ワルくないニャーン!
こう見えて通行止めではないらしく、確かに施錠もされていなかったのだが、既に述べた通り門扉の上部には鉄条網が、下部の僅かな隙間にも鉄柵が、さらに地面に突き刺すタイプのストッパーも降ろされているなど、施錠されていない以外は極めて厳重な閉扉であった。
凍り付いた地面に突き刺さったストッパー(扉の向こう側にある)を、悴(かじか)んだ手ではなかなか十分に動かすことが出来ず、自転車が通れる最小限度だけ扉をギーィと開けて、なんとか脱出した!
自転車でなく自動車でも「通って駄目」とは書いていないが、なかなか面倒だし勇気が要る気がした。
激しく車が行き過ぎる上り線の下での小さな激闘が終り、中央道との絡み合いから生還した。
地形図を見限り、もうこの先は中央道の脇を並走するだけで、特に問題になる場面も無さそうだった。
それにしても、初めてこちら側からここへ来て、この門扉を開けて進もうと思える人がいるだろうか?
私が扉に手をかけた理由は、施錠されていなかったからではなく、「開閉注意 開けたら必ず閉めましょう」という表示が見えたからである。
それがこちら側からは見えないせいで、完全に高速道路の中央分離帯に突っ込む、行き止まりの管理道路のようにしか見えない。
この厳重さでは、そう思うのが普通であるはずだ。
8:10 《現在地》
そんな物々しい扉から解き放たれてみれば、そこは本来の長閑な風景であった。
へろへろのコンクリート鋪装は、如何にも農家の手作業品のようであり、日向を選んだ明るい果樹園が日川の縁まで続いていた。
もちろん葡萄畑である。
対岸には、やや目線より低い位置に国道20号が高い擁壁を従えて横断していた。
その上には中央本線の旧線跡もあるはずだったが、はっきりとは見えていない。
足元に意識を戻せば、道はここで二手に分れていて、正面の道はおそらく果樹園内の作業道である。
本道は直角に右折して、中央道に沿って進むようになっている。
中央道の路肩の擁壁と、果樹園を守る高い電気牧柵の間の狭い所を行く。
相変わらず車の轍は無いが、踏み跡は随分と増えてきた。
こんな季節でも果樹園に用のある人がいるのだろうか。
馳せる車音が近いので、どうにも落ち着かない。
車自体は見えないというのが、余計に居心地悪かった。
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ナ、ナンダッテー!
先ほどの門扉から100mも進んでいないのに、また門扉に行く手を遮られた。
しかも、今度は「開閉注意 開けたら(略)」がこちらを向いていない。
挙げ句の果てに、門扉上部の鉄条網の代わりに、電気牧柵の通電線が…。
扉の変なところを触ったら、感電しそうだ…。
8:12 《現在地》
無事(感電せずに)開扉して通過成功!
今度は、こちら側に「開閉注意 開けたら(略)」が向いていたので、
今通過してきた100mほどの区間が、獣害防止の為に
2箇所の門扉で守られていたという、そんな全体像が鮮明となった。
それにしても、立入禁止ではないので堂々と通行できるはずなのであるが、
まるで薄皮を剥くように一門ずつ扉を開けて進むのは、大変面倒なことだなぁ。
一般道でこんな走行感を味わえる道も、大変珍しいかも知れない。
二度目の門扉を通過すると短い上り坂で小尾根を跨ぎ、その頂上付近で中央道の路面と並んだ。
しかしその先はまた下り坂になっていて、そこではこの道の上に中央道が覆い被さるように見えた。
フェンスや壁を隔てて、すぐそばに大都会と大都会を結ぶ特別の空間が横たわっている。
土地の人だろうが何だろうが、周囲の何者も不可侵の空間であった。
そこを車が走り去る度に柔らかな土地の空気がなぶられて、空気銃のように弾き出された。
あちぃいいぃいい!
片洞門である。
コンクリート片洞門。
高速道路の路肩部分が、道の半ば以上を庇(ひさし)のように覆っていた。
山際の土地が狭く、仕方なくこんな重箱的な土地利用となったのであろう。
ただの側道ならば、ここまでして通す必要も無さそうな場所に、この道は頑張る。
あの小さな葡萄畑へ行くために、頑張る。
路面を見る。
すると轍があった。しかも真新しい。
注目して欲しいのは、その軽トラのものらしい細いタイヤ痕の位置だ。
ガードレールに接触しそうなほどすれすれの所にあるのが分かるだろう。
道がもの凄く狭いンダヨ!
狭さにめげず、コンクリートの凹みの中を進んでいくと…。
邪魔だろ、これは……。
高速道路優先もここに極まれりといった感じの光景に、思わずニヤニヤ。
この出っぱりは、おそらく高速道路側に取っては必要なものなのだろうけど、
この道にとっては完全に障害物である。しかもうっかりすると接触しそうなほど道が狭いのに…。
あんまり(ドライバーを)いじめてくれるなや…。
マジで軽トラ以外通れるか? これ…。
…というわけで、おいしいです。
こんなときに軽トラが向こうからやって来たぁああああぁぁぁあ!!!
↓↓↓
【動画:軽トラが片洞門を…!】
やっぱり“地元軽トラ”半端ねぇ…。
あの凍り付いた坂道を、狭い道で助走付けて、一気に上って行きやがった…。
邪魔な出っ張った柱は2箇所あったが(そのために道はS字に曲折…)、その2本の柱の間だけ“片洞門”の奥行きがやや深く、車同士が離合できる空間となっていた。
こんな道でも通行量があることが確認出来た以上、この離合箇所が活用されることもあるべしだ。
そしてこんな山梨の秘部のような一角にも、見慣れてしまった“彼ら”の活動の痕跡が残されていたのである(黄色い矢印の所)。
平成17年の町村合併による消滅直前で、山梨県東山梨郡大和(やまと)村の人口は1495人。
その約1500人の善男善女の頂点に立つ人物自らの筆致である。
公然の「最強」であるならば村役場の壁辺りに書き誇っても良さそうな物だが、能ある鷹の喩えよろしく、今日まで私を含めた地元の古老数名の他には知られていない壁を利用しての「最強」宣言とは恐れ入ったぜ!
中日本高速道路さん、こちらで〜す。
探索開始から20分。
遂に楽しかった“変な道”探索の終点が現れた。
何という集落なのかは知らないが、眼下に数軒の民家。
中央道は芸術品のような曲線橋でもって地を離れ、しばし空を架してから対岸へ辿りついているが、我らが“下道”は急坂で集落へ下り、そこで他の道に合して終わる。
左に目を遣ると、対岸の国道と結ぶ立派な橋が架かっていた。
これまた中央道と同時期に開通した、「鶴瀬橋」という橋であった。
中央道開通以前の地形図にはこの橋が描かれておらず、地形的にも短い橋では渡れそうにない場所なので、おそらくいま私が辿ってきた長柿集落から山沿いに走る道(の先代)が、辛うじてこの山間地へのアクセスを提供していたのだろう。
この数軒からなる集落も、当時の地形図には描かれていない。
8:19 《現在地》
最後に鶴瀬橋より眺める、日川を跨ぐ中央道。
纏わり付く小さな“蟲”など、“大翼”のただ一度の羽ばたきで、まるで無かったことに。
同じ“道”でも、目的が違えばこれだけ形を変えるのだと言うことを改めて実感する小探索であった。