2024/2/27 16:49 海抜600m
古道の時代には茶店があったという枝畝の尾根で、180度切り返した直後の旧道風景。
ここで初めて「3.4km先の旧大森トンネルの通行不能」が看板で予告されたが、今のところ封鎖はなく、路面も古ぼけてはいるが荒れてはいない。
勾配もそこまで急ではないので自転車も走りやすいが、この辺で時間を費やしていられない私は、疲れることを承知で、普段の倍以上の力走を試みた。
いそげいそげいそげ〜!
17:00 《現在地》 海抜650m
10分後、枝畝切り返しから早くも1km前進し、旧道としては東端の尾根を回り込むヘアピンカーブへ。
この尾根の前後の道は、地形図だと物凄い急斜面に、長い崖記号の法面を従えるように描かれている。
実際の地形も急傾斜ではあるが、崖という感じはなく、スギ植林地の長いトラバースであった。
尾根を回り込んだところで西日は完全に地形に遮られ、スギの鬱蒼とした森の深さもあって、一足早く夜の暗さになったので、余計に焦らされた。
私にとって夕暮れ直前の探索は珍しくないが(←悪癖です)、残りの行程の長さがはっきり見通せない状況なのは少し珍しい。旧旧道がどのくらい大変なのか、見当が付かないのである。
だからこそ、いまは精一杯、いそげいそげ!
まるで、鋪装してあるだけの林道のような道だ。
全体的に狭く、待避所も必要最小限しかなく、カーブミラーのないブラインドカーブが続く。
旧道となり、通り抜けが出来ないと予告されている現状の交通量なら問題もないのだろうが、昭和53年までは押しも押されもしない旧本川村の入口だったわけで、しかもいろいろ選べる中での“近いけど悪い道”というのでもなく、これが最も整備されたメインルートだったのだろうから、なるほど秘境というに相応しかった。
進んでいくと、旧道になったばかりの時期に設置された災害復旧工事の銘板があった。
おかげで3.4mという道幅が分かった。
工事の施工者は「高知県土木部」とあり、旧道になってからも県が管理者であった時期があるようだ。
17:05
進むにつれ峠の坂道としては一層と緩やかになり、ほとんど等高線に沿ったトラバースとなった。
地図を見ると、既に越えるべき旧大森トンネルと近い高さまで達していて、敢えてこれ以上登る必要がなくなっていた。
おかげで良いペースで進めるが、沿道の地形は穏やかなものではない。
ガードレールや駒止のような転落防止柵がほとんどない幅3.4mの狭路が、ウネウネと、崖に沿って、どこまでも伸びていく。初心運転者には悪夢のような道だろう。
17:07 《現在地》 海抜680m
枝畝切り返しから約1.5km地点。
ギザギザとした山肌の小さな尾根を回り込むと、その先の路傍に、ログハウス風のさほど古く見えない家屋が現われた。
地図に描かれていない建物で、ポツンと一軒だけある。集落から外れたこんなところに。
古い建物には見えないと書いたが、玄関口を含む周囲の刈払いはされておらず、無住らしい。
……とまあ、この建物は別に良いのである。
それよりも、私が今これを撮影するために立っているカーブに、良からぬものがあった。
うっかり、見つけてしまった。
14tの重量制限標識と、壊れたカーブミラー。
標識柱にカーブミラーが取り付けられているのが珍しいし、14t制限の対象が不明である(向き的に私が来た方向に規制の対象があった?)ことなど、気になる部分が少なからずある発見だったのだが、そのことへの思考を深化させる以前に、標識柱の根本部分の地面にあるものに気付いた瞬間に驚いてしまって(!!!)、標識のことは一瞬で脳から追い出されてしまった。
お分かりいただけただろうか?
人間の足ががががが!!!
