隧道レポート 国道474号 草木トンネル  最終回&考察編

所在地 静岡県浜松市天竜区
探索日 2011.3. 3
公開日 2011.10.4


草木トンネルの避難坑の正体






前回の動画の最後に急停止した私が、見つけたものは何だったか。

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2011/3/3 7:22 

自転車の急ブレーキをかけて狭い避難坑内でUターンをし、脇目に「なにか」を見た場所へと戻ってみた。

するとその場所の側壁には、黒い小さな穴が、ぽっかりと口を開けていた。

3Dグラフィックスの“テクスチャ欠け”のように見える、おおよそ50cm四方の穴。
本坑のある側である。

これまでこんなモノは無かったと思うが、なぜここに来て急に現れたのか?

ドキドキしながら、さらに穴の前へと近付いてみる。




地球のお肉、登場。

私に地質学の知識があれば、トンネル内に思いがけず現れたこの地肌に、もっと気の利いた解説を与えられただろう。

しかし、何か学術的な意味をもって指標的に残された露頭だろうという想像は、間違っていないだろう。
このトンネルが貫通する日本最大の大断層「中央構造線」に関する、“人工露頭”なのではないだろうか。

露頭を観察してみる。
赤茶けた岩盤は乾いていて一見緻密そうだが、実際は脆く、その表面は砂のようにこぼれ落ちて堆積している。
これが、断層地帯のトンネルでたびたび技術者たちを苦しめる、「破砕帯」というものなのかも知れない。

前の話に戻るが、草木トンネルを「中央構造線とトンネル技術の資料館」(←妄想です)として転用するにあたっては、この露頭の存在が素晴らしい資源になるだろう。地中400mもの深度にある岩の表面など、普通の生活をしていて目にする機会はないし、ましてここが“日本の国土の成り立ちに重要な意味を占める中央構造線”となれば、「ジオパーク」として利用しない手はない。この周辺のコンクリートの巻き立てを最新の強化ガラスと取り替えて、一定の長さの露頭が見られるようになると、さらに面白そうだ。 ガラスばりの素堀隧道なんて、ワクワクする。(全て妄想です)




小さな穴の正体は、人工的な露頭だった。


そして、発見はさらに続いた。


露頭から少しだけ進むと、今度は反対側の壁に…



さらに大きな “穴” が現れたのだ!




地中400mの奥地で分岐する、第三の横坑…!


今までの本坑との連絡横坑とは、明らかに様相が異なっている。

第一には向きが違う。この横坑は、本坑の方を向いていない!
鋭角に後方右側へ向けて分岐していた。

そして、サイズも避難坑よりさらにひとまわり小さく、特に高さは2mに満たない。

さらに、トンネル内には似つかわしくないようなガードパイプで、封鎖されていた!




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避難坑に自転車を残し、ガードパイプを跨ぐ。

この最初の一歩目から、普通ではない光景があった。

足元にはパイプが2本とゴムのホースが1本。
そしてその周囲の地面は、コンクリートの上にうっすらと乳白色の結晶状の層が出来ていた。

この質感、間違いなくコンクリート鍾乳石(コンクリート中の石灰分が地下水などで析出し再結晶化したもの)である。
今は周囲は乾いているが、かつて広く水浸しになるような状況があったことが伺えた。

そして、もうひとつ伝えておかなければならないことがある。
それは背後(すなわち洞奥)から絶え間なく聞こえてくる、激しい水の音だ。




闇の先へ続く地を這うパイプ。
パイプの中には、おそらく今も水が流れている。

壁にはNATM工法で作られたトンネルではお馴染みの、コンクリートの巻厚を示す「25」の表示。すなわち25cmということで、本坑が45〜60cmであるのに較べれば、薄い。

その隣のプレートは、もはや我々一般人にとっては暗号にも等しい、文字と数字の羅列があった。
大雑把だが、この地点には工事中にトンネルの測量を行うための「測点NO22」が存在し、池島側坑口からは448.665mの地点であることを示しているのか。
測量値がミリ単位であるあたりに、現代のトンネル工事が如何に緻密なものであるかが見て取れる。

さらに、右下。

パイプの上にもう一枚のプレートがあった。

そしてその内容は、私を俄に興奮させるものだった!




