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コメント
24,5352016-12-29 12:59:55/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
よっきさん推定の登山ルートだとトンネル前後で徒渉が必要ですし、トンネル出てもあまり河原は広くなさそうで、しかも「左へ右へ左へ」となります。それよりは林鉄隧道を通るとした方が記述に矛盾が少ないのではないでしょうか?
24,5342016-12-29 12:56:03/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
>トビミケ氏が通行したツボイ沢の隧道は、
>私が捜していた“軌道隧道”とは異なるものである可能性が、極めて高くなったと思う。
私も本を手に入れてみましたが、反対にここが軌道隧道だと思いました。
軌道と水路が共有したのではなく、当初は軌道だけだったが「さしたる勾配もないまま」とあるように
上流からの土砂で川底が上昇して隧道に水が流れるようになった為だと思います。
川回しは耕作地などを作るために行われますが、ここは、跡地利用の形跡が見受けられません。
地図にもないことから川回しの隧道では無い事は確実です。
昭和21年の航空写真 USA M99-A-5-138 を見ますと軌道が隧道に入るように見えます。
ほかの昭和21年・22年の写真も北側に川の水が流れていて軌道が隧道に入るように見えます。
それ以降は北側に水が流れたようには見えません。
上の隧道は房総によくある水路用の隧道ではないでしょうか。

>しかし、本当に右図のような配置で複数の隧道があったとすると、
>トビミケ氏の一行が途中で軌道隧道を目撃しなかったのは、なぜだろう。
第三の証言者の隧道位置が絶対に正しいと仮定すればそうなりますが
どのような情報で位置を特定したのか分からないので、写真や本から判断できる
トビミケ氏が通行したツボイ沢の隧道の方が軌道隧道である可能性は高いと思います。

また、第三の証言者とツボイ沢の隧道の両方があった可能性もあると思います。
どちらかが先に開業し、落盤やがけ崩れなどでもう一方に変わった
ということも考えられると思います。
24,5332016-12-29 12:45:06/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]9
国土地理院の航空写真閲覧ページにリンク貼っても
利用規約に同意する画面が出た後検索画面が出てきて自分で検索させられるのでは
…
おおう
目的の航空写真が検索結果にピックアップされた状態で出るのか
24,5322016-12-29 02:13:03/road/ypr37_sumise/main3.html [コメント一覧]9
いつも、ひっそりと読ませていただいております!レールが4本敷かれているとのことでしたが、鉄道の橋梁上には例え直線であれ、道床にバラストやスラブ道床を用いていない場所では、脱線防止レールを敷設しているところが多い気がします。私の推測ですが、橋梁上で車両が脱線し橋梁から飛び出し転落するようなことがあってはいけないので設置されるのではないでしょうか。また、営団東西線の荒川橋梁上での脱線では橋梁上ということもあり復旧が困難となったと聞いています、生活物資を運ぶ路線が長期不通になるのは好ましくないので設置されているのではないでしょうか。
長文失礼いしました。
24,5312016-12-29 01:16:28/road/miharayama/main.html [コメント一覧]10
なぜか離島のレポは山レポより興奮します。
少し前の若郷新島港線もドキドキ見させてもらったのでこの先の更新も楽しみにしてます。
24,5302016-12-28 23:45:39/tunnel/yatate/main2.html [コメント一覧]10
やっぱ恐ろしや
24,5292016-12-28 23:42:15/tunnel/kama/main7.html [コメント一覧]10
初めまして。いつも更新を楽しみに読ませていただいております。

このレポートを拝読していて、平成17年初夏に高校行事で上高地へ出掛けたことを思い出しました。
旧釜トンネルはバスの幅ギリギリでとても狭く、怖いと思ったこと。
突然明るく新しいトンネル(釜上トンネル)に出てほっとしたこと。
当時は、隣接する158号線にもトンネル内分岐があるのでさほど珍しいと思っていなかったのですが、
(勾配もずっと急勾配なので、とりあえず広い道に出て良かった!と子供心に安堵したことしか思い出せません)
それはほんの短い期間の特別な体験だったということを初めて知りました。