マネキンだって気付くまでの1秒未満、この活動を続ける限り、いつか出会って仕舞いかねないと思っていたものが、遂に出たのかと思ったよ。
靴を履かせてあるのが、マネキンだって気付くのをコンマ秒の世界で遅延させたし、理解した後も、気持ちの悪さを3000倍にしていた。
立地的には昔の峠道によくあった(それもまた怖いが…)“警察官人形”っぽかったので、下半身だけでは些か任務に差し支えもあるかと思いはしたが、見つけてしまったよしみで彼(彼女?)を本来の立哨に復帰させてあげることにした。
なお本人曰く、上半身はまだ見つかっていないそうです。
17:09
こんなものに、かかずらっている暇はないんだよ!
道路と関係のないものに驚かされるのも、道路探索の常であるが、速やかに自我を取り戻し、無人家屋前から旧道探索を再開。
家屋との関係は不明だが、隣接した沿道の敷地一帯には大量の廃材や廃家電などが山積にされており、先ほどのマネキンも、ここから脱走したのかもしれない。
17:10
廃屋は一軒だけで、産廃置き場も一ヶ所だけ。
過ぎるとあらまほしき旧道の景色がすぐに戻った。
道路状況にもこれと言った変化は見られない。
(チェンジ後の画像)旧道に入ってから、何回もこの看板を見ている。
これも全国の(古い)道路でよく見るアイテムで、旧電信電話公社が設置していた地中電話線破損防止の看板だ。
何パターンかあるよく見るデザインがあるが、これはその一つだ。
先ほどからこの道が旧本川村の入口だったという話を何度もしているが、それは狭義の交通に留まらず、通信を含む広義の意味で大事に利用されていたのであろう。
17:12
今度は唐突に伐採地が現われた。
旧道沿いに即席の土場が造られており、山手へ入っていく地図にない作業道が分れている。
いまは無人だが、最近も稼働していた様子がある。
峠のトンネルが封鎖されている旧道の現状における最大の利用者は、林業関係者だろう。
17:13 《現在地》 海抜700m
旧道が踏み込んだ伐採地は思いのほか広く、木もガードレールも全くないから、視界が開けた。
進行方向に立ちはだかる灰色の壁のような山がある。
越えるべき鞍部の位置が明瞭ではないギザギザとしたあの山並みを、古道の程ヶ峠は越えていた。
対して、最初から頂を目指していない旧道(ここでは最初の車道である旧旧道も含む)は、その土手っ腹に標的を合わせている。
(チェンジ後の画像)目指す旧大森トンネルの姿は見えなかったが、ここにあるに違いない! ……そう思える地形があるだろう?
大体ここと同じ高さ、きっとみんなも「ここかな」と思った場所が、まさに旧トンネルの在処だった。
しかしその一方で、旧旧トンネルの在処は、ピンとこなかった。
旧トンネルより短いから、より上方なのは間違いないだろうが。
あわよくば、旧旧道の道形が見えればと思ったが、そこまで甘くはなかった。
だが目指すべきゴールは着実に近づいている。
帰るべき場所(車)は、あの山の向こう側。もうたいして離れてはいない。山を穿てばすぐそこだ。
二つある穴、そのどちらかが通れれば、GOAL!
うぉ?!
前方に意識を集中していたところ、いまいる道のすぐ上の急斜面に軽トラを見つけて驚いた。
先ほど分れた作業道の続きにいるのだろうが、一台の白い軽トラが絹雲の夕暮れ空を背負っていたのである。
人気はなく、目を瞠るような急坂に停まっていた。
17:16
豪快に皆伐された裸身の斜面に、裸身の道が続いている。
対向車が来たら、すれ違える場所はほとんどない。
こんな道路の行き交いを日常の一コマにしていた昔のドライバーは、自然と皆ベテランであったと思う。
なまじ廃道的に荒れていないだけに、往時の道の厳しさがより直感できる感じがあった。
17:17
おおっ!