くわっ!タッ!

これまで、遠くの道路標識以外では徹底的に「隠蔽」されてしまっていた、この道の旧称。

「三遠南信自動車道」

流石にこのような一般利用者の目が届かぬ地の底にあっては、一般道化に伴う看板の掛け替えも行われていなかった。
「平成2年度」といえば、開通の4年も前である。周囲ではダイナマイトなどを用いた破壊的な掘削が、まさに進められている最中であったろう。

このプレートの発見により、現在私が入り込んでいる横坑の正体も判明した。
それは、「第二ボーリング室」という場所だった。




「第二ボーリング室」へと続く横坑は、長いものでは無かった。

水が薄く張った横坑の閉塞壁は、入口から20mほど先に厳然と存在していた。

そして、床を這うパイプやホースは、それぞれ閉塞壁に面して設置された2つの水槽に繋がれていた。

先ほどから激しい水音を立てているのは、左側の水槽である。

この2つ水槽を大きな満たし、さらに床にも溢れている大量の水の出所は、閉塞壁に直接設けられた巨大な“栓”であった。




うひょー!
南アルプスの天然水」をゲットし放題だぜ!!

激しく流れ出る水に触れてみたが、当たり前のようにすごく冷たい。
次に口元へ少しすくって飲んでみたが、当たり前のようにすごく美味しい。

地下400mで人知れず大量の水を吐き出しつづけている、「第二ボーリング室」なる横坑。
こうしたいわゆる「作業坑」に分類される施設は、現代の長大トンネルや地質的に難易度の高いトンネル工事において、しばしば設けられるものであるという。

しかし、その多くはトンネルの完成と共に埋め戻されたり、少なくとも一般の利用者の目が届かないようなところに押しやられてしまう。
まさに、トンネルの裏の顔というべき存在だ。
かく言う私も、道路用のトンネルで作業鉱を見るのは、これが初めてだった。

これだけ大量の水が出続けているところを見るに、ボーリング室といっても、地質を調べるためのボーリングではなく、横坑から周囲や前方の帯水層に向けてボーリング孔を設け、予め地下水を抜いておくことで地中の水圧を下げる(掘削時の異常出水を避ける)ような目的のものだったのではないだろうか。




この短い作業坑は、

草木トンネルがかつて演じた、中央構造線との死闘。

そのただひとつの名残りではなかろうか。


この“盲腸”のような空間にだけは、交通によって上書きされぬテクノのフェロモンが、微かに漂っていた。





せっかくなので、草木トンネルが中央構造線を貫通している証拠として、当時の資料を転載してみよう。
これは、「土木技術1990年8月号」に掲載された「NATM特集:中央構造線を貫く草木トンネル」という記事に掲載された、草木トンネルの断面図と平面図である。

完全に貫通している。
それに、現在地のボーリング室や、先ほど「露頭」を見た辺りが、中央構造線の真っ直中であることも分かる。

記事の方には、こんなことが書かれている(もちろん抜粋)。

トンネル中央付近には、日本最大級の大断層「中央構造線」が存在し、地山の破砕程度が激しく、また「中央構造線」背面には高被圧水が胚胎している。

上の一文には、中央構造線に限らず、断層帯にトンネルを建設する際の2つの困難事が述べられている。
すなわち、「破砕帯」(断層運動により破壊された脆い岩盤で落盤の原因)と「高被圧水」(異常出水の原因)である。
そして、これらが複合して現れることが、断層帯のトンネル工事を困難にしている。

こうした難しいトンネルを貫通させるために、現代トンネル技術の粋が凝らされた。
まず、私が今回「避難坑」として探索している小トンネルは、本坑に先駆けて掘削されていた「先進導坑」であった。
先進導坑を本坑の予定地から23m北側に先進して掘り進めながら、本坑の行く手にある地質を調査し、またボーリングなどの方法で地盤改良を行いながら、後を追う本坑掘削の手助けをしたのである。




