先日、新潟県道232号浦佐小出線の栄橋という“奇妙な橋”をレポートしたが、あれを調べたり書いたりしている中で、そういえばもっと凄い“奇妙な橋”もあったなぁと思い出したのが、今回紹介する橋だ。(栄橋は、川を渡った橋が対岸で河川敷内に降りてしまうという“奇妙さ”を持つ橋だ)
ただ、残念なことに、この橋はもう現存しない。
だから、今から皆さまが見ることはどうやっても出来ないのだが、廃止される直前の最後の現役時代にたまたま遭遇して探索していたので、その模様をお伝えしつつ、おそらく日本一と呼べるレベルにあった壮絶なる奇妙さに迫りたいと思う。
その橋の名は、(旧)冠着橋という。
《周辺地図(マピオン)》
冠着橋は、長野県道338号内川姨捨停車場が千曲川を渡る橋だ。
橋名の冠着(かむりき)は難読の地名だが、郷土の山として愛される冠着山、別名姥捨(おばすて)山の麓にあることからの命名だろう。
長野市に南接する千曲市の中央部、平成の合併までは埴科郡(はにしなぐん)戸倉町(とぐらまち)であった区域にあり、千曲川によって綺麗に東西に町域が二分された町の中央に立地し、右岸の国道18号と左岸の県道77号長野上田線を連絡する重要な橋だった。
が、とにかく凄まじく奇妙な姿を持つことで、一度通った通行人に二度と忘れがたい印象を与える橋だった。
最新の地理院地図に見ることができる冠着橋は、平成26(2014)年11月29日に供用を開始した新しい橋で、全長は475.3mある。
千曲市の須坂と千本柳の大字を結ぶ。
だが、今回紹介するのはこの撤去された旧橋の方だ。
チェンジ後の画像は平成13(2001)年版の地形図だが、ここに描かれているのが旧橋だ。
今の橋のすぐ隣の下流側に架かる全長471.8mという長大な規模の橋で、この長さは現橋とほぼ変わらない。
長く活躍した橋だったが、現橋の開通と同時に封鎖され、それから間もなく撤去されたため、現在では両岸の取り付け道路跡くらいしか痕跡が残っていない。
前説はこのくらいにして、早速在りし日の橋の姿を見て貰おう。
私が探索したのは2014年10月28日で、これは現橋の供用が開始され、引き換えに本橋が廃止される1ヶ月前である。
この橋のことを私は知らなかったが、ここからここへ車で移動する最中に偶然通過し、即座に「これはやばい!」と思った私は、すぐに自転車を下ろして探索したのだった。
現場開始!
2014/10/28 14:43 《現在地》
ここは千曲市千本柳の「冠着橋東詰」交差点。
右に見える橋が今回の主役である冠着橋だ。
そして、奥にも橋が並んで見えるが、向こうが開通日を1ヶ月後に控えた新しい冠着橋だ。
今しがた車で1度“旧橋”(この日の時点では“現橋”だったが、以後は“旧橋”の表現で統一する)を通りかかったが、そのあまりにもあまりな姿に衝撃を受けたので、渡り終えるやいなやすぐ近くの河川敷へ車を収め、そこから自転車で橋へ舞い戻ってきたところである。
いまから、この東詰(右岸)より旧冠着橋の渡橋を開始する!
