大塩沢林道 〜五十里と塩原を結ぶ古い林道〜 最終回

所在地 栃木県日光市〜那須塩原市
公開日 2012.06.22
探索日 2009.07.31


大塩沢林道は、本当に終ったのだろうか?


なんて書くと妙に不安になるわけだが…、 いやマジで。

実際のところ、峠が終点であったという確証はない。
『森林開発公団十年史』は、大塩沢林道の全長を7320mとしているが、地図上で測定された距離は約6.4kmであり、標高差の分を加えても幾らか足りない。
或いは大塩沢林道の本当の終点は塩原側へ少し下った地点なのかもしれない。

「通常の」林道は、それを所管する営林署の管内で完結することが多い。
峠は日光市と那須塩原市の境であるだけでなく、今市営林署と矢板営林署の管轄境でもあった。
しかし、この林道は特別な財源で作られた「特定林道」であり、営林署の違いは重要な意味を持っていないと考えられる。

もっとも、大塩沢林道の終点の位置が多少変動することがあっても、大勢に影響は無い。
単にその分だけ、塩原側に接続する元湯林道の全長が短くなるだけである。
大塩沢林道と元湯林道は1対1で接続しており、実質的には全長約9kmの林道として機能しているのである。

今回は、峠から元湯温泉までの、元湯林道区間を駆け足で探索する。
一連の林道でありながら、五十里側とはかなりの相違を見せる整備状態や景観に注目してほしい。

なお、この林道のテーマはずばり 私へのごほうび である。




がんばったヨッキに ごほうび タイム


14:18

霧雨に煙る無銘の峠。

もう二度と通ることの無いだろう切り通しに、仕上げの気分でカメラを向けた。

思えばこの峠道、私は廃道を上りに使ったのだが、逆に下ることを想像しても、また恐ろしいものがある。
おそらく、「私はどうなってしまうんだ!」というような言い知れぬ不安感は、峠を登るより、谷底へ落ち下って行く時の方が大きい。

高度を位置エネルギーとして有利に処分出来る可能性がある山チャリストは、高い場所の方が安心する傾向がある。この点は、徒歩の探索者とは逆である。
したがって峠から下る展開は実を言うと、大きな爽快感の裏に、高度の喪失という不安感を孕んでいる。
それが廃道であれば、爽快感が皆無になり、不安だけが増大するのである。

数多くの難所を突破しながら下り着いた谷底のあまりの薄暗さと、そこから引き返すことの難しさに、絶望したかもしれない。

もちろん、体力的には下りの方が楽であろうが、精神的には遙かにスパルタな体験が出来たと思う。

…したくないが。




もう、当初計画していたタイムからは3時間も遅れている。
今日の残りの探索計画は、大幅に見直さねばならないだろう。

だが、それでもまだ探索の時間は残りがある。
自らが斃した獲物をいつまでも見下ろしていたい功名心を蹴って、
浅いが確かな轍の刻まれた塩原側坂路へ、ペダルを押した。




標高1050mの峠から、元湯林道の起点と考えられる元湯分岐地点までは、約3.2kmの道のりで、230mの標高差を駆け下る。
このうち、最初の900mの間には4度のヘアピンカーブが集中しているが、そのお陰もあって、勾配はその先よりも緩やかだ。
おそらくこの緩勾配のヘアピン連続区間も、大塩沢林道と同時に建設されたものだろう(或いはここまでが大塩沢林道に含まれる)。

下り始めれば、すぐに五十里側との“違い”に気付く。
「廃道でない」ことはその最たる事だが、それ以外にもある。

道路標識の出現である。

ちなみに、峠では一切の標識や標柱を見なかった。保安林案内板の標柱らしきものだけはあったが、それも肝心の案内板が消えていた。

写真は峠から100mの地点にある第一のヘアピンカーブだが、右の路傍に標識が写っている。




標識の近景。

標識は登りの方向に表示されており、実は私の進行方向向きのものも手前にあったが、
木立に遮られて見えにくかったので、写真はこちらを採用。

内容としては至ってありがちな「つづら折りあり」だけど、標識柱の背が低さとか、
標識自体の色褪せ方とか、思わず「ガッツポーズ」で応えたくなるほど、
「この道の一部分」としての完成度が高い。

こんな標識が欲しかった! という感じ。



また標識あった!

