廃線レポート 池郷川口軌道と不動滝隧道 第4回

公開日 2023.04.02
探索日 2023.03.16
所在地 奈良県下北山村

 不動滝の流材隧道へ登高する!!!


2023/3/16 16:12 《現在地》

さて、移動開始だ。

ここから隧道へ向かうルートについても、永冨氏のレポートが手本となった。
隧道へ通じる正規のルートとして、トチノキダイラで軌道跡から分岐した歩道が存在しているが、この歩道は隧道の150mほど手前で【大規模な斜面崩壊】に巻き込まれていて、すんなりと辿れそうもない。
それに、夕方が近づいており、あまり時間がないので、可能な限り最短のルートで隧道を目指したい。

氏のレポートに依れば、写真にピンクの線で描いたような直登に近いルートが採れるという。
森の中をよじ登って進めるとのこと。
行ってみよう!


(→)
滝壺を経由し、そこから左に進路を採る。川原を出て山へ入る。

そこにはちょうど岩の斜面と土の砂面が接触するラインがあり、土側は植林地になっているので、確かに上って行けそうだった。
かなり急ではあるが、目指すべき歩道の桟橋がよく見えるので、気持ち的にも楽である。

というわけで、ガッシガッシ上るぜ!



ガッシガッシ中!
振り返り気味に、滝がある辺りの斜面や滝壺を見ている。
滝の角度は、下の方が少し緩やかでおおよそ60度、上の方は80度くらいかと思う。
正面から見ると垂直みたいに見えるけど、どちらかというとナメ滝に近い傾斜だ。

ここを水と一緒に落とされた材木は、ちょうど斜面に沿ってストーンと綺麗に落ちたのだろうか。
途中に大きな段差がないので、跳ねてどこかへ吹っ飛んだりしないのがポイントかと思う。
落した材木が傷み辛い、そういう条件のいい斜面を選んで隧道を掘ったという感じがする。
万能なコンピュータや測量器具がない時代に、実地で絶壁に取り付いて、こういう仕事をやってのけた設計者には、本当に底知れぬ巧さを感じる。




滝は上の方に行くほど急だ。
その同じ並びの斜面であるここも、上に行くほど急だった。
そして最後、隧道の高さにある歩道に取り付く寸前は、滝の周りと同じような露岩のロックフィールドと化していた。

最後の最後に、もう一踏ん張りを要求される状況だ。
明確にどこから上れば楽だという弱点が見えず、どこから行っても、最後に少しだけ岩登りを少ししないといけないようだ。

焦って怪我をしたら台無しだ。全体に高いし急なので、ちょっとしたミスが大きな怪我に繋がり兼ねない。慎重に最後のステップを探した。



あともうひと登攀まで迫った。見上げる角度が急で、首がキツイ!

ここでも桟橋は立派な鉄製で、遊歩道みたいな手摺りもついているが、全体に壊れつつあることもまた、序盤の桟橋と変わらない。そりゃそうだろう。2012年当時で既にガレ場で寸断されていたこの歩道、今ではもう10年生以上の廃道であるはずなのだ。

そしてよく見ると、鉄の桟橋が作られる以前の道の名残が見つけられる。
たとえば左の岩場のような部分は、石垣である。
崩れた石垣を置き換えて、この長い桟橋が設置されたことが見て取れる。

この歩道は、流材隧道へと通じる仕事道として欠かせない存在だったはずだ。
隧道を作る段階で既に活躍しただろうし、その後も不動滝を迂回して上流に通ずる道として、昭和40年代に遙か上方に白谷池郷林道が整備されるまでは、便利に使われていたのではないだろうか。比較的最近の通行人の中には、林業従事者よりも、masa氏のような山岳探索者が多かったかもしれない。

立派な石垣を持つ古い歩道の存在からも、隧道は流材だけを目的に作られたものではなかったと推測している。道としての活躍も期待されていたのではないだろうか。

と、ここで、思わず ゾクッ っと来る眺めが、目に飛び込んできた!

