常磐線 旧隧道群11連発 その5 

公開日 2006.02.05
探索日 2006.01.21



小高 〜 桃内 間 

百花繚乱  なにがって? 隧道が

13:52

 それぞれ砦風と城塞風の奇抜な坑口を有する第一・第二耳ヶ谷隧道を攻略。
この旧線区間にはさらにもう2本の隧道が存在するはずだが、ちょうど区間にあたるこの場所にはかつての国道6号線、現在の県道120号線を跨ぐ跨道橋が架かっている。

 6m程度の短い跨道橋上にはコンクリートが露出しており、保線車輌の轍が白く残っていた。
欄干はさすがに道路橋でないだけあって低く、40cmほどしかない。



 並行して青色の欄干が目立つ現在線の跨道橋も架かっており、向こうの第3耳ヶ谷トンネルが間近に見える。
旧線の同名隧道はまだやや遠い。

 足元の道はかつてこの地方の動脈だった道だが、現在では生活道路となっている。



 跨道橋を渡ってすぐの地点に、旧線跡に保線車輌を導くための、区間内唯一の出入り口がある。
一応鉄のゲートが閉じられているが、傍の藪には幾らでも人の通れる隙間がある。

 写真はゲートを振り返って撮影。
遠くには先ほど潜ったばかりの第二耳ヶ谷隧道と、現在線同名トンネルが並んで見えている。



 ちょっと下の道に降りて、連続するガードの様子を確認してみた。
深い掘り割りとなった道路の側壁は全て黒ずんだコンクリートで、ガードの部分のコンクリートの方が新しく見える。
特に、現在線(奥)と旧線(手前)では、コンクリートだけ見る限りは旧線の方が新しく見えるほどに、白っぽい。
これは想像でしかないが、この道幅の狭さ(一応二車線だがとても大型車同士の離合は出来ない、ギリギリ二車線だ)を考えれば、国道6号線時代にはさぞ側壁が削られまくったはずだ。
しかし、現在はそのような傷跡は殆ど見られずこの綺麗さ。
この二つの跨道橋は、道路が県道に降格した後に建設、あるいは大規模な補修を受けたのかも知れない。



 さて、旧線へと戻った。

 現在線が脇で一足早く隧道に入ってしまい、旧線跡にはこれまでで最長の単独明かり区間となる。
周囲が浅い掘り割りプラス鬱蒼とした雑木林というシチュエーションのため、余計に“独り感”がある。
そして、廃線あるきの興奮をさらに増すものであった。

 チャリでとろとろとあたりを観察しながら進むと、突然右の藪から鳥が二羽飛び出してきて驚いた。



 遅ればせながら旧線にも現れた、第三耳ヶ谷隧道である。
その外見は、再び城塞風の飾り付けに満ちたもののようだ。

 だが、
何か今度は、様子がおかしい。



 痛い!
痛すぎる!!

 この坑門も、第二耳ヶ谷隧道の北口と瓜二つの圧倒的精緻なデザインであるにも関わらず、全くもって無粋なコンクリートの厚壁がその坑口の山側の大半を覆い隠してしまっている。
壁の裏側には僅かに残りの部分が見えているが…
 ああっ、 惜しい!

 先ほどは「左右対称ではない所だけが汚点だ」などと感じたが、この坑門については、もしこの壁さえなければ完璧だったに違いない。
左右対称に近いように思える。
元々がどれほど美しい坑門だったのか、本当に惜しい!



 この憎むべき壁は、1959年の建造であろう事が、その壁にはめ込まれたプレートにより判明した。
1959年…昭和34年までは、SLの煤煙にもくもくと煙りながらも、隧道は完璧な姿を見せてくれていたのだろう。
この区間が電化によって廃止される、たった8年前の悲しき景観破壊である。

