千頭森林鉄道 沢間駅〜大間駅 (レポート編1-5) 

公開日 2012.03.17
探索日 2010.04.19


「千頭森林鉄道」の本線のうち「沢間駅〜大間駅」を紹介してきた本レポートは今回が5回目で、いよいよ終盤戦。

昭和30年代の路線図(右)を見ると、現在地である大間発電所の次が大間駅で、駅間の距離が2.3kmと分かる。

次に、現在の地形図をご覧頂きたい。




赤いラインが探索済みの軌道跡で、ここまでは僅かな例外を除いて「寸又右岸林道」と重なっていた。
また、緑のラインは県道77号「川根寸又峡線」で、こちらは寸又川の左岸を通って大間を目指している。

素直に考えれば、このまま軌道跡は寸又右岸林道をなぞって、最後は県道77号と重なって大間へ入るように思われるのだが、地図上で距離を測定すると、この経路は約3.5kmとなり、先ほどの路線図の距離2.3kmより1km以上も長くなってしまう。

これだけの距離を短縮出来る可能性は、1つしかない。

楽しみだ。




地形図にない隧道が出現


大間発電所の入口を背に前進を再開すると、すぐに奇妙な光景が現れた。
谷側の路肩を守るコンクリートの擁壁上に、たくさんの石が立ち並ぶ光景。

これを見たら誰もが古碑の類と思うだろう。
しかしよく見ると、これらは自然の岩に過ぎず、文字が刻まれているものはひとつもない。
それどころか、形も大きさも全くまちまちで、整形された気配は全くない。

誰かの手の込んだ、いたずら?

それはありえない。
なぜなら、これらの岩はみなコンクリートに下部が埋め込まれ、しっかり固定されていた。
施工者は一体何だって、こんな奇妙な“道路構造物”を設けたのだろう。
自然味を演出する一種の装飾…か?



8:12 《現在地》

今回は車で移動しながらの探索なので、普段の自転車や徒歩のそれより遙かに前進のペースは速い。
その事を踏まえたうえで、上の写真を撮ったちょうど1分後、私の前にこの意外な光景が現れた。

明らかに隧道出現。

これを意外と思ったのは、この隧道が地形図に描かれていなかったためである。
おそらくそう長い隧道ではないのだろうが、カーブしているのか、ここから出口は見通せない。

それにしても、手前のガードレールに立ててある箒が気になる。
単に清掃の途中に忘れていったものを、誰かが親切で目立つよう立てただけかも知れないが、箒を立てて置くのは「お帰り下さい」の暗示だという地域もある。
考えすぎかも知れないが、そのことを知っているだけに、唐突な闇は普段より少しだけ気味が悪かった。



さらに坑口へ接近すると、路肩にこの看板が立っていた。

錆び付いたというレベルを通り越して、全体が焼け爛れたようになっているが、一番大きく書かれていた文字だけは辛うじて読み取れる。

アカイシトンネル

と、ヘタっぽい文字が。

それにしてもウムシといいアカイシといい、カタカナ名が流行り?




アカイシトンネル南口。

地形的には尾根ではなく、谷に掘られた隧道である。
おそらく内部は地形に沿って右へ曲がっていて、谷筋の向こう側に出るのだろう。
普通ならば「尾根に隧道、谷に橋」という組合せだが、極端に急峻な谷筋は橋を架けることが難しく、土砂崩れで橋を壊されるリスクも高いため、こういう“谷越しの隧道”が作られる場合がある。

アカイシ隧道は、横沢隧道・ウムシ隧道に次ぐ第3の隧道であるが、横沢隧道と同様、そのサイズは車道改築時に拡幅を受けているようだ。
そのため、ウムシ隧道よりも程度は良いように見える。




外から予想したとおりの線形を見せる、アカイシトンネル内部。

全長は約50mで、地形図に描かれなかった理由は不明である。

隧道を通り、北口へ出る。




アカイシトンネル北口。

一見したところは何の変哲もない坑門だが、私はこの右側にある擁壁が気になった。

拡大してみよう。



何となく… 

いや、はっきりくっきりと、反っている。

このような反りには、私は敏感である。
なぜなら、前回にもこの反りから“隧道跡”と確信出来る場所を見つけている。

今までいろいろな法面擁壁を見てきたが、ぶっちゃけ「反っている=隧道の側壁の残骸」と断定していいように思う。
それ以外で反った擁壁を見たことがないからだ。



この反った擁壁は、アカイシトンネルの北坑口から20mほど先まで続いていた。
軌道を廃止して林道に作り替える際、拡幅する目的から隧道の一部を撤去したのだろうという仮定に拠れば、旧来のアカイシトンネルは全長70mくらいあった事になる。

だが、本当にそうだったのかは、疑問が残る。
というのも、この反った擁壁が隧道跡なのは間違い無いと思うけれども、その先のアカイシトンネルが軌道時代からあったかについて、断言出来ない事になってきた。

なんでかって?




