新潟県道526号 蒲池西山線 第4回

公開日 2013.7.02
探索日 2012.6.01
所在地 新潟県糸魚川市


左の地形図は、西山地区を描いた最新版のものである。

ぽつんと「西山」という注記はあるものの、そこには一切家屋や田畑が描かれておらず、ただ荒れ地の記号が点在しているばかりである。

この様子では、いよいよ次に地形図が改訂される際には、「西山」という表記が消えていても不思議ではない状態だと思うが、このような表記のお陰で私は出発前から西山が廃村である事を知ったのである。
前回までに紹介した中上保集落も廃村寸前であったが、そこにはまだ多数の家屋が描かれていた。
しかし西山にはそれさえもないのだから、相当昔に廃村になっていたのではないかと想像した。

それでは、西山にはいつ頃まで人が住んでいたのだろうか。



手元の新旧地形図を数枚見較べてみたところ、少なくとも昭和50年当時には6軒の家屋があった(うち1軒は神社)。
そして集落の周囲には、山腹を切り開いたような水田が多数存在していたようだ。
また、この頃から道路の線形は現在と変っていない事も分かった。既に車道化していたのだろうが、県道であったかまでは分からない。

そしてさらに時代を遡って昭和5年版を見て見ると、西山には15,6軒もの家屋が軒を寄せ合っていた。道も現在の県道の前身と見られる東西の1本だけでなく、「神社」を通って南の姫川の谷底へ通じる道もあった。その行き先には大糸線の線路があるだけで駅も橋もない(描かれていない)のであるが、実はさらに旧い明治44年版では現在の大糸線の位置が道路(松本街道)であるので(この話はレポートを改める)、その名残りなのだろう。


ともかく、歴代地形図から見る西山集落の歴史は、昭和時代から徐々に衰退化をはじめ、そのまま廃村化という、ひたすらに斜陽の歴史であったと見える。
西山のように孤立した環境にある集落の場合、ある程度の規模を維持できないと、村落の共同作業である道路の維持や屋根の雪下ろしなどが困難になり、集落全体の生活の維持が難しくなる部分がある。現代でこそ行政がその一部を肩代わりするが(県道の除雪もその一つだ)、西山が中上保集落よりも先に命脈を閉じたのは、単純に奥地であったからと思われる。

なおこれは余談だが、西山は単一の集落名であると同時に、周囲に相当広大な区域を有する糸魚川市大字西山の中心でもある。だが、この大字には現在、人口が一人も居ないようだ。
この大字のもとを辿れば、明治22年までは西頸城郡西山村という人口109世帯数19(『角川日本地名大辞典新潟県』より)の単一の村であったというが、それから1世紀ほどで旧村域から全ての人口が消えてしまったことになる。
おそらく探せばこういう大字は日本中に膨大にあるだろうが、そこは「廃道」を生じさせる典型的な環境の一つである。


じゃ、西山へ行くゾ。



悲しき孤立村の末路… 西山廃村の姿


2012/6/1 6:34 《現在地》 

峠の西山側は高原のような緩やかな地形をしており、やがて姫川の強烈な侵蝕谷に落ち込む前の“嵐の前の静けさ”のようだった。
現在地は峠から300mほど西山側に下ったところだが、標高は峠から余り変らず、行く手にも緩やかな下り坂が続いている。
ここで進路がやや南寄りになったことで、真っ正面に白馬岳と思しき際だった高峰が姿を見せた。もし冬山登山を敢行している人がいれば、その姿がここからでも視認できそうな白さだった。
そしてその白さは、路傍のデリニエータにもあった。
人知れず風光を誇る県道が、少し誇らしげに見えたのである。

峠以降の道幅も1.5車線以上はあり、その気になれば除雪作業をして冬期通行を確保しうる規格のようだ。西山集落があったお陰であろう。
その西山集落の中心まではあと600mほどのようだが、県道の周囲には夏草に埋もれた休耕田が点在しているから、既に集落内に入ったとも言えるだろう。峠を越すとほぼ同時に休耕田は現れていた。




緩やかだったのは最初だけで、峠から400mを過ぎたあたりから、堰を切ったように下り始めた。(写真は振り返って撮影)
」で予告した、3.2kmで350mの高低差を克服する急坂の本領が発揮され始めたようである。
除雪すれば通れそうだという前言も、少し怪しくなった。
幾ら道幅が除雪余地を残していても、凍結したこの急坂を登れる車がどれほどあるだろうか思ってしまう。

加えて、峠のこちら側にも蒲池側で見たのと同じような路面の凹凸や亀裂があった。
現地では地震のせいだと思っていたが、やはりこれも地滑りの影響なのだろう。
蒲池だけでなく、西山もまた地滑り災害から逃れる事は出来ない宿命を背負っているのかもしれない。




