図通り尾根上に始まった道は、南口序盤の良好ないぶし銀の雰囲気を復活させていた。




300mほど入ったところで尾根上の道がきわめて狭くなり、轍はシングルトラックに変わった。
もともとの路盤が左右から崩壊し、1m足らずに狭まっているのだった。




ここまでの状況は良い。

轍が一本になり車道としての廃道が鮮明化したここで言うのも変かも知れないが、オブローダーとして期待する景色が現れたのだから、むしろ当然のことだ。

しかし今にも稜線に沈もうという仄日が、本来爽快であるはずの私の期待を寒からしめるのだ。
どんな優れた廃の風景も、夜闇の中ではただ気持ちが悪いだけのスポットになってしまう。
廃道は嬉しいが、今回だけは、ほどほどにして欲しい…。



道をキープできないほどに痩せてきた尾根を捨て、左の肩に下った道は、再び本来の道幅。意外に広々としたその道幅を、復活させた。

だが、たとえ狭くても道が尾根上を好むのも頷ける。
尾根を離れれば離れるほど、尾根から谷へ枝状に伸ばされる支脈との格闘に、進行の労力を割かねばならなくなる。
現にこの道も尾根を離れた途端、決して浅くはない掘り割りが連続して現れ始めたのだ。

それは、十分に隧道を予感させるものだった。
この程度の掘り割りでも隧道を予感できるほど、房総は「掘り割り→隧道」の閾が低いのだ。




右山左谷を定位置と定め、山腹を削り取った道が微妙な下り勾配で続いている。

廃道だが路盤は良く締まっており、倒木も少ない。
チャリに跨ったまま、快調に距離を稼ぐ。
これは、容易に得難い微妙な廃度である。




先ほどよりもさらに大きな掘り割りが現れた。
シチュエーションは前と同じで、稜線の枝を抜く右カーブの掘り割りである。

おそらく入り口から500mは来ている。

このまま手つかずの廃道が続けば、間違いなく隧道は我が手に…!

リアルな遭遇の予感に、一時冷めた熱が戻ってきた!




廃道も、そう簡単には進ませまいと身をよじらせる。

しかし、二日間とはいえ房総の荒波(内陸で…)に真っ向から立ち向かった私にとって、この程度ものの数ではない。

勢いに任せチャリに乗ったまま突っ込もうとして、直前であわてて考え直す。

丁寧に行きましょう。丁寧にね。(笑)





キターか。

これは、キターなのか。




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決着の隧道


16:51

キター。

いかにも房総らしい、凝灰岩一刀彫といった風情の小隧道が現れた。

当初の命名法に従えば、4号隧道だ。

地形図だとせめて50mくらいはありそうだったが、実際は15mがいいところだ。
本来ならば地形図から漏れてもおかしくないようなサイズだが、代々の地図に受け継がれてきたものだけに、そう言う意味でも堅牢である。




土と血にまみれた岩盤との格闘こそが隧道堀りであるはずだが、この隧道にはそんな暴力の痕が感じられない。

房総の土を知り尽くした、熟練の彫り師(土工)の逸品を感じさせるものがある。
半円にきわめて近く造形された断面はつややかで、素堀のくせにどこか優雅だ。

廃隧道だがそれに起因する荒れの感じられない洞内を、恵比寿顔で通過する。




より端正な顔立ちをした南口。

でも、もともと素堀隧道が好きな人には、あんまり好みじゃないかも。
イケメン過ぎるとか言いそう。私も実はその口だが。




彼に別れを告げて(どうせまたすぐ戻ってくるさ)、因縁の3号隧道を求め前進を再開する。

地形図通りなら、すぐに現れるはず…。

現にもう、キそうな感じだ…。




16:53

キたぁ!

チクショウ!

こっちから探索すれば良かったんだな。最初から。

拍子抜けするほど、簡単にそれは現れた。




見えたと思ったが、近づいたらまた見えなくなった。

幻?