東詰には最大重量6.0tの規制標識が設置されている。
まずはこれが本橋の異常性を窺わせる最初のアイテムとなるわけだが、この程度ではまあ珍しいとまではいえないかもしれない。
ただ、6tという数字は、全長500m近い橋の規制としてはずいぶんと厳しいものである。
もちろん、多くの車が橋の上に同時に存在しうる前提で各車の最大重量を6tに規制しているわけだが、それでも脆弱な橋と言わねばなるまい。
また、橋の袂の両側には光沢ある化粧板を纏った親柱があり、1枚ずつ銘板が取り付けられていた。
東詰にある2枚の銘板には、それぞれ「冠着橋」と「ちくまがわ」と刻まれており、一番気になる竣工年の銘板はおそらく対岸にあるのだろう。
本橋は2車線の車道に加え、片側だけだが歩道がある。
そのため全幅は9mくらいである。
6トン制限がある橋にしては意外に立派というか、別に様子のおかしな所のない橋である。
……初見だったら、きっとそう感じたはずだ。
対岸の背景にはモリモリとした山並みが聳えている。
中でも一番高く見えるところが、橋名の由来となった冠着山(姥捨山)である。
明治時代に開通した鉄道の篠ノ井線や平成初期に開通した長野自動車道が、あの山並みを長いトンネルで克服して県土の幹線となっている。
そうして、橋の上を進むこと約100m。
この間に、本橋の最初の3径間を終えようとしていた。
当然、次に見えてくるのは、4径間目……。
なんと、橋の途中で歩道が終わってしまった!!!
膨大な数の橋を経験してきたが、このパターンは過去に憶えがない気がする。
突然の歩道の消失というイレギュラーだが、この先で歩行者がどこを通るべきかという指示は特にない。
なので歩行者右側通行の原則に従って、車道の右端を通ることになる。
14:44 《現在地》
単に歩道が消失しただけでなく、この4径間目からは高欄のデザインも変わる。
これまでの橋らしい形の赤い高欄から、橋用の白いガードレールへ変化している。
さらに、車道部分の幅も僅かだが狭くなっている。
チェンジ後の画像は振り返って撮影したものだが、微妙な車道幅の減少(1mくらい狭まっている)が見て取れる。
そのため、渡りはじめた時は確かにあったセンターラインが消失した。
幅員減少の警戒標識も設置されている。
橋の途中で歩道がなくなったり、橋の幅が狭くなったりというのは、明らかにイレギュラーであるはずで、何か深遠な理由があるはずだが、今のところ現地に理由付けらしいものは見当たらない。ただ、与えられた橋を渡るのみである。
普通の通行人はこんな所に目を向けないと思うが、桁の幅が変わる部分がどうなっているのかを撮影した。
なんというか……、これは……
驚くべきツギハギ感だ。
そもそも、橋の幅が途中で大きく変わるなんて場面に、綺麗な接ぎ方のセオリーなんてものは無いのかも知れないが、それにしてもこのぶった切られたような末端の様子は、強烈なインパクトだ。次のスパンとの継ぎ手の一部(歩道の部分)が、空中に突出して宙ぶらりんで終わっている様は、まるで未成橋の末端のよう。
しかも、末端部を支える橋脚は広い幅に準拠しているから、狭い側には遊びがあり、普通は見えない橋脚の上面が蒼天に露出していた。
ちなみに、もともと歩道のない下流側には、このような大きなギャップは生じていない。
このツギハギ感だけを根拠とした、現場でのファーストインプレッションによる推理だが、本橋は何らかの事情によって拡幅が途中で打ちきりになってしまった、部分的な未成橋なのだろうか……?
橋の上、それも真ん中よりずいぶんと右岸寄りのところで、橋の幅が約9mから約6mへと大幅にシュリンクされた。
反対側から見ると、橋の上で拡幅されるという状況になる。
その気になれば揃えられそうな欄干のデザインが露骨に違うせいで、ツギハギ感が強調されている。
あ! もしかしてこれは、あれか?
橋の袂に交差点があるのがポイントだったか?
橋上に右折レーンを設置するために、岸に近い桁だけ拡幅したとかそういうことか?
……だが、よく見返してみると、右折レーンなんてそもそもなかった。
それに何より、本橋の特異な場面は、これだけではないのである……。
4径間目から5径間目にかけて、最初より一回りも狭い橋桁が連なっている。
継ぎ手が路面に見えるので、今いるのが何径間目なのかを数えるのは容易い。
ん〜〜〜〜〜??
なんか、ちょっとだけ桁が違うか?!
