道路レポート 青森県道256号青森十和田湖自転車道線(青森市区間) 第1回

公開日 2015.12.26
探索日 2015.12.23
所在地 青森県青森市


鉄は熱いうちに打て

――というではないか。

「また自転車道なのか」

という、至極真っ当な苦情もあるのは承知しているが、今やらなくていつやれよう。こんな道…。
私自身、そんな予感を持っていたので、このたびの秋田滞在期間も残り数日となった今月の23日、細田氏が急に青森港に用事があると言い出したので、私はそれに便乗して青森市へ行き、市内で別行動を取っての探索を急遽実行した。
こんなどうしょうもない自転車道との決着は、幾年も跨ぐようなものでは無いのである。
というわけだから、皆さまにおかれましてはもう少しだけ、お付き合いいただきたい。

今回のターゲットは、青森県道256号青森十和田湖自転車道線の北側半分にあたる青森市内の区間全部である。
この大規模自転車道そのものに対する解説は2度目なので省略するが、国交省が公開しているデータによると、本路線の供用されている全長は21.4kmであり、このうち探索済みの十和田市区間が全長11.5kmであったから、残り9.9km。これが自動的に青森市区間の全長という事になるのだろう。




(←)最新の地理院地図で青森市内を見てみると、「自転車専用道路」という注記と共に、県道色で塗られた細い道路がうねうねと描かれているのを確認出来る。

これこそが、大規模自転車道として県道に認定されている証しであるわけだが、この地図によって、家に居ながらに、市内の自転車道のルートの大部分を把握することが出来た。
もっとも、この図に描かれているのはいわゆる“単独区間”で、図の南端の「幸畑」からさらに5kmほど南にある田茂木野という所までは、県道40号に沿って整備されているので、それも今回の探索対象である。

ちなみに、国交省のデータだと、起点の地名が「青森市松森」となっており、実際にこの地理院地図の地図でも、「松森一丁目」のすぐそばで県道の色が途切れている。ただし、厳密に見ると、地図上で県道が途切れているのは、この「松森一丁目」から駒込川を渡った対岸の「桜川一丁目」であるが、この辺の微妙な差は現地探索で確認したい所だ。

そして、さらに重要と思われる現地での調査事項があった。
それは、本自転車道(本県道)が、過去にルートを変化させた可能性の調査である。
というのも、昭和56年6月に財団法人自転車道路協会が発行した「大規模自転車道(東日本編)」という資料に掲載されている地図によると、当時の起点は明らかに松森一丁目付近に無く、そこから南に1kmほど離れた「青森高校」(桜川8丁目)にあったようなのだ。
しかも、これは単なる計画段階でオミットされたルートでは無く、一度はそれに近い形で開通していた可能性が高い。
なぜなら、平成16(2004)年12月15日の探索で県道40号をサイクリングした際、そこで目にした本自転車道の案内板でも、起点の隣にははっきりと「青森高校」が描かれていたのだから。



というわけで、今回の探索の目標は、次の2点である。

  1. 青森市区間(推定9.9km)の現ルート全線走破。
  2. 存在が推定される青森高校周辺の旧ルート確認。

それでは(個人的に)悪夢のようだった探索から13ヶ月後に赴いてしまった、“悪魔的自転車道”の残る半身攻略、いざ、ご開帳〜!!
ほんと、前みたいなのは… 勘弁だぜ〜〜。


予想外の位置に発見された、第一の案内板。


2015/12/23 9:30 《現在地》

細田氏と青森港で別行動を開始した私は、持ち込んだマイ自転車に乗って、青森市内を走った。
まず目指すのは自転車道の起点がある松森一丁目だが、そこへ向かう途中で、国道4号が堤川を渡る「堤橋」にて撮影したのが上の写真だ。
今年は例年より平地での雪の積もり方はだいぶ遅れているが、それでも正面に聳える八甲田連峰の白さは、死の世界を想像させる。

