廃線レポート 中津川発電所工事用電気軌道 反里口〜穴藤 第5回

公開日 2022.06.07
探索日 2020.05.09
所在地 新潟県津南町

 第二隧道(仮称)擬定地へ到達する


2020/5/9 7:48 

前回最後のシーンから50mほど進むと、私が辿ってきた道は、それは見事な築堤となった。
ここまでは山際を通ってきたが、進路が少し川側に離れたため、このような築堤になったのだ。

正直、「これが電気軌道の跡だー!」と書いたら、「すごい発見だ!」と誉めて貰えそうだが、
前後のつながりから考えると、残念ながらここは軌道跡ではなく農道、
あるいは、引続きこの山側に並行している旧水路の管理通路兼堤防だったと思われる。
100年近く前の数年間のみ使われた軌道跡は、依然として山際にあって瓦礫に埋れていると思う。

ほんと、軌道跡発見だーっ! ってカラ騒ぎたくなる風景だよなこれ…(苦笑)。



中津川の出水が氾濫原である低地に溢れても、旧水路まで水が入ることがないように、この立派な堤防が用意されていたのだと思う。

そしてこの辺りから先が、私が「第二隧道」の擬定地と考えている範囲円内となるが、行く手にはまさしく隧道で潜ってくれと言わんばかりの切り立った、それでいてあまり厚くなさそうな尾根が、近づいてきている。
これ以上川側へ迂回する気配がないので、やはり隧道はあったっぽいぞ!

隧道の有無はもちろんとても気になるが、第一隧道以来、長らく具体的な遺構と言えるようなものを見ることが出来ていない軌道跡についても、そろそろ何か見つけたいところだ。
第二隧道が発見できればそれはもちろん大きな成果だが、明り区間にこれといった遺構を見つけられないというのは、とても残念である。

ここで少しだけ本腰を入れて、軌道跡があったのではないかと見ている山側斜面での捜索をしてみることにした。




おお! あったぞ!

空積みの苔生した石垣が。

どうせ斜面に埋れているだろうと、それほど期待せずに近づいたのだが、それらしい石垣を見つけて逆に驚いた(苦笑)。
ここは斜面に太い樹木が育っているので、あまり崩れたことがない土地なのではないかという期待は少しあったが、ドンピシャだったらしい。

まあ、石垣にわざわざ名前が書いてあるわけじゃないので断言までは出来ないものの、先ほどまでいた築堤(堤防)から水路跡を挟んだ山側の斜面に、このようにひどく苔生した石垣が残っていて、石垣の上面に平坦な路盤とみられる部分もあるとなれば、軌道跡発見の可能性大と言って良いと思う。

もっとも、せっかく見つけた石垣や路盤とみられる平場も、前後はすぐに瓦礫の斜面に呑まれていて、ずっと辿っていけるような規模ではなかったのだが…。
そんな立地で、これだけでもよく残っていたと思う。




7:53 《現在地》

第二隧道擬定地の尾根直下に着いた。

これまで辿ってきた道の果て、おそらくは堤防の終点だ。

ここが軌道跡ではなかったという自説を裏付けるように、
道の終わりは尾根に突き刺さっていても、隧道を設けてはいなかった。
もちろん、崩れて埋れてしまっただけという可能性を完全には棄てきれないが…。

だが、工事用軌道と旧水路は、この尾根の向こう側に行かねばならない。
どうやって? やはり、「隧道で」だと思う。
それらがどこへ行ったかを、今から探すぞ!


(矢印の位置にて…)




穴!穴!穴発見!

ただしこれは、工事用軌道跡の隧道ではなく、旧水路隧道に違いない!

あるべき位置に、あるべきものがあった――。



レポートの冒頭でも紹介した昭和26(1951)年の地形図には、中津川沿いの道に3本の隧道が描かれていた。
おそらく今いるのが2本目の隧道の北口の位置だと思う。

ただ、現在の地形図と比較すると、地形そのものの表現が大きく異なっていて、これは古い地形図の測量が不正確だったからなのだろうが、対照が難しい。
それでも中津川の蛇行の形をヒントに考えると、現在地が2本目の隧道位置と思われるのだ。


正面ヶ原用水の旧水路用隧道の発見は、大きな成果といえる。

だが、肝心の軌道跡はどこへ行ってしまったのだろう?
軌道については隧道を用いずに向こうへ抜けていたのだろうか?

