隧道レポート 新潟県道45号佐渡一周線旧道 大山隧道群 第2回

所在地 新潟県佐渡市
探索日 2013.05.27
公開日 2013.12.02

第一大山隧道を発見!! そして…


2013/5/27 11:15 《現在地》

やりました。

資材置き場の奥に、呆気なく発見してしまいました。第一大山隧道の坑門!!

坑口前には右の写真の通り、背丈以上の高さで古いテトラポットなどが積み上げられている。
そのため現道側から坑門を見通す事は出来ないものの、その気になって探せば簡単に発見出来る状況だ。

さらにまた私は、オブローダーとしての“幸運”にも恵まれていた。

左の写真に残骸が写っているが、坑門は廃止後に一旦、木の板で厳重に塞がれた形跡があった。
しかし私が訪れた時には、おそらく老朽化のために崩壊した後であり、そのために私は労無く…。



入洞という至福の機会をも得たのであった!

閉塞壁が健在であったら、坑口を発見しても“そこまで”だった。
倒れた閉塞壁の形状を見ると、少しの隙間もなく断面全体を塞いでいたようだ。

そして私にとっては、佐渡で初めて味わう隧道の味!!

うまうま。

これは、なかなか旨い。

素掘ではなかっただけで、まず高得点。
廃隧道といえば全国的に見て1:4くらいの割合で素掘のものが多い(感じがする)のに、これはまずその狭き門をクリアー。
しかもただ覆工があるだけでなく、『大鑑』が伝える昭和2年竣工という時代に相応しい、コンクリートブロックによる坑門の意匠を有していた。
煉瓦模様の胸壁と、アーチを彩るアーチ環は、長い年月を経ても作り手の温もりを感じさせ、そのアーチの中央に楔された要石の安定は、廃隧道を高貴に見せている。




惜しむらくは…

扁額がッ…… …うッ うっうっ…(←泣いている)。

後補であろうロックシェッドが、空気をまったく読んでくれなかった。
これも“生きるため”だったと諦めるしかないのだろうが…。
扁額の隙間にも、やや乱雑にコンクリートが充填されているのが見えて……これには涙。


でも………
ヤルじゃないか、佐渡!! 
昔から佐渡最大の玄関口である両津から、内海府や北廻りで外海府方面へと向かう旅人が最初に出会う隧道に対し、地方の門戸として全く恥ずかしくない、立派な体裁を持たせていたのである。
当時の人々は一日も早い隧道の開通を当然欲していたはずだが、そこで意匠にも一切手を抜かなかったのは、彼らの先人を苦しめてきた“大山越”に対する礼儀であったかも知れない。
難所であればこそ、その克服には格式をもって臨むというのが、この国に住む人々の伝統であろう。


さっそく入洞してみる。

隧道内部の洞床は、ほぼ全体にわたって水没していた。
だが水深は深くなく、だいたい5cm前後である。つまり洞内は平坦であった。

内壁はコンクリートの吹き付けがなされているようだが、後補であろう。
それ以前の内壁はコンクリートブロックであったかもしれないが、確認出来る場所は全くなかった。

そして隧道は見ての通り、しっかりと貫通しており、大きな崩壊は起きていないようだ。
この隧道だけならば、その狭小であることにさえ目を瞑れば、まだ使えそうに見えた。
だがおそらく、この先に待ち受ける第二第三の大山隧道が、一筋縄ではいかないのであろう。

「陸からは接近困難」という事前情報が、私を十分に警戒させていた。
この第一隧道を通り抜ければ、おそらく難所の中に現れるだろうという予感があった。




中央付近まで進むと、出口側の状況が見えてきた。
当初から何かフェンスのようなもので光が遮られている気配は感じていたのだが、ここに来てその正体が判明。
入口に倒れていたものと同じような木造の全面閉鎖壁が、向かう出口側ではまだ頑張っているようだ。

しかし、まだ諦めるには早い。
向こうの閉塞壁の形が隧道のアーチ型ではなく、ロックシェッドに対応した四角い形に見えているのは、たぶんチャンスだ。
脇まで固められていなければ…おそらく…出られるはず。

なお、『大鑑』によれば、この第一隧道の全長は90mである。
よく天井を観察すると、アーチの頂部に細長い蛍光灯が取り付けられているのを見つけた。
この全長に対して1本だけ。

…1本って……。




そんな感じでちゃぷちゃぷ歩いていくと、すぐに出口近くまで到達。

隧道自体はほとんど壊れていなかったものの、その先に接続されていたロックシェッドは、かなりやばそうだった。

海側の玉石練り積みの擁壁の上部から、土砂が洞内へと大量に雪崩れ込んでいた。
おそらく最初は外まで通じていただろう隙間から、土砂崩れによってもたらされた土砂が入り込んだのだろう。
難所においては、しばしば廃トンネル内の方が明かり区間よりも保存状況が良いものだが、ここもどうやらそのようである…。

