廃線レポート 藤琴森林軌道 粕毛支線 第一次探索  <第 3 回>
公開日 2005.9.15

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 境 界 〜 その橋の先は、悪魔の谷 〜
 2005.5.29 8:53

4−1 胎 動


 粕毛林鉄奥地を探索する今回の踏破計画。
歩き始めから1時間40分余りを経過し約4kmを粕毛川に沿って遡った。
そして、まもなく一つの節目が現れる予感があった。

 粕毛林鉄が記されている昭和20年代頃までの地形図によれば、まもなく終点となるはず。
県内林鉄に関する信頼できる情報源である「秋田営林局刊 八十年の回顧」に記載の、粕毛林鉄の路線長によっても、やはり終点は近いと考えられた。

 だが、我々は事前に、とある渓流釣り師から、さらに上流にも軌道跡らしき痕跡が有るという情報を得ていたのだ。
果たして、地図にも記録にも残されなかった軌道は、実在したのだろうか?

 その答えは、すぐ傍に、迫っていた。




09:34

 粕毛林鉄は、終始粕毛川の清流から離れることはなかった。
川面との距離は、殆ど全線にわたり一定だった。

ことさら事を荒立てることもなく、多くの遺構を内に秘めたまま、訪れようとする者を、優しく迎えてくれる。
特に索道駅の跡や動輪などは貴重な発見であった。
観光化でもなく、命まで脅かされるわけでもなく、有る意味、かなり奇跡的なバランスの上に残っている。

 林鉄跡を歩いてみたいという読者には、オススメさえしても良いと思う。

だが、
それは粕毛林鉄の半身に過ぎなかったことを、我々はまもなく、知ることになる。
 

 谷は、二つに分かれた。

ここが、粕毛林鉄のターニングポイント。

粕毛沢本流と、東又沢の、出合いである。

読者情報では、粕毛川本流のさらに上流に、軌道跡らしきものを見たと言うことだが、ここまで粕毛川左岸を辿ってきた軌道跡は、全く合流地点に動じることもなく、そのまま、支流である東又沢の左岸へと、続いている。
二つの沢の水量も大きく違いはなく、どちらが本流かと問われれば、なんとなく自分に近い東又沢が本流だと答えるかもしれない。
そのくらい、二つの沢の実力は拮抗しているようだった。

呆気なく、粕毛川本流へのアプローチを諦めた軌道跡。

情報には、紛れがあったのか。



09:47

 そのまま何事もなく、東又沢を遡るかと思われた軌道跡。
終点すら近いはずだ。

しかし、ここに来て、始めて軌道跡は、水面から高度を上げ始めた。

その変化の意味までは、これまでで最大規模の崩壊地を前に、考えなかった。
だがそれは、行く手に現れる大きな変化の、最初の一齣。
まさに、胎動というべきものだったのだ。

これ以降、

二度と軌道跡は水面に近づかなかった。  

 最後の、平穏なる休息地だったのかもしれない。

おそらく、公式上の軌道終点は、この場所だと思われる。
写真には、二段になって斜面を削っている帯状の平場が写っているが、下段はそこで終わっている。終点だ。
一方、すすむほど下段との高度差を増していく上段は、未知の道へと、続いていた。

 ここが、心休まる最後の地。
上流には、すぐ傍まで林道が延びてきているが、もし気軽な軌道跡歩きなら、ここで引き返すべきである。
その訳は、間もなく。


 

4−2 悪魔の二重門 

09:59

 河床から急激に離れ始める軌道跡。
崖を削って拓かれた軌道敷きは、雪崩や土砂崩れによって完膚無きまで埋め戻されており、平坦な場所はない。
谷側へと全体が傾斜しており、その上に、手懸かりとしては余りにも心許ないフキが繁茂している。
いまだ、黒ずんだ雪さえ残る日影の斜面を、我々は一列になってすすんだ。

