道路レポート 函館山の寒川集落跡への道 第2回

所在地 北海道函館市
探索日 2022.10.27
公開日 2022.11.08

 非隧道探索 


2022/10/27 6:06 《現在地》

目の前に口を開ける、巨大な海蝕洞である、穴澗。
海の青さは、空の青さを映している。そんな話を聞いたことがあるが、
ならば空のない洞内の海の青が、外の何倍も濃く見えるのはなぜだ。

青から黒への無段階のグラデーションが、私に問いかけてくる。

「 お い で 」


……すこし、考えさせてくれ。



私の4年のカヤック歴で、自ら海蝕洞に足を踏み入れたことは一度もない。

それは、海蝕洞に出会わなかったからではなく、これまで出会った洞窟がどれも、生半可な技術と道具で立ち入ろうとは思えない形相をしていたからに他ならない。
そもそも、自然洞窟への興味は、人工洞窟であるところの隧道に比べれば数段下がるのだが、それでも元が鍾乳洞大好き少年だった私だから、全ての穴は興味と好奇心の対象であり、海蝕洞も例外ではない。

今日のこの海蝕洞は、私がカヤックの船上で出会った、初めて「入れそう」と感じる穴だった。
まず大前提として、波があるときの海蝕洞に、私は入るべきではないだろう。
それは、波に寄せられてゴム製の船体を狭い壁面にうっかりぶつけると、鋭利なフジツボのような貝によって船体に穴が開き、大変危険な致命的な状況になりかねないからだ。
ライフジャケットを身につけていても、誰が真っ暗な洞内で漂流をしたいと思うだろうか。

だが、今は本当に波がない。
その証拠に、入る波と出る波が激しくせめぎ合って騒がしいことが常である洞内から、もの音がまったく聞こえてこないのである。

それでいて、入口から奥行きの限りを見定めることは出来ないのだった。
奥の壁は暗がりに完全に隠されていて……「己の目で確かめてみろ」と挑発されている気がした。

よし、入ってみよう!




一決し、体育館よりも天井が高い岩門へ、船首から突入する。
もちろん、そろりそろりと、静かにだ。

これで洞内の海が浅ければ気持ちは楽なのだが、まったくそんなことはなく、底知れぬ青さは、神秘のヴェールで私の首を絞めんとするような息苦しさがあった。
また、唯一の頼りであるヘッドライトの明りが、どこにも届いていないような歯がゆさもあった。
そう感じたのも道理である。この洞内はm普段私が相手にしているどんな隧道よりも巨大だ。だから、入口付近で奥の壁にいち早く光を届けて終わろうなどという弱気は許される状況になかった。




だから 「 お い で 」 って…。




……結構、奥まで入ったぞ。

洞内は入ってすぐのところで少し右に曲がっていて、奥行きを隠していた。
その曲がりの奥にも幅6mくらいの完全に冠水した洞窟が続いていた。

私のカヤックの長さが約3.1mであり、これが余裕を持って転回できる幅がなくなったら、
洞奥を見定めなくても引き返すつもりであった。今はまだ、転回可能だ。


さらに、奥へ進む。




6:09 (入洞3分後) 《現在地》

洞奥の行き止まりが見えた!

入口から30mくらい入ったところだろうか。入口より広いホール状の洞窟になっていた。
ここが海蝕洞が地中を掘り進めている最先端だが、遠い将来にはもっと深くなるのだろう。
ほとんど外光の入らない領域で、波のない今日の景色はまるで地底湖のようだった。
天井一面が白く見えるのは石灰分だろうか? だとしたら鍾乳石もあるかもしれない。

しかし、この終点の大ホールは、過去に天井が崩れているようで、
大きな岩が多数水面から頭を出していて、深浅が分かりづらかった。
全く足が着かない深さの中に、巨大な岩がごろごろしているのである。
大岩の隙間を縫って進み、さらに20mくらい先の最奥の壁にタッチするのは、
リスクが大きい。そう判断し、私はこの地点で引き返すことにした。



船首反転、

神秘の穴澗より、脱出する。


今回のこの穴澗探索、道路探索とは直接関係のない自然地形への寄り道ではあったが、
実は私の中では、将来予定している、道路と関係が深い“ある海蝕洞”への挑戦を前提とした、
とても良い経験が積めたと評価している。今日ほど波が穏やかな状況であれば、
現状の装備でも、海蝕洞内部を深く探索出来る可能性があることが分かったのだ。

もっとも、これほど静かな海は簡単には得られないということも、分かっているが…。



さて、“寄り道”はここまでだ。
ターゲットである、函館山裏に存在した幻の廃村、寒川へと通じた道の探索に戻ろう。
左右の写真とも、穴澗の洞口より眺める吊橋の残骸である。

(←)寒川集落側の橋台兼アンカー。
通行人にとっては命綱でもあった吊橋のメインケーブルを固定していた主塔が、ギロチン台を思わせる姿で厳粛に佇んでいた。
こちらの岸へ辿り着くことが、今回のカヤック登用の眼目であり、これ以降、岸辺に上陸可能地点があれば、直ちに上陸探索へ移行するつもりである。