外がやばそうだ……。




だが、まずは安心した。

目論見の通り、このロックシェッドの隙間(→)から外へと出ることが出来そうであった。
つまり、塞がれた隧道の坑門をすり抜けて、この先へと進める可能性が高い。

まだ私は、「陸上からのアプローチが困難」という意味を把握していないが、おそらくは、この隙間を通じて外の景色を見た時に、その意味を理解することになるだろうと思う。

それにしても、この北側坑口に接続されたロックシェッドは、老朽化の具合が南口のそれと段違いに進んでいる。
コンクリートの表面から石灰やカルシウムが析出して出来た白華現象(コンクリート鍾乳石の始まりの一歩)が著しく、表面だけでなく内部へも侵蝕が進んでいる事を感じさせた。
実際的に竣工年が古いのか、或いは立地の悪条件ゆえか…。
おそらくその両方であろう。




北口はこの通り。

ロックシェッドとは密着しており、南口にあった坑門の意匠も見あたらない。
もしかしたら、このロックシェッドは昭和2年の隧道開通当初からのものなのだろうか。
どちらにせよ、意匠は機械的に全ての坑門に設けられたのではなく、
ちゃんと見栄えのする場所を選んでいたことが窺える。

ますます、いいねぇ。



よっこいせ!

ロックシェッドの脇から、塞がれた隧道の外へと出るワルニャン。

なお、以前はこの脇の穴まで丸太で塞いでいたようだ。朽ちた丸太が辺りに散乱していた。
離島はオブローダーに対して寛大なエリアだと(新島で)勝手に思っていたが、ここは随分と厳重である。
こんなところも、やっぱり佐渡は離島ではない気がするのだ。
隧道に立派な意匠が施されているなど、良い意味でもな。

※ なぜ私はこのとき、靴や靴下を手に持って隧道から出ようとしていたのか。
それは、水没した隧道を通りぬける際に、靴が濡れるのを厭がって、持参していたウォーターシューズに履き替えていたからだ。
自転車旅では長靴を持ち歩くのはきついが、かといって長靴で一日自転車を漕ぐのも快適ではない。
それで、水没対策の簡易装備としてウォーターシューズが重宝しているのだ。(ただし裸足に近いので、怪我には注意)




おっと! 海!!

そして、橋!


しかし、この穏やかさである。

「難所で迷子」はヤバイが、これは難所が迷子である。

海がこう、もっと、こう… ざっぱんざっぱん 言っているとかすれば全然印象は違っただろうが、この日の両津湾は凄まじいナギナギッ!!

とはいえ、穏やかな海と空は明らかでも、この先の道が同じように穏やかであるかどうかは、大いに怪しい。
道が、まるで見えねぇ気がするんだよな。




そしてこれ。

これ、重要な眺めよ。

今通った第一大山隧道が潜り抜けた岩山は、このように猫の通り隙間もない断崖絶壁として、直接海に落ちていたのである。

今日は波が穏やか過ぎるためイメージが膨らまないが、この地形で、かつ第一隧道が塞がれたままであったとしたら、陸上の経路でここへ辿りつくことは出来なかったと思える。

まだ北側を確かめたわけではないが、少なくともこの南側の地形は、情報提供者たちの証言が決して誇張ではなかったと言っている。
うん、これはガチでそういう地形だわ。
海が穏やかすぎるのが、ちょっとテンションダウンだが……笑。




スポンサーリンク
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
前作から1年、満を持して第2弾が登場!3割増しの超ビックボリュームで、ヨッキれんが認める「伝説の道」を大攻略! 「山さ行がねが」書籍化第1弾!過去の名作が完全リライトで甦る!まだ誰も読んだことの無い新ネタもあるぜ! 道路の制度や仕組みを知れば、山行がはもっと楽しい。私が書いた「道路の解説本」を、山行がのお供にどうぞ。


11:27 《現在地》

← 穏やかなのは、空と海だけだった。

振り返る山(これが“大山”?)は異常に険しく、やはり乗り越えてここへ来ることは絶対に出来そうになかった。

そして、何よりも問題なのは…

これ →

これが道の続きですよ。




こんなんが、
昭和62年まで、県道(主要地方道)?!
(↑黒姫大橋の竣工年を銘板から確認)                           


荒れ方がヤバイんだが……

で、多分この正面の土の中が第二隧道だったんだよね… (落胆)



続く隧道が、完全に埋没しているらしいことを見て取った私は、

半ば打ちひしがれた形で、埋没した隧道を迂回するべく海岸へ下りたのだった。



そ こ で、 私が見たものはッ!

↓↓↓


あッ!


…戻らなきゃ。(歓喜)