いやいや。ある。ある。
これを右に曲がればある。
ラストカーブ。


それにしても… なんか……




変な視線を感じない?















  到 着。



やはり、これが南口をどうしても見付けられなかった3号隧道(の北口)らしい。

せいぜいあっても100mくらいのはずなのに、光がない。



今度は文句ない…。

紛れない廃隧道。

光の有無の違いだけではないはずだが、同じ道の連続する隧道でも、こんなに印象は変わるものか。
この道で見た隧道はこれで3本。
1号,4号,そして3号だ。
このうち、南国風に明るい1号と、楚々とした4号の印象に較べ、3号はじめじめとしていて暗く、ここにいるだけで覆い被さってくるような圧迫を感じる。


どうにも居心地が悪いよ。




ヨッキ。

今さら何を怖じ気づく。

こんな廃隧道、いっぱい潜ってきたじゃない?


分かっている。
もちろん潜らないなんて気はさらさら無い。
最終的には潜り、潜り、潜り尽くす。

でも、この坑口前での逡巡は、大切にしたい心の時間である。
味わっている…と思って貰いたい。




それよりも、どうしても気になる事がある。



ここに来たときから感じている視線が、ずっと止まないよ。

ちょっと 左 見ていい?







おまえか。


アニメ顔のような大きな目が2つ、そして米粒のようなおちょぼ口。

どちらかと言えば美少女の特徴を持した顔面であるが、大きな眼窩に瞳の無いことが、生理的に気持ち悪いものを現出せしめている。
オカルトの類に信心の一切無い私だが、受容体も棄ててしまったわけではなく、むしろ積極的に想像する質である。
想像した上で、(気持ちの中では)乗り越えて、突き進むのである。

この顔に意味など無いことは分かる。
誰かが顔と思って彫ったのでもないだろう。

全て分かっていてもなお、この顔(に見える模様)には近づきがたいオーラがあった。
左目に突き刺さった棒(なぜこんな場所にある?)を取ってくれと、お願いされても私は嫌だ。





さあ。

廃隧道だ。

チャリごと入るぞ。

坑口前も居心地最悪だったが、中も悪そうだ。

暗くなる前に決着つけて帰ろ。




この真っ黒画像は演出のためじゃなく、本当に真っ暗だということ。

20mも入ってないのにこの暗さは、明かり口としての北口がこの時間いかに無能であるかを示している。

なによりも、閉塞の事実を示しているのだが。




16:56

なんら勿体つけることもなく、現れるべくして現れた閉塞。

坑口付近がやや荒れていたことを除けば、基本的に安定していた洞内に、唐突過ぎる土砂の山。
無傷な天井の様子を見ても、これが外からもたらされた“埋め”であることが分かる。




天井の円弧の全面が閉塞土砂の面に接している事(=完全閉塞)を確認すべく、隙間に半身を潜らせて進む。

風も感じられず、閉塞は確認された。

と思いきや、最終点検とばかり灯りを消すと、ごくごく小さい点ではあるが反対側の光の漏れているのを発見した!

目測、残された開口部は直径5cm程度の隙間だ。

3mほど奥にこの光の漏れる点はあり、すなわちそこが未発見の南口と判断できるわけだが、

この光は今も未解決だったりする…。




隧道に近づこうとすると必ず見えてしまう“あの顔”さえ無ければ、ここも平凡と言っていい隧道だったようだ。

これも地形図に描かれているより短かったように思う。
実延長は40mくらいであろうか。
今回見付けた3本の中では最長であるが。


出る際、隧道が塞がれた時期についてヒントを得た。

壁に「YONO 99.6.」のような、「記念カキコ」らしき落書きを2つも見付けたのだ。
そして、その年号がいずれも99年。
99年には既に行き止まりの隧道となっていたことが伺えるではないか。





