道路レポート 国道229号雷電海岸旧道群 カスペトンネル旧道編

所在地 北海道岩内町
探索日 2018.04.26
公開日 2019.11.29

雷電海岸の国道229号旧道群を全て制覇せんとするロング探索、次なるお相手は、カスペトンネルの旧道だ。

親子別と雷電温泉を隔てるカスペノ岬を潜るトンネルだが、なぜかトンネル名からは「ノ」が落ちている。
これらカスペやカスペノといった耳慣れない名の由来は、やはりアイヌ語なのだろうか。江戸時代の古い文献には見られない地名なので、違うかもしれない。
例えば、北日本一帯でカスベと呼ばれている食材の「エイ鰭(ひれ)」に由来する可能性。これを青森県では「カスペ」と呼んでおり、かつてニシンを追って青森県出身の漁師が多く住みついたといわれる岩内地方だけに、無くはない説な気がする。
もとは「カスペノ岬」ではなく「カスペの岬」だったからこそ、トンネル名から「の」が落ちたのではないかと、そんなことを考えてみたのだ。

ずいぶんと地名の話に脱線してしまった。
カスペトンネルは、北海道開発局のサイトによると、全長638m、平成11年度竣工である。
これは、現在雷電海岸で使われている7本のトンネル(鳴神トンネル〜磯谷トンネル)の中で2番目に古い。
前回探索した弁慶トンネルの旧道と比べると、8年ほど早く廃止されたようだが、果たしてその差はいかほどのものか?

とはいえ、この区間もさほど難しい探索にはならないだろう。
だが、この区間が終わってしまえば、後に残るのは……最難関と予想される雷電岬の区間だけである。




カスペトンネル旧道の静と動


2018/4/26 5:58 《現在地》

ここは、弁慶トンネル(1048m、平成19年竣工)の南口直前だ。
探索の流れとしては、前話の前半から続いていて、自転車に跨がった私は、この新しいトンネルを走り抜けようとしていた。

脱出!

(チェンジ後の画像)
弁慶トンネル南口を振り返ると、絵に描いたような旧道分岐シーン。
この奥がどうなっているかは、前話の後半部分を見て欲しい。

この海側に並んでいる金属のフェンスは、おそらく波飛沫が路上へ吹き上がるのを防止するためにあるのだろう。
完全に旧道の海側1車線を犠牲にしているで、当然、旧道時代にはなかったものだ。



私は、旧道時代の名残を一つでも見つけたいという気持ちから、フェンスの裏側へ行ってみたのだが、この判断は正解だった。
旧道時代のガードロープが、撤去されず錆びた姿のままそっくりと残っていた。

発見はそれだけに留まらなかった。
見過ごしてしまいそうなコンクリート製の祠が、海を背に建っていた。中を覗くと、少し窮屈そうに、一体のお地蔵さまが安置されていた。
野仏は風化が酷く、もう表情も何も分からないし、身体も真っ二つに割れてしまっていた。

立地としては、交通安全のため現代になってから安置されたもののようでもあったが、この風化ぶりはどうだろう。
もっと古いものに違いあるまい。
来歴が気になるが、路傍の石仏にありがちな素朴さは、手掛かりを与えてはくれなかった。




弁慶トンネルを出ると、このような景色のところへ、バーン!と出る。

旧道時代とは違って、今は長いトンネルの合間に飛び飛びで風景が展開するようになったから、
初めて通行するドライバーにとっては、衝撃的な車窓を受動することに、余り時間が与えられない傾向があると思う。
この方向へ進むドライバーが、“鬼の爪”みたいな刀掛岩を目にするのは、弁慶トンネル突入前の【一瞬】に続いて、
ここが二度目で、はじめて少しだけ長い時間、正面に威容を見続けられるシーンとなる。

