隧道レポート 島々谷のワサビ沢トンネル 第2回

所在地 長野県松本市
探索日 2014.10.28
公開日 2020.09.20

1本目のトンネル 「二俣トンネル」


2014/10/28 6:56 《現在地》

出発からちょうど1時間後、お目当てであった“トンネルが3本あるが、3本目を抜けると即終点の不思議な道”の入口に辿り着いた。

この不思議な道は、地形図上では1.3kmの長さがあり、そのおおよそ半分がトンネル、特に3本目の「ワサビ沢トンネル」が長く、これ単体で450mほどもあるようだった。
しかも、このトンネルは内部で150度近くも向きを変える非常に特徴的な線形のものとして描かれており、出た瞬間に道が行き止まっている事とあわせて、とにかくこのワサビ沢トンネルが探索のコアと考えていた。

まずはそこに辿り着くまで、1本目と2本目のトンネルを攻略する必要がある。
これらは地図上では特に目立った特徴はないが、この道の正体を探るためのヒントはどこに転がっているか分からないので、油断はできない。




もうすぐ目の前に1本目のトンネルが口を開けている状態だが、立ち入るためにまず島々谷川を渡らねばならない。
構造的にはどこにでもある1車線の道路橋だが、対岸へ向かってかなりの登り傾斜が付いていることが、唯一の特徴だろう。
この短い橋の上であっても待ちきれないくらい、早く登っていきたいのかなというという意図を感じた。

そしてもう一つ重要な発見が……、写真の○印の所に。



この橋には、「第7号橋」と書かれた銘板が1枚だけ存在していた。

銘板を有する橋の多くは、四隅に1枚ずつ配置して合計4枚あることが多く、内容も4項目(橋名、よみ、河川名、竣工年など)あることが大半だが、本橋は銘板の取り付け位置もやや特殊で、しかも四隅にはなく、入口向かって右に1枚だけ取り付けられていた。

そしてその「第7号橋」という内容も、疑問を誘うものだった。
残念ながら、起点からここまでにあった橋の総数を把握していないし(本流を渡るのはこれで5回目)、ここまでの橋には銘板がなかったか、あったとしてもその名称は「第1号〜第6号橋」のような殺風景なものではなかった。(殺風景といえば、字体自体ももの凄く機械的だ)

仮にここから新たな道が始まるならば、入口に架かる本橋は「第1号橋」であるべきだろうに、そうはなっていないことがいろいろな憶測を誘った。
あるいは、この先の(そう長くはない)道のりに、6本もの橋がひしめき合っていたりするのだろうか? だとしたら楽しみなことになるが…。



「第7号橋」の上から眺めた島々谷川の上流方向の眺め。
あと200mほどで、島々谷川が北沢と南沢に別れる、「二俣」と呼ばれている地点があるはずだが、まだぎりぎり見えていない。
向かって左の右岸伝いの道は、二俣を経て南沢から徳本峠へ通じる登山コースで、間もなく車道としては終点である。
我が道は左岸を行くが、トンネルのため地上には見えていない。

なお、この辺りの標高は930mほどあり、島々集落よりも200m高い。そのせいで紅葉の進み方にも明確に違いが感じられた。
しかし、標高といえば、平成20(2008)年の探索で辿り着いた三郷側より峠を越えて辿り着いた「島々谷林道」の終点とは、まだ650m近い落差があった。ここから同終点までの直線距離は谷沿いに約4kmだから、地形に沿って相当の迂回をしたとしても、かなりの急勾配の道を続けなければ到達し得ない落差がまだある。

果たして、ここから始まる“トンネル3本の道”の正体は、未開通の島々谷林道の片割れなのかどうかということは、今回ぜひ明らかにしたい疑問点であった。
いまのところ、まだ回答に結びつくような情報は得られてはいない。



橋の先は直ちに1本目のトンネルである。
橋が登り勾配に架かっていることは既に述べたが、そこから直に繋がるトンネルも、その勾配を引き継いでいるようだ。
内部の状況はまだ分からないが、かなり勾配のキツいトンネルっぽい。

