道川の手押軌道隧道 その5
泥濘の廃隧
秋田県秋田市 上新城


 今から40年以上前、土崎と道川を結ぶ、製油用の手押し軌道が存在していた。
その途中には2本の隧道が存在していたというが、残念ながら廃線時、そのいずれもが、坑口を埋められてしまった。
ただひとつ、2本の隧道の内、北側にあったほうの、北側坑口を除いて。




 わたしは、9月の探索時と同じ場所に来ていた。
徳光氏に教わった場所、地形図で確認した場所、そのいずれもが、やはり、ここに間違いないはず。
今私が立つ場所が、軌道の跡であるのは確実と思われるのだ。
そうなると、やはり、9月もそうしたように、この正面の薄暗く写っている場所、そこに坑口があってしかるべきなのだ。
しかし、どうしてもそこには見当たらない。
仕方なしに、嫌な思い出の残る正面の山林に分け入ろうかとも思ったが、薄暗い杉林には、大量のノバラが密生し、(9月にどうやって立ち入ったのか記憶に無いのだが…)無事には帰ってこれなさそうである。

 うーーーん、ここまで来て、なぜに、
なぜに見つけられないんだーーー!!






 私は重大な思い違いをしていた。
そのことに気が付いたとき、既にご覧のとおり、夕暮れを過ぎていた。

 思い違い、それは軌道は直線であったはずだという先入観によった。
しかし、実際は、緩やかなカーブを描いていたようで…、結論。
先ほどの写真で、正面ではなく、左に折れる狭いあぜ道を辿っていった先、少し広い廃田があって。
その廃田のさらに奥。
山際に、それは、

あった。





 明らかに、洞窟である。
人が入れるほどの広さもありそうだ。
やっと私は、探し当てたのである。

 初めてこの隧道の存在を地図上に知ってから、既に2年以上がたっていた。
当初は、まさか現存しないと決め付けていたし、昨年にぱたりん氏によって示唆がなされた際にも、この隧道を指しているとは考えなかった。

 しかし今回、2度目の現地調査で、やっと、発見に至った。
この発見の、殆ど全ては、徳光氏のお陰である。
この場を借りて、お礼を言いたい。





 フラッシュを焚いて、内部を撮影。

 人為的に得られたであろう天井の緩やかな曲線が美しい。
しかし、これは素掘りである。
一帯の粘土質の土壌が、この滑らかさを実現しているのだろう。

 フラッシュに輝く白い靄。
これは、自分が吐いた息だと思われる。
内部は、ひんやりとしており、まるで冷蔵庫の中のようだ。

 さて…、満を持して、進入。
いよいよ
  いよいよだ。




 あっ!
灯りが無い!

なんと言う馬鹿だろう。
なんと言う馬鹿なのだろうか。

この私、廃隧道探索のために家を出てきたにもかかわらず、
懐中電灯を、一切の灯りになるものを、家に置いてきていた。
長靴を身に着けただけで、満足してしまっていた。

 灯りなくして、どうやってこんな穴蔵に潜れというのか…。
終わった。
何もかも。



 坑口から、約20m。
そこで、ただですら薄暗い外部から差し込む明かりは完全に潰えた。
足元も見えず、1m先も全く見えない。
次の一歩をどうやっても踏み出せない。

 デジカメを最後の武器として、フラッシュ撮影時の一瞬の残影を頭で記憶して歩こうとしたが、記録された画像を本体のモニタで見て、それがどんなに無謀であるかを思い知った。
足元は、相当に泥が堆積し、スブスブと埋まるようであった。
ただですら不安定なのだ。
その上、フラッシュを焚いた写真に写っていたのは、ご覧の大崩落である。

 残念ながら、今日は断念せざるを得なかった。
一度家に帰ってから来ることも考えたが、もう夜になってしまうし、体力的にも、ダルイ。
夜だとどんなに怖かろうかと一人考え、震えが来たことも付け加えておこう。

…また、明日だ。






 翌朝に調査を持ち越すことにして、慎重に引き揚げた。
しかし、外に出るとまもなく雨粒が落ちてきた。
そして、愛車の元に戻る頃にはそれは本降りになっていた。

 そうだった。
今夜の天気予報は、降水確率80%で、雨だった。
明日は何とか持ち直す予報だったが、大丈夫だろうか?
あの隧道の内部には、相当の泥が堆積していた。
そして、水流もあった。

 水没していなければ良いのだが…。

 あーー、愚かしい私。  悔しい…。

いよいよ最終回

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2003.4.6