行く手の険悪に、戦慄を覚えぬものは無かっただろうこの地名を、親子別(おやこべつ)という。



親子別。
この恐ろしく真に迫った地名は、最新の地図からほぼ抹消されている。
地図からは、目の前に見える小さな橋の下を流れる川の名(親子別川)に残るだけだ。
しかし、橋に銘板はないし、先ほどのウエントマリのように、バス停に地名が残っているということもない。

現在の親子別は、国道沿いに1軒の廃屋があるだけで、集落ではない。
だが、昭和6(1931)年の地形図を見ると、数軒の家屋が川の両側に並んでいる。小学校があったウエントマリよりは小さな集落だった。

岩内の街へ通じていた海岸沿いの歩道も、ここまで来ていた。だが、これ以上海岸線を南下することは無理だったのか、左折して親子別川の谷へ入っている。その先には、山中を通る本道“雷電山道”が待っていた。海岸道と山道の合流地点にあったのが、朝日温泉だった。

今日も、ここから朝日温泉へ登る車道が分岐しており、看板が出ていた。温泉までは約4kmの道のりで、400m近い高低差があるようだ。



6:02 《現在地》

トンネルに挟まれた親子別の明り区間は、約300m。
車ならばあっという間、自転車でもそうだった。
早くも次なるトンネル、カスペトンネルが行く手に迫った。

扁額以外は全く装飾的要素がなかった弁慶トンネルと違い、カスペトンネルの坑門は、最近各地でよく見るモザイク模様っぽい凹凸コンクリートで装飾されていた。
とはいえ、華美な印象はなく、シンプルだ。




旧道は、今回も簡単に見つかった。

隠すつもりもないようだが、地形図からは完全に消去された旧道だ。
入口は、縁石などで現道の車道部分から完全に分断されており、バリケードなどなくても車は出入りできない状況になっていた。
弁慶トンネル北口のように、遊歩道化している様子もなかった。

今度の旧道の長さは700m前後で、ここからもう見えている小さな岩場の岬(カスペノ岬)を回り込めば、ほどなく終わる。
相変わらず道幅が広く、廃道として難しい区間ではないと思ったが、奥に見える路上の様子が……なんかヤバい感じが…。



入ってすぐ、道幅の全幅を塞ぐ、鉄条網付きフェンスバリケード。
一応、南京錠で施錠された通用扉があるので、解放する準備はあるようだが、
激しい海風の影響か、さほど古いはずのないフェンス全体が錆び始めていて、
解放の経験無く扉ごと倒壊してしまいそうな雰囲気があった。

自転車と一緒にワルった。



カスペトンネル旧道に、第一歩を記す。

廃止が平成10年代と新しいだけあって、やはりゆったりとした道幅を持っている。
線形も悪いところはないし、土砂災害の問題さえなければ、バリバリ現役で活躍していたはずだ。
海を眺めながら自転車で探索するには爽快な旧道で、つい速度をあげたくなるかもしれないが、
絶対に油断は禁物である。特に薄暗い時期に探索する場合は、注意!!



すぐ先の路面に、こんな馬鹿でかい大穴が!

何があっても不思議ではないのが廃道だとしても、綺麗な路面に突然こんな大穴が空いているのは、さすがに予想外だし、驚かされる。

穴は深く、うっかり飛び込めば、無事では済まない。
なにせ、直接見えてはいないが、この穴の底は海底近くにまで続いているはずだから。

このような穴が出来た原因は、路盤を支えている土砂が、路肩の擁壁の下を通って、海へ流出してしまったことにある。
いかに頑丈な擁壁を作っても、波浪の影響で擁壁と岩盤の間に隙間が出来ると、こうなってしまう。
海岸道路や川沿いの道路でしばしば見られる崩壊の形態だが、真に恐ろしいのは、舗装があると、下が空洞になっていてもなかなか発覚せず、突然通行人を巻き込んで陥没する場合があることだ。
そういう意味で、穴が露出しているだけ、平和かもしれない。

よく見ると、この崩れた場所は、ちょうど舗装の打ち直しが行われた場所のように見える。コンクリートカッターの刃痕が残っているし、舗装の切断面が直線的だ。
おそらく、ここでは現役時代に同様の陥没が起こり、修繕を行ったのだろう。
その古傷が、廃道化後、再び開いてしまったのではないだろうか。



路面、滅茶苦茶!