24,5282016-12-28 23:38:29/road/miharayama/main.html [コメント一覧]8
×自動車運送法→〇道路運送法のはずです。
24,5272016-12-28 20:52:39/road/miharayama/main.html [コメント一覧]8
幼稚園の時(多分昭和44年)家族旅行で伊豆大島に行き、バスに乗った記憶があるから多分三原山ドライブウエイも通ってると思うんだけど全く記憶がない。
24,5262016-12-28 20:10:00/road/kajika/main5.html [コメント一覧]10
小学生の頃に当時賀田に住んでいた親戚に、三重交通の路線バスに乗せられて梶賀に
24,5252016-12-28 19:40:55/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
小坪井沢の桟橋軌道っていつまで生き残っていたんでしょうね。台風直撃クラスの暴風雨が来れば致命的な打撃を受けそうですし、長期間に渡って維持できたとはとても思えない。半ば国策の形で敷設された林鉄で、無理を承知で川床に敷いたんでしょうなぁ。

そこで、少し台風の記録を調べてみたのですが、1954年9月18日に台風14号が房総半島を直撃して甚大な被害を出していますな。
http://www.bosaijoho.jp/reading/years/item_6822.html

一週間後の洞爺丸台風に隠れがちですが、この台風14号が、かろうじて2km程度の路線を維持していた小坪井軌道にとどめを刺したのかもしれません。余談ですが、気象庁の観測史上、1ヶ月のうちに台風が4個上陸したのは今年8月の他には1962年8月と1954年9月しかありません。今年8月の日本の混乱ぶりを振り返れば1954年9月当時の日本の状況が想像できるのではないでしょうか。
24,5242016-12-28 18:43:21/road/miharayama/main.html [コメント一覧]8
噴火で寸断された道路など見たことないので楽しみですし、昔は有料道路だった道路って哀愁を感じます。
24,5232016-12-28 17:46:35/road/miharayama/main.html [コメント一覧]9
一周道路に「ここから」もなさそうな気がしますが、ひょっとしてすぐ横に「ここまで」の補助標識があったりしませんでしたか?
24,5222016-12-28 16:16:49/tunnel/kama/main7.html [コメント一覧]10
レポ−ト興味深く読みました。運転免許を取って2年目の昭和44年に釜トンネルを走りました、トンネル内で前車が止まり坂路発進を余儀なくされ急勾配な事は知っていたのでかなり吹かし気味にハンクラで発進した事を鮮明に覚えています、洞内は素掘りだったような記憶です。この時は乗鞍スカイラインを登り下りに今のエコ−ラインを使い上高地へドライブしたのですがエコ−ラインは未舗装のガタガタ道、車体下を岩に擦りながらのドライブでした。一昨年自転車で同じル−トを走りました、釜トンネルの勾配はキツイですが道路状況は隔世の感が有りました。
24,5212016-12-28 09:47:27/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
初採点、コメント致します。
千葉県民、房総人として興味深く読ませて頂きました。
24,5202016-12-28 06:33:43/road/aotowa/main8.html [コメント一覧]9
続きを待ち続けて早一年
24,5192016-12-27 18:28:14/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
http://ameblo.jp/papagenopapagena/entry-12225256236.html
このサイトによれば、「県道分岐点」近くの川の中に、「レール(を加工した柵?) 」のようなモノが発見されているみたいですねぇ……
コレが……共時性というモノか。(違
24,5182016-12-27 14:56:01/road/tadaisi/main3.html [コメント一覧]10
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
24,5172016-12-27 12:44:07/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
★とても面白かった。私は本編に出ていた、片倉ダム放流警報設備の保守担当をしていましたよ。イノシシに怯え点検したのを思いだす。貴殿のおかげで、ポイント名が判明しました。ありがとうございます。
24,5162016-12-26 17:39:18/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
隧道の多さは千葉ならではなんでしょうね
川回しや素掘り隧道など昔から多かったですからね
24,5152016-12-26 17:21:05/tunnel/honnou/main.html [コメント一覧]10
子供のころの遊び場でした。冬はトンネルの出口につららが下がり、裏山を抜けた場所は立木が伐採された広い草原でした。このトンネルの作られたいきさつはまったく知りませんでした。
24,5142016-12-26 17:02:36/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
何か、この軌道の調査過程を使ってドラマが1本制作出来そうな、そんな読み応えのレポートでした。
時間の流れと大自然の淘汰の果て、静かに消えていった先人達の足跡に光を当てる・・・。実は大して遠くない過去、最早そうは見えなくとも、此処には確かに人の往来が有り生活が在り息吹があった。そう考えると、なまじ古代遺跡等では無い分、生々しさを伴ったロマンを感じます。人間って凄い。そして、この大変なレポートを書き上げた主様も凄い!本当にお見事、そしてお疲れ様でした。
24,5132016-12-26 16:10:12/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
千葉の林鉄廃線レポから昭和三陸地震災害時の美談を知ることになろうとは
24,5122016-12-26 15:00:47/tunnel/kamikita/main5.html [コメント一覧]10
す…すごい…
青森県西目屋村村にも水上隧道というのがあるんです。来て欲しいですが、全ての意味で行けるのか…
24,5112016-12-26 13:14:14/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
>昭和8(1933)年3月11日付けの毎日新聞に掲載された
東京日日新聞(現・毎日新聞)1933年3月11日東京朝刊11ページ目の記事ですね。