坑門のデザインには取り立てて紹介するほどの特徴はなく、これまた1車線の普通のコンクリート坑門。
扁額も定位置にしっかり存在していて、今回は地形図で事前に名前を知ることが出来ていたが、その通りの「二俣トンネル」であった。

さらに、昨今の坑門には大抵装備されている、あの存在も……




そう、この銘板である。
これが、なかなか値千金というか、重大なことを語っているように思われたが、まずは内容を書き出してみる。

二俣トンネル
1982年12月
北陸地方建設局
延長 185m 幅4.0m 高4.5m
施工 大東建設K.K

私が注目したい内容は、事業主体が北陸地方建設局だということだ。
これって、ただの林道だったら、まず考えにくいことだと思う。国有林林道だとしても民有林林道だとしても、或いは市町村道だったとしてもだ。

そして私は、ここまでの行程でも、北陸地方建設局という名前のあるものを見ている。それも2回。
1回目は、巨大な【第3号砂防ダム】の銘板で、2回目は、工事用道路のために国有林を借地した旨を示す【標柱】の中で。
そしてこれらは共に、砂防関係という共通点があった。
そして今また、この二俣トンネルは、北陸地方建設局の事業により建設されたものだというのだ。

これはもう、砂防ダムの工事用道路や管理道路として誕生したトンネルである可能性が極めて高くなったといえる!
つまり、【前に見た林道】の片割れではないようだぞ?




これが…、砂防工事のために作ったトンネル…。

即席で過去の体験を振り返ってみたが、この種類は出会った記憶がない。

砂防ダムの工事用道路なんてものは掃いて捨てるほど見た覚えがあるが、そこにトンネルがある、
それもこんな真っ当な、普通の道路上にあっても全然おかしくないようなトンネルがあろうとは。
そもそもの話、工事用道路と名のつくものでトンネルを見たという経験自体極端に少ないと思う。

まあ、先に見た【第3号砂防ダム】の大きさや立派さを思えば、国直轄の砂防事業のスケール感を、
その辺の沢にありふれている砂防ダムと同じように考えてはならないということなのだろう。
新たな経験値を素直に受け入れながら、この目前の闇を切り開いていこう…。



うおぉ……

なんか異質な感じで、テンション上がる。

まず、写真だと伝わりづらいだろうからこそ書くが、かなりの坂道であることが、大きな特徴。

そして、地形図ではそう見えなかったが、かなり激しい左カーブを描いていて…、ああやっぱり上高地エリアのトンネルなんだなって感じを受けた。

この曲がりながら登っていくトンネルというだけでも結構なインパクトだが、内部がとても綺麗なことも、未成道じみた異様さがあった。
しかも、ここまでずっと未舗装路だったのに、橋の上に続いてトンネル内もコンクリートで舗装をされていた。
昭和57(1982)年竣工ということだから、もう新しいと言えるトンネルでは全然ないはずだが、たぶん利用者が極端に少ないんだと思う。
特に排気ガスで壁を汚すような利用者が、経過時間の割りにはほとんど利用していないのではないかという気がした。

やっぱり、お目当ての砂防ダムを作った後はほぼ使っていないから、こういうことになっているのだろうか……?



なんか落ちてた。

看板のかけら?

「禁止」の文字が読み取れるが、こういうところにある禁止といえば、やっぱり「進入禁止」か「通行禁止」だよな。
それがこんな欠片になって、ここに落ちているのは、一見不可解な現象だが、たぶんこれ、いま向かっている出口から流れてきたんだろうと思う。トンネル内は一方的な坂道で、舗装もされているから、大雨時にはほとんど水路みたいになっていそう。

もしこの推理が正しければ、トンネルを抜けた先も、だいぶとっちらかっていそうだな…。




全長185mであるというトンネルは、入ってすぐが左カーブで、最初の50mほどでおそらく30度くらいも進路を左に転じたと思うが、それが終わると残る100m強はまっすぐだった。

ただし、まっすぐな上り坂だ!

