隧道レポート 金沢市御所町の廃隧道 中編

所在地 石川県金沢市
探索日 2018.11.13
公開日 2019.03.26

短いけれど変化に富んだ、何かを語りかけてきそうな素掘り隧道


2018/11/13 9:21 《現在地》

何度味わっても、障害物に遮られた隧道の内部を初めて窺うこの瞬間の高揚感は、色褪せない。
ニュータウンに押しやられ、竹藪に埋もれ、頼りない大きさになった開口部に首を差し出すと、即座に、「ワシは健在だ!」という老隧道の達者さを感じさせるような鮮烈な風が吹付けてきた。
地図から抹消されていた隧道の貫通が、この清風と、視界に灯る半円の光によって、同時に確信されたのである。

坑口前は崩土のために少し高くなっていて、内部へ入るには土の斜面を少し下りる。
このとき、外光が届く範囲の洞床が見通せたが、水が流れたような窪みが深く刻まれているのが見えた。
このことから、洞内が一方的な下り勾配になっていることも伺えた。
……先が水没していないか、不安な立ち上がりだ……。



ずいぶんと歪な坑口である。
左端の辺りは天井に頭が着きそうなほど低い。
普通に考えれば、崩壊の結果かと思うが、判然としない。

ぶるにゃん氏の情報によれば、かつて軽トラが通り抜けたという話だが、現状の風景からはイメージしづらいというのが、率直な感想だ。




あれ? こんなに天井高かった?

入口では天井の低さに驚いたばかりなのに、今度は天井の高さに驚いている。
車1台分ほどの狭い幅に対して、明らかに異常な高さがある。
そのわりに、ここから見える出口の光は扁平で、改めて水没への不安が高まるが…、この入洞直後の天井が見せた乱高下の正体は……?!



うふ、うふ、うふふふふ

やっちまってる。

これ、振り返ってみた眺めなんだが、

掘った人、やっちまったっぽい。

誤掘進 したな。  ……たぶん。

←こういうことだ。

この隧道、私が入った東口から西口へ向かって下り坂になっているようだが、基本的にこうした片勾配の隧道は、地下水処理の問題から、低い側の坑口(この場合は西口)から掘り進んだ方が効率が良い(片掘り)。
だがこのとき、測量の精度が十分でないと誤掘進が起こり、掘りすぎた部分が完成後の隧道に痕跡として残ることがある。(対して、両側から掘り進む(迎え掘り)場合、隧道の中央付近で接合することになるので、誤掘進があっても完成後は目立たないことが多い)


こちらの写真は、誤掘進とみられる空洞の先端(2枚上の画像の桃色枠部分)の様子である。

鑿で削った痕が、非常に鮮明に残っていた。
私はひとしきり目を瞑って、この場にいない掘り手の姿を思った。
力一杯鑿を振るった最後の日、彼は残り5mに近づいていた外の気配を感じていたのだろうか。
現場監督は、いったいどんな言葉で彼に掘り直しを告げたのだろう…。

なお、鑿の痕はここだけではなく、壁面のいろいろな場所で見られた。
しかし、この誤掘進部は手を触れられない高さにあるせいか、あるいは地質が周辺よりも堅かったからなのか、特によく残っていた。
もしかしたらこれは最初に書いたような測量の未熟による誤掘進ではなく、上部の地質が堅すぎたために、途中で進路を少し低い位置に変更したという可能性もある……のかもしれない。

真相は分からないが、壁面の凹凸に物語を想像する余地があるのは、素掘り隧道の面白さだ。
また、完成時期に関する確定情報がない今回の隧道だが、その建造方法は手掘りだった確証を得た。
やはり、古い隧道なのだろう。



洞床に刻まれた深い溝を、透き通った少量の水が音もなく流れていた。
その下り行く先に出口の光が見えるが、まだ水没の危機は残っている。

この隧道、全体的に銀色だ。
外では茶色いはずの洞床の土も、表面は土色をしていない。
これは内壁にたくさん付着している白い結晶質のものが原因と思われ、素掘り隧道ではよく見られる光景であるが、未だに私は正体を知らない。

地図上から推定されたこの隧道の全長は、約120mである。
そして、この写真の場所は東口からおおよそ3分の1の地点、次の写真は中間辺りだろうと思う。
この辺りまで来て、だんだんと特徴が見えて来た。
ありきたりな素掘り隧道で終わらない感じが、ムクムクとしてきた。



洞床の溝が広がりだしたかと思うと、そのまま床一面が水浸し……にはならなかった。幸いにも。広がったのは、水底にできる特徴的な模様が刻まれた洞床であり、そこに水はなかった。ラッキーな渇水に巡り合わせたのか? 水没の危機は去った!

それにしても、壁や天井が全く崩れていない。
このことは、素掘り廃隧道の評価として特筆して良い。
よほど隧道の長期保存に恵まれた堅牢な地質なのだろうが、それだけに手掘りでの掘削はずいぶんと骨が折れたはずである。

柔らかいほうが掘りやすいけれど、柔らかすぎれば崩れてしまうというというのは当然のこととして、完成後に隧道が長持ちするかどうかは、地質の単純な硬軟だけでなく、風化に対する特性も大きく影響する。風化によって壊れるときにどういう形で砕け易いかが重要で、理想は塊にならず砂のように解れていく岩だ。亀裂を生じてごっそり落ちるようなものは、圧壊に結びつきやすい。

かつて名うてとされた山師やトンネル技術者は、ボーリング調査などせずとも、地表の地形や植生から地中の岩質を知り得たという。そして彼らの眼力は、実際に多くのトンネルを成功に導く鋭さをもっていた。



驚いた!

