和歌山県道213号 白浜久木線 第4回

公開日 2017.01.19
探索日 2016.01.09
所在地 和歌山県白浜町

庄川越の頂上。そして、新なる天地へ。


2016/1/9 8:44 《現在地》

全身呼吸のヒーコラ状態で辿り着いた、ここが庄川越(しゃがわごえ)の頂上
県道213号白浜久木線の最高地点で、起点の庄川口から数えて6.6km、最奥集落の出合(出合橋)からだと3.6kmの位置にあたる。

ここまでを自転車で走破するのに要した時間についてだが、非常に盛りだくさんな展開であった(と思う)が、実は大してかかっていなかった。 出合橋からちょうど1時間、庄川口からでもたった1時間20分である。途中で何度も立ち止まって撮影をしながらこれだ。いわゆる里山の範疇といえるだろう。



峠といえば、そこからの眺望は旅人にとっての大きな楽しみである。
そんなわけで庄川越の眺望だが、まずこの白浜側については、「惜しい!!」という評価が当てはまりそうだ。

眼下に広がる緑の山並みと青い太平洋の対比は、いかにも里山的で好ましく思えるのだが、少しばかり標高が足りないせいか壮大さという点では尋常を域を出ない。視界を遮る木々が多いことも展望には不向きである。

とはいえ、今後の行程を思えば、この眺めは胸に刻んでおくべき価値がある。
ここは海と山とが等しく豊かな紀伊の国、その海山を連絡する古き往来の峠である。
順調にことが運ぶなら、私はここで海を見納める。

さらば、白浜。




峠頂上の切り通しは、刮目すべき深さを持っていた。

「深い切り通し」というキーワードは、いかにも古い車道(明治馬車道的な)を彷彿とさせるし、シルエットから受ける印象もその通りである。隧道があったのではないかという夢さえ見たくなるほどに。

だが、間近で観察してみると、この切り通しが存外に新しいものであることに気付いた。
なぜなら、切り通しの両側の斜面には、真新しいショベルカーの刃の痕がびっしりと刻まれていたから。

ここに至るまでの尋常ではない急勾配に続いて、これまた“力技”を感じさせる(というかそれしか感じさせない)道の貌(かお)であった。
この峠自体は、不通県道でありながら地図上にわざわざ「庄川越」と名前があることからして最近の生まれではないだろうし、切り通し自体もより古い切り通しを掘り下げたものだと思うが、ここに自動車の通れる道を欲する“関係者”の想いが文字通りに岩をも砕いた……、そんな印象を受ける風景だった。

たのもう! 日置川。



長さ30mほどの切り通しを貫通すると、やはり広場状になった場所に出た。
そこから一筋の道が続いているのが見えて、まずはホッとした。
特に「通行止」を示すような看板や、バリケードなども見あたらない。
(私だけでなく、あなたもここを自由に通行できるのである。自転車でも徒歩でも、そして……自動車でも……)

ここからは白浜町大字久木(ひさぎ)の領域で、平成18(2006)年までは日置川町に属していた。
峠の頂上まで自動車道が伸びてきた時期は、昭和56(1981)年から平成9(1997)年までの間であるから、開通当時は歴とした町境だったのだ。
県道の町境ならば市町村名の案内看板くらいはあって然るべきだが、見あたらない。町村合併で撤去された可能性もあるが、もともと設置されなかったのだろう。

つうか、ここしばらく県の存在感が全くない!(ついでに、町も)
【通告】の直前に立っていた【この道路は通り抜けできません。和歌山県】の看板以来、まったく名を現さない。県道として認定はされていても未供用らしいから当然といえば当然なのだが、淋しくはある。



さて、県道としての距離では既に後半戦に入っていたが、峠越えの探索としての後半戦は、ここからである。
むしろ、正念場はここからだとさえ思っていた。

右図は、ここから県道の終点である久木集落までの地図だ。
距離は約3.5kmで、出合集落から峠までの距離とほぼ同じだが、不安要素は白浜側より大きかった。
なぜならば、ここから1.2kmほど先の地点からは道が「徒歩道」を意味する破線で描かれており、その通りであれば自転車での走行も困難という可能性がある。