ここでは路肩の擁壁が大々的に破壊されていて、路面は山側のわずか1mほどを残して、失われていた。

美しい海岸線の道が一変するほどの、恐ろしい波濤の地獄が連想された。

道幅が十分に広くても、この地では十分な抵抗になっていないことが、驚異だった。




破壊と静寂の対比が、魅力的だった。

誰も踏まなくなった路上の轍には、昨日の雨が長い水鏡となって静止していた。
傍らのガードレールが消えたために、この地が持つ真の眺望が引き出されていた。

平静の中にある狂乱も、荒廃の中に残った平穏も、そのギャップに廃道の醍醐味がある。
ただ荒れ尽くせば燃えるというのではないし、ただ人を排しただけの平和も退屈だ。

オブローダーの至福を、味わった。




今度は、路上の一画がAバリで囲われていた。
その内側には、パッチワークのような補修の痕が見られた。

この場所では、何があったのだろうか。
バリケードがあるのは、何故なのか。
廃道になってから補修されたのだろうか。

そういうことを、一つ一つ考えながら、想像を巡らせながら歩くことが楽しい。
そこに、道が生きていた時間と、死んでしまってからの時間が合作する、混沌とした廃道の印象が生まれてくる。




6:07 《現在地》

旧道に入った時点で見えていたカスペノ岬の突端に、早くも迫った。
くの字に海岸線が曲がっていて、道はそこをなぞって滑らかなカーブを描いているが、外側にある岬の突端に隆々とした岩礁があって、ワンポイントになっている。

北海道の探索開始から今日で4日目、昨日の雨を境に、風が出るようになった。
まだ波には大きな影響が出ていないが、天気予報を見ると、明日はかなりの高波が予想されるらしい。
明日では、今日これからの探索は、ますます成功しがたかっただろう。今日で良かったと思える成果を、期待したい。



海風が強く当ってくる。冷たい風に当てられていると、それだけで弱気になる。
風がやってくる先に聳立する雷電岬の険悪が、私を無言にさせる。
昨日のスケールを遙かに上回る、尋常ではない険しさが見える。
カスペノ岬は、私を戦慄させるためだけに用意された舞台のようだった。

もう逃げられない! 強敵の目前に立ち尽くしている気分になるが、この先には、
あの目に見える地獄までのわずかな間隙を埋めるような、“最後の休息地”がある。
RPGなら、ラストダンジョン前の最後の村だ。村人がよく骸骨になっていたりする……。





観光パンフレットや絵葉書の定番スポット


6:08 《現在地》

さほど古くはないし、また全体的に荒れてもいないのに、路面は陥没した大穴だらけという、押し寄せる波の破壊力を垣間見たカスペトンネル旧道は、現トンネル名の由来となったカスペノ岬まで私を連れてきた。
約700mの旧道は約500mを終了した。
緩やかなカーブで岬の突端を回り込んでいくと、見慣れた鉄格子のバリケードが現われた。




なんか、かっこいいな。

雷電海岸での探索2日目にして、初めて目にする、ここが名の知れた観光地である証しは、鉄格子の向こうに見える巨大な観光ホテルだ。
このホテルを中心に、大小10を下らない旅館やホテルが、いままでは見えなかった小さな湾奥の山腹に林立し、地形図や道路地図にも必ず出ている「雷電温泉郷」を、形作っていた。

海と山と岬に閉ざされた、どことなく城塞都市のような温泉郷が、次に待ち受ける雷電海岸“最難の旧道”前の最終休息地として、鉄格子の向こうで私を待っていた。
このシチュエーションが、格好よかった。