さすがに少し大袈裟な表現ではあるが、印象としては、地上に出て行くときの斜坑のよう。
まっすぐ登っていった先に、地上の光だけが煌々と輝いている。
妙に新しく感じられ、乾いた印象もあって、脇目を振る要素はほとんどない洞内で、次なる展開を求めて光を目指した。




185mぶりの光が近づいた。

登ってきたが、出口の先に空が見えるという感じではなく、どこかの森の中っぽい。

そしてやっぱり、廃っぽい。




7:01 《現在地》

私と自転車が再び地上に現われた場所は、おおむねトンネルの長さ分だけ谷を上流に遡った先であったが、谷の勾配に合わせるように、トンネル内もずっと登ってきたのだろう。
さほど高いところに出た感じはなく、依然谷底に近い感じの風景だ。

なお、このトンネルの間に南沢と北沢の出合う「二俣」を過ぎて、ここはもう北沢の左岸である。
そして、トンネルでショートカットした北沢入口の蛇行部分に、地形図は連続する二つの堰を描いている。
これらは砂防ダムの本堤と副堤の関係とみられるので(第3号砂防ダムもそうだった)、合せて一つの砂防ダムであると思われる。第3号砂防ダムの一つ上流にあることを踏まえれば、第4号砂防ダムということになりそう。第3号からここまで砂防ダムはなかったはず。

北口坑口にも特に変わった様子はなく、妙に綺麗だった内壁とは違って、昭和57年竣工なりに真っ当に自然環境に晒されてきた外観があった。
こちらから覗くと、下っていく勾配の様子がよく見えた。



外へ出ると直ちに草生した広場であって、前へ向かう道は見えたが(後述)、進む前に一度振り返って、前述した地形図上の二つの砂防ダムが本当にあるのかを確認することにした。

…まあ、描かれているんだから、よほどのことがなければ「ちゃんとある」わけで、やっぱりありました。
いかにも氾濫原みたいな疎林の奥に、人に見られることを前提とはしていなさそうな無骨なコンクリートウォールが見えた。
二つ連なって描かれた砂防ダムの上流側のヤツ(本堤)だろう。

本体には多分扁額とか取り付けられていて、竣工年や名称を知り得るだろうが、案外に遠いことと、退屈な森であることと、あと銘板はおそらく下流側にしか付いてないだろうと思ったので、面倒になって引き返してしまった。
これらの砂防ダムを建設するために、1本目のトンネルが建設されたのかも知れないが、まだトンネルは2本残っている。その先を早く見たい。
また、地形図にはこれより上流の北沢にあと二つ、堰が描かれている。



さて、1本目のトンネルを抜け出た先の広場からさらに先へ向かうわけだが、ご覧のように広場は草生していて、もう何年も自動車は入っていない感じである。大型ダンプが行き交ったこともあろうに、トンネルだけが綺麗に残っている状況のようだ。

完全な一本道でこうなると、この先に待つ2本のトンネルも“同様以下の状況”であることが容易に推定されるのであり……、これは萌えるぜ!

あと、さっきの洞内で見た【禁止の欠片】との関連を窺わせるアイテムとして、草生した道の進路を半ば塞ぐような微妙な配置をされた赤白塗装の柵が存在していた。
完全に道を塞いではいなかったようだが、砂防工事の専用道路だとしたら、やはり部外者の立入は禁止されていた可能性が高い。

それでは前進再開しよう。



唐突過ぎる地図上の終点まで、
推定残り1km! トンネル残り2本!!




2本目のトンネルを目指す


2014/10/28 7:02 《現在地》

現在地は1本目の二俣トンネルを越えて少しだけ進んだところだ。
残すトンネルは2本だが、次の「鈴小屋トンネル」までは400mくらい離れており、この間は明り区間である。

走り出すとまた上り坂で、路面は未舗装だった。落葉と雑草のため、本来の路面はほとんど隠れていた。
いまのところ大きな障害物はないので、自転車を漕ぐことは出来ている。
そして前方には橋の白い高欄が見えてきた。地図によれば、ここにあるのは足沢という名の枝沢である。




足沢にかかる橋の全景。
入口にあった「第7号橋」とそっくりの外見だが、今度は銘板がなく、名前は分からなかった。
これが「第8号橋」なのか、それとも「第6号橋」であるのかは、今後を占い、あるいは最終的な道路の完成具合を推し量る上でも重要な情報だったが、残念だ。