ここまで来て初めて“崩壊”に遭遇した。
大きな岩塊が路上に転げ落ちていて、道幅の山側半分を塞いでいた。残り幅は2m未満である。
自転車は余裕で隙間を通れるが、驚いたことに、車も脇をすり抜けて通った轍が残っていた。
往時のベテランドライバーならともかく、タイヤを踏み外しそうで絶対に良い気持ちはしないだろう。
(後で他人事でなくなることに…)
路肩の切り立つ崖の向こうには、さっき走った道がある。
異常な急斜面に停まっている軽トラも。
舗装路ならともかく、砂利道でよく登れたものだ。
そして良くあそこに停めようと思ったな。何もそこじゃなくても(笑)。
険しさに逃げ場のない道だが、アップダウンという意味での勾配は少ないので、順調なペースを維持してゴールへの距離をどんどん詰めていく。
また見つけた、埋設電話線注意の看板。これも全国でよく見るデザインだ。
電話機のキャラクターがボロボロ泣いているのが印象的なんだけど(というか個人的に苦手な表情)、大抵どれも色褪せてネガポジ反転みたいになっている。これもそうだ。
これはさっきも見たデザインの看板だが、左の地面に四角い標石が見える。
写真を撮り忘れたが、表面に電信電話公社の社紋が刻まれており、この前年10月に北海道の北見峠“囚人道路”で見た標石と同じものだった。
……そんなこんなを足早に観察しつつ、枝畝の切り返しから2.7km地点にて……
前方の道に顕著な違和感あり!
急に未舗装?!
いよいよ背後の山稜が押し迫ってきているが……。
17:26 《現在地》 海抜710m
分岐地点だ!
一見して不自然さがある分岐地点。
まず不自然なのは、鋪装されている旧道の続き(右の道)が、ここから下り坂になっていることだ。
峠のトンネルを目前にして下り坂が始まるというのは普通じゃないが、確かに地理院地図に描かれている旧道は、最後にトンネルへ向かって下り坂になっている。ちょうどこの場所が標高710mの最高地点であり、地図の表現と実際の道路状況が合致している。だから右の道が旧道だ。
未舗装の左の道は、道路状況的には先ほどもあった作業路にそっくりだが、ここまでの旧道の緩やかな上り勾配と線形を、そのまま引き継いでいる点に違和感がある。
皆まで言うな。
私は察した。
きっとこれが、地形図からは消えて久しい昭和10年生まれの初代大森隧道への旧旧道!
【昭和43年版地形図】だと、確かにこの辺りに旧道と旧旧道の分岐があるのを私は見た!
なんとも期待以上のラッキーで、
旧旧道が、作業道として、(少なくとも入口は)生き残ってくれている!
自転車でこのまま旧旧道を走破出来る可能性もある! ……のかも?
2024/2/27 17:26 海抜710m
枝畝分岐から40分足らずで約2.7km旧道を前進し、旧旧道との分岐とみられる地点に到達した。
これにより、いよいよ本探索におけるメインの目的である、旧旧道の初代大森隧道の捜索探索に手をかける時が来た。
急いだ甲斐あって、ここまでは想定範囲内での最速に近いペースで来ることが出来たが、それでも時刻は予想日没時刻(18:00)まで残り30分ばかりになっており、しかも山に陽を遮られている現在地び周辺は完全に日が暮れて薄暗くなりつつあった。
相変わらず、余裕は皆無だ!