(→)函館市街側の橋台兼アンカー。
こちらの主塔は根元から失われているのか、見当らない。

ところで、橋台の上面と海面の落差は、あまり高く見えないと思うが、それでも5mくらいある。
だが私のような陸の人間でも、冬の日本海の高波が5mを安全な高さにはしないことを、よく知っている。
この高さの橋が波を被るような嵐は、毎年一度や二度必ずあったと思う。
もっと高い橋にすれば良さそうだが、それに通行上の意味があまりないのも事実だろう。
なにせ、橋の前後の道は、橋よりも遙かに低い、間違いなく荒天時には通れない高さに付けられているのだから…。




6:12 《現在地》

広い海上へ戻り、私にとっては前人未踏の岩壁を間近に見ながら、南下を再開しているのだが――

見よ!道がある!

この写真の左側の大岩壁に見える“道のような横線”は、紛れもなく道である。

こういう地形で、まるで道のように見える地層や層理が目を惑わすことはままあるが、

これは本当の道だ!!


……よくもまあ、最盛期でも人口60人ほどでしかなかった集落のために、この道を作ったなと思う。

岩場に築かれた、人道“ごとき”ものを見て、これほど興奮したのは、久々だ。本来は車道好きなのに。





(あわわ……)

(叫ぶ前の一瞬の間)




隧道再び!!!

手前の片洞門とセットで、やべえ造形!!

まるで、ラスボスの城に通じる山道だぞこれは。
一つだけ見るからに色の違う石を踏むと落ちるヤツ…。

25万の函館市民の後ろ山に、こんな道が隠れてるとか、ちょっと想像を絶してるぞ。
同じ市内という程度ならまだしも、普通に市街地から2kmも離れてないからね。




うおー! もう一刻も早く上陸したいッ!

それだけ書くと、カヤックが辛くて逃げ出したいみたいに読めるかも知れないが、実際全く逆で、
今日の海ならカヤックを漕ぐのは、自転車で舗装路を漕ぐのと同じくらい楽だ。
だからこのまま海上を行けば、15分もかからず寒川集落跡の中心に上陸できることだろう。


が、もう我慢ができない!

そこに見える道を私に歩かせてくれぇーーー!!


オブローダーの本能の叫びが、私のカヤックを異常な高速度で陸へ近づけていった。

そして、複雑な磯場へと突入していき――





衝撃備えぇー

ずしゃーーーー!!




6:16 《現在地》

強行上陸!

カヤックによる往航を、終了させた!




 岩壁に浮遊する隧道


2022/10/27 6:17 《現在地》

出航から23分後、私は上陸した。
上陸地点は出航地から海岸線に沿って約700mの南下した地点で、穴澗がある岩脈状の岬を越えたすぐ先の小さな磯の入江だった。
短い航海中に日の出の時刻を迎え、函館湾の向こうの北斗市側の陸地が満面の朝日に照らされていた。




この辺りの海の潮の満ち引きはあまり大きくないが、万が一にも満ち潮でカヤックを流失しないよう、十分に陸揚げをする。
二人乗りカヤックを一人で使っているので、かなり多くの荷物を載せることが出来る。探索用のザック一式やカヤックカ関係の予備の道具(予備のオールとかインフレーターなど)を積載して航海したが、前者だけを舟から降ろし、陸上探索へと移行する。靴も別に持ち歩いており、船上で使っていたウォーターシューズから普段の登山靴へ履き替えた。

今いるこの磯が、寒川へと通じる“道”である。写真の奥方向が集落がある側で、入口までもう300〜400mと迫っている。
見ての通り、ただの磯浜でしかない。
住人たちは日々、この浜を歩いて行き来していたのである。



まず向かいたいのは、集落と反対側、直前にカヤックで沖合を通過した穴澗側の“道”である。

見ての通り、

めっちゃそそる道が見えている!

隧道も見える!!!


これから、あのいかにも小さな隧道を潜って、穴澗の吊橋を目指す。

釣鐘を半分にしたような形をした巨大な“勘七落し”の岩脈は、この函館山が古い火山として地球に誕生したことを物語る地学の教材だろう。
この壮大で荒々しい海岸の風景は、どこの国立公園かと思うほどだが、この山を挟んで直線距離約3kmの位置には函館市役所がある。街では朝のラッシュも間もなくだが、この地にはあまりにも無縁である。一つの山の表と裏の顔の違いのすごさに、改めて驚きを隠せない。



ムムッ!!

これは、予想外の障害の出現だ!

カヤックで移動しているときは、隧道の“こちら側”がどうなっているのか見えていなかったので、あまり心配していなかったのだが……、なんと陸路で近づいていくと、隧道の手前に道がないじゃないかぁ!

おいおいおいおい!