(←)
おそらくここは、砂防用道路という見慣れないジャンルの道なのだが、先ほどのトンネル同様、橋も実にしっかりとした永久橋であり、一般道や林道としても遜色がない。
一般に工事用道路だと、かつては木橋、現代では鋼材を組み立てた仮設橋が用いられ、利用が終われば撤去されるが、ここはそういうつくりではない。

チェンジ後の画像は、橋上より眺めた足沢の流れ。
小さな沢と思ったが意外に水量は豊富で、それが急湍となって遙か上方から流れ出ていた。なかなか見事。


(→)
足沢を渡ると、森を出て高い法面の下を行く崖沿いの道になった。
落石防止ネットが念入りに施工されていて、やはり仮設道路のようには見えない。



(←)
落石防止ネットのおかげで、しばらくは藪はあっても崩れてはいない状況だったが、ついに崩壊地が現われた。
道幅を半分以上埋める法面の崩壊があり、見上げた崩壊斜面には、ネットを固定する古くはなさそうな金属パーツが、破壊された無残な姿を晒していた。

歩いて通り抜ける分には難しくないが、再び車道として復活させるには大規模な補修が必要になるだろう。



(→)
崩壊現場を越えると、一転して状況の良い場所が現われた。
ここは藪も浅く、本来の4m以上ある道幅が明らかだ。
奥には頑丈そうな落石防止柵や土留めも見える。

(←)
今度はまた鋭い崖下の道。
高い落石防止ネットと、それが破れたところから山盛りにされた落石の山。
既に本格的な廃道と言っても差し支えがない荒れ方だ。

橋にトンネルに、ガードレールに落石防止ネット、これらの全ての真面目な施設が、地図上で異様な存在感を見せる“唐突な終点”に続いているのだと思うと、ワクワクが止まらない!

実際は、地図の終点よりも先まで道が延びている可能性は、五分五分以上にあると思う。
そうだとしても、どこまで通じているのかが楽しみだし、もし本当に地図通りに3本目のトンネルを出た途端すっぱりと道が終わっていたら、それもまた楽しみだ。

どっちにしても、わる〜いニヤニヤが止まらない!




7:10 《現在地》

見えた〜! 2本目のトンネル!

2本目のトンネルは、入口から約700mの位置にある。既に地図上の道の半分を過ぎた。
トンネル前は再び広場のようになっていたが、何かの施設が残っていたりはせず、高さが5mも6mもある若木が茂り始めていた。
そのような“前景”と、コンクリートの新しそうな風合いを残す“トンネル”の坑門は、いかにもミスマッチで、否が応にもトンネルへの興味を誘った。




坑口前に大きな土砂崩れがあって、入口が半分埋れている!

前のトンネルに増して、廃隧道感が強いぞ! …そこまで古くはないだろうに…。



崩土のせいで、トンネルは中へ入るまで奥を見通すことが出来ない。
私は自転車を持ち上げて腰に抱えるようにして進入した。
このとき、またしても銘板が目に入った。

鈴小屋トンネル
1985年10月
北陸地方建設局
延長 152m 幅4.0m 高4.5m
施工 大東建設K.K

これまた地図で名前は先に知っていたが、それ以外のデータは貴重な情報。
断面のサイズや施工者、事業者などは、1本目の二俣トンネルと一緒だ。しかし竣工年は3年2ヶ月後であり、順当に道を延ばしながら1本目2本目とトンネルを完成させていったことが分かる。
この調子だと、最後の3本目は88年くらいの完成だろうか?

それでは、2本目を攻略開始!




