その62主要地方道8号 水沢米里線 姥石峠 旧道 [前編]2004.4.10撮影
岩手県江刺市〜気仙郡住田町



 ここは、地図上で以前から気になっていた場所だった。
北上山地に数多く存在する峠の中でも、その意味ありげな名や、現道の見せる心地よいクロソイド曲線など、是非とも行ってみたい峠として、長く私の心に留まり続けていた。

それが、姥石峠である。

ここは、かつて「盛街道」と呼ばれ、岩手県内陸の水沢市と太平洋岸の大船渡市とを結ぶ重要な路であった。
沿線にいくつもの鉱山を有するヤマの路として、また、水沢より西へ奥羽山脈を縦断する平和街道や仙北街道などと連携して、表裏日本を繋ぐ路としても、永く利用されてきた。

路は現在、モータリゼーションがもたらした新道の影に、現役を退いている。



 上の地図を見て頂けると分かると思うのだが、以前の姥石峠は主要地方道8号線の峠であった。
今回辿るのも、この県道時代の姥石峠だ。
しかし、この県道の現在の道はと言えば、山を登ることなく、梺の古歌葉集落で国道397号線にぶつかり終点を迎えている。
これは、事情を知らないものにとっては奇妙な路線の変更と思われるだろう。
以前は峠を越えて住田町の栗木で国道に合流していたのが、約10kmも県道は短くなっている。
通常、峠の道が改良されるというのは良くあるが、峠を放棄し梺に終点を移すという、いわば「後退」は、良くも悪くも公共事業の世界では稀だ。
しかし、ここには事情があった。

地図を隅々見るとヒントがあるが、それだけで気が付いた人は、鋭い。




 旧道との分岐(写真上)は、主要地方道8号線が古歌葉で国道に合流する2kmほど手前、重王堂地区で左へ分かれる。
青看の行き先が消されており、どうも通り抜けさせたくないムードだ。

構わず進入すると、早速にして通行止の標識と、ご丁寧にも案内板まである。
そこには、路線名として「市道 人首住田線」とある。
なんと、主要地方道から市道に格下げされていた。

ここのバリケードはなぜか寄せられていたので、遠慮無く前進。




 ほんの600mほど、現道とは人首川を挟んで並行して進むが、現道に下りる分岐が現れた。
これを無視してなおも進むと、いよいよ現道との高度差が出始める。
現道はそのまま人首川を遡り、力なく国道に吸収されるのだが、市道に墜ちた旧道はここから反抗を開始するのだ。



 現道を眼下に見送るようにして、旧道の孤独な戦いは始まる。
ここから姥石峠までは約5kmの登り。
高度差は、200m強である。

道は舗装されており、1車線よりは幅がある。
ガードレールなど、かなりヨレヨレではあるが、まだまだ通行は出来そうな様子だ。




 周囲は芽吹きを前にした雑木林であるが、所々に杉林もある。
至って平凡な日本の里山の景色だが、旧道の走り易さ加減が絶妙であり、楽しい。
藪に埋もれるでもなく、旧道らしいわびさびを随所に感じられる。

時期的なものもあるのだろうが、心地よい峠道だ。
チャリでも、心地よい。



 マッタリと続くかと思えば、「古歌葉城趾」の木柱を過ぎ、次に「金●●(判読不能)」の木柱と、そこへ至るらしい下りとの分岐点にて、突如叛意したかのように、簡易なバリケードが立ちはだかった。
最も、こんなものは簡単に避けられるし、その気になれば4輪車でも通行できるだろう。

監視人もないし、ここは自己責任にて、レッツらゴー!

相変わらず、ローモラルでゴメン。



 もう人首川の谷底からは結構登っている。
右手の崖下には、隠れ里の様にひっそりとした古歌葉集落の姿。
田圃の合間に点々と民家が並び、それらを繋ぐ道は、砂利道のようである。

奥地から集落の姿が消えて久しい秋田県では、なかなかお目にかかれない秘境の姿である。
その里の裏側に見えるドシリと重そうな山の向こうは、赤金鉱山跡。
国道は赤金トンネルで貫通しているが、あそこにも砂利道の旧道が残されている。
また、赤金鉱山といえば、未だ全容の解明できていない隧道も、ある。



 バリケードを過ぎて道が荒れるを覚悟したが、意外に状況はよい。
やはり、一度完全に舗装されていることが大きい。
しかし、谷に沿って蛇行を繰り返し峠を目指す線形は、決して容易いものではなく、いずれ致命的な崩壊を迎えないとも限らない。
現在は目立った崩壊のない旧道を、市道に指定しながらも再整備しないのは、別に需要がないからであろう。
当然のように、通行量は皆無。
日影を中心に、路面上にも薄く落ち葉が堆積している。

そして、いよいよ眼前に、なだらかな草原を随所に見せる種山高原が現れる。
姥石峠は、かの宮沢賢治が何度となく作品の舞台とした、この高原のただ中にある。



 入り口から3km。
この辺りが最も勾配の厳しい登りである。
所々に路肩の崩落を補修した跡なども見受けられるが、それらは県道時代の名残のようで、新しくはない。

グイグイと空に近づいていく感覚は、視界を遮る植生が少なく、また空に抜けるような透明感のある、春先ならではのものである。





 もう眼下に集落はなく、人首川もない。
代わりに現れたのは、山肌に一条走る現国道の姿である。
これが、県道に峠を放棄させた、一般国道397号線の姥石バイパスだ。
地図上でも一目で分かる近代道路建築の線形を、広大な大地のキャンバスに描いている。

きっと、チャリで走っても…うーん、面白くは無さそう。
でも、見ている分には、爽快である。
写真が見にくくて、申し訳ない。



 いよいよ、稜線というにはいささか穏やか過ぎるかもしれないが、峠のある高所が眼前に現れた。
途中、一カ所だけ路肩が落ちている場所もあったが、総じて路盤はしっかりとしている。
ガードレールなど景観の邪魔となるものは少なめで、色褪せた警告標識が点々と現れる道は、この上ない満足感を私に与えてくれた。




 峠近く、現道の峰越である種山トンネルの坑門がすぐ下に見える場面がある。
どこか日本的でない、高原を走るハイウェイの姿は目に新鮮だ。
ちなみに、バイパスは通常の国道であり、自転車も通行可能である。
また、バイパス以前の国道の峠もまた、完全舗装であり通行が可能である。
いずれ紹介しようと思う。



 踏破することの困難さという点ではミニレポ相応だが、麓から峠に至る景色の変化の速さや、途中眼下に現れる現道との対比の面白さ、なによりも、いかにも旧道然とした峠道の味わい。

…なかなかに素晴らしい峠道だ。
別の季節にも、是非通ってみたいと思った。


2004.7.20作成
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