先の第一隧道では、水路隧道の直上に軌道隧道があり、コンクリートの蓋で隔てられただけで実質連結したひとつの隧道となっていた。
第二隧道も同様の構造を取っていたと考えるのが自然な気がするが、ここにある旧水路隧道の直上に、軌道跡隧道は開口していない。



もっとも、水路隧道の直上は苔生した岩屑が散らばるガレ場となっていて、坑口が崩れて埋れている可能性は全く排除できない感じがする。
これは全天球画像だが、尾根筋からごっそり崩れたような地形になっているのが分かるだろうか。典型的な崩壊地形であり、仮にここに軌道跡の隧道があったとたら、完全に埋れてしまっているだろう。

確実に言えるのは、軌道跡の隧道はここに開口していないということだけ。

ならば次に取るべき手は――




突入だ!

この旧水路隧道を潜って向こう側へ抜けるぞ!

反対側(=上流側)には軌道隧道の坑口が残っているかも!




隧道へ入るべく、まずは旧水路内に下りた。
大正8年に建設され、昭和24年あるいは25年までは使われていた正面ヶ原用水の跡らしい。
幅は1m、両壁の高さは60cmくらいだが、本来はもう少し深かったはず。
両側は石垣で、おそらくモルタルで目地を埋めてあるのだろう。

ここに入った瞬間からもう嫌な感じがしているのだが……


振り返ると……




廃なる水路隧道。

「だから水路はあかんって…」。 変な口調で自身の進路にツッコミを入れたくなる。

代々言われているはずだぞヨッキ家では「水路はアカン」って…。

だって気持ち悪いもの。狭いし。空気だって淀んでる…。



って、ちょっと待て!




この断面形…


見覚えがあるんだが……。




 第二隧道擬定地で見つけた旧水路隧道内部


2020/5/9 7:57 《現在地》 

現在地は、反里口集落と穴藤集落の中間付近、中津川右岸に突出した小さな尾根だ。
工事用電気軌道の2本目の隧道の擬定地に到達した私は、そこで確かに地中へと通じる坑口を発見。
だが、その坑口は地面よりも少し低い位置に開口しており、サイズも明らかに軌道用のものではない、人道用にも満たない小ささだった。

この穴の正体は、電気軌道とほぼ同時期に建設された正面ヶ原用水の旧水路隧道であると、私は見抜いた。
ここまで旧水路は軌道跡に並ぶ形で存在しており、先に見た1本目の隧道では、軌道用隧道の床下空間に旧水路が埋設されていた。

通常であれば、水路隧道にはそこまで興味を感じないし、廃水路隧道を見つけても律儀に中に入って確かめるようなこともしない。
だが、今回ばかりは事情が異なる。
この水路隧道と、私が真に探している軌道跡の第二隧道(仮称)が、無関係ではない気がするからだ。

意を決して、突入する!



こんなところに入ってはいけないという自身の胸の内から沸き起こる声が、耳に響いていた。
隧道の入口は狭く、天井付近の幅が70cmくらい、高さは70cmくらいだった。当然しゃがみ歩きしかできず、それでも頭頂部を冷たい天井に何度か擦った。

両側の壁は、入った直後だけは玉石練り積みで、外と変わらなかったが、数メートル奥からは天井と同じコンクリートの平らな壁になった。
そして、地面が硬い土(堆積物か)、両側壁と天井は場所打ちコンクリートである逆台形断面の水路隧道ということになった。

また、壁がコンクリートに変わったすぐ奥で、左方向に20〜30度の強い角度で曲がっていた。
こういう線形を無視した造りは、いかにも水路隧道らしいと思った。
この地中のブラインドカーブを曲がるとき、曲がった先に出口が現われることを期待した。
第一隧道は200m近い長大なものだったが、この2本目の隧道は、地形図を見る限り、潜る尾根が薄く、長くても50mくらいだと考えていた。




だが、期待した出口の光は現われなかった。

相変わらずに狭い地下水路の廃坑が、まるで私をどこか遠く、引き返せないどこかへと誘うが如く、闇の奥へと伸びていた。

振り返れば、まだ光は近くにあった。
しかし、このカーブを離れれば、本当の闇に包まれることになる。底知れない闇へ…。

また、ここで洞床の様子に変化があった。
土が消え、本来の硬いコンクリートの洞床が現われた。
これにより、本来のこの水路隧道の断面が明らかになった。高さ90cm、幅は上面で70cm、下面で40cmくらいしかない。そんな逆台形断面だった。
屈み歩きが出来る高さではあるが、とにかく私の体だけで断面を塞いでしまうほどに狭いので、精神的に息苦しいと思った。窮屈という言葉に尽きる。これで第一隧道ほどに長かったら、堪えられるか俺……?