2本目のトンネル 「鈴小屋トンネル」


7:14 《現在地》

鈴小屋トンネルに進入すると、ひしゃげたA型バリケードがお出迎え。
こんな簡単なモノでトンネルを塞いでいたようだが、哀れ、坑口部を襲った土砂崩れに巻き込まれて破壊されたようだ。

トンネル自体の造りは1本目と瓜二つで、舗装もされていた。
全長もあまり変わらないが、こちらにカーブはなく、入った時点で152m先の出口が見えていた。
そしてこのトンネルも結構な登り坂になっていた。

これは奇妙と言っても差し支えないと思うのだが、なぜかこの道、明り区間よりも、トンネル内の方が勾配がキツい気がする。
普通は逆にすると思うのだが。
1本目も2本目もトンネル内は外の道より坂がキツイのは、偶然ではない気がするが、敢えてそうした理由は不明だ。

ちなみに、写真左側の内壁に目立つ「30」の文字が気になる人もいると思うので説明する。これは内壁の厚みを表わしており、この場合は30cmを意味する。NATM工法によって施工されたトンネルの場合、道路用でも鉄道用でも、だいたいこのように厚みが表示されている。なお、30cmというのは普段目にする範囲では最も薄い巻き厚だ。



トンネル内の登り方、写真からも感じられると思う。

そして、今回もトンネル内はとても綺麗で、外の廃道状態とのギャップがなんとも大きい。
おそらく、今見上げている光の向こうも、待ちうけているのは廃道だろう。
ただ、次の明り区間は短いものと思われる。地形図が正しいとすれば、
2本目と3本目の間は100mほどしか離れていないはずだ。

あっという間に出口に迫った。 だがそこで、足を止める発見が!



出口間際に、1枚の立て札が転がっていた。
その正体は、工事内容を簡潔にまとめたもので、正式な名前は分からないが、工事現場に行けばよく見るアイテムだ。
なぜこれがトンネル内に転がっているのかは分からないが、書かれた内容を見ると、この道の素性を知る上での重要アイテムっぽかった。

21 島々谷第6号砂防ダム 資材運搬道路工事
擁壁工 L=30M
工期 平成5年7月1日 〜 平成5年11月17日
工事内容 資材運搬道路 L=80M

この看板が元来ここにあったものだとすれば、今いる道の正体は、「島々谷第6号砂防ダム資材運搬道路」である可能性が高い。
ただし、鈴小屋トンネルは昭和60(1985)年の竣工なのに、看板の資材運搬道路は平成5(1993)年の工事だという時間差がある。

この点は疑問だが、二俣へ登ってくる途中に見たのが「島々谷第3号砂防ダム」であったことを踏まえれば、上流に行くほど砂防ダムの番号が増えていき、この先に「島々谷第6号砂防ダム」があるというのは納得出来る。



これはあくまでも現時点における推理だが、地形図に描かれている堰の記号に1つずつ名前を与えてみたのが左の図だ。

二俣トンネル通過時点で、二俣トンネル脇の砂防ダムを第4号砂防ダムと仮定している(下流にもう一つあるが、それは島々谷発電所の取水堰なので除外する)。
次の堰は、この鈴小屋トンネルを出たすぐ先に描かれていて、第5号砂防ダムと仮定する。
なので、看板に名前があった第6号砂防ダムが存在するとすれば、それは最後のワサビ沢トンネルをも抜けた先に描かれている最上流の堰を指すのではないかと思った。

このような仮説は、鈴小屋トンネルから先が第6号砂防ダムの工事用道路であるという推理に馴染む。
まだ確証はないが、とりあえずこの仮説を持って先へ進んでみよう。




7:16

地上へ出ると、すぐに奇妙なことに気付いた。
トンネル内はずっと登り坂だったのに、外に出た途端、今度は急に下って行くではないか。
今のは峠越えだった? なんか不自然だぞ。

そしてこの不自然さを感じる下りの始まりの位置に、見覚えのある標柱が再びあった。国有林の借地標だ。
内容は、北陸地方整備局松本砂防工事事務所が工事用道路敷として3204平方メートルを借地するというもので、用途の欄には、「島々谷第6号工事用道路敷」とはっきり刻まれていた。

直前に見た看板に続いて、「島々谷第6号」という文言が再び登場。
「資材運搬路」と「工事用道路」というのはおそらく同じモノであり、いよいよ道の正体は確定か?!



いや! まだ分からない!

