千頭森林鉄道 沢間駅〜大間駅 (レポート編1-6) 

公開日 2012.03.20
探索日 2010.04.19



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自転車(Bicycle)を前回最後に見つけた隧道(以後この隧道を「大間東隧道」と仮称する)の東口近くの林道脇に残し、私はこのまま車(Car)で大間集落を目指す。

その狙いは、次の通り。
車で先回りした大間集落から、徒歩(Aruki)で軌道跡を探索し、件の隧道をくぐってここへ戻って来る。デポした自転車は、大間へ車を取りに行くときの足である。
この三種の移動を複合させた“ABCコンビネーション”は、自転車を用いる私の機動力面における大きな武器であるが、今回もここで伝家の宝刀よろしく用いる事にした。

  え? 隧道が閉塞していたらどうするのかって?  

  そんときは潔く戻るよ。



5万分の1地形図「千頭」昭和37年版より転載。

今回探索する大間周辺の軌道跡は、本線を起点側から辿ってきた場合、最初に出会う、まとまった長さの廃線跡である。
右の地形図は昭和37年のもので、「現在地」を通る軌道および隧道がはっきりと描かれている。

しかし、昭和37年は既に軌道の末期で、大間集落へは軌道の他に、自動車道も通じているのが分かる。「大間林道」(緑色)がそれである。
これは県道77号の前身にあたる道だ。
また、寸又峡の奥地無想吊橋方面など)で軌道の代替となる「寸又左岸林道」(青色)も既に建設が進んでいる。

昭和44年に軌道が全廃されると、跡地の大半は「寸又右岸林道」(赤色)へ改築されたが、大間東隧道〜大間集落間の約1.1kmについては、寸又川沿いの別線が開削され、林道化されなかった。

それでは、前進再開!




自転車を残し、大間へ先回り


2010/4/19 8:40 《現在地》

自転車デポ地から先の寸又右岸林道は、これまでの軌道跡をなぞっていた区間とは異なり、かなりの急勾配路である。
デポ地の標高が500mで、約800m進んだ県道77号との合流地点の標高が450mという案配だ。

それはさておき、これにはちょっと焦った。
車でここまで来れた(特に封鎖されていなかった)のに、出口になって突然A型バリケードに行く手を阻まれたのだ。
県道側には、「通行止」の見慣れた標識と共に、法面を保護する工事をしている旨の案内看板が出ていた。
なるほど、確かにここへ来る途中に工事現場を通った。朝早かったので工事は始まっていなかったが。

これが自力で動かせるもので、助かった。



1車線と2車線が混在する県道77号を西へ進む。
間もなく大間東隧道が掘られている尾根の末端部を切り通しで抜けると、先に大間集落が控える広々とした谷間に入る。
この谷は現在の寸又川の河床から50mも高い所にあるが、非常に勾配が緩やかで、おそらく大昔の寸又川の蛇行する河道跡なのだろう。

写真前方に見えるスギの茂る尾根に、目指す隧道はある。
あの裏側に自転車を置いてきたのである(正確には、見えている正面より左だが)。

寸又右岸林道には千頭〜大間間と大間〜千頭ダム間の2つの区間があり、両者を大間林道(現:県道77号)が結んでいた。
現在走行している区間は、大間林道由来だ。





8:45 《現在地》【路線図】

やって参りました。寸又川流域の最奥集落である大間。
路線図には、千頭林鉄の沢間起点から10.8km(千頭土場から13.5km)の位置に「大間駅」の記載があり、
運材にとっては一通過地に過ぎなくとも、苛酷な奥地で働く人員の保養基地として、
重要な役割を担っていたことも想像される。

大間といえば、現在も秘湯で知られる寸又峡温泉の所在地である。
さらに、南アルプスのゥ峰登頂を企てる兵(つわもの)たちの活動拠点でもある。
したがって、集落の入口にはこれらの訪問者を容れる、立派な駐車場が完備されている。
私の車も、ここに収まった。




観光駐車場の一角には、林鉄時代の濃厚な記憶が保管されていた。

千頭林鉄で実際に使われていた協三工業製の「DB12」4.8tディーゼル機関車を先頭に、
木造客車1両&鋼鉄製運材トロッコ2両(2両で1セット)が、静態保存されているのである。
移設されたものではあるが、足元にはレールにバラスト、枕木も、往時そっくりに再現されている。
そして、もしこれが林鉄用だとしたら個人的に初見である、電灯式信号機も傍らに置かれていた。

これら保存車輌については、素晴らしいサイトが既にあるので、私は無知を晒す前に撤収する。


そしてもう一つ、この大間には林鉄ファンなら必ず立ち寄るべき、スポットがある。

全国でも数少ない“山岳図書館”のひとつ、「南アルプス山岳図書館」である。



「南アルプス山岳図書館」展示写真の一部を転載。(許可を得て撮影しました)


林鉄に関する蔵書は必ずしも膨大ではないが、
上に挙げたような林鉄の古写真が、館内にたくさん展示されている。
司書さんには個人的に大変お世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます!



で、少しだけ話が脱線するが…

これらの写真に混じって、

次の写真が、

キャプション無しで

展示されていた。




これは正気の沙汰ではない!!!

この橋に較べれば、

あの無想吊橋でさえ、
瀬戸大橋に見える。

写真から見て取れる両者の構造の違いは色々あるが、
なんと言っても一番は、主索(ケーブル)が1本だと言う事。

今までいろいろな吊橋を目にしてきたが、単主索橋は未見だ。
一体どのくらい不安定なのか。想像するまでもない気がするが…。

他にも、踏板が1枚きりであったり(無想は2枚)、
手摺りが片方にしかなかったり(無想は両側)、
架橋者はサド男爵以外にありえない。

つまり、

どう考えても、


ポンチョ姿が似合う橋ではない!