岩脈を縦に割ったような凹んだ地形が隧道の直前にあって、おそらくそこにも海が侵入してしまっている。
本来はここにも橋が架かっていたということなのか?
だとすると、隧道には“こちら側”からも、近づけないのかもしれない。

……隧道よりも向こう側はどこも切り立っていて、カヤックを陸付けできるような場所はない。
ここまで来たが、隧道へ辿り着くこと、潜ることは出来ないのか……?
そうなると自動的に、穴澗の吊橋にも辿り着けないことになる………。




6:31 《現在地》

ひっ、紐ーーーッ!!

穴の入口に紐、 ……いや、ロープが2本、ぶら下がっている。

どこかの親切な先行者が残してくれた、存置ロープである。

個人的な流儀として私がロープを設置することは基本ないが、
そこにあるものは何でも利用して踏破するスタイルである。
もちろん、ありがたく使わせて貰うわけだ

が、

強度的に大丈夫かな?


それにそもそも……



どひーッ!

ちょっとロープの長さが足りなくない?(涙)

ただでさえ、波がぶつかる部分の岩が削れて地形がオーバーハングしているために、
岩場の下の方は足を引っかける場所が少ないというのに、そのうえ海水で常に湿っていて、
挙げ句の果てに、足場となる部分には数秒ごとに波が押し寄せてくるという悪条件。

今日の海の穏やかさは極めて恵まれているとは思うのだが、全く波がないわけではないのだ。



うーーむ…。

一旦、冷静に周りを観察すべく、直前の路盤まで待避。
もともとは、画像に赤く描いた位置に小さな橋が架かっていたのだろう。

さきほど波の合間を縫って、ロープを全体重を預ける勢いで強く引っ張ってみたのだが、
感触としては、私の身体を支えるのになんら問題はなさそうだった。2本あるしね。
ということなので、もうえいやっと覚悟を決めて、全力でロープをよじ登るだけだ。
ちょっとそれ以外に隧道へ入る方法は思いつかないのである。
もちろん、潔く諦めるという選択肢も、あるのだけれど……。



そうそう。 覚悟を決めかねていた私は、こんなものも見つけたんだった。
これはあり合わせ漂着物だけで作った、まさに労作というべき三段梯子である。

これもおそらく同志である先行者の苦闘の賜物だと思うのだが、
近くの磯場にまるで打ち捨てるように置いてあったのも道理で……、
私が安全な場所で試みに足をかけると、痩せ細った流木はポッキリと折れてしまった。

どこかの誰かの労作は、こうして元の漂着物へ還った……。

もう、ロープでよじ登るしかないっ!




よし、いくぞっ!




ッシャ 登ったー!!!

もういい加減、オッサンにはこういうのキツイって!

ここはもし存置ロープがなかったら、私も自前の梯子造りをスル羽目になっただろう…。ありがとう先行者!
幸い周辺には様々な廃材が漂着していて、もう少し頑丈な梯子を作ることも、時間さえあれば出来そうだったが…。




6:41

結局、このロープ場では10分近い足止めを食らったが、どうにか突破出来た。

この画像は全天球画像である。グリグリして、唐突すぎる崖壁の坑口を味わって欲しい。

しかし…、この状況で海が荒れたら“積み”だな。 さっさと探索を進めよう。



海上から羨ましく眺めた隧道の内部へ、いざ進入!

これは驚くべき小断面隧道だ。

この写真でも、完璧に人道専門の最小断面であることが分かると思う。
内壁はもちろん素掘りで、足元だけコンクリートで舗装していた気配があるが、
それもときおり突入してくる高波のせいだろう。半ば以上剥がされていた。

まさにただの岩穴同然の姿だが、これが最後まで寒川集落の生命線だった。
穴、そして吊橋……、こんな危険地帯に針の穴を穿つようなシビア過ぎる細道が、
集落と外の世界を結ぶ、生活と不可分の日常的存在であったとは……。



隧道のギリギリ過ぎるミニサイズ感は、この全天球画像を見てもらうと分かり易いだろう。
ぜひ画像をグリグリして、私の身体だけで隧道が塞がってしまっているのを見て欲しい。
普通に立っているだけで、頭が天井に擦れそうだし、屈託なき“人道専用隧道”である。



6:42 《現在地》

そして、短い。

この隧道、長さは10〜15m程度である。

普通に岩場を削ったのでは、どうしても巻けない、
そんなオーバーハングのキツイ部分だけを隧道としたようで、
これを抜けても全く安心できるような道はない。


いや、むしろ……



外の方が、よっぽど危険だろこれは…。

隧道内も、人間同士ですれ違うのに身体を触れ合う必要があるような狭さだったのに、

外はもっと狭い!

そして当然のように、転落から命を守ってくれる手摺りなんてものはない。




ゲームの風景かよ……。

なんかもう、背景の風景ですら、大船が行き交う普段の函館湾ではないように思えてくるぞ…。

人間は、ちっぽけなのか偉大なのか、全く判断に苦しむ、両極に全振りした眺めである……。