 これまでが比較的容易だっただけに、ひときわ空気は張りつめた。
なんとなく、嫌な予感は、あった。



 来たか…。

私、パタリン氏、くじ氏。
この三人で踏破した過去の廃道としては、未だ忘れがたい「和賀仙人鉱山軌道」などがあるが、
この先の険路は、2005年9月現在、この3人にとって最悪の道だった。

 個人的にも、この先で感じた危機は、「九階滝」付近にも勝るとも劣らぬものだった。
最近は、あまり危険なレポをしてくれるな、という読者様の風潮もあり、正直、あんな九階の滝の失敗行を書いた上に、さらにこの粕毛線を紹介するのは、気が引けた。

 また、読者が減るかもしれない。

 だが、まあ、これが2005年春頃の山行がの真実の姿であって、おそらく2006年以降の山行がの主流は再び道路ネタに戻ると予想されている状況下では、ともすれば、最終最後の、林鉄ガチンコネタとなる可能性すら、ある。

 うだうだ言っていても仕方がないので、このあとは躊躇いなくビッシビシ紹介していくんで、そのつもりで。
いつ死者が出てもおかしくなかった、山行が最後の危険自慢。

いきます…。



10:00

 橋だ!

前方30mほど先、際どく崖際に続く林鉄跡の藪の向こう、谷をたすきがけに渡る一本の橋が見えてきた。

この橋は、現在過去のいずれの地形図にも記載されておらず、ここに来るまで全く、その存在を知らなかった。
どうやら、地図よりも林道が下流まで延びてきているようだ。

我々は、正直まともな道路橋が現れたことに、かなりホッとした。
とりあえず、あの橋で体勢を立て直した上で、今後の探索の計画を練り直そう。
粕毛川本流沿いの林鉄跡という読者情報が、果たしてどのような発見を根拠としているのかを、再度検討しなければならない。




  

 橋は、二本あった!!

なんと言うことだ!

手前の、あのいかにも細いガーダー橋は、まさしく、林鉄の橋梁ではないか!

林道の橋のやや手前、一段低い位置に、もう一本の橋が、存在したのである!

だがだが、本当の 驚き は、この次の瞬間だった。



 うぉぉぉ


 我々は、このパノラマを見た瞬間、全身が硬直した!

余りにも、あまりにも、衝撃的な 線形 ではないか!!

林鉄は、いま我々の立っている位置から、崖を削りながら20mほど前進し、そこで遂に隧道へ突入。
その隧道は、そのまま内部が90度カーブしており、ガーダー橋の付け根に続いているのだ!
あわわわわわわ…
こんなすさまじい軌道が、地図に描かれることもなく取り残されていたというのか!!

 ここで、完全に我々の理性回路は吹っ飛んだ。
少なくとも、私の魂は既に、あのガーダーの先に飛んでいた。



 上の写真の地形を、空中から見下ろせば、この左の図のようになろうかと思う。

現在地点から先には、先細りの軌道跡が、手懸かりかりはフキノウトウだけという状況で、隧道坑口まで続いている。
この隧道は、今回レポート区間では二つめに出てきた隧道と言うことで、便宜的に「2号隧道」と呼んでいる。

 



 ここは、見ているだけでもストレスを感じた。

この景色を見るだけならば、凄い場所があったもんだで終わるのだが、この先へ進もうとしたら、それはもう、胃が痛くなる。

ここまで、異様に快調だった3人だったが、当然のように、ここで歩みは止まった。

第一の関門は、隧道までの、すぐそこのフキノトウだけの斜面。

その先、仮に隧道が貫通していたとしても、果たしてあのガーダー橋は…。

梁渡りできるのだろうか?