幸いここまでは“関係者”の尽力によって(やや無理矢理ではあったが)自動車が通れる状況で道は維持されていたが、それでも峠に近付くにつれて通行量が先細ってきた気配があったし、おそらくこの久木側の方が道路状況が悪いのは、ほぼ間違いないと思われた。

ところで、自転車で峠越えを行う場合に最も避けたいのが、峠を越えて下っている途中で引き返す(或いは自転車を置き去りにする)ハメになることである。だから出来るだけそんな事態にならないよう計画を立てる。それなのに今回の私が、敢えて破線区間を下りに選んだのはなぜか? その答えは、破線区間が通行可能という情報を事前に得ていた…というわけではなく、朝一から輪行を用いて探索をするという前提条件を優先したためである。詳しい説明は省くが、鉄道のダイヤや駅の位置関係、さらに次に計画していた探索など、色々な条件から、起点→終点方向の探索の成功に“賭けた”のだった。



8:54 【現在地は、上図の通り】

切り通しの通過自体は1分もかかっていないが、本日初の小休止10分を挟んでから、いざ久木側の下りへとペダルを解放した。…のだが、

……これは……、はい……

なんか怪しくなってきた。

初っ端から結構な勾配で下っているが、白浜側には最後まであって切り通しの直前ではじめて跡絶えた鋪装が………復活してくれない。

探索としては「おいしい」気もしたが、ここからは引き返しになることの方が厭なので、やっぱり「おいしくない」と思う。

そしてこの路肩からは、初めてこっち側の眺望を得る事が出来た。↓↓




からへ、世界は変わる。


地図に描き出された峠の世界観が、いまこの瞬間、動かしがたい実感を伴って一挙に押し寄せてきた。

あるいはここは、里山と深山の境界でもあったかもしれない。そんな感じも受ける。
見渡す山々の奥行きが半端ない。まだまだ紀伊半島ビギナーの私にとって未解明の山地が広がっている。
今の私には、ここに見える頂きのどれひとつとして、名を挙げることが出来ないのである。
しかし、知識が斯様に貧相であったとしても、旅の体験はとても豊潤であった。

これから、この世界を私は少しずつ解き明かすのだろうという予感がした。
今回の探索の成否に左右のされない、もっと大きな生への予感。




「戻りたくない!」 先細り行く道のゆくえ…


“ごりごり!”

今のこの道をオノマトペで表現するなら、そんな文字になる。

荒削りだ。
ただひたすらに、粗くて、荒い。

この走行感覚は、林道の末端に作られた作業道にそっくりだ。
この道には、“路盤”しかない。
路盤というのは、道形の基礎のことである。通常の道路は、地山を加工して路盤を作り、その上に砂利や土を敷いて路面とするか、さらにコンクリートやアスファルトで舗装を行って路面にしている。
だが、この道には路面がなくて、荒削りされた地山である路盤が直に露出している。
その状況は、右に見える法面と同様で、実際の質感もそっくりだった。



これは酷い。まるで、洗濯板だ。

岩がちな地山を削った路盤のゴツゴツが、自転車にはとてもキツかった。
でも、クルマならもっとキツイだろう。
普通の車高だと下回りを破壊する危険性がきわめて高い。車体重量の軽い軽トラ専用かもしれない。

…というか、さすがにもう“関係者”の軽トラでさえ、最近は通っているのか微妙である。
大きな欠壊や倒木など、致命的な障害物は無いものの、いよいよ廃道化秒読み前といった感じがしてきた。
やはり、峠を越えて地籍を変えたことで、“関係者”の力にも翳りが出てしまったのか。
今となってはさすがに、このまま麓までクルマが完抜出来るとは期待していなかった。「通告」以前に、「通り抜け出来ない」とは散々書かれていたんだしな…。
こうなってはもはや、自転車の機動力だけが頼りである。

頼むぞ。



9:00 《現在地》

峠から200mほどガタゴトと下って行くと、左側に大きな広場が現れた。
広場には砂利が敷かれており、まるで駐車場のようだった。雑草も余り生えていない。
とはいえ、頻繁に出入りがあるわけでないことは、前後の道の状況からして明らかだろう。
“謎の広場”、である。

