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コメント
17,2602014-11-17 19:41:05/tunnel/shouin/main2.html [コメント一覧]10
素晴らしい。詩人的オブローダーですね。しみじみ。
17,2592014-11-17 19:01:07/tunnel/shouin/main2.html [コメント一覧]10
江戸後期の著名な文人(それもかなり奇人に属する方面の人たちばかり)がよくもまあこれだけ多くこんなところまで訪れていたものだ……ヨッキ氏の文献調査も相当ディープになってきたなあ
(でも、実は近代の目だたない文献の方が、これら江戸時代のそこそこ知られた著述家の著作よりも検索や調査は難しかったりする)
17,2582014-11-17 18:51:38/road/ogatitouge/main2.html [コメント一覧]10
今日新道を通りつつ、そういえば旧道は如何した物かと思いにふけ、拝見させていただきました、形はどうあれあれだけのトンネルなくなるわけではないと思っていました。大型車の擦れ違いもよいでない狭く暗いトンネル、20数年前の若かりし日、通ったものでした。向から来る大型車が壁面をこすりながらすれ違ったこととても懐かしく覚えてます(恐
17,2572014-11-17 15:22:03/tunnel/shouin/main2.html [コメント一覧]10
書物に見る松陰くぐりの姿、興味深く拝見しました。現存していたのが奇跡のようですね。ヨッキれんさんのレポのおかげで普通なら気にかけない・足を向けないようなところにも実際に行っているような臨場感を味わえます。これからも安全第一でお願いします。(お)
17,2562014-11-17 14:05:44/tunnel/shouin/main2.html [コメント一覧]8
未完の第2章に追記がなされることを期待 :-)
17,2552014-11-17 11:50:30/tunnel/shouin/main2.html [コメント一覧]10
1年半前にクルマで竜飛先まで行ったんですが、その時は今別〜蟹田間は県道14号でショートカットしてしまいました。当時この情報を知っていれば・・・。ぐぬぬ。
17,2542014-11-17 09:35:59/koneta/koneta_152.html [コメント一覧]7
関西に住んでいます、半世紀以上前になりますが、この道の一部は私たちが小学校に通った懐かしい道です。
ちなみに、昔合併するときに大字名・北側の山元と南側の貫津(ヌクズ)それぞれの一文字を取って「津山村」にしたと聞いています。昭和の合併で一町六村で天童市になりました。
去年の帰郷の時「自主規制の交通標識」に驚きました。
17,2532014-11-17 02:16:32/tunnel/shouin/main2.html [コメント一覧]10
動画、探索の帰り道の名残惜しさが良くあらわれていましたね。
あの何度も振り返る気持ちが痛いほど判ります。
17,2522014-11-17 01:06:15/tunnel/shouin/main2.html [コメント一覧]8
不完全でもひとまず書き上げて公開するってのもイイもんかもしれませんね
読んだ人から情報が入るかもしれないし
17,2512014-11-17 01:00:27/tunnel/shouin/main2.html [コメント一覧]10
これって、垂直に削られている側の壁は当時のままで、陸地側が浸食によって削られていったのでは?
高さがあるのは削られていく過程で下方に掘り下げるしか無かったからとか。
長野県の筑北村の善光寺街道にも崖の上方に道祖神掘ってあって、しだいに道を掘り下げたなんて場所も存在しますし。
それにしても、面白い場所です!
17,2502014-11-17 00:59:52/road/r156_utigato/main3.html [コメント一覧]10
はじめの橋が美しかった…
トンネル以降はコワイですね…
17,2492014-11-16 22:32:16/tunnel/shouin/main2.html [コメント一覧]10
防衛上重要な道でありながらこのような海沿いの悪路であるということを松陰が書かなかったことは、松陰には後年の小栗忠順のような、艦隊砲撃による地上部隊の分断という策がなかったと推察できるのではないかと思われます。(松陰が軍略家として劣っていたというのではなく、まだ汽船に関する正確な知識をもっていなかったということでしょうが…)
こんな風に歴史的な妄想も進む、面白いレポートでした。
17,2482014-11-16 22:08:27/tunnel/shouin/main2.html [コメント一覧]10
私が観たら「へぇ、なかなか珍しい風景だな」で済ませてしまう様な所にこれだけの歴史があったとは、とても奥深かったです。そして、あれだけの僅かな記述からここに気がついたと言うのも凄い!今回も楽しませて頂きました。
17,2472014-11-16 21:36:58/tunnel/shouin/main2.html [コメント一覧]8
天然の海蝕洞に手を加えた物であろうことは確かだと思いますが……。
もっと潮の引いた時に、水没している“通路”部分の路面を確かめていたらなぁ、と思います。
動画を見るに、ヨッキさんが歩いた陸側の足場はかなり悪そうですから、水没している部分に路盤が有ったように思います(現存しているかは分かりませんが)
あと、このような道では海が荒れると通行不能ですから、内陸にも旧道が存在しそうですが。
17,2462014-11-15 20:22:46/tunnel/shouin/main.html [コメント一覧]9
今の所天然の地形に多少手を加えただけみたいですが…
期待込めて9点
17,2452014-11-15 19:35:41/tunnel/shouin/main.html [コメント一覧]10
えっ?ふぐり?