そしてこの堤川は、八甲田山から流れ出て青森湾に注ぐ河川だ。しかも、自転車道はこの川の支流の駒込川沿いに田代平を目指す計画だった。
まさに、あの有名な“死の雪中行軍”のルートさながらに、である。(安心してくれ。私はそこまでする気は無い。自転車道で死ぬのは不本意だ)
結局、田代平など遙か彼方の上り途中、田茂木野という山麓で建設は中止されてしまったのだが、そこまでもずっと駒込川に沿っている。
だから今回の自転車道へのアプローチとしては、堤川から駒込川沿いの起点へと遡って行くルートが最も相応しいと考えたのだ。



堤橋の東岸(右岸)に沿って、写真の道が上流へ向かっている。
私はこの道を進むことにした。
ここ(国道4号)から、地理院地図で自転車道(県道)が始まる地点(桜川1丁目)までは、川沿いに約900mの道のりである。
当然、この段階では自転車道の存在を匂わせるものは、まだ何も現れていない。
幹線道路から華々しく始まる訳ではない所が、この自転車道を一層マイナーにしているのだと思うが、きっと複雑な事情があったのだろう。

写真の奥に軽妙なシルエットのアーチ橋が見える。
次の写真は、その袂で撮影したものとなる。




堤川を渡るアーチ橋の袂を、川沿いの道路は立体交差で潜る。
なお、このアーチ橋を含む頭上の道路は、市街の緑地帯を兼ねた大規模な遊歩道となっている。
東北本線の旧線跡を再利用したものだと言った方が、“業界”での通りは良いかも知れない。
まあ、今回の私はこのメジャーな廃線跡を素通りする。

高さ2.4m制限のある低い跨道橋を潜ると、即座に次の写真の場面だ。




出た! 手がクネクネの宇宙人標識!

…という、だいぶ古いネタは置いておいて…。
ここで目指す自転車道に先駆け、それとは似て非なるもの、「歩行者専用」の道路標識が現れた。
補助標識がだいぶ長ったらしく…「歩行者用道路 指定車・許可車・患者搬送車両・軽車両を除く 7.30―8.30 12-14」…とあるので、標識自体は「歩行者専用」だが、自転車(軽車両である)はこのまま通行できるし、現在時刻(9:36)においては自動車の通行も問題無いのである。

それだけだったら、別に特筆するような場面では無かっただろう。ただのアプローチ上の一風景に過ぎなかったはず。
だが、そうではないのだ!




標識のすぐ近くの路傍に立っている、

見覚えのある、あの案内板は?!



キター! もうキター!!

早い! 予想よりも早いご登場だ!
まだ国道4号から200mを来ただけで、地理院地図で県道色の道が始まる地点までは、まだ700mも残している。
それに、国交省のデータにあった起点の地名「青森市松森」にも、まだ入ってない!
ここは青森市花園という場所だ。

この予想外に早い案内板の登場は、まさしく偶然の産物であった。
今回選んだ道以外の道で起点へ向かっていたら、きっと出会えなかった。
何気なく川沿いに国道4号から起点を目指した行動が、全く予期せぬ地点に立っていた正真正銘の“第一の案内板”と出会わしめたのである。

くそぅ。
しょうもない、愛すことの出来ぬ道だと思っていたのに、道の方は、随分と私を愛してくれているようだぜ…。
こ、応えたい、そんな気分にさせられちまう……。 
で…、デレちゃだめだ! デレちゃだめだ! デレちゃだめだ!
こいつは悪魔なんだ! 13ヶ月前に7箇所もパンクさせられた、あの屈辱と出費を忘れたのか俺!!



