隧道レポート 走水での“未確認隧道”unidentified tunnel (UT)捜索作戦 第2回

所在地 神奈川県横須賀市
探索日 2024.03.25
公開日 2024.04.16

 浄林寺裏の小道沿いに“隧道”を捜索開始


2024/3/25 5:43 《現在地》

目論見通り、浄林寺脇の小道へ入った。
地理院地図では「軽車道」の記号で描かれている道だが、これはとても四輪の車が入れる幅ではない。
道幅だけでなく勾配も厳しく、私は入って数メートルで自転車を諦めた。(この道を抜けるつもりなら押して進むが、今回は隧道を探し終えたら戻ってくるか、戻らないにしても山を越えればスタート地点にエクストレイルがあるので、自転車に執着なし)

道は浄林寺附属の墓園と山の境の位置を、4分の1勾配ほどの激坂で一気に登っている。
ちなみに、横須賀市が公開している道路台帳図にこの道は描かれていないので、市道ではない。消去法的に、私道や里道(認定外道路)の可能性が高いか。
特に立入りを制限する表示などはないが、どこへ通じているといった案内もない。



そして道は、霧深い馬堀海岸の住宅地に別れを告げ、まだ薄暗い森の中へ潜っていった。
道の位置的には、首尾良く走水第一隧道の上部へ近づいており、期待感が順調に膨らんでいる。

かつて、“虫取り少年”が潜り抜けたのであれば、おそらく隧道の前後にも道があったであろうが、その道の候補としては、ここが一番濃いような気がしている。防衛大学校が当地に移転した昭和30(1955)年以前の話となると、少年の行動範囲はさらに追い切れない広がりを見せるだろうが、おそらくそこまで昔ではないはずだ…。




5:46

うおっ! だ!!!!!

って、ごめん! これは唐突すぎだよなwww

私にとっても、予期せぬタイミングでこの穴を見つけたので、接近段階での撮影を怠っていた。

穴の素性を同行する前に、この現場の場所と状況を説明しよう。

つか、俺の心臓がいまバクバクしてる。



これ、現場より15mほど後退した位置から、現場を撮影している。

この位置や角度から、穴は見えない。

見えるのは、ここまで登ってきた坂道が、この先で直角に右へ折れ、同時に階段が始まっていることだ。



地図上の位置としては、ここにいる。

さすがに2万5千分の1の地図のスケールでは細かい道や地形の様子は読み取りづらいが…、捜索すべき隧道の擬定エリア内にはぎりぎり入っているかと思う。



で、この直角に道が折れているところの正面に、黄色くハイライトしたコンクリートの壁があるのが目についた。

なぜ、この位置に壁? 少し違和感を憶えた。

そして、既に“隧道脳”が全開なので、これが土に埋め戻されたコンクリート坑門の上部ではないかという疑いを持った。

そう疑いつつも、二信八疑くらいだったから近づきながらの撮影はせず(結構な雨のためカメラを雨合羽の内に入れていて出すのが面倒くさかったせいもある)

そのままコンクリートの壁に寄って観察をしたが、壁と地面の隙間に開口はなく、扁額など坑門らしい痕跡もなかった。



で、次にコンクリート壁の上面に立ってみたところ、そこには一畳ほどの平らなスペースがあって、

ん?! んんーーっ!?!?



うおっ! だ!!!! (再現)

……と、なった次第である。



別アングルから見下ろして開口部(矢印の位置)を撮影。



もう一度、開口部正対の引き位置から撮影。
この赤く示した位置に小さな開口部が存在する。
手前にあるコンクリート壁との関係は定かでないが、壁の正体については、次の2パターンを想定した。

  1. 埋め戻されたコンクリート坑門であり、開口部は坑門上部が落盤し坑道へ貫通した結果生じた。
  2. 坑口を埋め戻すために設けた土留め擁壁であるが、開口部は坑門上部が落盤し坑道へ貫通した結果生じた。

いずれにしても、開口部上部の土被りは相当に薄く見え、直上を歩いて越えることに対して隧道が思わず欲しくなるほどの落差であるかと問われれば、疑問はある。
が、今はともかく発見した開口部の調査を継続する。



開口部の前に跪き、顔の前に掲げたカメラを開口部に差し込む形で撮影した。

開口部は非常に狭く、かつ開口方向は、ほぼ縦穴である。
が、縦穴の奥には、少し断面の大きな横穴部分らしき洞床が見える。隧道なのか行き止まりの横穴かは分からないが、純粋な自然洞穴ではない。人工物だ。
しかし、開口部と、奥の横穴洞床との落差は、3〜5mはありそう。ちょっと潜って足が届く深さではない。