続いて現れた2回目のヘアピンカーブの前後にも、道路標識があった。今度は「左(右)方屈曲あり」の標識で、理に適っている。

長い長い五十里側の道では1回も道路標識など見なかったのに、塩原側に入った途端、カーブのたびに現れる勢いだ。

こうした警戒標識は林道の管理者が設置しているはずだが、だとすれば矢板営林署の計らいということだろうか。
老朽化の具合から見て、標識は林道開通当初から設置されていたと思うが、矢板営林署と今市営林署の標識に対する(もっと言えばこの道に対する)考え方の違いが現れていると感じる。

或いは、林道をより整備することで、より多くの観光客に“来塩”してもらいたい塩原町関係者が、営林署に働きかけるなどして(町内分の林道に)標識を設置させたのかも知れない。
林道に限らず、自治体の境を起点に道の整備状況が変る場面をよく見るが、この道の旧藤原町と旧塩原町の変化にも同様のものを感じた。
一方だけが荒れ果てているのは、単に地形条件の違い「だけ」が原因ではないかも知れない。

旧藤原町と旧塩原町を比較したとき、この林道への傾倒具合は、遙かに後者の方が大きいと考えられる。
前者は国道121号が南北に縦貫しており、黙っていても多くの車が通る立地にあるが、後者は会津方面に対して行き止まりで、これを結ぶ峠越えの道がぜひとも欲しかった。



2度目のヘアピンカーブを過ぎたところから、先を見る。

左のごく近い場所に、上の写真の標識の裏側が見えている。
どこか明治道を彷彿させるような緩やかなつづら折りが、稜線直下の水干の森に刻まれている。
道幅もゆったりと取られていて、舗装さえすれば、すぐにでも観光道路として活躍しそうだ。

だが、この掛け値無く美しい道は、実質的に行き止まりであるからこそ、今も美しいのだと思う。
観光道路として完熟している日塩もみじラインや、舗装されて中途半端に使われている塩那道路(の塩原区間)と比較すると、同じような風光の中にありながら、こちらは格別の美しさを感じる。

廃道はさておき、この区間だけでも一度体験する価値があると思うくらい、気に入ってしまった。
これは苦労して苦労して“来塩”しようとしている、塩原の守り神(といえばもちろん三島通庸のことだが、理由は省く)からヨッキれんへの、手厚いご褒美のようであった。




あんまり気持ちがよいので、はじめは「ぶっ飛ばす」つもりが、ぜんぜんユルユルに走っていた。
でも、今しばらくこの風景が続くうちは、それも良かろうと思う。

2番目のヘアピンから400mばかり進むと、3度目のヘアピンカーブが、例によって標識を伴いつつ現れた。

それは笹原を新雪に見立てて、スキーヤーの描く美しいシュプールのようだった。
左から右に、さら右から左へ。
4番目のヘアピンの存在をも暗示する、線形好きにとって眼福の眺めであった。



左から右へ…そして、

 右から左へ。

標高の低下に伴って、徐々に視距の戻ってきた森に、私の幸せが横たわっていた。
チャームポイントとしての道路標識も、高得点だ。




さらに進むと、見慣れた警戒標識に混じって、初めて見る標識も現れた。

はじめは裏側の四角いシルエットが見えてきたので、四角い道路標識の中から正体を予想したのだが、表に回ってみてみれば、これまで見たことのないデザインで驚いた。
これはおそらく営林署か営林局が用意した、オリジナルの標識であろう。

その内容はいたって穏当なものであり、また標準の道路標識にも「待避所」はある(116の3)のだが、「待避所予告」というのは無いし、そもそも「待避所」の標識自体が制定されたのは昭和39年なので、この道が開通した当時存在しなかった可能性も高い。