下の「図−6」には、本坑と先進導坑(避難坑)の周囲に多数が掘削された、ボーリング坑が描かれている。
よく見ると、この中に「ボーリング室(No.2)」の表示もある。
先進導坑に面してこうしたボーリング室は全部で3箇所あったが、No.2がもっとも規模が大きく、唯一横坑形状となっていた。
今日、他の2つのボーリング室は埋め戻されたのか、痕跡が見あたらない。

ボーリング室No.2は断層破砕帯内への構築である為、横坑方式・NATM工法とした。

この直後のレポートは、緊迫感を帯びている。
素人の私には分からないところもあるが、その分からなさも含めて、大変な仕事だったのだと“分かる”。

本坑はDIIIパターンでこの区間の施工を開始したが、水による地山の劣化や切羽天端の自立性に問題が生じ、地山や支保部材の変状観察では、「注意レベルIII(異常状態)」の状態が多くなった。これに対し、ウィングリブ付き鋼支保工(H-200)を用い、ロックボルト…(後略)



多い時には、毎秒70Lも出ていた、No.2水抜きボーリングの孔。
現在は別のパイプも取り付けられているので、その水量は分からないが、大量の水が出続けていることに変わりはない。

今もこのボーリング孔は、草木トンネルの平穏を陰から支えている可能性がある。



中央構造線の地下の露頭に、水抜きボーリング室。

終盤になって急に充実した発見が集中したが、それも打ち止め。
いよいよ避難坑…もとい、先進導坑の池島坑口が見えてきた。

結局、私が最初に横坑の扉を開けた瞬間から、私がこの場を立ち去る最後まで約50分。

…消えなかった。  

照明が……。




戻ってきた。池島側坑口へ。

案の定、内側からは鍵を開けて簡単に外へ出られた。

ただ、問題は外に出た後で、どうやってもう一度施錠するかだったが、これは近くにあった枝とかで上手く成した。
だから、今あなたがここへ行っても、やはり外からは立ち入る事が出来ない筈である。
え? 木の棒ひとつで開けられるんじゃないかって? (ノーコメントです笑)





7:34

私が草木トンネルを離れ、車を停めてある池島集落へと戻る途中。
最後に自転車を停めて「池島ランプウェイ」を振り返ってみたときに、今日はじめてこの区間を走る車と出会った。

それは、“高速道路”には少々似つかわしくない、天竜杉を満載した大きな材木トラックだった。

まだ午前8時前。

朝一の木材輸送は、夜露に濡れた砂利道にこそ相応しい風景と思えるが、鉄とコンクリートのランプウェイを駆け下ってくるトラックは、どことなく孤高で誇らしげだった。





高速道路として開通するも、計画の変更により一般道として利用されるようになった、草木トンネル。
現状でも高速道路時代の名残や、未使用に終わった準備施設が数多く残されているが、大は小を兼ねるという言葉通り、とりあえず一般道として“活用”されているのは事実で、世の中の“未成廃道”と呼ばれる一群に較べれば、遙かにマシだと思った。

もっとも、この計画の変更によって無駄になった金額は、高速道路という“高級品”だけに、ささやかな未成道の比ではないかもしれない。
事業費180億といわれる草木トンネルとその前後の道路のうち、少なくとも1割(18億)程度は、当初から一般道として建設していたら作る必要がなかったものだろう。(具体的には、下の写真のような構造物たちは、ほとんど無駄になっている)
幅11mで建設された草木トンネル自体も、一般道であるなら、9m程度で十分だっただろう。


肝心なのは、どうしてこのような計画の変更が生じたのかと言う原因の部分だ。

草木トンネルの建設時には分からず、その後明らかとなった“ルート変更の原因”があったとしたら、それは何だったのかということを知りたい。

それを考えるために、草木トンネル建設の経緯を振り返ってみたい。


1.草木トンネルは「国道152号の一次改築事業」として着手された


「土木技術1990年8月号」より転載。草木トンネル池島側坑口上部には、
「国道152号」の文字が見える。工事車両の進入路となっている左の道は、現在の国道152号。