17,2442014-11-15 18:11:49/tunnel/shouin/main.html [コメント一覧]9
ちなみに竜飛岬の向こう側の大きな大きな島で探索する予定はありますか?
17,2432014-11-15 17:32:00/tunnel/shiba/main3.html [コメント一覧]10
今日偶然そのトンネルに行きました。とても不思議な場所だったので帰ってから早速調べてこちらにたどり着きました。とても参考になりました。写真を見ながら、そうここ!ここ!ってテンション上がりました。ありがとうございます。
17,2422014-11-15 16:44:20/tunnel/shouin/main.html [コメント一覧]10
おおおお、この情報が5,6年前に有れば現地へ行ってたのに…
17,2412014-11-15 16:03:32/koneta/koneta_200.html [コメント一覧]10
私橋(私道)なら地図に載せないですよね…おそらく。集落もなさそうだし不思議。
ところで、みなさんの年齢を把握できてないので判りませんが、どなたか厄年だったり? オブローダーの皆様はどちらかというと強運の持ち主が多そうですが、山道同様、いつなにごとが起きるかわかりませんから、気を付けてくださいね。
17,2402014-11-15 08:03:17/koneta/koneta_140.html [コメント一覧]10
何度読んでも涙が滲みます。このレポが公開されて以来藤原町で育った私ですがこの五十里への想いが一層深くなりました。山行がに出逢えていなかったら知る事が無かった。本当にありがとうございます。そして六左衛門さんの御魂がいついつまでも安らかにありますように。
17,2392014-11-15 05:46:43/road/enna/main9.html [コメント一覧]10
2014地理院地図から消えてしまいました,
17,2382014-11-14 22:45:34/road/nippara5/main3.html [コメント一覧]10
謎の橋台とは、鉄砲出しの為に利用された堰の一部ではないでしょうか?
17,2372014-11-13 23:41:36/road/heturi/main2.html [コメント一覧]9
コメントがないようですので書いておきます。天地人は結構知られた言葉です。その元は、「孟子曰はく、『天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず』」です。つまり、人の和が一番大事ということなのですが、三拍子そろえば怖いものなし、という意味にも使われます。
17,2362014-11-13 21:51:46/tunnel/kotubo/main3.html [コメント一覧]10
最新のマピオンには、ゲジ穴のさらに北側にもとても細い隧道が...
17,2352014-11-13 02:32:37/road/okutadami/main7.html [コメント一覧]10
素晴らしい!!
17,2342014-11-12 13:56:14/road/hayakawa/main17.html [コメント一覧]10
早川町、旧三里村に在住する者です。青崖トンネル対岸の道らしきものは、西山へ行く時に目にしていましたが、ここまで壮絶だったとは驚きました。地元民も知らない所をよくぞ、明らかにしていただきました。感服します。
この廃道の上部の山は良い猟場になっており、猟師さんは縦横無尽に歩いております。私も手伝いに行って、ガレ場から転落しかけたことがあり、このあたりの、絶壁の目もくらむような、恐ろしさを実感しています。それだけに、このレポートの恐怖感を実感することができました。
早川町には、かつての炭焼きの人たちが使った道がそこかしこにあると聞いておりますが、今や猟師さんでも通らないとのことです。
ちなみに、新倉の一方通行は初めて知りました。いつも逆走して、3階建建物の屋上駐車場に停めていました。と言うか、皆さんそのようにしていると思います。これからも、読みに来ますので、また早川町にお越しの際はぜひ、お伴をさせてください。
17,2332014-11-12 13:43:33/road/tpr211/main14.html [コメント一覧]10
なんぇっと、たいっすた「えがったぁーーーーっ!!!!!」

おやづぃ〜w
17,2322014-11-11 22:36:57/koneta/koneta_199.html [コメント一覧]10
旧橋の時代、踏切内で立ち往生し、踏切でトリコになった車が電車と衝突し、女性ドライバーがなくなる事故がありました。それ以後、通行止めになりました。また、須坂寄りのロードサイドパーク?には、旧橋で使用していた鉄骨の一部と親柱が保存されています。
17,2312014-11-11 22:16:59/tunnel/taroumaru/main8.html [コメント一覧]10
隧道以前の峠越えの道がピンクの旧旧道で、初代の隧道が実は現在の太郎丸隧道の位置、又はその上にあったとしたら(なぜ既存の峠とは別の位置に掘ったのか、という問題は残るが)。そして、大正の車道建設のときに2代目の旧隧道が掘られ(何かしらの理由で記述無し)、初代の隧道が忘れ去られた昭和30年代に、3代目の新隧道が初代の近くに掘られたと。こんな推理は成り立ちませんかね?

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