私は、決して甘くされてはいない【脇】から、バリケードを抜けた。

ただし、現地の私は、最後までこのことを知らなかった。

――雷電温泉郷は、既に繁華の街ではない――

探索をおこなった2018年5月時点で、この温泉郷で営業を続けていた旅宿は1軒だけで、温泉郷のシンボルチックな観光ホテルは何年も前に廃業した後だった。
(その最後の一軒も2019年に休館し、これを書いている時点では、雷電温泉郷には営業中の宿泊施設も温泉施設も皆無である)

RPGならばラスダン前の最後の村。
そう書いた土地が、実はほとんど廃墟で、“旅のほこら”程度しかなかったというオチがついた。
私は、雄大な立地と風景の素晴らしさから、この地の繁盛を疑わなかったこともあって、一歩も立ち入らなかったので気付かなかった。



バリケードを抜けるとすぐ、海側にクルマを2〜3台止められる程度の小さな広場があった。
傍らに、掲げるべきものを失った木製の看板支柱が寂しく佇む。
この未舗装のロードサイドの小広場からは、カスペノ岬の突端部にある岩場を間近に見ることが出来る。

もっとも、奇岩怪石の宝庫である雷電海岸一帯にあって、カスペノ岬は特に目立つような地形ではない。
それでもこうして観光客が足を止めていたのは、ここから見る雷電岬(刀掛岩)が最も優れているからだろう。

雷電岬こそは、雷電観光のシンボルだが、地形の制約から、近づいて鑑賞するには海に出るよりになく、ここから遠く眺めるのがセオリーだった。




カスペノ岬から南西1.2kmの海上、雷電海岸の陸の果て、
まるで害意あるものとしか思えないような姿を見せる、刀掛岩。

何をどうすれば、岬の先端が、このような形に研ぎ澄まされて、それが幾百年も形を保つのか。
素直に空を突く尖塔ならば、まだいくらもあるが、わざわざ返しがついているのが凄い。

今日も海は穏やかで、小舟でもあれば、近くから安全に鑑賞出来そうだったが、
どこにも遊覧船なんて施設がないのも、都会から遠く離れたこの土地の風情である。

我らが旧道も、この怪異の聖域に、いたずらに近寄るような愚は冒さない。
それでも、現道より相当に踏み込んでみせるので、手強いはずだ。




これが、カスペノ岬から眺める雷電岬の全景だ。

かつてニシンを追って住みついた人びとがみた最果ての風景かもしれない。
大正6年の地形図には、わずかに2軒の建物が、今ホテルが見えるあたりに描かれていた。
しかし、その集落ともいえない規模の人の営みは、ニシンの衰退とともに断絶、一旦は無人となる。
再び開発されたのは、海岸国道が開通した昭和30年代、風光と温泉を活かした一大温泉郷として。

雷電岬は、まず一度ここから見らねなければ、その魅力を十分に堪能することはできない。
そんな気にさせるほどの眺めだが、トンネルばかりの現国道から、これを見ることは出来ない。
現国道は、カスペトンネルと刀掛トンネルの合間のたった300mだけ地上にあり、
車窓に注意しないと、少しも刀掛岩の怪異を見ることはない。





『国定公園雷電』(岩内町・岩内観光協会/昭和40年より)

この古ぼけたカラー写真は、昭和40(1965)年に岩内町と岩内観光協会が発行した、
『国定公園雷電』という観光パンフレットに掲載されたものだ。岩内町郷土館のご厚意により提供をいただいた。
カスペノ岬(カスペ岬)から見る刀掛岩(刀掛岬)の風景が、パンフレットの最も目立つ中央に、大きく掲載されていた。