なにこの素掘りとは思えない断面の綺麗さ!

天井の欠円アーチと垂直の側壁が、見事な左右対称になっていて、まるでコンクリートで覆工したトンネルみたいだ。
だが、どこからどう見ても天然の岩盤だ。天井がアーチのカーブを描いていなければ、いかにも石切場なんかにありそうな、
ある意味つまらない四角いトンネルだったかもしれないが、アーチの天井がまさに職人芸を窺わせる見事さだった。

トンネルのアーチは、地圧によく抗するための知恵というのが定説だが、おそらくこの堅牢な地質ならば、
ここまで綺麗なアーチを作る必要はなかったはず。むしろ、この綺麗すぎるアーチは、真逆の発想から生まれたのではないかと思う。
岩盤が固くて手掘りが大変すぎるから、少しでも無駄な掘削量を減らしたい。だから車が通れる必要最小限だけを掘ろう!
……というような意図が、私には感じられたのである。(そうでなければ、施工者はもの凄い凝り性だったか……)

事実、この隧道の断面の小ささはいまや、車両通行を想定しうる限界レベルにまで縮小していた!
ほんの数十メートル前はあんなに高かった天井が、いまやもう手が届きそうな位置にある。




車両通行が想定しうる限界レベルの小断面というのは、決して大袈裟な表現ではない。

見よこの壁を!天井を!

何かが激しく擦った痕が刻まれていた。

手掘りの鑿の痕では明らかにない。
かといって、こんな狭い隧道に重機が入って工事をしたとも思われない。
手掘りでない、重機でないとなれば、これは無理矢理通り抜けようとした車が擦った痕だと考えるのが理に適っていよう。
その車が軽トラのような自動車だったのか、人や牛馬の曳く荷車だったのかは分からないが、傷の深さからして前者っぽい。



断面の形は非常に綺麗だが、それでも手作り感を全く隠せていないのが、なんとも言えない微妙なグネグネ具合だ。

この写真は入口を振り返って撮影したのだが、側壁が描く波打つようなカーブがよく分かるだろう。
当然、ギリギリ断面のトンネルでは、このカーブも車体が壁に接触させる大きな原因となったに違いなく、深い傷が無数に付けられていた……。車が大切なら、間違ってもこんな隧道に入ってはいけない…。

しかし、それにしても本当に綺麗な天井のアーチである。
作った人も、この出来映えにはうっとりしたのではなかったか。
芸術的なレベルにさえ達していると思うが、どうやってこの絶妙なカーブを均等に削り出したのか、不思議である。念入りに時間を掛けて削り続けたのだと思う…。

なお、うっとりと壁や天井を観察していた私は、“ある異物”の存在に気付いた。
一度は素通りしていたが、振り返って観察している中で見つけたものとは――



壁面に刻まれた、人の顔を思わせる奇妙な紋様だった。

中央付近の左側壁に直径30cmほどの円が描かれ、その内側に3つの丸い凹みが穿たれていた。
凹みの配置が逆三角形であるため、シミュラクラ現象によって私はこれを人の顔のように認識した。
明らかに何者かが意図を持って作ったものだと思うし、後年の悪戯の痕である可能性が高いとは思いつつも、
鑿で削った痕にも見えるし、岩を削るだけの本気度があったわけで、時期も意図も計りかねるものがあった。

そして、この奇妙な紋様――



一つではなかった。



よりはっきりと人の顔と認識できる鮮明なものが、近くに刻まれていた。

悪趣味で考察するに足らないイタズラであると切り捨てるのは容易いが、よく見て欲しいのだ。

この顔面の頭部は、アーチ部分を特徴付けるおびただしい数の鑿痕に干渉していないだろうか。

もしそうであるならば、この顔面壁画……、隧道がいまの姿になった当時からあった可能性が高いのではなかろうか……?

いったい、なんのために? まさか、「ひきかえせ」「ひきかえしたほうがいいぞ!」なんて言わせたかったわけではあるまい。

前も後ろも光が近いこの隧道だからにこやかにお見合いできたが、これが長大隧道だったらブルッとしただろうな。ぶるにゃーん…



天井と側壁に注目した後には、洞床にも注目した。

動画の中で語っているとおり、隧道の西側半分の洞床は比較的最近まで完全に水没していたようだった。
流れのほとんどない水底で静かに堆積したと思われるクリーム色の良く締まった砂地が一面を覆っていて、
泥濘んではいないが、まったく誰の足跡もないために、とても無垢な感じがあった。
そして、洞床から40cmくらいの両側の壁に旧水位を示すラインが鮮明に残っていた。
堆積物を除去すれば本来の天井の高さが分かるだろうが、おそらく堆積の厚みは30cmもなさそうだ。



謎の顔面壁画に見送られつつ、いよいよ隧道は終盤20mほど。

ここで再び地質の印象が変化し、色も銀色から茶色っぽくなった。
この変化は、即座に断面形の変化となっても現われていた。
直前までの整形された四角に近い断面から一転し、最後は丸っこい可愛らしい断面である。
わざわざ側壁を丸く整形する必要性はないはずだから、風化によって角が取れて丸くなったものと思う。

そしてこの最後のシーンにも、本隧道を特色づける、

非常に珍しい発見があった!



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