隧道レポート 釜トンネル 第4回

所在地 長野県松本市安曇
探索日 2008. 7. 2
公開日 2008.10.22

 ほの明かりの廃隧道 


17:32

「このシルエットの人物は、ナガジスさんなんじゃねーの?」

そんなツッコミをくれたアナタ。

 アナタ鋭い!



待って待って! これは騙しなんかじゃないんだ。

ナガジスさんの足が速いんだもん。
私が感無量になって立ち止まっている最中も、どんどん地下へ吸い込まれていきやがる(笑)。

もっとも、あの“灯り”の正体は、私もチョー気になる。
かつて某鉱山で図らずも現役坑道に行き当たってしまったときの気まずさが思い出され、ちょっと息苦しい。




私は、おそるおそる灯りのそばへ近づいていった。

それは、紛れもなく横坑である。


…いや、もしかしたら自分たちの入ってきた方が「枝」なのか?

ほの明るい坑道との接続部は、そのようにも取れる線形である。


事前の予習の少なさから、この現状がなかなか我々には飲み込めなかった。

十数年前にも釜トンを通行しているが、こんな洞内分岐は無かったはずだ。




どう考えても、私が入った坑口は間違いなく釜トンの旧坑口である。

そして、この灯りの点灯された坑道のうち、右が旧釜トンネルの続きである。

にわかには信じがたいかも知れないが、もともと本坑はこんなにも屈折していた…。
(言うまでもなく、これが釜トンの恐ろしさの一つだ)

そして、見慣れぬ左の坑道は…。


勘の良い方ならばもうお気づきであろう。

左は、新釜トンネルとの連絡坑である。





洞内左折。

幸いにして、光の下に我々以外の生者はなかった。

ナトリウムライトの赤色光に煌々と照らされた路面は、不思議にも、分岐からやや下りになっている。
これは、釜トン全体の一方的な上り急勾配(中ノ湯側から)を考えれば、全く矛盾する下りである。
すなわち、この分(数メートル)が、現在の釜トンと旧釜トンの高低差ということになるのだろう。

明らかにイレギュラーな構造であるが、なんとこの連絡坑が「正式な県道」として使われていた時期もあると言うから驚く。




ややこしい話は後にしよう。
先に、連絡坑の状況を確認する。

釜トン標準である、たてよこ4mサイズの坑道が10mほど続いた先は、車を通さない極小断面に変わっている。

現在の連絡坑は、人だけが通れる規格になっているのだ。




断面が小さくなる所に置かれている、新しげな制御ボックス。

そこには、 「釜 (下) 照明盤」とあった。

どうやらこれは、新トンネルの照明制御盤であるらしい。
しかも、「釜(下)」などと銘打たれている以上、新トンネルの照明の系統はこの地点で、「上」と「下」に別れているのだろう。

無知であった我々が、
「新釜トンは元々ひと続きのトンネルではなかったのではないか?」
という着想に至ったのは、この発見によるものであった。




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極小断面になった連絡坑。

なお10mほど続いた先で、鉄の扉に突き当たって終わった。

引き戸の、鉄扉である。

この扉の裏に違いない。
壁の向こうからは、聞き違えることのないエンジン音が木霊していた。


これは、十数年前には存在しなかった、釜トンの“いちばん新しい風景”である。
さらに言えば、この風景は旧釜トンが廃止になってから生まれたものだから、オブローダーにのみ許されたものとも言える。





本坑分岐地点に戻った。

写真は、中ノ湯側から上高地側を分岐を振り返って撮影。
左が本坑(上高地口)、右が新トンネルへの連絡坑である。
三次元的に複雑な形状を成す分岐の様子が見て取れるだろう。


それにしても、なぜこの分岐地点だけ照明が点灯し続けているのだろう。

それは、おそらくこの分岐部分までは新トンネルの上半分、すなわち、「釜上トンネル」の照明系統と繋がっていて、この分岐だけを消灯させる事は出来ない仕組みになっているのだろう。
電気代の無駄というは易いが、無人であることが分かってからは、我々に小さくない安心感を提供してくれた。




最新の地形図には、新旧両方のトンネルが描かれている。

しかも、これは珍しい事であるが、2本のトンネルを結ぶ「連絡坑」も描かれているのである。

地形図には「隧道内分岐」を示す地図記号は無いので、このように拡大してみなければ気付かないほど分かりにくいのだが、それは間違いなく描かれている。


そればかりではない。

全長1310mの一本のトンネルのように振る舞っている新トンネルの上半分には、わざわざ「釜上トンネル」と書いてある。

これは、現在の新トンネルが最初からこの姿であったのではなく、釜上洞門に対応する釜上トンネルと、旧釜トンネルに対応する釜トンネルという風に、2回に分けて建設・供用された名残を示している。

そしてこれも極めて珍しい事であるが、旧-新、新-新のトンネル同士は、地中にて接続された。
それ故、1本の連絡坑が残っているのである。



時系列を追ってのトンネルの変化を見て欲しい。

@
平成14年7月31日までの「(旧)釜トンネル」(510m)。

A
平成11年9月に発生した土砂崩れの「災害関連(復旧)工事」として、崩壊現場を地中に避ける「釜上トンネル」(全長670m)の建設が決定し、平成12年に着工。全額国補にて14年7月完成。県道が切り替えられた。
この釜上トンネルは、旧釜トンネルの上高地側坑口から約50mほど下った地点に接続されたので、洞内分岐が生じた。

B
幅高さとも4mほどと狭隘な旧釜トンネルと、近代的な釜上トンネルがドッキングするという、“理不尽”なスタイルでの供用が開始されてまもなく、これを機に釜トンネルも新トンネルに切り替えようとの議論が起こった。国補による「緊急地方道路整備工事」が効くためか、地元からはさほどの反対もなく、「(新)釜トンネル」(全長705m)は平成14年10月に早くも着工した。工事は平成17年12月に竣工し、県道は再び切り替えられた。
(新)釜トンネルは、釜上トンネルの上高地側から605mの地点に接続されたので、2つ目の洞内分岐が生じるとともに、残された65mの釜上トンネルは、わずか3年で公道としての役目を終え、「連絡坑」となった。

以上が、この釜トンネルで起きた坑道変遷の歴史である。




17:36

分岐地点から、本坑の“奥”を臨む。


…暗い。

さもそれが当然のように、照明は点いていない。


まだ、我々は釜トンのわずか50mしか体験していないのだ。

残りは、約450m。






しかし、この闇の深さは、

それ以上の何かを感じさせる……。