正直、とても恐ろしかった。
だが、この穴の反対側を確かめたい気持ちはまだ強く、前進した。



水路隧道についての私の経験値は、それ以外の隧道と比べて圧倒的に低く、その典型とか類型とかを基準に、総合的に「ここ」を判断する次元には達していない。
だから、この水路隧道に出会って、この逆台形断面を見た時点では、まだまだ半信半疑だった。このような断面の水路隧道が、普通なのかどうかということが分からなかったから。

そしてそれは、入口から20mほど進んだと思われる現時点でも、大きく変わってはいない。
少なくとも、地上にある水路はしばしばこのような逆台形断面を見せているから、地下でも同じ形の断面であることは、珍しくないかもしれない。

だがそれでも私には、右図のような状況が強くイメージされていた。

第一隧道の洞床を思い出して欲しい。
継ぎ目のない【コンクリートの床板】が洞床中央に敷かれていて、たまたま?空いていたたった一つの【穴】にカメラを挿し込んで覗いた穴の底には、私がいまいるこの形の空洞が存在していた。それを旧水路と判断したばかりである。狭い穴からたった1箇所覗けただけだが、おかげで、こう判断できる材料を持ったのだ。

私が辿り着いた第二隧道の北口擬定地に軌道隧道は開口していなかったが、それは約100年の間に崩壊して消滅しただけで、この地中においては第一隧道の時と同じく、水路の直上、コンクリートの蓋(天井板)の向こう側に存在しているのではないか。



隙間のない、平らな天井…。

この隧道が普通の山岳工法で作られたのなら、天井はこんな平らではなく、アーチ型の方が都合が良いのではないか。
敢えて平らなのは、第一隧道と同じで、これがただの蓋でしかないからではないか。

この天井板の上に、まだ見ぬ電気軌道の2本目の隧道が眠っている。
それは、ほとんど確信めいた想像だった。
反対側の坑口が残存していれば、入って確かめることが出来るはずだ。
そのためにも、今はこの水路隧道を貫通して、南口へ向かうことが必要だった。

それにしても、元来人が出入りするための場所ではなかった水路隧道内の造りは、お世辞にも丁寧とは言いがたかった。
大正時代の施工そのままなのか、後年の補修があるのか分からないが、天井付近に埋め殺しになった木杭が何本も残っているのを見た。
おそらくこれは、天井の上にあると想定される軌道用の隧道の排水を、この水路隧道へ逃がすための排水孔だ。土や砂利まで落ちないように杭を挿したのではないだろうか。
だとしたら、退かせば空洞に通じているかも知れないと思ったが、湿って固く栓をされていて、しかも腐ってヌメリのキツくなった杭は、とても手の力では引き抜けなかった。



うわ……!

天井板が、ヤバイ……。

ひどく歪んでいる。

強い力で上から圧力を受けたように膨らんでいて、コンクリートの表面が剥がれたところから大量の鉄筋が露出していた。
しかもその鉄筋は完全に錆びきってボロボロだった。

天井板の上に軌道用の隧道が眠っているとして(たぶん間違いないと思う)……、

崩れているんだろうな…きっと。

大落盤かもしれない……。




7:59 (入洞2分後)

終わった。

こんな小さな隧道に有無を言わせぬ、落盤閉塞だった。

最後は案の定?天井が破れていて、隙間なく濡れた土砂で埋まっていた。

入口から25mくらいの位置で、本来の第二隧道のどの位置かは分からないが、

南口である可能性もあるだろう。とにかく、ここからは、この隧道からは――先へ進めない!



閉塞地点を背にして撮影した全天球画像。私はしゃがみの姿勢になっている。

一体どんな因果か。第一隧道では軌道隧道の床下に奇妙な空間を見つけさせられ、

今度の第二隧道では、おそらくその床下空間らしき部分だけを、味わわされた。

100年もののパズルを、オブローダーの推理で組み立てて欲しいというのか。



元の北口へ戻った。戻るしかなかった。

短い隧道だと思うが、思いのほか手強い。この尾根の裏側へ行く方法を考えなければ。