道路レポート 青森県道256号青森十和田湖自転車道線(青森市区間) 第2回

公開日 2015.12.27
探索日 2015.12.23
所在地 青森県青森市

自転車道の怪しい分岐と、県道の本領発揮と。


2015/12/23 9:44 《現在地》

青森市街地での自転車道探索は、国道4号堤橋の起点から1.2km付近を走行中。
現地に設置されている案内板の区分に合わせるなら、起点から数えて第2番目の区間の途中である。

幅3mという至って標準的な規格を持った自転車道で、風景も全国的に広く見られる河川敷利用の自転車道としての模式的なものを感じる。
隣を流れている川は駒込川で、対岸に見える大きなビルはRAB青森放送の社屋。

こんな普通の自転車道でいいのか、おい!




上の写真の奥の方に見えている橋まで来た。
この橋も市道で、橋の名前は福田橋という。
何の変哲もない風景だが、この袂に早くも第三の案内板が現れた。
前回の案内板からは、わずか280mしか離れていない。




余りやると嫌われてしまいそうだが、もう癖になっているので、ここでも重箱つつきのエラッタ探しに興じる。
するってーと、今回の案内板も「甲田橋」を「八甲田橋」とする誤字が、前の案内板と同様にあったのだが、設置者本人か部外者によるものかは不明ながら、「田」の文字を黒いインクで消そうとした形跡があった。誤りには気付いたと言うことのようだ。

(実は、後ほど発覚するとんでもない間違いが、この案内板を含めた過去3枚全ての案内版にあったのだが、まだ気付かなかった。)



さらに順調に進んでいく。
晴雄橋という、人名みたいな名の橋を渡る1車線の市道とも交差した。
すると間もなく、川側のガードレールに設置された、1枚の色褪せた看板が私の目を惹いた。
みなさんでハクチョウにえさをやってかわいがってください」と、近年の野生動物には餌をやらないで、という風潮とは真逆の看板。
「オオハクチョウ」と「コハクチョウ」の、色褪せすぎて区別のつかないイラストも、なんかシュールだ。

この辺りは人口約30万人を擁する県都青森の中心からそう遠くない市街地であるが、駒込川には(今でも)ハクチョウが飛来するようである。

そう言われてみれば、コンクリートの護岸に固められ、澱んだように流れる都市河川の水面は、意外なほどに透き通っていた。
もっとも、考えてもみれば、この川の上流には八甲田の山しかないのだから、水もあまり汚れようがないのかも知れない。




9:49 《現在地》

前回の案内板があった福田橋から700m、起点から数えて約2kmの所で、久々に幅の広い道路と交差した。
この道路も青森市道で、橋の名前は「松桜橋」といった。

ここまでの交差点には、全て横断歩道が用意されていたが、この交通量も多く幅も広い市道を横断するにあたっては、なぜかそれが見あたらない。
横断禁止の道路標識は見あたらないが、良い子は、50mほど右に迂回した所にある信号付きの横断歩道を渡った方がいいだろう。
余計なお世話だって? 失礼。




スタート地点からずっと川の上流に見え続けている八甲田の山々だが、進むにつれて少しずつ形や見える範囲が変わっている。

ここまで来て初めて、自転車道が目指した田代平の広大な高原地が、尖った八甲田の峰と駒込川の源流をなす深い峡谷の間に連なる緩やかな斜面として、見通せるようになった。

図に赤矢印を書き加えた所に、麓から田代平まで伸びる長い尾根が見えると思う。
自転車道は、この尾根を県道40号の伴侶となって、上っていこうと計画していた。

田代平と現在地の青森平野の間の比高は、少なくとも500m以上ある。
しかも高いだけでなく、大変な厚みを持った山岳である。自転車道が、自転車道だけでこれを越えようとしたのは、全く無謀のようにも思えるが、ある頃までは大真面目だったのだ。




あれっ?

道、どうした!?

唐突に道が草むらになって終わっているのかと、一瞬焦った。

だが、近付いて見てみると、道は唐突に(唐突なのは譲れない)曲がっていた。直角に。右に。

川側のガードレールは、これを意に介さず、まっすぐ続いているけれど……。



9:50 《現在地》

現在地は桜川9丁目付近だが、近くに「青森高校」がある。この名前、忘れてはいない。
そして現れた、自転車道らしき道同士の分岐地点である。

何の事前調査もしていなければ、この景色を見てもそうは考えなかっただろうが、今回は十二分に考察を経てからの探索である。
私はすぐに、この合流してきた道が、昭和56年当時の計画図や県道40号沿いでかつて見た案内板に描かれていた、いわゆる“旧ルート”なのだと考えた。