隧道と滝がある右方向の眺めなんだが……



ひゃわわわわ…!

さすがに最後の最後、

“隧道”兼“滝の落口”に至る部分は、ハンパない険しさだ。

こういうものは悪夢の中だけでいて欲しい。心臓を鷲掴みしてくるような桟橋が、穴に向かって伸びていた。
11年前に永冨氏たちも通っているし、一応は鉄製だから、強度的に人を乗せるのは問題ないと思うが…、
問題はそれよりも、桟橋上に土砂が落ちてしまっていて一部が斜面化している様子であることと、
その影響で手摺りも全て失われていることだ。

これは正直、危険な匂いがする。

永冨氏のレポだと、ここまで土砂はなかったような気がするんだが……。



桟橋に手が届く所まで辿り着いたが、全体的にひどい有様だ。
橋自体はまだ堅牢そうだけど、崩土で手摺りがヤバいことになっている。
いずれ巨大な落下物で、橋ごとぶち抜かれてしまうんだろうな…。



16:19 《現在地》

歩道へ到達!!
滝壺から登り始めて5分後だった。

目の前で塗装がまだ黒光りを発している手摺りが、なんだか空々しい。
無理矢理斜面を登ってきた私が歩道へ立つことを最後に邪魔しただけでなく、この先の一番肝心なところで役立た――(←悪気はないんだ。武士の情けをかける)

30mも下に離れた水の少ない滝壺跡が、もうあんなに小さく見える。
この高さを保持したまま、ここから手摺りのないステップへ進む必要がある。
安全ピンではない、危険な両刃ナイフを扱くような探索を要求される。
本日ここまではなんだかんだと低い位置を歩いただけから、急に得てしまったこの高さにまだ気持ちが慣れない感じだ。ひとことで言うと、怖い。




左向けッ 左ッ!



穴見えたーー!

け れ ど

その直前にある崩土の山が問題だぞ…。


まずはとりあえず、近づこう。




これが、隧道へ繋がる最後の桟橋部分の道幅だ。

1メートルあるかどうか。決して車道や軌道の跡のように広いものではない。
そしてこの狭さが、崩壊に対する耐久力の弱さであると同時に、
崩壊地を突破する時のルート選択の余地の少なさである。
すなわち、危険と難しさの最大の元凶といえるものだ。道が広けりゃだいたいなんとかなる。

あと、桟橋だから不思議ではないんだけど、左の崖際にも少しだけ隙間があるな。
地面じゃなくて、橋板を頼りに空中に立っていることを嫌でも意識させられる。ゾクッとした。

それと、落葉のせいで見えていないが、ここも橋板は鉄製だ。それ自体はいいことだが、
【前の桟橋】みたいに、朽ちて穴が開いている可能性が否定できないので、それも怖かった。




うひっ!
(怖えぇぇぇ……)

崩土の山自体は、散々見慣れたようなものだから、ここで進めないとは全く思わなかったが、
精神衛生上よろしくないのは別の問題だ。行けるにしても、心を少しずつすり減らして行っているんだよ…。

とにかく道幅が狭すぎて、どこを通るかという選択の余地が狭いのが怖いし、
万が一滑りはじめた時、何か有効な手を打てる時間的な余裕が少ないと想像できるのも、怖かった。
あと、路肩から外れた瞬間から自由落下が始まるのも怖いよな。空中に張り出した桟橋だから……。

こういう場面で、わざわざ右の縁側を通ろうとする人はいないと思うが、
通るべきは左の崖際一択だ。なぜなら、基本的に崩土の山は天辺の傾斜が一番緩い。
それともう一つ、山側の法面にロープとか木とか草とか手掛かりとなるものがあることが多い。

でも残念なことに、ことこの場所に関しては、手掛かりとなるものがまるでなかった。
先行した探索者の誰もがロープなどに頼らず通過できたか、行儀良く回収して帰ったか。
いずれ、キツイ崩土斜面はほんの3mほどであるが、ここは技術より胆力を試される場面だった。