ところで、上の地図に示した、@初代トンネル、A2代目トンネルの想定位置から分かると思うが、この旧道と旧旧道は、峠が越える山全体の大きさや高さと比べれば小さな差分といえる。
より正確な表現を用いるなら、旧旧道と私が表現している“最初の車道”のうち、2世代目の道(これが旧道)によって置き換えられた区間が短い。
旧旧道のうち、峠のトンネルとその前後の最低限の部分だけが置き換えられたようである。
ここで私は選択を迫られた。
旧道と旧旧道、どちらも行く事は決めていたが、
どちらを先に行くべきか。
時間的にも、労力的にも、出来るだけ最小の仕事で目的を達成したいというのは基本的な欲求だ。
そのうえで、私の興味の中心は間違いなく旧旧道にあるから、少しでも明るいうちに先行してしまいたい気持ちがあった。
だが、ここで気がかりなこととして、私には自転車がある。
ここまでとても役立つ道具であった自転車だが、廃止からとても長い時間が経過している旧旧道を自転車同伴で突破出来るのかを考えると、不安があった。おそらく旧道なら出来ると思うが…。
最終的に自転車も連れて峠の向こう側へ抜けなければならないことを条件に加えると、この選択は、途端に悩ましいものになったのである。
17:28
しかし、選択に時間を費やすことが、いまは最も愚かな選択だと気づき、正解不正解の判断はつかないまま、先に旧道のトンネルを目指すことにした。
自転車に乗って旧道のトンネルまで行き、その状況を確認したうえで、さらに次の行動を決めることに決めた。かっこよさげに言えば、逐次的攻略作戦を採った。
ということで、まずは旧道へ。
既に述べた通り、旧道は分岐地点から明確な下り坂になって峠のトンネルを目指している。
大半の峠道は、勾配の頂上部分(サミット)に峠越えのトンネルがあるものだが、第2世代の大森トンネルはそうなっていない。
これは珍しい特徴だが、既にあった初代ルートを可能な限り流用して新たなトンネルを造るための工夫であったのだろう。
道幅や路面といった道路の構造的な部分は分岐までと変わらないが、分岐の先の旧道には新しいタイヤ痕がなかった。
分岐までは泥が付着した真新しいタイヤ痕があったのだが、それは旧旧道へ伸びており、道としてはより上等だったはずの旧道が、この場面では旧旧道以上に廃道然とした状態になっていた。
そんな荒れた路面の舗装路が、行く手に立ちはだかる巨大な山の壁の穿つべき地点へ狙いを定め、勢いよく下って行く。
峠に向かって“下っていく”ことの違和感は、こうして文章にしただけだと平凡だが、実際に体験すると強烈なものだった。
そして、分岐から200mばかり下ったところで、それは遂に現われた。
17:30
見えた! 2代目の大森隧道!
まずは大きく開口していることに一安心。
道は坑口を前に平坦になるわけでもなく、最後まで下り続けた。下りのままトンネルへ。
17:31 《現在地》 海抜690m
なるほどこれは廃トンネルだ。
枝畝の分岐で【予告】されていたから知ってはいたが、坑口前も、坑口も、想像以上に荒れている。
谷水を伴った大量の瓦礫が向かって左の山から路上へ大量に流出し、坑口前相当の厚さで埋めていた。
もし坑口が完全に壁で塞いであったとしたら、この場所は大きな池になってしまったことだろう。
それでも一見して入洞が可能な状態だと分かったし、洞の闇の奥にうっすらと出口のシルエットも見えていたから、探索の見通しとしては決して悪い状況ではなかったが、空気の重さがずっしりと感じられるような光景で、まさに昼なお暗いという言葉を地で行く、到達の歓声とは真逆の雰囲気があった。
まあこれは多分に私の気分(この後で戻って旧旧道かぁ)を反映した感想だが。
先に旧道を選んだということは、これから分岐へ戻って旧旧道へ挑戦するということだ。
なのでここでも駆け足だが、2代目大森トンネルの坑門を鑑賞する。
坑門は、建設時期を反映した場所打ちコンクリートの構造物で、全体として装飾要素は控え目だが、コンクリートブロック風の小さな笠石と、目地を持たないシンプルなアーチ環に加え、他の部分よりも遙かに凝った見た目のおそらく御影石からなる立派な扁額が取り付けられていた。