特に開口部に手を加えなくても、人体を無理矢理通過させるくらいの断面積はありそうだが(ちょうどギリギリくらい)、深い縦穴で、かつ雨で濡れた土山であることから、闇雲に入り込むと出てこられなくなる恐れが多分にある。
しかも、貫通した隧道であれば高確率で感ぜられる通風の気配が、ここにはまるでなかった。
おそらくこの穴は現状、行き止まりであると思う。



(↑)動画も撮影した。

しかしまさかこんなに早く、目当ての隧道かもしれない穴に巡り会えるとは思わなかった。
この“小道”を辿れば、(オブローダーなら)誰でも気付けそうな穴である。
が、明らかに一筋縄では行かない穴だった。入って確かめたいのはやまやまだが、単独で装備もなく突入するのは危険すぎた。

「さあ、横須賀市在住の読者様、出勤前に一緒に穴掘りしませんか? 私が潜るので、ロープを垂らして入口で見守っていて下さい」なんてSNSで緊急募集しようかなんてことも一瞬だけ頭を過ったが、さすがに急すぎだし、自重した。

ここは無理はせず、隧道ならばあって然るべき反対側の坑口を探してみよう。
土被り的に、存在するなら凄く近いはず。
そもそも、横須賀は穴の多い街なのである。隧道の100倍はそれ以外の穴があるだろう。たとえば防空壕、あるいは地下軍需工場、はたまた地下倉庫、古い横井戸跡に、稀には横穴古墳まで……、ありすぎる。
だから、貫通していて、かつ前後に道があるような穴以外は、道路隧道とは認定しがたい。
いま発見した穴も、今はまだ、“ただの穴”でしかないといえた。



 “開口部”の反対側は、どうなっている?!


2024/3/25 5:48 《現在地》

この地図は、全国地価マップに少しだけ書き加えたものだ。
サイトの目的外利用になるのだろうが、ベースの地図が住宅地図並に大縮尺なので、市街地での探索では非常に重宝している。

地図の「現在地」の位置に開口部があり、それは「赤矢印」を描いた方向に伸びているように見えた。
だが、開口部から洞内へ潜ることが出来ないので、もし穴の正体が隧道なら存在を期待できる反対側の出口を探すべく、地上を「赤矢印」方向へ進んでみることにした。
ここで初めて道を外れる。



分の単位ではなく、歩数で数えられるほどの一瞬で、穴の直上の尾根へ達した。そこに人工的な痕跡は特にない。
開口部よりも本来の穴の天井は低い位置にあるが、開口部と尾根の比高は5mにも満たないから、洞床との比高もせいぜい10m程度だと思う。

そして気になる尾根の向こう側……穴の出口が期待できる側は、いきなり急角度に切れ落ちていた。
切れ落ちた向こうには白を基調とした空間の広がりが見えるが、それは霧に煙る市街地である。
地形的に、穴の出口を探せる余地がとても少ないことを察した。



それでも諦めず斜面へ下り込んだ。
落葉の積もった濡れた土斜面はとても滑りやすく、滑落に注意を要した。
密に生えている小樹や笹を手掛かりにして、慎重に下る。

と、ものの数歩で、世界の果てのような“ライン”が見えてきた。
それは、金属製の支柱と金属ネットからなる、道路上では見慣れた落石防止柵だった。
だが道路はこちら側ではない。落石防止柵の向こう側に道路があるのだ。

ここで私は理解した。



私はいま、さっき目にしたこの高い擁壁の上に並ぶ落石防止柵の裏にいるのだ。

見ての通り、この擁壁は明治の走水隧道とは比べものにならないほどに新しい。
“虫取り少年”の時代にも、まだなかったはずだ。
おそらく当時はもっと道が狭く、法面は自然の崖であったのではないだろうか。
そして、もしかしたらその崖の高い所に、彼の通り抜けた隧道が口を開けていたのかも知れぬ……。



私も執念深く、落石防止柵に手が届く位置まで降りて、隧道の出口や、埋れた坑口の跡を探した。

滑りやすさと、高さに怯えながら!

……だが、成果は得られず、この捜索は端的に言って、もう二度と試したくない苦行となった。
というのも、落石防止柵の近くの斜面には金網が張られていて(=落石防止ネット)、これが足元でとんでもなく滑りまくって大変だったのだ。
柵を乗り越えて下まで落ちることはないにせよ、濡れた金網と鼠返しのような灌木のコンボは、一度降りたら最後、容易に登り返すことが出来ず、苦しんでいるうちにびしょ濡れにもなって、最悪だった。



そんなわけで、小道沿いでさっそく見つけた開口部であったが、その正体は、現時点では不明である。
事情を知る関係者の証言や 信頼できる文献を入手するか、あるいは準備を整えて開口部に潜って内部を確かめるでもしないと、これがもともと貫通していた隧道なのか、行き止まりの穴だったかの判断は難しい。

この状態で立ち去るのは不本意だが、今日は天候も悪く無理は禁物だ。単独行で穴から出られなくなったら、マジで笑えない。
それでも、ここに開口部があったという報告は情報提供者へお返しできるので、それをひとまずの成果と認め、また先に“本命”が待ち受けている可能性にも期待しつつ、小道へ戻って先へ進もうと思う。だから、、 この最悪のアリジゴクから脱出したい!