この先が6径間目なんだが、さっきみたいに露骨に幅が変わったりはしていないけど、高欄がちょっとだけ違う。
それだけなんだけど、わざわざ橋の1径間だけ高欄がちょっと違う理由というのが普通ないので、違和感がある。
とはいえ、この6径間目の変化は地味だし、橋上では前代未聞ともいえる2枚目の「幅員減少」標識の登場のインパクトが強烈なので、あまり印象に残りづらいと思う。でもせっかく気付いたので記録はしておく。
さあ、さあさあ、再度の驚きの7径間目へ!
14:45 《現在地》
右岸から約270m、橋長の中央を少し越えたところに始まる7径間目だったが、
また一段と幅が狭くなるではないか!!
幅6mから4.5mへ縮小し、車のすれ違いが困難であるため、信号機による一方通行規制が敷かれている!
今回もまた橋の右側(下流側)が縮小しており、4径間目の変化と同じようにイカの耳状の角地が出来ていた。そこに信号機が設置されている。
橋のうえで2回も幅員が減少すること自体経験した憶えがなかったが、その結果として、最初は幅9mあった2車線歩道付きの普通の橋が、今や信号機が無ければまともに使えない幅4.5mの狭隘橋へと変貌を遂げてしまったのである。
この橋の現場には驚きを禁じ得ないが、何より気になるのは、こうなった理由であろう。
最初の幅員変化だけなら、拡幅を途中で打ち切られた橋という説で説明が出来そうだと思ったが、幅員変化が2回となると、これはちょっと…。
またこれかよwww
今度もまた幅の余った桁の末端部が宙ぶらりんで放置されていた。
まさか一つの橋のうえで、こんなイレギュラーな眺めを二度見ることになろうとは。
しかもこの辺りはちょうど広い河川敷の中でも常に水の流れている河芯にあたっていて、変な見え方をしている橋脚の下を滔々と青い水が奔っている。
橋として最も重要な径間であろうと思われるのに、こんなイレギュラーな状況になっている。
すっかり1車線になってしまった第7径間。
その次の第8径間も、全く同じ桁であった。
が!
さっきから見えている、最終最後の変化が。
二度あることは三度ある? 毒を食らわば皿までも?!
最後に待ち受けているのは、これまでのような幅員の変化だけではない橋としての構造の大きな変化だ。
やってきた、第9径間目!!
14:48 《現在地》
わっはっはっは!
わははは ハハハ……
ふざけてんのか?
……いや、分かるよ。
ふざけてはいないんだろう。何か理由はあったんだ。公道だからな。ふざけてはいないはず。
だが、はっきり言って、この場では理由が予想できない。みんなは出来る?
なんなのこれ?
三度だよ三度! 一つの橋のうえで三度も幅が変わる……それも進むほど狭くなっていくって、なんの罠?!
この第9径間目で、橋は遂に第1径間の3分の1である3mという幅になってしまった!
ハハハ……
ここでもやっぱり下流側にだけ幅員減少のしわ寄せが来ている。
末端部には相方なき無き継ぎ手が虚しく空を噛んでいた。
こんな場面が三度である。何があったらこうなるの?
全身ツギハギだらけのバケモノ橋! 尋常でない!
右岸から約370mの附近より始まる第9径間と、同じ形をした次の第10径間は、連続2径間の下路ワーレントラス橋である。
しかし、別段これまでの径間よりスパンが長い印象は無い。これまでの8径間も、この終盤の2径間も、どれもスパン長は50m前後に見える。
なぜ、ここだけが派手な見た目をしたトラス桁なのかは、大いに気になるところだ。
というか、ツギハギに塗れた本橋の歴史における最初のイレギュラーは、このトラスの第9〜10径間と隣り合う第7〜8径間の幅や型式が異なっている出来事にある気がした。
その先の第4〜6径間や、第1〜3径間の幅や桁もそれぞれ違っていることは、この橋に通底する何らかの特殊な事情に原因があるのではないかという想像だ。
そうでなければ、本橋にばかりこんなイレギュラーが重複して生じることはないはず。
……ふざけていたわけではないのだろう……?
半笑いになりながら、左岸へ……