 もっとも、僅か8年でも壁は現在線を土砂崩れや斜面からの出水から大切な鉄路を守ったのだから、あんまり言うのも身勝手すぎるというか、まあ、仕方がないことである。



 内部には、これまた見たことのない
とてつもない模様が…

 なにか、もはや禍々しささえ醸し出していやしまいか。
どう考えても、この汚れ?方は異常である。

 この常磐線の一連の旧隧道群は、これまで見てきたとおり、意匠に優れた美しい隧道が多い。
故に、廃線関連の書籍や雑誌の特集、あるいはサイトなどでも多く紹介されてきた。
しかし、最も露出が多いであろう、私の最終目的地「金山隧道」を含め、どの隧道も内部の紹介は余り見られない、と言うか殆ど無い。
単に、崩落の危険性がある隧道内部は危険だという判断で掲載を自主規制している部分はあるだろうが、この悲惨な内部の汚れ方ではむしろ、紹介しない方が読者に「常磐線の優美な廃隧道群」という統一感のある印象を与えられるという打算も働いているのかも知れない。
この考えは穿ちすぎだろうか?

 白鳥も水面下では必死に水かきを動かしていると言われるが、
美しい常磐線の隧道たちの水面下の様子は、ドブゲスだった!



 惨劇の跡を思わせるおぞましい隧道を抜けると(長さは150mほどだった)、そこには至って単純なデザインの坑口が私を見下ろしていた。
優美を極めた反対側の坑門に比べ、煉瓦隧道としてはこれ以上は求めようがないほどに、シンプルなデザインである。
小さな植物が一面の目地に根付いた姿は、廃景としての美しさをこれ以上なく醸している。
 どの隧道一つを取っても退屈をさせない常磐線の旧隧道群には、本当に予想外の喜びを感じていた。
これは、有名処だからと敬遠していた私だったが、来て正解だった。



 なんだこれは?

 最初はただの坑門の部分崩壊だと思ったが、その氷柱の異常な発生ぶりに誘われるように近づいてみると、これは確かに、おかしいぞ。

 煉瓦が崩壊し抉れた部分から外へと山積みになっている。
そして、そのために生じたと思われる空洞は、煉瓦の総量以上に、大きいような?




 何と翼壁に開いた大穴は、私が腰より上を全て突っ込めるほどの広さと奥行きがあった!
そして、その足元…というか手元というか…には、一面の氷のオブジェが!
煉瓦の瓦解した塊にまとわりついた、まるでゼリーのようなつぶつぶたち(写真右)。
一体どうやって形作られたのだろう、余りにも不思議なナメクジのような真っ白な氷柱。(写真左)

 その不思議かつ幻想的な景観に、頭上にひっきりなし水滴が落ちてくることも忘れず、ちょっとだけ魅入った。
…何でこんなに水が垂れてくるのかな?



 うわー

 なにこれ? ブロックアウト?(←古すぎ……立体テトリスと言うべきゲームが昔あった)

 この膨大なつらら達の発生源は、遙か頭上数メートル。
坑門を貫く、全くもって謎に満ちた縦穴にあった!
このスペースは、これまで未報告であったのみならず、このような例をかつて見聞きしたことはない。
しかも、煉瓦には黒い煤煙の付着した面があり、この空洞自体は元来存在していたのではないかと思われる。
ただ、かなり煉瓦の剥離崩壊が始まっていることも事実で、足元の大量の瓦礫はそれらの成れの果てであった。

 川子隧道にて目撃した、謎の坑門のスリットを、さらに巨大にして壁に埋め込んだかのような、この縦穴。
その正体は、未だ謎である!!



 完全に固まってしまった私は、我に返って顔を引っ込めたときにはもう、ぐっしょりびしょ濡れになっていた。
上半身だけだが。
果敢にも上を向いて撮影されたカメラもまた、レンズが完全に濡れてしまい、その後しばし写りに干渉してしまった。

 そんな状況にて撮影されたこの法面の写真は、同じ坑口の前にある旧線の法面で、コンクリートの壁だが中央付近がぼっこりと陥没しているのがお分かり頂けるだろう。
内部には空洞が生じているのだと思われるが、珍しい崩壊の仕方である。


 次回も、遠慮なく奇妙な意匠が登場します。


隧道 のこり本。
地球滅亡まで のこり …4時間と00分。