“旧ルート”説を裏付ける証拠は、すでに述べた案内板の記述などだけではなく、現地にもあった。

いま私が走ってきた道は、“旧ルート”と見込まれる道に対して強引に横付けされたような、いかにも後付けな不自然な接続をしている。
接続地点には“旧ルート”側の縁石さえ取り除かれずに残っていたから、どちらが最初からあった道なのかは極めて明らかだった。

残念ながらその理由や経緯は明らかでないが、やはり県道256号は、昭和50年の最初の路線認定以降に、ルートが変化していたのだ。
その時期は、新ルート上に八甲田自転車道橋が完成した昭和62年頃が怪しい。
しかもそのルートの変化は、同じ青森市内ではあるが起点の変更までを伴う、大規模なものであった。




“旧ルート”の起点側は、川から離れ、グネグネとカーブをしながら、住宅地の密な家並みに消えていた。
その雰囲気は、先ほどの八甲田自転車道橋に見たような大規模自転車道らしい豪勢さを全く感じさせない。普通に通学路として整備された各地の小規模な自転車道っぽい。
そしてこの行く手には青森高校があり、その周辺に旧起点があったはずだが、そこまでの“旧ルート”の探索は帰路にやろうと思う。
往路はこのまま進んで、青森側の終点である田茂木野の「サイクリングセンター」とやらを目指すぞ。




1本になった新旧ルートから、合流地点を振り返って撮影。

一瞬素通りしかけたが、河川敷に設置された車止めに、“新ルート”側から八甲田への順路を「自転車道」として案内する、草臥れきった青看が設置されていた。
腐っても現役県道である。
その案内には青看を以てするという、県の待遇を見た気がする。
草臥れきってるが。

また、足元の路面には、これまた草臥れきって消えかけた道路標示が、道幅一杯に書かれていた。
解読してみると、「自転車道→」と分かった。
画像では、矢印部分のみ補助線で強調した。
この道路標示は、恐らく旧ルート時代からのものであろう。薄れ方が半端ない。



先ほどまでの区間は、“新ルート”として昭和62年頃に開通したとみられる区間だったが、今走っているのは、それよりも古い昭和49年の事業開始当初に着工され、昭和56年以前には完成していただろう区間である。
しかし、大きく変わった所があるわけでは無い。
強いて言えば、より路面のアスファルトが年季を帯びていたり、道路両側の白線辺りまで路肩から土が広がってきていて道幅がやや狭く感じられる程度だ。
設計という根本が変わった、というようなことは感じない。
もっとも、どちらも同じ「大規模自転車道」整備事業の中で整備された道であるから、そう違いがあるのも可笑しいのだが。

十和田市区間のようなトンチンカンな構造物が現れることも無く、相変わらず平凡で無難な河川敷のサイクリングロード風景が続く。
そろそろ何かしら変化がほしいと思ってしまうのは、贅沢なのだろうか。
この道に真っ当なサイクリング風景なんて、似合わないはずだぜ!(←さすがに酷すぎる)





9:53 《現在地》

起点から2.4km地点にて、ずっと河川敷を走ってきた自転車道は、
唐突な感じに、そのポジションを別の市道に明け渡している。
信号機のある横断歩道で市道を横断し、川から離れていく自転車道。

前方に見える集合住宅群は、県営南桜川団地と呼ばれている。
こいつの登場が、マンネリズムを破壊してくれるのか。
期待を込めた視線を、横断歩道の先へ向けると――。



唐突な進路変更ではあったが、それ以上に唐突だったのは、道幅のいきなり広がったことだ。
正確には、道幅自体は変わっていないが、その両側に上等な緑地帯が整備されており、
全体としては2車線の道路を設置出来るくらいの道路空間となっていた。
まさに、「大規模自転車道」という言葉を、久々に(八甲田自転車道橋以来に)実感した――

つうか、あそこにあるのは!!



“ヘキサ”発見!!

やりましたよ。やりましたー。
皆(みんな)、ここに探していた県道256号のヘキサがあったぞー!!!

こればかりは、道路ファンならではの喜びだろう。
いくらこの道を愛するサイクリストがいたとしても、道路ファンでなければ、この道路標識一つでこんなに跳ね回ったりはしないのだ。
やりやがった!
前回の十和田市区間では、何時間もかけて全線11.5kmを忠実に走破したのに一回も現れてはくれなかった、私が最も欲した“県道であることの最高の証し”。それこそが、ヘキサ!