もはや迂回路などありようもない谷間にて、藁をも掴む気持ちで地形図を見てみる。

3人は、無言だった。
その表情は、真剣そのもの。
悲壮感さえ、滲み出ていた。



 当然ながら、無理に断崖や橋を渡らずに、対岸へと行けるのなら、それも考えた。

しかし、雪解けの沢は、ドウドウという音を山峡に響かせている。
とてもではないが、あの白い波濤は乗り越えられない。

先へ進むには、あの橋しかない。










 結局、我々は己の手足と幸運(というか、極端に不運でないこと)にすべてを託し、フキノトウたちの斜面を乗り越えた。

第一関門は、クリア。



 隧道は…


やった! 貫通している!!


 第二関門も、通過!


右の写真では、坑口にくじ氏、橋の袂に、パタ氏が写っている。



 橋への取り付きを為すために、二つの坑口がほぼ90度の角度で面している。
まるで、風穴のような寒々とした隧道である。
その全長は、おおよそ10m。
殆ど原形は留めておらず、天井やら側壁の岩肌が洞床に積み重なっている。
残っている部分にも、多くの亀裂が見て取れる。

 もし、この隧道が貫通していなければ、完全に手詰まりであった。

その点で、幸運だったと言えるのか。
あるいは、ここで断念していた方が…、幸せと言えたのだろうか。

 ともかく、2号隧道を突破。




 そして、その先には…


橋が…。



 いつになく、地形図を念入りに繰り返す確認するくじ氏。

彼は、沢屋であり、ロッククライマーの卵でありながら、我々の中で唯一の高所恐怖症である。
かなり克服されてきているとはいえ、
この先の橋を見るだけで、胃酸が大量に発生しているに違いない。

それで、まるで猫がストレスを感じると毛繕いをして自分を落ち着かせるかのように、かれは地形図を繰り返し見ているのだ。


 …たぶん、そうだと思う。

だって、普段彼、地形図あまり見ないもん。




4−3  関 門 橋

10:04

  よし、行くぞ!

ここまでは、ずっと最後尾を歩いてきた私だったが、ここで遂に出番が来たことを感じた。
山行が特攻隊として、この橋が渡れるか否かを、人柱になって調べる。

 な〜んて書くと、また読者の皆様にいらぬ心配をさせてしまいと思うので、もう耳ダコの読者さんもいるかもしれないけど、この橋についても間違いなく安全であることを確認した上で、渡っているので、ご安心いただきたい。
具体的に言えば、橋はしっかりとしたガーダー橋であり、風もほとんど無い。
故に、物理的に橋から足を踏み外すと言うことは、まず考えられない。
ならば、落ちるはずなど無いのだ。
誰が、こんなに幅の広い平均台で、落ちるだろうか。

恐怖に足が竦んだりなんて言うことがない限り、あとは突然橋の上で立ちくらみなんかに見舞われない限り、安全である。
少なくとも、私にとっては安全な橋だ。



 橋の上から、隣を渡る佐原橋を見る。

で、実はこの林道の橋だが、これもまた廃橋だった。
そのことに気がついたのは帰り道だったのだが、林道自体もこの橋を渡った先で即座に行き止まりで、何のためにわざわざ橋まで架けたのかは不明だ。
また、このレポを見て再訪したいという方もおられないだろうが、林道から軌道跡をいま我々が来た方に辿るには、この林鉄のガーダー橋も渡らねばならないことを、お伝えしておこう。
つまり、2号隧道の橋側坑口と、林道の佐原橋の袂とは、断崖により完全に途絶している。




 このガーダー橋は、森吉のものなどに比べて幅が狭く、断面も小さい。
故に、梁渡りのような芸当は物理的に不可能。
もうここは、素直に橋の上を2足歩行で歩くしかない。
ただ、平行する主桁は、ちょうどちょっと足を広げた程度の幅であり、バランスを保ちながら歩くことが出来る。
だから、平均台なんかよりも遙かに易しいと言える。