この同じ標識(数字もいつも一緒)は、この後何度も現れた。




14:35 《現在地》

峠から1kmほど進むと、周辺の原生林に杉の植林地や伐採地が混じるようになってきた。
林道脇に朽ちかけた営林小屋も現れ、道の幅が目に見えて縮小。
どこにでもありそうな林道の姿になった。

これはおそらく、大塩沢林道との接続という(半ば観光)目的で、昭和35〜40年に新設された区間が終って、それ以前からあった本来の元湯林道区間へ入ったということだろう。

私に提示された“ごほうび”のプランも、麗しの森で遊ぶことから、風を切る遊びへとバトンタッチ。
いよいよ本格的なダウンヒルを楽しめそうだ。




塩原側には基本的に険しい場所は少ないが、法面の砂が路上に崩れ落ちて、まるですり鉢のような道になっている箇所が1箇所あった。

普通車で来たら、ここはちょっと躊躇しそうだ。




そして、そんな場所にこそ相応しいのが、右の標識である(少し先にあった)。

前もどこかのレポで登場している気がするが、ただの「落石注意」ではない。
あくまで「落ちてくる石に注意」。

違いは、一般の落石注意の標識が想定しているのは路上に“既に落ちている石”であるのに対し、これは読んで字の如くである。
イラストの方もちゃんとそれを表わしていて感心するが、この標識はおもに栃木県内の林道で目にする事が出来る。




小刻みなカーブを重ねつつ、最初よりも勾配の増した下り坂が長く続く。

こういう部分があればあるほど、無理矢理でも自転車で通り抜けた甲斐があろうというものだ。

下界に近付くにつれて気温も徐々に温まり、ダウンヒルの風が濡れた体に心地よかった。



そんなハイスピードな下りの最中にも、見慣れない標識をいくつか収集することが出来た。
これらもすべて、ごほうびの一環である。

左は、完全に塗装が禿げてしまっているが、日焼けの模様を見たところ、「警笛鳴らせ」の旧版標識(昭和35〜38年のデザイン)と思われた。

林道では一般道とは違い、標識令などで標識のデザインが改訂された後も旧デザインが引き続き設置される場合があるが、やはり貴重なものであることは間違いない。

右の標識は、これまた林道ではよく見る文字だけのオリジナル標識だ。
「路肩注意」と並んで、この「落石注意」も珍しくはない。
が、今後新設される機会があるとも思えないので、やがては貴重なものになるのかも。





地図にない多くの分岐を振り切って 元湯へGO


14:46 《現在地》

峠から2.3km、標高890m附近。

地形図上に緩やかな切り返しのカーブが描かれている場所だが、そこには地形図にない分岐が存在していた。

元湯林道の本線は手前から右へ下って行くのだが、正面に別の道が分かれていて、しかもその道の方が明らかに多くの轍を有していた。

分岐の傍らにあった鉄製の林道標識から、分岐していく道が「焼畑沢支線」という名の支線であることが判明。
この支線は地形図にも記載がないが、本線よりも通行量は多いようだ。




地図にない分岐の100mほど先には、この道では初めて見るゲートがあった。

しかも連続して2つ。

どちらも開放されていた(片方は支柱しか存在せず)が、この2つ目のゲートには道路標識よりもさらに嬉しい、大量の「文字情報」が備わっていた。

これまで半日近く文字のほとんどない生活をしていたから、読み方を忘れているかも(さすがにそれは大袈裟)。




さあさあ、やって参りました。

文字情報殿堂。

左から順に見ていこう。




  元湯林道
 この林道は、前橋営林局矢板営林署が管理する専用林道です。
 この林道を、旅客輸送・資材運搬 などで定期的、または、一定期間を通して継続的に利用しようとする方は、矢板営林署へ申し出て下さい。
 国有林野事業に支障のない場合は、利用出来ますので、所定の通行料金を納入のうえご利用下さい。
 通行料金については、下記営林署、または担当区事務所にお問い合わせ下さい。
   矢板営林署長