8:15 《現在地》

それは、アカイシトンネルの外側にも、軌道跡と思われる廃道を見つけてしまったからだ。

ちょっと見に行ってみる!

↓↓



これは、間違いあるまい! 軌道跡だ!

問題は、いつ頃まで使われていたかだ。

昭和5〜8年に富士電力が建設した寸又川軌道は、間違いなくここを通っていたと思う。
それが昭和13年に帝室林野局の森林鉄道となり、30年余りを経た昭和44年頃に寸又右岸林道が開通するまで使われた。

果してアカイシトンネルの建設は軌道時代の事なのか、それとも林道化に合わせて初めて掘られたのだろうか。

資料に乏しく何とも言えないが、アカイシトンネルの外側に軌道跡があるのは紛れもない事実だ。




たかだか50mほどの隧道に対応した旧道なのだが、先を見通すことは容易でない。

旧道に入って30mくらい進むと、大量の岩塊が進路を阻んだ。
全体的に苔生しており、もともとこういう地形であったかのように見えるが、崩壊はかなり昔の出来事なのだろう。

リスクを冒してまでここに進入するか、正直私は悩んだ。

どうせこの旧道の終わりは分かっている。
確実にアカイシトンネル南口の脇に出るはずだ。
先ほどは気付かなかったが、よく見たらあったのだろう。

…悩んだが、やはり1mでも多く軌道跡を確認したい気持ちが勝り、苔むした岩場をよじ登る事にした。




おわああああああああああ!

高けぇええええええええ!!

思わず足がすくむ。

金玉が取れ落ちそうだ。

冗談抜きでマジビビった。
今までの林道になってしまった軌道跡に、こんな眺めは流石になかった。

遙か寸又川の谷底近くに見えるのは、寸又峡へのメインルートである、県道77号だ。
こことの比高は、なんと100mある。

ここに来て気付いたが、電線も隧道ではなく、外(空中)を通っていた。
どうやって設置したのか知らないが。




路盤完全途絶!!

桟橋があったのだろうか。
既に橋桁の残骸はおろか、橋台の気配さえ失われている。
これ以上はどうやっても進みようが無かったが、対岸20mくらいの所をガードレールが横切っていた。
よく見ると、その右端にコンクリートの大きな塊がある。
あれがアカイシトンネルの南口に違いない。

これでアカイシトンネルの旧線を、全て目視確認したことになる。撤収。




スポンサーリンク
ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
前作から1年、満を持して第2弾が登場!3割増しの超ビックボリュームで、ヨッキれんが認める「伝説の道」を大攻略! 「山さ行がねが」書籍化第1弾!過去の名作が完全リライトで甦る!まだ誰も読んだことの無い新ネタもあるぜ! 道路の制度や仕組みを知れば、山行がはもっと楽しい。私が書いた「道路の解説本」を、山行がのお供にどうぞ。


8:28 《現在地》

さて、林道へ戻り再び車上の人となった私だが、幾らも行かないうちに車を止めることになった。

アカイシトンネルから200mほど進んだ、この写真のカーブ。
またガードレールに“逆さ箒”が立てられている…のはもう無視するが、正面の素堀の法面が高く険しい事以外、特別な光景でも無いように見える。

しかし、ここから左の谷筋を見上げると…、

重要な発見が…!





目を凝らして、ご覧下さい。
↓↓


お気づきになられただろうか?




電柱のようなものが見える??


確かに電柱が立っているのが見える。


だが、本当に
それだけであろうか?




これは、“坑門”のような“壁”?


否、

坑門である!




冒頭にも距離の関係から、その存在を予感はしていたが、現実に発見されたのは大きな収穫だった。

それに、隧道があるとしても、それは林道の脇に口を開けているか、或いは埋め戻されていると予想していたので、ひと目で“廃隧道が確定”するような位置に現れた事には、少なからず興奮した。

アカイシトンネルから現在地までの200m間で、軌道は林道の上方へと知らずのうちに分岐し、ここから隧道を以て西側の尾根をショートカット。直接、大間集落の東側へ出る進路を取っているようだ。
この隧道は、少なくとも150m以上の長さがあるだろう。

わくわく…どきどき。