こんな気違いじみた吊橋は、断固として現存していて欲しくない(落命必死)が、
司書の方に窺ったところ、「どこか分からない」そうである。

その後の個人的な調査により、この橋は6割方、
旧無想吊橋ではないかと考えるに至っているが、
千頭山中には、他に何カ所も同程度の橋が存在していたという擬定地がある(!)。

しかし、全ての擬定地の橋が落橋している(これは確認済み)から、

本橋は既に地上には存在しない。 …ほっ。





大間から東の軌道跡へ


ちょっとした千頭林鉄探訪のメッカとなっている駐車場を後に、徒歩で軌道跡の探索へと出発する。

大小の温泉旅館が建ち並ぶ大間の集落内は道が狭く、終点間近の県道77号の路上には、まるで都会のように人や車が行き交っていた。
そこはこれまでの山峡とはうって変わって、繁盛した温泉街の雰囲気に満ちていたが、源泉が少し遠いためか湯の匂いはない。

この県道から、建物の間隙に南の山手を見渡すと、如何にも軌道跡らしい、ほぼ水平な平場の列が見て取れた。
古びた長い石垣と、まだ新しい落石防止柵の列を従えているので、実によく目立つ。

そしてこれをチラチラ確認しながら、駐車場から約300m進んだ地点が、両者の邂逅点であった。



9:04 《現在地》

軽トラがいる直角カーブは丁字路で、左にも道が分かれている。
この角には歴史の古い如意輪観音堂があり、軌道が敷設される以前(昭和5〜8年)より、ここが大間集落の入口であったようだ。
これより下は、現在の車道(大間林道)が開通してから、新たに市街化した模様である。

千頭森林鉄道および、林鉄以前の古道は、ここを左から右へ抜けていた。

おそらく大間駅はこの附近にあったのだと思うが、大間集落内の探索は未了なので、いずれ終わったら稿を改め紹介するつもりだ。
→参考:【大間集落内の推定軌道位置図(集落内の案内板に加筆)】



さて、今回の主題は集落内ではなく、こちら側だ。

路面にタイルが敷かれ、街路樹があり、ちょっとしたお洒落な公園路になっているが、ここが軌道跡であり、林鉄以前の古道である。

先ほどから林鉄以前の古道という、今まで口にしなかったファクターを持ち出してきているが、やはりここまで来たら触れないわけにはいかない。
この大間や、さらに上流のゥ村(現在は何れも廃村だが)は、何も林鉄と共に黎明を迎えたわけではなく、近世には既に暮しと往来があった。
その通路はもちろん車道ではなかったが、古い地形図を見る限り、それは千頭から大間まで、概ね軌道に近い位置を通っていたことが分かるのである。

進入開始!




9:06 《現在地》/【昭和37年地形図における現在地】

如意輪観音堂の角から脇道に入ると50mほどで未舗装になり、さらに50mでご覧の分岐地点に出る。

シチュエーションが良く、コメントするだけで思わず興奮してしまうが、この左の道が軌道跡で、右の道は古道跡である。

この分岐の光景だけで先を語るのはナンセンスかも知れないが、両者が同じ目的地を持った道だということを肯ける眺めだと思う。

おかげで、登山道の行き先案内板が極めて不親切になってしまっている。
この案内板が指示しているのは下の軌道跡の道なのだが、10人に2人くらいは(“登山”道という先入観も手伝って)上の道を選ぶと思う。




うお〜!

今にも“さっきの編成”が、カーブの向こうから現れそうだ!

ナイスなシチュエーションに胸躍る!!



次第に高低差を増していく古道と軌道跡とを隔てる石垣に、私は“巧みの技”を見た。

この石垣は軌道の建設にともなって整備されたのだろうが、地形の微妙な凹凸に合わせ、上下の石垣が鋸歯状に組み合わされているのだ。
出来るだけ土工量を減らそうとした名残かと思うが、細かな気配りがなければ実現出来ない、複雑な土木構造物といえるだろう。
これは80年余りの風雪に耐え、未だ2本の道をくっきり分明している。




この道の勾配はほぼ水平で、ごく僅かに上っている感がある。
しかし、大間集落がある谷は進行方向に向かって下りであるため、みるみる高低差が増していくのが分かる。

なお、林鉄というのは基本的に上下線非対称の運用形態を持っており(町→山は空荷で力行、山→町は満載で惰行)、多くの「山」が「町」より高標高であることと上手くリンクしている。しかし、経路の都合上この関係性が崩れる、つまり、山→町の経路上に上り坂が出来ると運用上の大きなネックになる。これを「逆勾配」という。
千頭林鉄には逆勾配の難所が何カ所かあったが、ここもそのひとつである。




古道と分かれてから100〜200m進んだろうか。

山手を見上げると、30mも高い所を真一文字に横切る古道の姿が辛うじて認められた。
しかし、あちらも小規模な石垣を従えているようで、ただの獣道然とした徒歩道ではない“格”を持っているように思われる。

千頭までの経路がどの程度軌道跡と重なっているかは不明で、おそらく、かなり長大な廃道が現存しているものと思う。
いずれ折りを見て探索してみたいものだ。

地形を考えると、相当に難易度は高そうだが…。





9:13 《現在地》

路傍に何かの小屋が出現した。

それにしても、ここは別天地のように美しい。

今にも木陰から“森ガール”が出て来そうだ。



しかし、険しを穿つ隧道擬定点まで、残り僅か600m!