止そう。
今は目の前にあるものを冷静に見届けよう。そのために来たのだ。

青森市側で案内板を見るのは、実に11年ぶりのことであるが、前回、県道40号沿いで見たものとはデザインや材質が違っている。
また、一番肝心なこととして、描かれているルートが一部違っている。
前回見たものは、起点が青森高校付近にあったが、今回ここで発見したものは、国道4号と接する地点が起点として描かれている。
つまり、図らずも私は、この案内板に描かれた起点から律儀に探索を始めていたことになる。

しかしどういう訳か、現在の国交省は、これとは別の地点を起点としている。
案内板が案内している堤橋袂(青森市栄町)ではなく、何度も書いたとおり、青森市松森を起点としているのだ。

この900mほどの差は何なのか。
恐らく、この区間は大規模自転車道としての整備は成されなかったのだと思う。
その事を、この案内板は、実線ではなく破線で描くことで表現したかったのではないか。

なお、案内板の上の方に、区間ごとの距離が書かれている。
全部で4区間に分けてあるが、今いる最初の区間が0.60kmで、ここだけは破線である。
次の区間は、「八甲田橋」という特徴的なイラストのある橋から先で1.29km、第3区間は1.85km、最後の区間が5.0kmと書かれており、終点は「サイクリングセンター」。
4区間を合わせた距離は8.74km(実線区間は8.14km)となるが…… あれ? 合わない。
予想では、9.9kmあるはずなのだが…? は て な ?

それはそうと、なぜこの“第一の案内板”は、最も人目につきやすい国道4号沿いの起点になく、ここにあるのかという疑問が湧く。
もし国道沿いにあったら、もう少し多くのサイクリストの目に止まったはずなのだ。
とりあえず、現在置かれている場所は、遊歩道である緑地帯に面している(立体交差の下なので全く目立ってないが)、市内を通行するサイクリストも国道4号ではなく、この遊歩道を多く通るものと想定していたのかも知れない。



予想外の歓待に気をよくした私は、堤川沿いの道をさらに進む。
この道は先ほどの道路標識が示すとおり、時間帯によって歩行者用道路になっているわけだが、沿道には普通に住宅地も広がっており、恐らく県警に許可車と認められたであろう車などが、時間帯を問わずに往来している。
サイクリングロードらしさというのは、まだ特に感じられないが、何らかの意図が込められた“破線区間”なのだから、それもやむを得ないだろう。
本格的なスタートは、まだ先である。




9:38 《現在地》

堤橋から450mほどで、川沿いの道は、川を渡る市道と平面交差した。橋名は「甲田橋」という。
先ほどの案内板だと、この橋に「自転車道橋」という注記がなされていたが、そのような橋は見あたらない。

また、ここには進行方向に対して、「自転車及び歩行者専用」の道路標識が立っていた。補助標識の内容は、先ほどまでとほとんど変わらないが、少し増えている。いい加減多いな!



甲田橋から150mほど進むと、前方に川の合流地点が現れた。
向かって右が堤川の本流(荒川とも言う)で、左が支流の駒込川である。
そして駒込川の行く手を見ると、先ほど案内板で見た特徴的なシルエットを持つ橋が、そこにはあった。
あれこそが、自転車道の為に用意された「八甲田橋」の勇姿に違いない!

なお、ちょうどこの川の合流地点に面した辺りが、起点から「0.60km」の地点である。
特に路上の様子には変化が無いが、案内板で第1区間が終わり、破線から実線へ切り替わるのもここだし、道路地図を見ると、青森市花園1丁目から、青森市松森1丁目に移るのもここ。
国交省のデータが本自転車道の起点としているのも、青森市松森
これらの事情を総合すれば、ほぼ間違いなく、青森県道256号青森十和田湖自転車道線の起点はここだ。ここからが県道なのだ。

本当に、何も無い路上の通過地点に過ぎないが。




9:40 《現在地》

八甲田橋より臨む、この自転車道が超えんとした八甲田山の姿。
バッターボックスでバットをピッチャーに向け、予告ホームランを放たんとする、そんな勇ましい姿。
事実上、この自転車道の起点を示すモニュメントと言って良い存在だろう。

形式は、河の中央に橋脚を兼ねた主塔を有する、連続2径間のPC斜張橋だ。
自転車道なのでスケールはさほどでもないが、橋の形式は超巨大橋を思わせる
何ともシンボリックなものである。お金と意気込みが、かかっている!