広場に止まるレトロカーに時代を感じるが、岬の姿は今と少しも変わっていないように見える。
おそらくカメラを持つ全ての観光客が撮影しただろう、地名を書いた立派な木製看板が見えるが、
その支柱の一部分が今も残っている(3枚上の写真に写っている)。
他に巨大な石碑も見えるが、こちらはもう、この場所にはない(あとで出てくる)。

なお、海の向こうに見えるトンネルは、いま……




大勢の観光客がかつて立ち止まった広場は、閑散を通り越して、荒んでいた。

道の行く先を見ると、温泉郷で新旧国道が一瞬重なるが、すぐにまた別々のトンネルに入っていた。

否、旧道のトンネルは封鎖されていた。これは分かっていたことだ。

そこからさらに岬の方向へ、視線を動かしていくと……



無人の覆道が黙然と佇んでいる…!

刀掛岩がある岬の突端から、約300mの位置にあるあの構造物が、

私の一連の探索の「最終目的地」である。

旧国道は、あの覆道を最後に、雷電岬の向こう側へいく。



おそらく全てのトンネルが封鎖されている状況で、どうやってあそこへ行くか。

山越えか、波打ち際か、選択肢はこれしかないが、まだ後者の方が希望は持てそうに思える。

どちらのルートを選ぶか、事前の計画では決められておらず、現地を見て決めるつもりだった。

これは、探索の成否はむろん、生死さえ左右しかねない重大な判断になる。



地形図に照らしてみると、ここから見えたのは、旧道の2個目のトンネルの先だった。
手前の1個目と2個目のトンネルの間にも、湯内川を渡る短い明り区間があるはずなのだが、
岩山が邪魔をしていて、ここからは見えない。

湯内川には橋が架かっている可能性が高いが、どんな橋なのだろう……。




雷電岬を眺める、かつて華やかだった特等席が、荒廃に帰していた原因は、これだった。
岬の突端から150mほど進んだところで再び現われた、コンクリートブロックと車止めが織りなすバリケード。
誰でも越えられる簡単な造りではあったが、それでも人を遠ざけるには十分すぎる存在だった。

左に見えるのは、カスペトンネルの南口である。
新旧道の合流地点も、もうすぐだ。




6:13 《現在地》

このバリケードを越えると、ようやく、生きている観光地に入る。
合流地点付近は再整備され、緩やかなスロープが歩行者を受け入れている。
そのかつては旧道の歩道でしかなかった位置に、立派な石碑が建っていた。
古い観光パンフレットではカスペノ岬に置かれていた石碑に間違いない。

この碑は、有島武郎文学碑。

雷電海岸の一帯を観光地として解放したのは、海岸国道の開通であったが、それ以前に、この地の優れた風光を宣伝することに成功した人がいたとしたら、それは紀行家でも探検家でもなく、優れた文学者たちであった。
有島武郎はその代表的な人物で、彼の代表作の一つで大正7(1918)年に発表された「生まれ出ずる悩み」は、岩内町を重要な舞台として描かれたものである。作中に雷電海岸の風景も描かれている。
ニシン漁をする海上からの描写であるため、陸路を探し求めた私の机上調査には活躍しなかったが。

彼がこの地の奇景を表現した有名な一節(碑に刻まれている内容でもある)を、以下に転載する。

物すさまじい朝焼けだ。
過って海に落ち込んだ悪魔が、肉付きのいい右の肩だけを波の上に現はしてゐる。
その肩のような雷電峠の絶顛を 撫でたり敲いたりして
叢たち急ぐ嵐雲は、炉に投げ入れられた 紫のやうな光に燃えて、山懐ろの雪までも透明な藤色に染めてしまふ。

この碑は昭和37年に、雷電海岸の風光を世に広めた彼の功績を称える岩内町、観光協会、商工会の手により、カスペノ岬の中心に建立されたものだが、旧道化にともなって現在地に移転された。



6:14

カスペトンネル旧道、攻略完了。

前哨戦が全て終わり――

次から、本戦へ突入!