5:54 《現在地》

苦労して道へ戻った。
写真は開口部があった所を、階段から見下ろすようにして振り返っている。
開口部の前で道が直角に折れていること。そしてそこから階段が始まっていること。
これらのことには意味があったのだろうか。
疑問を残しつつ、先へ進む。



5:55

階段は長いものではなく、すぐに登り切った。
そして間もなく、写真のような「立入禁止」と書かれたコーンが道を通せんぼしていた。
が、これはおそらく道の通行を禁じているわけではなく、この先のマンホールが壊れているために、それを踏むなという指示だと判断。
この道、とても狭いのに舗装がされているが、おそらく舗装の下に水路が埋設されている。それで点々とマンホールがある。



5:56

道は舗装がなくなり土道になった。
だが道形は依然として明瞭で、これは獣道や刈払いをしただけの山道ではない。何か目的地へ向かって整備された道であると感じる。
また、路傍に何かの無人施設があり、制御ボックスと電信柱が並んでいた。

道は地形に沿って穏やかに北へ伸びており、40mほどの間隔を置いて並走している県道が走水第一隧道に入っても、道から見える地形や景色に変化はなかった。
隧道上で隧道探しをするという計画を念頭に、この辺で道から外れて斜面を降りてみることも考えたが、その方向を見下ろしてみても(チェンジ後の画像)、おそらく自然林らしき照葉樹の森が広がっているだけで、道も、隧道を掘りたくなるような起伏も、見当らなかった。
この道が気持ち良い道であることも手伝って、道草をせず前進した。



5:58 《現在地》

小まめにGPSで現在地を確認しながら歩いていたので気付いたが、地理院地図などで道が左右二手に分れている地点はここだ。

が、この直前から笹藪が路上に侵入していることもあって、この分岐は非常に分かりづらい。
そして、見える道形を自然になぞっていくと、進路は「左の道」上へ推移した。
ここはもとから左の道を選ぼうと思っていたので良かったが、振り返って確認すると(チェンジ後の画像)、いままで緩やかに上ってきた道がここで下りへ転じており、分岐はちょうどサミットの部分にあって、左の道を選ぶと下り、右の道を選ぶとまだ上ることが分かった。

改めて、左の道へ。



5:59

少し進むと急に真新しい刈払いが出現した。
道だけではなく、道の下側の斜面の広い範囲に下草を刈った形跡がある。
その目的は分からないが、お陰で歩行の妨げになりつつあった笹が駆逐されている。

また、この先は小さな谷地形になっていることが、地形図だけでなく風景からも読み取れる。
谷は、第一隧道と第二隧道を分ける【短い明り区間】の直上に注いでいるものだ。



6:02 《現在地》

うわっ!

道が鉄柵で塞がれている……。

時代を感じさせる裸電球の街灯柱が、傾いた姿でポツンと立っていた。
昔はこの道に街灯があったのか、それとも、この場所を照らす理由があったのか…。
この先は、前述の通り、おそらく沢である。道は沢を渡って対岸、即ち第二隧道直上の尾根を登っていくように、地形図では描いている。
正直、隧道がある感じの地形ではもうないと感じているが、歩いて確かめることも許されないか……。



鉄柵には道の部分に扉があり開閉できるようになっていたが、生憎、南京錠で閉ざされていた。
鉄柵全体に鉄条網が附属しており、乗り越えて進むことは許さない攻勢だ。
というか、さすがに防衛大学校の敷地や横須賀市の上水道用地なのだとしたら、勝手に立ち入ったらマズい。

この時点で本ルートでの隧道捜索を断念しようと決めたが、柵越しに覗いた向こう側の状況は、仮に柵がなくても立ち入ろうと思えないほどの猛烈な密生笹藪であったから、諦めは付きやすかった。
誰も入らないから、こういうことになるんだろうな。それもわざとかも知れないが…。



第一隧道上部での隧道捜索は、これで切り上げることにした。

柵の厳重さから見て、それが谷の上流や下流ですぐに途切れているとは思えなかったし、ここまで歩いてきた道のどこからも第一隧道の方向へ下って行く枝道はなかった(唯一の例外が“開口部”だった)ので、第一隧道上部の領域に“虫取り少年”が歩きそうな道は、この道の他にはないと判断した。
その道をこれ以上進めなくなったので、一度引き返して仕切り直したい。

今度は、第二隧道側から山へ入ってみよう!






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