あまり関係ないかもしれませんが、戦前の朝日新聞の紙面に千葉営林署に関する広告がありました。
古い新聞を読まないので、「×」の箇所は漢字がわかりませんでしたorz
なお、実際の紙面ではすべて縦書きです。


・1926年3月1日東京朝刊4ページ目
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【国有林立木公売公告】
 ▶君津郡豊岡村、環村、松丘村、龜山村、夷隅郡老川村、×野村地内國有林内十五ヶ所
 ▶用材 二萬三千余石
 ▶薪材 一萬九千余石
 ▶×三月八日×所に於て入札
 ▶郵便入札は書×又は配達××で
 ▶詳細は×署又は地元役場にあり
 電話六六七番 千葉營林署
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


・1926年10月2日東京朝刊3ページ目
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【立木公賣】
 ●用材 材×六〇四六立方米
     (換算材×二一七二八石)
 ●薪材 材×五六五五立方米
     (換算材×二〇三二二石)
 右は千葉縣君津郡龜山村、環村松丘村・市原郡里見村・夷隅郡老川村
 上野村地内國有林内
 一六口に分ち来る十月十一日×所に於て 公×す
 詳細は×所又は地元役場に承合ありたし
 千葉營林署(電話六六七番)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



24,5102016-12-26 12:37:49/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
読み応え抜群でした。
24,5092016-12-26 09:27:31/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
いやぁホントすばらしかった!
こういう歴史学が正式に学問としてあっても良いと思う。
24,5082016-12-26 03:45:00/rail/ooma/main12.html [コメント一覧]9
大間線は、戸井線とセットで語られるべきだと思います。大間と戸井の間は海上ですが、実質的にはいわば、両者併せての路線だと思います。

大間と戸井(現・函館市)の汐首岬とは20km少々ですが、霧や流れの速さなどから、青函航路の迂回航路としては断念されたようです。(現在、建設中の大間原発に対する差止めのため函館市が提訴しているくらい、大間と戸井は近いです。)

現在は大間と函館港の間で、津軽海峡フェリーの大函丸が運行しています。大間の人の中には、むつ市に出るよりもフェリーで函館に出た方がよいと言う人があるくらいです(実際、むつ市の中心地域に出るのは遠いので)。

函館山には日露戦争に備えて函館要塞が建設されましたが(砲台跡などが現存しています)、その後「津軽要塞」として青森県側と合わせて拡張されたようです。つまり、津軽海峡の防衛に関しては大正天皇が皇太子だった頃から既に力が入れられてきたようです。
太平洋戦争になって大間線や戸井線は急ピッチで工事が進められたようですがレールも敷かれぬ未成線のまま終わり、対する青函航路の方は案の定、連合国軍に空爆され壊滅しています。

大間線の方は観光整備がされたようですが、戸井線の方はほとんど顧みられていません。函館市政からするとあまり触れたくない過去なのかもしれませんし、予算を充てるのがもったいないのかもしれません。
戸井線の線形はいまも五稜郭駅から明瞭に残っています(車道や緑道などになっています)。旧・戸井町の方には往時の構造物がまだ残っています(立入りはかなり危険だと思いますが)。
24,5072016-12-25 23:12:29/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]10
素晴らしい!
毎年元旦の早朝に鴨有料道路から房総スカイラインを通るので止まって眺めてみようと思います!
真っ暗じゃみえないかなww
24,5062016-12-25 20:25:32/rail/motokiyosumi/main14.html [コメント一覧]8
今回は、かなり協力者に助けられた結果の素晴らしい完結、となりましたね。

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