扁額の文字は「大森隧道」で、これが正式な隧道名である。また文字は現代と同じ左書きである。
扁額にはトンネル名のほかに竣工年も刻まれている。「昭和三十●年●月竣功」と読み取れたが、苔が邪魔をしていて肝心な部分の2文字が読めなかった。
実はこのトンネルの竣功年は、資料でも意見が分れる“難問”だ。
今回の探索のきっかけとなった(冒頭でも紹介した)平成3年刊『土佐の峠風土記』には、「第二次トンネルは昭和三十九年に貫通」とあって、昭和39(1964)年の竣功としているが、旧道探索でお馴染みの昭和43年刊『道路トンネル大鑑』は、巻末のトンネルリストに次のような諸元を掲載している。
路線名 | トンネル名 | 竣功年 | 延長 | 幅員 | 有効高 | 壁面 | 路面 |
国道194号 | 大 森 | 昭和36(1961)年 | 429m | 5.1m | 4.5m | 覆工あり | 鋪装あり |
こちらでは昭和36(1961)年竣功のトンネルとなっており、『土佐の峠風土記』とは3年のズレがあるのだ。
トンネル本体に刻まれた扁額の文字は、このどちらを正解と見なすかの重要な証言者となるはずだったが、読み取れなかったのは傷手だった。誰かもっと良い撮影条件で読み取れた人がいたら教えて欲しい。
坑口前は大量の砂利に埋め尽くされているが、その中に1台の乗用車の廃車体があった。
単なる経年によるものとみるには破壊されすぎている。スクラップとして圧縮された後みたいな凄まじい姿だ。
トンネルが封鎖された後に不法投棄的に放置された車が、たまたま崩落に巻き込まれ、破壊されたものか。
完全に土砂の中に全体が埋れている期間が長時間あり、そこから何らかの事情で発掘されたような雰囲気だ。
坑口に立って、来た道を振り返っている。
こちらから見ると、分岐まで登り坂が続く。
坑口という狭窄部が、ちょっとした砂防ダムのような役割を果たして膨大な瓦礫を堰き止めていた。
この大量の瓦礫の出所だが……
坑口の南西側が滝のある谷になっており、ここからもたらされたものと考えられる。
現役当時からこの谷川の処理には苦慮していたようで、よく見ると、坑口上部を横切る大きなコンクリート製の排水路が設けられている。
経年によって水路の機能が失われ、或いは機能を上回る規模の土石流の発生により、ご覧のような有様になったのだろう。
谷筋にトンネルを掘ることは、掘削すべき長さを減らせるメリットがある一方、完成後の保守性の難というデメリットがある。
この2代目トンネルは、昭和36年竣功にせよ39年竣功にせよ、昭和53年に現在の3代目トンネルにバトンを渡しているわけで、随分と短命だった。
その原因の一端が、土砂の流入の問題であったのかもしれない。
そしてもう一つ、私にとってこの土石の存在が人一倍他人事でなく気がかりに思われたのは……
この大量の土石を吐き出している谷の上部に、私の目指す旧旧隧道が存在する可能性が高いことだった。
17:34
2代目大森トンネルは、ちゃんと貫通している。
いまいる東口については、一旦鉄柵で封鎖した後、その一部を撤去してチェーンゲートへ変更したように見える。
その目的は分からないが。
全長は、実はこれにも複数の説があるのだが、前掲の『道路トンネル大鑑』では429mとなっている。
地図上での計測だと460mくらいである。
そして、洞内も東口から西口への一方的な下り片勾配であり、そのためこの東口から流入した瓦礫は重力や水の流れに沿って洞内のかなり奥まで流れ込んでいるようだ。
ここで自転車を漕ぎ出せば、後はブレーキ操作だけですぐに西口へ辿り着けるだろう。
そうすれば、私の車が待っていて、探索は無事終了となる。
そこまで確認したところで――
17:38 《現在地》 海抜710m
速やかに“分岐地点”まで引き返した。
すぐさま、旧旧大森隧道を目指す!
2024/2/27 17:38 海抜710m
12分ぶりに、またここへ戻ってきた。旧道・旧旧道分岐地点。
そして今度こそ満を持して、左の旧旧道へ!