右の写真は、道路側から広場を撮影したのだが、両者の勾配の違いがよく分かるだろう。



ここ(広場)までの道も大概だったが、この先もやばそうだ…。

この辺りは平均勾配10%前後の急坂だが、鋪装が無いのでは、とても自転車で登ることは出来ないだろう。
これを下りで通ったのは正解だったが、逆に言えば、絶対に戻って来たくないということである。


広場の少し先では、路肩から峠の尾根をよく見通せた。
中央の凹んだ所が本来の峠の鞍部だが、現在は深い掘り割りを通行するため、現場では鞍部を認識しなかった。

それにしても、今日は随分と日陰にばかり愛されていると思う。
東にある峠の稜線にいって太陽が隠されていた前半戦に続いて、峠を越えてからの後半戦も、今度は南側の稜線に遮られた。
これから先もずっと北向きの斜面なので、日光を浴びることは出来ないだろう。
だからなんだと思われるかも知れないが、寒冷な地方では出来るだけ日照時間が稼げる場所に道を通すというのは重要なファクターである。もっとも、紀伊半島は温暖な地方なので、精神衛生上の問題くらいしかないかもしれないが。



峠から400mくらいで下り方はやや緩やかになったが、路面状況は余り改善しなかった。
相変わらず、ゴツゴツした岩角や、ゴロゴロの転石が路上を支配しており、下りでなければ大半を(自転車を)押して進まねばならないだろう状況だ。
重ね重ね、引き返すことには絶対反対したい状態だが、そのことをあまり意識していると、俗に言う“死亡フラグ”(廃道では良くない予感ほど当たりやすい)に当たりそうな予感がしたので、出来るだけ自信を持って進んでいるようにアピールした。

……具体的に、こういう行動に意味があるかは、分からない。




道の両側から覆い被さるように生えている大量の緑は、全てシダ植物である。
こういう景色を見る度に、私は、紀伊半島に来たなぁと思うのだ。

慣れ親しんだ関東地方から東北地方の廃道探索では、しばしば一面のササ藪に遭遇するが、紀伊半島ではササ藪ではなく、シダ藪の卓越した場所が多い。
そして私も最初に洗礼を受けるまでは勘違いしていたが、紀伊半島にあるシダは、東北地方で目にするシダのように、甘くはない(味の話しではない)。
とげとげして、いがいがして、チクチクして、しなりがあって(←これはササと一緒)、並大抵のササ以上に、突破困難だった。

願わくは、このまま路上を塞がないでくれ…。



道は、日置川の一次支流である無名の沢(地形図に注記が無い)の右岸山腹、谷底より50〜100mも高い位置を、地形に沿って緩やかに下っていく。
現在は峠から600m前後来ているが、全て下りなのでペース的には順調である。
確か、1.2km前後の地点で地図上の道は“破線”になっていたが、今のところ状況は(低水準ではあるが)安定している。

道は高い山腹を通行しているので、谷側に高い木が生えていないところでは、存分に景色を楽しむ事が出来た。
写真右側の山腹にうっすらと水平のラインが見えるが、道の続きであるに違いない。

それはそうと、数キロは離れた山肌に、もの凄い地滑り地が見えた。
この道とは全く関係しない場所なのは良いが、ああいうのを見せられると怖ろしくなる。
この道の行く手に現れないことを願うばかりだ。

…下りに入ってからは、色々願ってばかりだな(苦笑)。



峠から900mを経過。
標高も徐々に下がって、230m前後である。
この上の写真では遠くに見えた道形の手前までやって来た。

徐々に路上への植物の浸食が濃くなってきた感じはするが、それでも道路中央にはシングルトラックか踏跡かの分別の付かない、されども明瞭な“道”の部分が残ってくれていた。
さすがにクルマはもう入っていないのだろうが、人が入っていると分かるだけでホッとする。
彼らが心を折られない限り、私だって負けることはないだろう。

なおここを走行中に、リアブレーキのワイヤーが切断するトラブルが発生した。
これは我が相棒“ルーキー号”(代々襲名中)の数少ない慢性疾患なのだが、リアブレーキのワイヤーの耐久性が極めて低い。フレーム側に何らかの問題があるのだろうが、長年原因不明だ。
探索時は常に替えのワイヤーを何本も持ち歩いているので、即座に交換作業を行った。5分追加である。

そして、再出発の直後に、“意外な展開”が待っていた。




9:16 《現在地》

え?