最後に確認しなければ…


16:58

一応決着は付いたと思ったが、最後にあれを確認しないと寝覚めが悪かろう。

あれとは尾根の向こう側…、南口である。


しかし、これが意外に容易ならざる斜面だった。

直登はとても目がない。
隧道直前は、そこに隧道があると言うことを考えても当然傾斜は急なわけで、坑口から少し戻ってみることにした。




うん。このくらいなら何とかよじ登れそうだ。

ぎりぎり隧道が見えるくらい位置まで戻って、そこから尾根を目指すことにした。
ここからだと尾根はかなり高いが、勾配は45°くらいである。



日が落ちて急に温度が下がってきたのが分かる。
そして尾根に近づくと密な雑木に視界が塞がれ、遭難の恐怖が一瞬脳裏をよぎったが、完全に尾根に上ると踏み跡があって安堵した。

脳内のコンパスに従って、隧道が掘られているこの枝尾根を東へ向かう。
本来ならば、尾根に対して北口の線対称位置へと下らねば南口発見に至らない難しい場面だが、今回は、たぶんそういう苦労はないはず。




17:05

隧道直上も素通りしてさらに東へ尾根を辿ると、見覚えのある砂地の道がすぐ下に現れた。

たった半日前のこととはいえ、全く分断された道の連続性の確認は、決着に相応しい感傷をもたらした。
それが、前は最低の印象だった荒尾根の上でなされたというのがまた面白いし、与しがたい急斜面と思って敬遠した北側からこうしてひょっこり出てきたのも、妙におかしかった。




合流地点より、私が下りてきた小道を振り返る。

こうして見ると、一回目にここに来たときにも、答えにつながる糸は確かに垂らされていたのだ。
あろう事か私は、これよりさらに疑わしい南へ下りる踏み跡に腐心してしまい、結果撤退する羽目になったのだが。
まだまだ修行が足りませんでした。





前に絶句した急坂を、今度は逆から辿る。

やはり、改めて見ても南口は分からない。
しかし、北口から直線を想定すると、だいたい…

図に示した辺りがそれと言うことになる。


勾配の極端な変化がヒントと言えばヒントで、今さらながら前も怪しいとは思った。
ただ、本当に何も残ってないが…。




この景色の中に間違いなく南口はあるのだが、未発見だ。

埋め戻した跡と言うことであれば、一枚岩のような法面部分ではないはずで、道より下という可能性も無いではない。
つまり、急坂の下に埋もれていると言うことだが…。

或いは北口で煙幕でも焚けば、あの小さな隙間から煙が溢れてきて分かるかも知れない。

しかしまあ、今となってはこれ以上突き詰めたいほど興味は湧かない。
内部も分かったしな…。


よしとしよう!

決着&撤収!






今回レポートをした中で、道の素性についてはさほど多くの情報を得られなかった。
釜生林道という名前も勝手に付けたものだし、廃止の時期についても、隧道内の落書きからおそらく1999年以前であろうと推定される程度だ。
廃止の理由については、採砂場ないしゴルフ場への転用が行われたためと考えている。

しかし、改めて昭和43年発行の5万分の1地形図「大多喜」を見ていたら、興味深いことが分かった。
右の地図を見て欲しいが、今回紹介した道(釜生林道)が養老林道の延長(一部?)として描かれているのだ。

養老林道は、坂畑林道や大福山林道と接続して養老山地を縦貫する基幹林道であるが、坂畑林道も大福山林道も無かった(と思われる)昭和43年当時は、今回紹介した区間がそのまま養老林道の南端部分であったように見えるのだ。

養老林道の竣工年や総延長などの情報が分からないので、以上は全く想像であるが、地図上からはそうと言う風にしか見えない。

なお昭和27年の地形図にもこのルートは描かれている。
周りの林道が舗装されて生き残っている中で、一本だけ早々と廃止されてしまった現状からは想像しがたいが、釜生林道は幹線の一部だったようだ。
そう考えると、道が結構広かったのも頷ける気がするのである。