日没まで残り22分。おそらく明るいうちに探索を終えることは出来ないだろうが、隧道内部についてはぶっちゃけ、暗い時間に探索しても、難度も景色もそう変わらないはずだ。
とりあえず、旧旧隧道まで辿り着くことが先決と考える。
突入開始!
これが旧旧道。
昭和10年に開通したとされる、程ヶ峠を攻略した“最初の車道”だ。
先ほどの旧道よりも20年以上古くに生まれた道。当然のように未舗装である。
旧道よりも高い位置から稜線を見据えている。
ただし現状では旧道よりも“賑やか”だ。
未舗装の路面に真新しい轍が沢山刻まれており、林業関係者の出入りは頻繁のようである。
この調子なら、自転車での走破は容易い。
あとは待ち受けているトンネルの状況次第だ。
17:39
む! 怪しい!!
この感じ………… 欺こうとしているな……?
入口から僅か100m足らず、前の写真で道が見切れている所まで進んだが、この先の勾配が明らかに、これまでの傾向を逸脱している。
これはどう見ても作業道の線形だろう?
これに引っ張って行かれてはいけない。 正しい道は…………
ここだ〜〜!
轍こそないが、明らかに道形と思しき平場が、作業道の急坂から外れて水平に続いているのを見つけた。
なあに、このくらいは簡単だと調子づいてみるが、しかしこれはピンチだ。
路面を覆い尽くさんばかりに生えている大量の灌木たち。しかも幹にいっぱいトゲが生えた“タラ”が混じっている。
この程度、慣れっこではあるが、しかし先の見えないトゲ攻撃に、自転車を持ち込む気力はたちまち萎えた。
無理矢理押して行く事は出来るだろうが、これで隧道が通り抜けられなかったら最悪じゃないか。
自転車がある事によるタイムロスが倍になるし……。
隧道の状況が予め分かっていれば無理も出来たが…。
日没前ギリギリの状況で、出来るだけタイムロスの原因を減らしたいという気持ちが強く働き、急遽だが、自転車はここに残して行くことにした。
このまま旧旧道を踏破してしまうと、今度は探索後に自転車を取りに来なければならないが、一応分岐までの旧道はエクストレイルも走れそうだったので、それも負担ではあるが、旧旧道の完全踏破という上出来な成果との引き換えならば、そのくらいは呑もうという覚悟だ。
ゴチャゴチャ書いたが、とにかく自転車はここに置いていくぞ!
身軽になって、トゲトゲの藪道を前進再開! 急げ急げ!!マジ暗くなる!
17:40
ここからが、本当の意味の旧旧道か。
旧道の開通と引き換えに廃止されたと仮定すれば、それは60年も昔の出来事だ。
この先まもなく、道は地形に沿って右へ逸れていく。切り立った素掘りの法面を作りながら。
チェンジ後の画像は、見下ろした旧道の姿だ。
直前に往復した旧道の下り坂がよく見えた。
向こうは下り、こちらは上り、両者の落差は急速に開いていく。
17:41 《現在地》 海抜720m
もの凄い灌木藪の真っただ中に、何かある。
前の写真の中ほどにあるカーブの地点だったが、藪のせいでこんなに近づくまで気付かなかった。、
またも廃車体だ。しかも今度はバイクである。
廃道での二輪の廃車体は四輪よりも珍しい気がする。
道が狭いため、先へ進むためには否が応でも近づく必要があったので、自然と目に入ってくるのだが、ちょっと素通りが出来ない異様な状態だった……。
バイク以外の何物でもないけれど、多少、“精神的閲覧注意”だ。
たぶんこのバイク、単純な不法投棄ではない。
なんというか、これに乗って旅をしてきた人間が、乗り捨てたままどこかへ失踪してしまったような状態だ。
長距離ツーリング中の旅人が持っていそうな道具袋が周りに散乱しているし、運転席にはペットボトルカバーに収まった飲みかけの飲料もあった。それどころか、氏名や生年月日が分かるものまで残されていた。
このバイクで旅人がここまで入ってきた動機は分からないが、故障して乗り捨てたなら荷物は持って帰るだろう。