確かに大規模自転車道が県道であることは、どこの道路管理者も知っていることであり、近年では徐々にヘキサの設置も進んでいる気がする。
しかし、その設置比率は相変わらず低く、密度もきっと低い。本路線についても、累計13km以上走って、ようやく一箇所発見した有り様だ。というか、この路線には設置されていないと思い込んでいた。

さらに、このヘキサには意外な喜びの上乗せがあった。
通常の青森県道に設置された標準的なヘキサとは異なる、本標識と補助標識の間に挟まれた見馴れぬ標識板の存在がそれ。
通常の規制標識である「自転車専用」をベースに、本路線の特注であることを如実に示す「青森十和田湖自転車道路」という、微妙に県道路線名とも大規模自転車道の路線名とも異なる路線名が表示されていた。 嬉しいサービス! 県のデレっぷりをみた気がする!
(なお、この“見馴れぬ標識板”が他の大規模自転車道などに設置されているのを私は見たことは無いが、もしご存じの方がいたらご一報下さい。)



“現役”の県道でヘキサを見つけただけで、なぜこんなに嬉しいのか。
まあ、分かる人には分かるし、分からない人には説明しても分からないだろうから、先へ進もう。
どうせこのレポートをここまで読んでいるような人には説明不要なのだし。

ヘキサの登場という印象が最も強烈ではあるが、それは変化の代表的なものであって、今までとは全く道路の様子が一変していた。
鋪装の色さえ違うではないか。お洒落な遊歩道の色をしている。
さらに道の両側にゆったりと設けられた緑地帯は、綺麗に手入れが施されていて、雑草の蔓延りも度を過ぎた落ち葉の堆積も見られない。
いまは寒々とした裸木ではあるが、恐らくはサクラらしき街路樹が辺りを彩り、また樹蔭には綺麗に掃除されたベンチが並ぶ。



それだけでは飽き足らぬとばかり、ちょっとした路傍の余興まで用意されていた。
あらゆる部分に、手間と金が掛かっている! これは、本気だ。
まさにこの風景、都会における模式的にして理想的なプロムナード(散歩道)である。

しばしば、「都市開発の完成予想パース」などとして、描かれている空想の風景にそっくりだ。もし路傍に水路でも流れていれば100点だった。
当然、そんなイラストの中では空は晴れており、桜も満開で、ベンチには人影がまばらでなくあり、自転車を漕ぐ若い男女や犬の散歩をする初老の男性などが路上にも描かれている。
ここにそれはないが、しかし確かに同じ風景だと感じる。
惜しむらくは、周囲が団地や住宅地ばかりで、折角この地が恵まれている八甲田の眺望に全く恵まれないことだが、とりあえず気合いは感じたし!



しかし、この自転車道が置かれている道路空間は、もともとナニガアッタ?
最初から自転車道であったような気がしない。
なんとなく、不自然だ。
例えば、道路の右側の土地が、常に道路よりも高い。
しかもその高さ(比高)は常に一定で、その高さの表現として丸石練積の石垣が延々と続いている。
自然地形を土台にしたとしては、不自然なのである。もちろん、造成された結果ではあろうが、それでも違和感がある。

また、道の両側には常に段差やフェンスがあるため、周辺には多くの人家がある割に、この道には全く出入りがない。
このことは、自転車道としての理想度を高めてはいるけれど、少々秩序立ちすぎている。完璧すぎるのだ。

これらの不自然さの原因が、もし一言で説明出来るなら、それは何かの大規模な土地の改変と同時に、自転車道が整備されたのではないかということだった。



現地で気になったことは、帰宅後にすぐ机上調査を試みる。

その結果分かったこと。

南桜川団地付近における自転車道の整備は、駒込川の流路整備という大規模な土地改変に伴っていた(だろう)ということ。

このことは、右図のように、昭和44(1969)年と同50(1975)年の空中写真を比較することで明らかとなった。

図中で最も目立つ存在である東西のラインは東北本線(現:青い森鉄道)だが、この線路の北側における駒込川の流路は、わずか6年の間で全く短絡化されていた。
この河道変遷によって現在の県営南桜川団地がある土地(赤線で表示)が左岸に誕生したのであり、自転車道も明らかにこの事業と同時期に誕生している。
現在の自転車道の西側に長く続く石垣は、この河道変遷工事に伴って一挙に建設されたものなのだ。
前後の区間と不連続な印象を与える、この区間の自転車道の“完璧さ”には、やはり理由があった。

手前味噌ではあるが、現地での違和感はやはり馬鹿にならない。
持論とする通り、道路のような効率重視かつ公共的な構造物における顕著な不自然さには、それなりに納得出来る原因が存在するものなのだ。この点は、作り手のファッション性や性格といった、相当ファジーなものに左右される建築物よりも、個人的に考究しがいがあると感じる美点である。



進行方向とは反対に向けられた、ヘキサの2本目をゲット!

そしてその喜びも醒めやらぬうちに、異様に高規格だった団地裏の区間が、終わりを迎える。
前方に見えてきたのは、信号機のある交差点と、その背後に控える線路築堤。

次の世界が始まるのだ。




え、 え? えー!?


皆さん、この風景の中にある「矛盾」を1点見つけてくださいませ。


――次回更新までの、宿題です。――