トンネルを出る瞬間まで騙されていたが、

外へ出るなり、道は二手に分かれていた。

トンネル内からは直進して下って行く道しか見えていなかったが、実は右へ向かう道があり、そちらはトンネル内の登り坂を引き継ぐような勢いで登っていた。

そしておそらく、地形図に描かれている3本目のトンネルに繋がる道はおそらく右で、左の道は描かれていない。
借地標は左の道を指す位置に建っているから、「島々谷第6号工事用道路敷 3204平方メートル」とは、左の道を指しているのではないかという気がした。
3204平方メートルは幅4mの道なら約800m分に相当するが、広場などがあればもっと短いかも知れない。

……ちょっとややこしくなってしまったが、工事用道路を全て踏破する目的で来たわけではないので、まずは本来の目的であるワサビ沢トンネルを目指すことに全力を捧げるとしよう。

右の道へ!



おっと、忘れちゃいけない。

これは振り返った鈴小屋トンネルの北口だ。
南口まで見通せるが、形が歪なのは崩れた土砂に遮られているせいだ。
坑口右には前述の借地標も写っている。

また、この位置からは第5号砂防ダムと仮定した堰が間近に見下ろせそうだったが、それは地形図からの印象で、実際は地形が微妙で見えなかった。
河原に降りなければ確かめることは出来ないようだ。
先へ進むことを優先しよう。




右の登っていく道を選ぶと、選ばなかった左の道が降りていった河原の様子を見渡すことが出来た。

この白くだだっ広い河原の様子は、明らかに砂防ダムの直上の風景だった。
だが、下って行く道は河原へ降り立つと、その先へは行く様子もなく、行き止まりのようだった。
或いは、河川の氾濫や、前方に広がっている巨大なガレ斜面に呑み込まれてしまったのかも知れない。

工事用道路であれば、工事が終われば放置というのは自然の成り行きだろうが、この道はここまでのトンネルや橋などの構造物が永久的な構造になっていただけに、率直に言って勿体ない印象を持った。
この先現われるだろう最後のトンネルなんて、450mくらいありそうだからね…。



そして行く手には、その最後のワサビ沢トンネルが、早くも見え始めた!
この写真の背後に見える山は全て、この1本のトンネルによって貫かれているはずである。次に地上に出るのは、この次の尾根の裏側だ。

このトンネルは変わっていて、大抵の川沿いのトンネルが突出した尾根を潜るように掘られているのに、こいつは逆で凹んだ谷の地形を潜り抜けている。
そのため直線でなく、谷に沿って“コの字”型にカーブしたトンネル……少なくとも地形図はそう描いている……になっている。

なぜわざわざ谷をトンネルで越えるのか。
それは大きな疑問点だったが、現地の地形を目の当たりにして、だいぶ得心がいった。

トンネルが潜る谷の部分は、現在進行形で崩壊が続く明瞭なガレ場になっていた。
ここを明りの道で横断しようとすれば、ひっきりなしに崩落があって安全に通り抜けることは難しい。
それでトンネルを掘って安定した地盤の内部を通ろうと考えたのだろう。
このパターンのトンネルも昨今増えてきている。(近傍の例としては国道158号の三本松トンネルがある)


ワサビ沢トンネルの線形と、地上のガレ場の位置関係を、地図上に示す。
実際はこの範囲よりもガレ場は広いかも知れないが、確認していないのでこの大きさに描いている。

おそらく、現在崩れている範囲の外も、スプーンで抉ったような等高線を見せる谷全体が古い崩壊地形であろうから、将来的にどこが崩れても不思議ではないという判断があって、谷全体をまとめて潜り抜ける長いトンネルを設けたように想像する。
この先に道がどれほど続いているのか不明で、地形図だとそれこそトンネルの先に全く道がないのに、そこへ通じる道の構造は、とても念入りであった。




7:18 《現在地》

到達! ワサビ沢トンネル入口!

ここに至って、気付けば車の轍はおろか、最初のうち明瞭だった踏み跡も見当たらなくなってきた。
植え込みのように密な細木の向こうに、平凡な外見のトンネルが口を開けていることの異様さよ。
未成道さながらだが、おそらくトンネルの向こうには第6号砂防ダムとやらが待ち受けているはず。
いったいどれほどのものなのか楽しみだ。

次回、ワサビ沢トンネル突入編!





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