また、車輌の不法投棄だったら、バイク本体だけにするだろう。
盗難車かとも思ったが、わざわざこの場所へ隠すとは考えにくい気が。谷に棄てることも出来ただろうし。
もしもこのバイクについて、失踪者捜索などの関連で心当たりがある関係者がおりましたら、私宛に直接ご連絡ください。関係者であると確認出来れば、私が把握している氏名などの情報を提供します。悪戯での問い合わせはお止め下さい。
これは振り返った写真だが、バイクが置かれている地点のすぐ先に路面全体が斜めになっている崩落地がある。
その直前にバイクを置き、歩いて進んだまま帰ってこなかったように見える状況だ。
これがなんであるにせよ、他人事とは思えない部分がある。
仮に私がこの探索中に失踪したら、やはり同じように1台の自転車が道の途中に残されることになるのだ。私の場合は自転車だから、あまり生々しい景色にはならないだろうが…。
とにかく、マネキンの足どころではない後味の悪さだった。本当に遭難関係だったら何を言っても不謹慎になりそうだが、薄暗いなか独りこれを見た後で、さらに廃隧道へ入るつもりで前進したのは、我ながら心臓が太いなと思いました まる
17:48
謎のバイクを興味本位で漁ってしまったので、マジで貴重な夕暮れ前を5分も費やしてしまった。むしろそういう罠か?(←そんな他愛もないものであって欲しい)
気をとり直して、前進再開。
軽い崩壊地を過ぎると、道はいよいよ昭和初期というか“明治道”さながらのナチュラルさに。旧道にはあった路肩のコンクリート補強や擁壁も全くないので、ただ地山から削り出されただけの岩道だ。
もちろん小さな崩れも沢山ある。完全に廃道状態だ。さすがにバイクは進めなかっただろう。
チェンジ後の画像は、振り返り。
下って行く旧道と、その上をトラバースしている旧旧道と。
17:51
急斜面のまま、薄暗いスギ植林地へ。
この旧旧道もバスは通ったらしいが、よくぞまあこんな道をと思う。
下に離れていった旧道はもう見えない。そろそろ旧トンネルの坑口の上かとも思う。
そしてもし旧トンネルを過ぎたなら、探索の最終目的地というべき旧旧トンネルは間近だろう。
17:52
ただならぬ雰囲気キュピーン!
急に広い平らな場所が現われたが、その地形は明らかに人工的なものだった。
谷が道の高さで綺麗に埋め立てられている。
そしてこの状況、私には再三の見覚えがあった。
考えてみてほしい。こんな人跡稀な山の奥の谷を埋め立てる大量の土砂の出所を。
これは間違いなく、初代トンネルを掘削したときの残土だと思う。
そしてそれがある場所は、坑口の目前に違いない。
たぶんもう数メートル進む間に見え始めるはず。というかそれで見えなければ……、おそらくもう……。
来た道を振り返り……
いまここには、谷を埋め立てている瓦礫の地平を切り裂き、新たな谷が出来つつあった。
その谷の下には何があるのか。
間違いなく。
旧トンネルの直上だった。
旧トンネルの東口に降り注いでいる【大量の瓦礫】の正体は、ほぼ間違いなく、初代トンネルのズリである。
実際、あそこにあった瓦礫はどれも粒が小さく、山の中なのにまるで川砂利のようで、少し不自然だった。だがズリ由来なら納得だ。
2世代の坑口が同じ谷の上下に並んでいるという立地が、こんな共倒れのような状況を作り出してしまったのだ。
治山的な施工によって防げた事態だろうが、廃道化により放置された結果であろう。
あっ!
たーーー!
17:54 《現在地》 海抜720m
うわあぁぁ……。
もう見るからに、ヤバそうだ……。
が、とりあえずお目当てのものの現存を確認できた! ギリギリまだ明るいうちに!間に合った!!
そして、自転車を無理に持ってこなかったのは、たぶん正解だと思った。
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