 この橋は、東又沢に架かると言うことで、「東又沢橋梁」と称することにする。




 それにしても、なんだか胸のすくような眺めだ。

自分の命が、とても単純なルールだけによって支配されているこの感触、麻薬的だ。

この橋を踏み外せば、死。

イキがっているわけでも、強がっているわけでもなく、この感触は「好きではないのに、求めてしまう」ものだ。

もちろん、自分である程度余裕があるから楽しいのであって、これが風でも吹いていたら、当然渡ろうとはしなかっただろうし、楽しいはずもない。
涙を流したに違いない。

松の木のレポが、いまだ多くの読者にとってスリル・ナンバーワンなのは、やはりあのときばかりは全く余裕がゼロだったからに他ならない。
申し訳ないけど、あんな無茶はもうしたいとも思わない。




 仲間を振り返る。

背後には2号隧道の坑口が見えている。

こんな訳の分からない地形に隧道を掘り、橋を架けた先人の偉業…なんていうといかにもベタだが、
なんかちょっと取り憑かれたような道だ。

 オイオイ、そこまでして林鉄を延ばしたいか?

なんて、意味の分からないつっこみをしたくなる。
しかし、こんな大事業が地図にも営林局の記録にも残らなかったのは、その利用された期間があまりにも短かったのか、それとも、何か別の理由があるのか。





 まさかとは思ったが…


まさか、ほんとうにその、まさか?


橋の先って…??






4−4  続 悪魔の二重門 

10:06

 隧道!

 再び 隧道!


 なんというエキサイティングか。

隧道、そしてガーダー。
再び隧道。

しかも、今度は閉塞している!!

どうしたら良いんだ!
俺はどうしたら良いんだ!!!




 振り返れば一本橋!

 前を向けば、閉塞隧道!!

 なんじゃこりゃぁあ!

だが、この閉塞隧道は、土木工事をすれば再度開通しそうな感じがした。

他のメンバーが、慎重に橋を渡ってくる間に、私はさっそく土木工事にかかった。

くじ氏は、この橋を4つ足で這い蹲って渡ったようだが、その方が私とパタ氏には、遙かに怖そうに見えた。




 はじめ、これだけを残して閉塞していた隧道だが、
手作業で土砂を取り除いた結果、次の写真の程度まで口が広がった。





 さて、これでなんとか荷物と人と別々ならば、通れそうだ。

やったぞ!
俺はやったぞ!!

 そう、仲間たちに報告しに戻ると、なんと仲間達はいない。
その代わり、なんだか頭上から声がする。
なんと、隧道の上の尾根をショートカットしようとしているらしい。
確かに、こんな最狭隧道を通り抜ける必要がないなら、私もそうしたいが…。

私は、折角自分で掘った穴が愛おしくて、無理をしてこの隙間を通り抜けて、隧道を突破した。
この隧道は、便宜上「3号隧道」と称することとする。
全長は5m。
ほぼ閉塞している。




 脱出。

そして、その先も、やはりまともな道など期待できないようだ。

そうしている内に、一度は頭上に遠ざかった声が、再び近づいてきた。
どうやら、隧道を迂回するような比較的鮮明な踏跡があるらしい。
二人は、そこを通ってきたようだ。

私も帰りはその迂回路を通ったが、確かに隧道を通らずとも直接、廃林道の終点の広場へと通じていた。




 結局、この東又沢橋梁の周囲は、左の図のような“ワンダーランド”であった。

惜しむらくは、余りにも地形の自由度が低く、これらを一望できるようなビューポイントが地上には存在し得ないことだ。

たった一つの谷を跨ぐのに、橋一つは当然としても、さらにその取り付け部を確保するために、二つの短い隧道が存在した。
どちらの隧道も、内部がほぼ直角にカーブしているという、変わり種だ。





  あくまでも、この三重の難所は、ただの入り口に過ぎなかった。


次回、二度と繰り返したくない苦行が…。

いよいよ、山行が最難の林鉄行脚…

 解禁!












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