銘板に刻まれた橋名は、「八甲田自転車道橋」というもの。これが正式名称だろう。

橋の前の道路は自動車も通るが、橋の上は(特に道路標識はないものの)車止めが設置されていて、歩行者や自転車の専用であることをアピールしている。




なお、青森県の道路にしばしば見られる特徴(地域色)なのだが、橋の標準図を含む一般の橋梁銘板よりも詳細な銘板が取り付けられていることがある。
本橋もその例に漏れず、立派な物が取り付けられていた。



なお、これは重箱の隅を突くような取るに足らない内容ではあるが、「八甲田自転車道橋」を渡らず、そのまま直進すると、すぐにこの写真の場所に出てくる。
写真は振り返って撮影したものである。

ここで何気なく別の市道に接続しているのであるが、こちら側の入口には、全く「自転車及び歩行者専用」などの道路標識がない。
設置を忘れてしまったのだろうか。
おかげで、こちら側から来た事情を知らないドライバーが、禁止されている時間帯にも自動車を進入させてしまう畏れがある。




さて、気を取り直して自転車道を先へ進もう。

この洒脱な八甲田自転車道橋は、周辺が市街地であることもあり、何ら違和感なく周囲の景観に融け込んでいる。
それに、私が撮影している数分の間だけでも、数台の自転車に、犬を散歩させる人、そしてジョギングに勤しむ人などが、通行していった。
真っ当なのでネタにならないなと言えば不謹慎だが、だからこそ重箱の隅を探す羽目になっているのは事実だ。



橋を渡り駒込川左岸の地に足を踏み入れる。地名は青森市桜川1丁目である。

こちら側の銘板により、橋の竣工年が明らかとなった(橋梁銘板にもあったが)。
曰く、昭和62年9月竣功とのことである。

この竣功年には見覚えがある。
これは国交省サイトに記された、本自転車道の整備完了年度と同じである。
また、十和田市側区間の本路線終点近くに架かっていた、焼山小渓橋という小さな橋の竣工年も、同じ昭和62年だった。
つまり、この自転車道の整備は、両側末端部付近の工事を最後に、中間部の整備を待たずに打ち切られたということが伺える。
橋のようなお金のかかるものを架けたら、一杯一杯になってしまったのかもしれない。

「はつこうだじてんしやどうきよう」。 小さい「っ」を教えてあげたい。



駒込川に沿って走り出すと、間もなく川を渡る市道と平面交差する。
そして、この角地に第二の案内板の姿を見つけた。

ところで、この市道の橋は「八甲橋」というらしい。
この頃は、なんとも「八甲田」の周りをウロウロしている感じの命名が続いている。
なにせ、さっきの市道の橋が「甲田橋」で、今度の市道の橋が「八甲橋」と来た。
そして両者の間に架かっている県道(自転車道)の橋が「八甲田自転車道橋」というのだから、好きすぎるだろ、八甲田。




ところで、第一と第二の案内板を見較べてみると、工業製品ではない、おそらく手彫りで木板を削って作った案内板だけあって、細部の違いが色々と目に付く。

たとえば建物の形や大きさの微妙な違いや、道の彫りの深さとか、その辺は基本的に“憎めない”違いである。
だが、重箱野郎と化した私でなくともきっと見過ごせない誤りが含まれていることも、書いておきたい。

例えば、第一の案内板だと、斜張橋が2本あるように見えるが、左側の斜張橋が正しく、右側は普通の桁橋である「八甲橋」を誤って斜張橋として描いている。
また、第一の案内板は「自転車道橋」の注記から伸びた指示線が、これまた市道の「甲田橋」を指しているが、これも誤り。第二の案内板の書き方が正しい。
さらに第一、第二の案内板とも、市道の「八甲橋」を誤って「八甲田橋」と注記しているのである。
ここ数十年でころころと橋名が変わったようには見えないので、これらの案内板は微妙に間違いが多いといわざるを得ない。

別に、実用上は困らないけどな。