現在は国道474号に指定されている草木トンネルであるが、当初は国道152号の一次改築事業(道路構造令の規格を満たさない未改良区間を改良する事業)として計画されたものであった。
つまり、最初から高速道路として計画されたものではなかったのである。

信頼出来る複数の資料から、草木トンネル開通までの流れを簡単な年表にまとめてみた。


草木トンネル年表(1)
出来事
昭和52年度国道152号の青崩峠区間の調査が開始される。
昭和58年度国の権限代行事業として、国道152号青崩峠区間の一次改築事業が着手される。
昭和62年度四全総で高規格幹線道路「三遠南信自動車道」の整備が決定され、着手済みの草木トンネルを同路線に組んで整備することが決まる。(一般道から自専道に規格が変更される)
平成元年4月国道152号青崩峠道路として、草木トンネルの掘削が開始される。
平成5年度三遠南信自動車道が独立した国道474号(飯田市〜浜松市)に指定される。(青崩峠道路は国道152→474号となる)
平成6年7月草木トンネルが供用開始。(三遠南信道として最初の開通区間。但し暫定無料開放とされた)

昭和58年の時点で既に「青崩峠道路」のルートは、青崩峠を東に迂回して、草木峠と兵越峠をトンネルで抜くという、後の「Aルート」に近いルートが想定されていた。
後に「失敗」とされるこのルートは、どのような経緯で決定したものだったのだろう。

元建設省浜松建設事務所長として計画に関わっていた佐藤清氏が、その著書「道との出会い(山海堂刊・平成3年)」のなかで、次のような興味深い発言をしている。(傍線は著者注)

国道152号線のルートは、中央構造線に沿って南北に走っている。そのため地質的にも問題が多く、前述の不通区間の道路計画のための詳細な調査が実施された。その結果、青崩峠の直下を通過するルートではなく、その東側に迂回する、兵越峠沿いのルートが、最終路線として決定した。

“詳細な調査”によって決定されたはずのルートが、なぜ後に、これと正反対の再修正を受けることになったのか?

草木トンネルのその後の年表をご覧戴こう。


2.草木トンネル開通後に再調査。 ルート変更へ

草木トンネル年表(2)
出来事
平成9〜13年兵越峠附近の地質を再調査した結果、予想以上に悪いことが判明する。
平成13年4月国土交通省は「三遠南信自動車道の整備方針の見直し」を発表。青崩峠道路はPI(パブリックインボルブメント)方式により、ルートを再検討することになる。
平成14年PIのため青崩峠道路懇談会が地元関係者や有識者により組織され、省案4ルートについて検討を開始。
平成14年12月青崩峠道路懇談会はBルート(青崩峠の西側を通る草木トンネルを利用しない新ルートで全長13.1km)を妥当とする最終提言を発表する。
平成17年12月国土交通省が上の提言を受けて「青崩峠道路懇談会への報告」を発表する。Bルートで最終決定される。同時に、青崩峠道路(13.1km)のうち、水窪北IC〜小嵐(こあらし)IC(6.0km)の早期供用を目指すことを発表。
平成21年1月草木トンネルを自専道から一般道へ変更する工事(歩道の設置など)が完了し、一般道となる。
平成21年6月長野県と静岡県による沿線の環境影響評価およびその縦覧が完了。
現在(平成23年10月)現在は詳細な路線の設計と測量が行われており、完了次第着工と思われるが、「三遠南信道・青崩峠道路の予算削減」(平成21年11月)などのニュースを見る限り、青崩峠道路の予算状況は芳しくないようだ。

大きな流れの転換があったのは、平成9年頃から13年4月に「整備方針の見直し」が国交省から発表されるまでの約4年間である。
だが、具体的にこの間にどのような再調査が行われて、以前の“詳細な調査”によるルートが覆されたのかという核心は、国交省発表の色々な資料を見てもはっきり書かれておらず、分からない。

ただ、草木トンネルの一般道「格下げ」を報じた平成21年の朝日新聞に次のような記述があるという。(「出かけよう!北遠へ ふるさと散歩道」より転載。傍線と[ ]内は著者注)