『日本の廃道 vol.78』より

これは『日本の廃道』に掲載されている2012年8月当時の画像だ。

同じ場所なのは地形からよく分かるが、明らかに桟橋を埋める崩土の量が増え、
その傾斜も増してきている……。物理的にこれ以上急にはならないと思うが、
いずれ橋が朽ちて落ちたら、マジで近づきがたい場面になりかねない。



16:21

越えた。

普通に怖かったから、往復する計画であることを少し怨んでいる。
もう一回渡らないと生還できないんだからね。

そして、いよいよ本当に道が狭くて、スリルが凄い。
急に高いところに来たせいで、息苦しいよ、さっきから…。(←精神的なもの)



これがラストステップだ!

あと3mほどで坑口前。だが、ここまで近づくと、穴の姿が見えなくなる。
これは坑口が、道と崖に対してほぼ直角に開いているせいだった。

最初に永冨氏が到達した時は、まだ軌道隧道と想定していたから、
この直角カーブを訝しがっていたのも当然である。こんな線形、無理がある。
でも、それでも古老の証言なしでは、軌道説から脱却するのは難しいことだったのだ。
(私たち、林鉄を知る探索者にとっては、林鉄の可能性はそれほど広く、限界を決めがたいものだ)



ひえっ… 木材の気持ちになったら、とてもこんな残酷な運材方法はしないよな…。

鬼だな。杣という名の鬼がおる。

冗談はさておき、この地での木落しの具体的なやり方は、まるで分からない。
落した材木を下で回収し、トチノキダイラで製材して、トロッコで運び出したことが分かっている。
あとは、隧道を掘る前には、「ハコドイ」という方法で滝を攻略していたということくらいか。
どんな頻度で隧道に木を流したのかとか、一緒に流した水の量とか、まるで分からない。

他の似た場所の事例を知れば参考になると思うんだが、
今もやってる場所はないだろうしな…。まあこれは今後の研究課題だ。




さっき滝壺から撮影した画像

現在地はここね。 分かり易く、死に易い場所。




辿り着いた。

最後、坑口の目の前まで来ると桟橋が終わり、久々に地べたに足を置くことを許された。
戻ることを考えると冷や汗ものだが、とりあえず一度だけホッとする時間が与えられる。

坑口前には何か作業スペースがあった様子もなくて、本当にただ幅1mの崖道の途中の
直角に左を向いた崖に、ぽっかりと無造作な印象で素掘りの坑口が開いているのである。

道の周囲には、手摺りがあった名残か、何本かの異形鉄筋が地面に挿してあったのだが、
もう役には立ってはいない。しかし、流材が終わってからも道としては使われたことを物語る遺物だ。

永冨氏のレポで知ってから、ずっと来たかった場所だった。
ずいぶんと時間は経ってしまったが、なんとかまだ辿り着ける状況でいてくれた。
そして、この先はろくに進めないと知っているんだが……。「ぬわ」っちゃうからね…。
でも、それも私が見たいものだったから良い。やっと入口に立ったぞ!



来た道を振り返ると、こんな感じ。

崖にへばり付くように桟橋が設置されている様子がよく分かる。


が、実際にここに立ったときの私の印象の凄さを伝えるには、

これはいかにも物足りない、写真としての画角の狭さだ。

あの、身体の半分が常に空中にあるかのような“息苦しい開放感”を、皆さまに共有するには、

これしかない! ↓↓




毎度おなじみ全天球画像である。

黒い穴を背に立つ私の空との近さ、あと足元の狭さを、感じて欲しい。

この場所に到達したときの永冨氏と、同行者磯田氏の軽妙なやり取りが好きだ。
本編に重要な内容ではないので引用まではしないが、気になる人は買って読んで欲しい。
私はまた独りで来たから、この興奮も、恐怖も不安も、全部強制独り占めだ。




この穴に入れば、探索は終盤。

同時に、私の挑戦の時が、近づいている。

偉大な先行者を挫いた、まだ見ぬ隧道出口へ、いかにして到達するか……!



( あ、あれっ? )