この看板は、前橋営林局や矢板営林署などの関係者名が古いままで訂正されていないので、(これほど錆び付いている事から予想はつくが)既に書かれた内容は失効していると思われる。
そしてその内容とは林道の利用規程である。
基本的には営林署の「専用林道」であるけれども、受益者負担金を納入することで、正規の利用が可能であるという案内である。(「一定期間」「継続的」に利用するのでない場合は、別に申し出たり料金納入の義務は発生しないと読めるから、現在の「専用林道」=「一般車通行止め」よりも、だいぶ大らかな時代の案内といえる)

こうした案内板が当時の全ての専用林道にあったのでないとすれば(ちなみに、同じ文面の看板を六厩川林道でも私は見ている)管理者は当初から、この道を観光目的の小型バスなどが通行することを予期していたと考える事が出来る。(おそらく単なる行き止まりの林道にまで、案内板は設置しなかったと思う)

そういう想像をして楽しめるという意味で、とても価値のある案内板であった。



続いてはこの2枚。

左の案内板は、シンプルながら私が初めて見るデザインである。
内容としては、どこにでもある「林道標識」と同等のものでしかないが、林道というどちらかというと日陰の存在でありながら、それを感じさせない堂々たる大きな案内板。
これまた林業が今より遙かに盛んだった時代とか、この道に秘められた観光道路という思惑なんかを想像するには、面白い遺物である。

残念ながら、肝心の文字内容の大半が読み取れなかったが…(特に「行先」の欄の内容は気になった!)

右の案内板は、現在もそこかしこの林道で見る内容である。
一応(小さく)文章を書き出しておこう。

一般通行禁止
1.この林道は国有林の専用林道ですから許可なく車両や歩行者の通行を禁止します。
2.通行の許可を受けたいときは矢板営林署又は  担当区事務所へ申し出て下さい。
3.許可なく通行したときは事故があっても一切責任は負いません。

 塩那森林管理署

最後の「塩那森林管理署」という部分だけ、シールで訂正を受けていた。元々は矢板営林署だったのだろうが(本文中はそのままだ)、平成11年の改組後に修正されたことが窺える。つまり、この案内板の内容は現在も「イキ」であろう。



そして最後はこれ。

旧前橋営林局(現:関東森林管理局)管内の標準仕様ゲートである。

このタイプのゲートの特徴であるバーに取り付けられた上下3枚の“ふんどし”のうち、真ん中の1枚が、老朽化(錆)のためにサイケデリックな絵画のようになっていた(ちょっと怖い)。

本来この部分に何が書かれていたかは、類例から推察出来るが、正視に耐えない気持ち悪さだ…。
これって、何現象だ?




“グロ”ゲートを過ぎると、さきほどの支線から湧いてきた轍のおかげで、もう完全に一人前の林道風景である。

グーネグーネと急坂のハイスピードターンを2,3度繰りかえしてから、平坦な感じの場所に辿りついた。

元湯林道のゴールも、もう近い。




下り着いた先にはごく小さな橋(欄干や銘板無し)と、反対方向に向けられた標識と案内板が各1あった。

案内板は、ちょっと前に見たBと同じもの。
標識は、もっと早く(5時間前)に出て来ても良かっただろうと、思わずツッコミを入れたくなった…通行止めの標識…であった。

だいぶ草臥れているが、これは林道が通り抜けられなくなってからの時間を示しているのだろうか…。

しかし、「通行止め」と明示しながら、敢えてゲートを閉じることはしないのが、謎のクオリティである。
同じ市内にあるのに、ゲートが堅牢すぎる塩那道路との違いがあるとすれば、こちらはゲートがあろうが無かろうが、どうせ通り抜けは出来まいという管理者の侮りか。

…この道は、廃道としても「枯れている」。




夏の原野に“クネクネ”出現か?!
…と思いきや、

今度のはクネクネではなくて、「右方屈折あり」の標識だった。

それにしても、標識の設置位置が随分と“草側”だなぁ。
本来の道幅は、そのくらいを想定していたってことなのか?