これが西山で出会った“2軒目”の家屋だった。

1軒目はスピードが乗りすぎていて素通りしてしまったが、2軒目は急ブレーキで停止して撮影した(でも上の写真くらい行き過ぎる急坂だ)。

これら2軒の家屋はいずれも一目で分かる廃屋で、特にこの2軒目の状態は強烈だった。
豪雪の力なくしては、こういう壊れ方はしないだろうと言う、無惨な圧壊の景であった。
元住民がこれを見てどんな気持ちになるかを想像すると、いたたまれないものがあった。




ますますキツくなる山の傾斜に、直線的な下り方では耐え難くなったらしく、西山側で初めて見る切り返しが現れた。

それは螺旋階段を彷彿とさせるような急勾配&急旋回のカーブであり、もしも凍り付いた路面なれば立ち上がることさえ出来そうにない。
しかも、このようなカーブが2連続で待ち受けていたのである。




これは二つ目の切り返しだが、ここにはカーブミラーが設置されていた。

それを見て、私は驚いた!

本来別に珍しいものではないのだが…




下半身用カーブミラー…?!

あるいは、犬猫用か?

支柱はちゃんとしてるので、元からこの高さだったとしか考えられない。

一 体 な ぜ ?! 

確かに、この世の中には知らないままでも良いことが沢山ある。
この「西山のカーブミラー」も、そうした地上の暗部と、
何らかの関わりがあるのだろうか?



そして、異常なカーブミラーが映し出す二つ目の切り返しの先には



杉の林に取り囲まれた小天地の如き西山集落が、

意外なほど小奇麗な姿で、私を迎えてくれた。



6:38 《現在地》

私は標高400mの山の上、県道起点から4.5km地点に存在している西山集落“跡”に到着した。

県道から見れば、長い坂道の途中の足休めにもならないような猫額の平地であり、家屋はどれも斜面を背負っていた。
しかし意外であったのは、廃屋とは呼べないちゃんとした家屋が、道の両側に三軒も建ち並んでいたことだ。

最新の地形図には一軒の家屋も描かれていなかったから、あっても廃屋程度だろうと高をくくっていたが、実際の光景は異なっていた。
さすがに人の気配は感じられず、駐車中の車も無い事から定住者はいないようだが、夏季の出作の拠点として使われていたりするのだろうか。




県道は、ついに行く手を閉ざした。

起点の近くで見た「お知らせ!!」の案内板を覚えているだろうか?
道路管理者である糸魚川地域振興局が設置した先の案内板には、「西山より国道148号線への通り抜けは出来ません」と、理由は挙げずに書かれていたのだが、いざ西山まで辿りついてみると案の定、県道は封鎖されていたのである。

いずれはこうなると分かっていたのであり、それ自体は驚く事ではない。
むしろ、全線の約7割に当る距離を幸せな舗装路で過ごせたことに、少なからず安堵していた。

だが、ついに現れた封鎖は一風変っていた。

どう「変っていた」のかと言うと…。




封鎖が手書きだった…。

曲がりなりにも、この県道は新潟県知事が正式な手続きを経て認定した一般県道であり、確かに現状では廃道状態であるかもしれないが、法的には依然として現役の県道なのである。
ということは、その通行を妨げるには、道路法が定める所定の様式を経なければならない。
その具体的なアイテムが見慣れた「通行止め」の道路標識であったり、前にも見た「お知らせ!!」のような案内板なわけだが…。

この手書きの“ぺらぺら”は…!?

道路管理者(新潟県)が設置したものであるかどうかさえ、大いに怪しい。
例えば道路法が定める国道の呼び方は「国道148号」であり、「148号線」などという言い方がそもそも正式ではない。(先の案内板もその点では誤りである…)
これではまるで、地元のオヤジが思いつきでドラムカンとトラロープと手書きの案内板で県道を封鎖しているようにしか見えない。

以上の違和感の説明は、あまり道路に拘らない方から見れば重箱の隅を突いているようにしか見えないかも知れないが、現役県道の封鎖を表明するアイテムが“これだけしかない”というのは、やっぱり異常である。

…災害などの非常時ならば、まだしも…

どれだけ等閑視されてるんだ、この県道は… と思った。



バクヤーゼK!

この害虫が裸足で逃げ出しそうな“中2”っぽい名前は… 肥料袋!

県道通行止めの現地唯一の案内板が、肥料袋に手書きとは…ニュー次元…。




そして、封鎖の先の“道路状況”は…

↓↓↓


………。


不穏な空気が、爆出してる…。

はっきり言って、最悪のスタートなんじゃねーか…。



下りって言うのが、まず嫌。

いままで敢えて黙っていたけど、

廃道を“下って”いって、万が一引き返すハメになったら………最悪だよ……。

そのため私はここに自転車を置いて行きたい衝動に駆られたのだったが…

下に着いた後の不便を嫌って、結局はこのまま「持ち込む」決断を下す。





廃道上での決断は、全て己に返ってくる……


人はそれを 「自己責任」 と呼ぶ。