国交省が02年[平成14年]に実施した地域住民へのアンケートでは「なぜ最初から今の案でできなかったのか。莫大な税金を投入しただけ」「草木トンネルの着工前に地質構造など当局は十分把握していたのではないか。無責任だ」という意見も寄せられた。

国交省浜松河川国道事務所は「草木トンネルの構想は三遠南信自動車道の構想より前にあった」とした上で、「草木トンネルを三遠南信自動車道として活用することをにらんで高規格道路として建設したが、ルートは未確定だった」と弁明している。


この“弁明”は、「ルートが確定」という意味をどう取るかにもよるが、基本的に前所長(浜松建設事務所→浜松河川国道事務所)の“著述”(前掲)と矛盾している。


いったい何があったのか!


と、思わず声を大にして問いたくなる。
単純に20年の間に調査技術が大きく上昇し、昭和50年代には見通せなかった問題点が平成の再調査で現れてきた。
そういうことならば、素直にそう述べても誰も責めない気がするが、そんな単純な話しではないと言うことなのだろうか。
それとも、役所や役人の体質ともいわれる「前任者を批判しない」という、ある種美徳のなせる業なのか。


関係者が直接教えてくれないのならば、仕方がない。
手許にある資料から、私なりにこの謎(なぜ再びルートが変更されたのか)の答えに近付いてみたい。


3.候補ルートの比較から見えてくる、真の理由

既にこの図は何度も掲載しているが、省案の4本の候補ルートを、より詳細に見てみよう。

まずA案だが、これは草木トンネルを利用しており、かつ「A」が振られていることからも、草木トンネル建設当時から存在した当初案かそれに近いものと考えて良いだろう。

このAルートで注目したいのは、兵越峠を長いトンネルで抜けて梶谷ICまでが本線の暫定区間(今回の工事で施工する区間)となっており、その先、国道152号の現道に接続するためには、梶谷川に沿って約3kmも現道の改築を行わねばならないという点である。
素人目に見ても、これは暫定供用には向かない“手戻りの多い”ルート計画のように見える。

続いてB案は最終決定案だが、既設の草木トンネルをルートから放棄し、昭和58年には不向きと考えられていた青崩峠を長大トンネルで越えるルートである。
もっともトンネルは中央構造線と重なる峠の直下を避け、それから西側へ1kmほどずれたところを掘削する計画であるから、ここが当初の“没案”とは異なる要なのかも知れない。
また、暫定供用時の無駄が最も少ないのもこのルートであろう。小嵐IC以遠は当分の間、現国道の改築(和田バイパス)がそのまま利用出来るからだ。

C案も草木トンネルを放棄し、かつ中央構造線からの悪影響を最小限に抑えようとしたルートであり、非常に迂回が大きい。
またD案は草木トンネルを活用しつつ、かつ現道の活用に重点化した案である。
この案のみ県境部の主トンネルが約1.5kmと極端に短くなっていた(他の3案は共に主トンネル長約5km)。


続いて4ルートのデータ面での比較を見ると、B案の優位性はより一層明らかになっている。

A案とD案はともに草木トンネルを活用する案だが、A案は中央構造線東側の脆く軟らかい岩帯を通過するため、トンネル施工に難があり、総事業費は550億円(1kmあたり43億円)が見込まれている。さらに梶谷川沿いの改良区間では、自然環境への影響が大であるとされている。
D案もトンネルは短いが、全体の距離の長さと地質の悪さが裏目に出て、事業費は600億円と高い上に、ルート性能自体に難がある。

対して草木トンネルを放棄するB案C案だが、C案は中央構造線から遠いうえ、西側の堅牢な岩盤を掘削するため、トンネルの施工性はもっとも良い。しかし明り部の地質は悪く、距離も長く、環境への影響も大きいと、4案中もっとも高額な700億という工費を見込まれている。

B案が極端に安価なのは、1kmあたりの事業費も確かに少しは安いが、それより距離の短さが最大の武器になっている。
これは前述したとおり、国道152号をもっとも無駄なく活用出来るからだが、このために整備しなければならない和田バイパスは県の事業であって、本来はこの事業費が別にかかるはずである。(それは無視されている)
だが、事業費以外の部分を見ても、例えば自然環境についても、ほとんどがトンネルであるから影響が少ないのも当然で、有利な評価を得ている。