おかげで黄色い標識が、緑の簑を被った人影みたいになっている。
蚊に刺されながら刈り払いでもしたら、さぞ(標識が)気持ちいいだろうな。




14:55 《現在地》

峠から2.9kmの地点、この探索でははじめてとなる人家との遭遇があった。

それは林道沿いではなく、少しだけ離れた原野にポツンとあるのを見たのだったが、その眺めの直後に、家の方から来る道がちゃんと合流してきた。

地形図には集落の名も道も描かれていないが、さすがは生きた集落に通じる道と言うべきか、まるで林道の方がオマケのような合流風景になっていた。

これでもう二度、本線は(轍の量的に見て)蔑ろにされてきたわけであるが、三度目というか、ゴールがもうすぐそこだった。




14:59 《現在地》

舗装路が見えてきた〜!

と思ったら、ゴールでした。

この舗装路は、道の名前こそ分からないが、上塩原の国道400号と元湯温泉を結ぶ約4kmの市道であり、合流地点はその元湯から数えて1kmの位置である。

標高は最初にもかいたとおり820mあり、峠からは230mのマイナス。
五十里側の起点が標高600mだったのと比較すれば、まだまだ峠道としては下り半ばと言った感じになるのだが、廃道のレポートとしてはこの辺りでお開きにしたいと思う。
な〜に、自転車が本気を出せば、ここから国道までは15分くらいである(実話)。

(この日の自転車同伴による「五十里〜上塩原」間の総所要時間は、5時間45分と相成った。)



さて、レポートの〆として、分岐地点を有り様を詳述しておきたい。

まずは、塩原側から元湯林道に入ろうとすると、こんな看板が1枚ペロッと設置されている。

なんだか、道路の案内としては妙に素人臭い微妙なデザインだが、ともかく「行き止まり」という最も重要な真実については、余すことなく述べられている。

しかしいくらこういうものがあるとは言え、地形図ではしっかり完抜している林道を見て、そこに楽しい峠越えを想像してやってきた一般ドライバーを引き返させるには、いささか危機感の足りない、ある意味で詐欺的な分岐風景のように思う

わずか200m先の集落のためとはいえ、この入口だけは道がしっかりしすぎている。




この三叉路を左へ行く道が、元湯へ続く市道の本線である。

私は体力と時間上の理由から、元湯への寄り道を避けたのであるが、行ってみれば良かったと少し後悔している。

この私の心残りは、あなたが来塩したときに晴らして欲しい。
そして、露天に浸かりながら、思い出して欲しい。

この山の後ろには、郷土の閉塞感を打破せんと願った人々が、藁(林道)にもすがる想いで結実させた林道があったこと。
だが、自然の厳しさと人々の心変わりの両方によって、短期間のうちに放棄された哀れさを。
その場所で、心ばかりか肉体まで砕かれそうになった、汗だく男がいたことを。

…馬鹿な話はこのくらいにして、最後の発見。行きますよー。




分岐の中央に立つ、青看でもなんでもないオリジナルの案内板。

敢えて呼ぶなら“黒看”は、さもそれが当然であるかのように、

元湯がある方の道だけを、案内していた。




しかし、その背後、

おおよそドライバーの目からは見えないような位置に、

もう1本の案内板が実存していたのである。

その役割といえば、前に立ち塞がっている別の看板(入山注意云々)の支柱“の支柱”としてのみ…




しかも、ちゃんと二枚羽根…。




枝葉をどかしてようやく見えた“右羽根”は、

背後の幹にも喰われつつあり、まさに八方塞がりの危難であったが、

盤面には、うっすらとペンキが残っていて…。


「大塩沢林道」

私は確かに読みました!


これは塩原側に残る、峠越えの林道が貫通していた唯一の名残りかも知れない。


本稿は引き続き、「この林道を現役当時に通った」という証言を待っています。
(その際には、いつ頃のエピソードであるかも添えてくれると助かります)