急に道が良くなった?!



まさしく“意外な展開”といえるものだった。

ここは峠から約1kmの地点で、地図上の道が破線になるところまで、あと200mほどである。
つまり、道はいよいよ車道としての末期的状況を迎え、徒歩道程度の状況へ転落する、そんな悪い展開が予測される場面へとさしかかっていた。

だが、実際に現れた変化は、全く逆のものであった。
ここまでの荒れ果てた“作業道”然とした道とは一線を画する、明らかにこれまでより真新しく、そして上等な作りの道が現れたのだ。

廃道ではしばしば予想より悪い展開が待ち受けているが、たまには逆のこともある。
この展開に私は安堵した。
そして同時に、ここまでの行程で心の伴侶的存在となっていた“関係者”に対して、喝采を送っていた。
執念の努力が実っておめでとう。そんな気持ちだった。

この状況の変化を、私の経験則から解釈すれば、既に車道が貫通していると考えて良いだろう。
久木側からも私の知らないうちに工事が進められていて、今、その新設区間へと突き抜けたのに違いない!



大規模な土工が施された道が、蛇行しながら続いている。
これはいかにも、未成道の末端にありがちな風景だ。今までも何度も見てきた景色である。
そして、こうなるともう先は長くないというのが定番だった。
次のカーブを曲がれば行き止まりかもしれない!……なんて場面を彷彿とさせた。

だが、今回ばかりは、今までとは状況が違う。
峠からここまでの、あのか細くて粗いパイロット道路的な区間を通り抜けた先に、これが現れたのだ。

今の道は、これまでよりも明確に幅が広く、土工の規模も段違いである。
最終的には法面の覆工や鋪装が行われる気配がある。
足元だって、裸の路盤ではなく、ちゃんと砂利の敷かれた路面になっていた。
それに、周囲には峠を越えてから初めて、広大な杉の人工林が現れていた。これも久木側の生活圏に近付いていることの兆しである。


あらゆる要素が、県道213号の完抜達成を私に意識させた!




って、
行きまるんかい!!



不肖ヨッキれん、

今回は、完全に、騙されました……(赤面)。




9:17 《現在地》

ここは峠から1.2kmの地点。
いざ、終わってみれば綺麗にぴったり、地理院地図上で実線が破線に変わる地点でしたヨ。
綺麗に踊らされた私は、けっこう恥ずかしかった。

でもこれは騙されるだろうよ!!(自己弁護)
峠を越えてしばらく下ってからのこの展開(急に道が良くなった)は、普通に、反対側から工事が進んできたと思うだろう!

結局この最後の200mだけの高規格区間は、“関係者”か県なのかは分からないが、最後にちょっとだけ本気を出したということなのだろうな。
本気出したけど、燃え尽きちゃったのか?
しかし、この区間を大規模に施工するための重機も、全て白浜側からここまでの道を通って出入りしたということに相違ないのだろうから、それはそれで結構凄い事だと思う。

…というわけで、地理院地図の地図通り、クルマが通れる規格の道は、県道起点の庄川口から7.6km、終点まで残り2.8kmという、いかにも中途半端で悔いの残りそうな位置で、終わりと相成った。

そして改めて特筆すべきは、結局ここに至るまで一度たりとて、「通行止め」「立入禁止」「封鎖ゲート」といった、通行を制限するものが一切現れなかったということだろう。
こんな姿をした県道(の予定線)が、誰に気兼ねすることなく大手を振って通行できるというのは貴重であり、「通行止」の標識1本やゲート1つが道路管理上の便利すぎる免罪符になっている現状への、なんとも尖ったアンチテーゼのように感じられた。
つまり、道路は旅行者が各自の経験に則って通行できるかどうかを判断して行動すれば良い。そんな道路趣味者にとっての世紀末的状況(理想だが絶対に実現しない)を彷彿とさせた。



さあ、気を取り直して完抜目指すぞ!