私がこのデータから4本のルートを選ぶとしても、Bを選ぶだろう。皆さんだって同じだと思う。
工費の多寡は、完成までに要する期間の長短と密接に関わっている。
そして、多くの人々が欲しているのは、遠い未来の完璧な高速道路よりも、自動車不通区間の安定した解消であろう。

これらを見ると、必ずしも「地質調査の結果」がルート変更原因の主ではないように思われる。
トンネル工事の難しさを示しているだろう1kmあたりの建設費は、ルートごとそこまで大きな開きはないのだ。
やはり最大の理由は、暫定開通までに要する金額の違い(550億と240億の違い)だったのではないだろうか。


青崩峠は、中央構造線がその真下に通っており、そんなところに断層と平行するような長いトンネルを掘れっこない。
しかし、その手前の草木峠ならば、比較的短いトンネルで中央構造線と直角方向に貫通出来るし、技術的にも不可能では無さそうだ。
さらに、ここを貫通すれば、とりあえず国道152号と兵越峠が結ばれるから、従来よりは遙かに長野県と交通しやすくなる。
当分はそれで時間を稼ぎつつ、後からさらに高度なトンネル技術をもって兵越峠にトンネルを掘ろうじゃないか。

…こんな思惑が、昭和50年代の計画の裏にあったように思われる。

しかし、その後草木トンネルが高速道路に組み込まれたり、公共事業を巡る予算の状況が悪化したり、道路工事の是否の大きなウェイトを環境問題が占めるようになってきたりと、様々な状況の変化がある中で、改めて既定のルートを調査してみたら、地質が思いのほか悪いから工費が嵩むし、長野県側の取付道路が長くなって環境への負荷も大きいし、当然整備までの時間も余計に掛かりそうだということが分かる。
それならばと、改めて青崩峠周辺の地質を“広く”調査してみると、峠の直下ではなくやや西側には、内帯の比較的安定した地盤があることが判明。
しかも、ここならば既存の国道と組み合わせて、もっと安上がりで短期間に開通が出来そうだ。
既設の草木トンネルは少しもったいないけど、それはそれとして一般道に切り替えても、地元の利便性は増えることだし、思い切って計画を改めましょう。
(流行のPI方式を用いれば、おかみが勝手に決めたって非難されることもないだろうしね!)

…平成の計画変更の実情は、こんな感じなんじゃないだろうか。


結局、180億円の難工事のすえに、ようやく果された草木トンネルの“中央構造線越え”は、県境を越えるという最大の目的のためには必須のことではなかったばかりか、むしろ遠回りをしていたのかも知れないという、ある意味寂しい結着である。

草木トンネルは2.2kmの工事に180億円が投じられており、つまり1kmあたり80億を優に超えるという凄まじい“金喰い道路”であった。これは道路自体の規格が現計画より高規格だった事もあるだろうが(1種3級→1種4級)、やはりこの区間の大部分を占める草木トンネルが中央構造線攻略に費した金額の大きさを示すものだろう。

だけれどもだ。

こうしたことが、時代に即した公平な調査の結果であるならば、受け入れるべきことだろう。
「公共事業は止らない」などという時代は、少なくとも地方の道路について、とっくに終わっている。今やむしろ、いつも止りそうでビクビクしながら見守る時代だ。
一昔前ならば、こういう足踏みをすることもなく、「既定路線として」技術と金に任せた「兵越トンネル」が穿たれたことだろう。

現代においては、私が想像する以上に理性的かつ抑制的な手続きの先に、大規模な公共土木事業は存在している。
そんな一面を身近に感じる事が出来たのは、「行政の無駄」が際限なくあるように考えがちな昨今の風潮の中で、思考のバランスを取る意味でも、良い収穫だったと思う。

今となっては、夢破れた草木トンネルが個性を活かしてより愛される未来と、果たせなかった夢を叶える偉大な新道の出現とを、大いに期待したいと思う。

我が国のひとつの道路特異点の報告を、これで終了する。