千頭森林鉄道 逆河内支線 最終回 

公開日 2011.11.30
探索日 2010.04.21
所在地 静岡県川根本町

全長3790mの逆河内支線、その探索もいよいよ終盤戦へ。
残す未踏破区間は、1kmを切った。

この先に期待される遺構は、なんといっても「4号隧道」(仮称)がある。

ある、はずだ。
…前後の軌道跡の位置を考えれば、ほぼ間違いなく。

しかし、往路ではそれを確認出来ていないし、隧道の前後の軌道もかなりの距離で確認が出来ていない。
往路のこの辺りを歩いてる時、私はまだ林道と軌道跡は重なっていると考えていたため、積極的に探していなかったせいである。

この隧道の問題は、今回決着する。

そしてそれだけではなく、


私はこの最後の区間で、

逆河内支線をこれほどの難路へと変えた、“最大の元凶”にも遭遇した!



軌道跡を破壊した最大の元凶


2010/4/21 15:59 《現在地》

小尾根を越えるための小さな堀割。
破壊の限りを尽くされた軌道跡だが、こうした尾根の突端部だけは、例外なく痕跡を留めていた。
と同時に、尾根は林道から見下ろす事が出来ない場合がほとんどで、ここも例外ではなかった。

この堀割を越えれば、振り返っても見えなくなる。
この谷間で大勢の人々が働いたという、その証しである作業所の建物が。
その代わり、前方には新たな視界が開けるだろう。
尾根はいつだって私をドキドキさせるが、疲労が限界に近付いていた私は、期待よりも、祈った。

もうこれ以上、苦しい場面があらわれて欲しくない。
特に、林道との行き来が時間的にも体力的にも苦しかったから、それが避けられる展開を願っていた。




「 願 い 」 は…



聞き届けられそうもなかった。


カーブを曲がった瞬間、視界に飛び込んできた“灰色の広さ”は、

私の願いが無駄であったことを教えていた。

それから“突端”までの数十メートルは、落胆の確認作業だった。





16:01 《現在地》

画像が大きいが、何か見るべきものが写っているのか?

そんなものは、写っていない。

これは路盤のない、ただの斜面である。
画像の大きさは、私の衝撃の大きさだと思って欲しい。

この状況を見る限り、難所尽くしの逆河内支線中でも有数の難所と思われるが、
“その原因”については、必ずしも地形の険阻さだけではないようだ。




は、林道


逆河内支線の現状の荒廃を決定づけたのは、実は大部分において自然の崩落ではなく、
その上部に平行して建設された、日向林道であったという事実

林鉄を廃止して代替の林道を建設したのだから、当然といえば当然の帰着であるが、
なぜ林鉄跡を拡幅して林道化するという選択をしなかったのか、不思議である。

前も書いたとおり、逆河内支線の建設は昭和35年から37年にかけてであるが、
昭和43年には廃止されるという、驚くべき短命ぶりであった。
そして、昭和50年代初頭には日向林道が完成しているのである。

逆河内支線は、はっきり言って、“林業経営上の失敗作”であったろう。
そして林道化もされなかったため、失点を取り返す機会無く棄てられた。




このまま路盤を進むことは出来ない。
すぐに林道への復帰の可能性を探した。

直前に乗り越えてきた危険地帯を戻るのは嫌だったが、幸いにしてこの“末端”は岩場でなく土山だったので、斜面をよじ登って20mほど上にある林道へ逃げ出せそうだった。(←)

その際、軌道の脇に生えていた1本の大きなモミの枯木が目を引いた。(→)

手の届かない樹上には、まだ細い枝がいくつか残っていて、寿命を終えて数年より経っていないようだったが、その幹にはさながら胎外にあらわれた病巣のように、大きなサルノコシカケがいくつも出来ていた。

もっとも、それだけならば自然光景であり、特筆するようなものでもない。
注目は、この幹を登る梯子のような木片の存在だ。
これはどう考えても、人為の所作である。
それは、軌道に面して生えたこの巨木が、かつて電信柱の役割を担っていたことを連想させた。
千頭林鉄では本線支線の別なく、林鉄にはつきものである電信柱がほとんど見あたらないのだが、多くは軌道脇の立ち木や、周辺の岩場に役を求めていたのだろう。

これもまた、山の仕事のひそかな名残であったが、軌道が廃れ、人も去り、ついには記憶を刻んだ木も枯れるに至ったのである。




16:04 《現在地》

2分後、痛むひざをくの字に折り曲げて、両のふとももにてのひらを当てた姿勢で立ったまま休む私の姿は、林道の路肩にあった。

ここは少し前に通り越した“堀割”の上で、林道もまた尾根を削って越えているが、その規模は軌道の比ではなかった。
この広い道幅に落ちて溜った瓦礫は、年に一度行われるブルドーザーによる補修時に、目の前の小山のように路肩へ集められるか、残りの大半は、路肩からそのまま棄てられているようだ。

林道の下にある軌道跡を埋めているのは、まずは林道を建設した際に出た残土であろうが、林道が生き続ける限り、それが背負うべき“荒廃”までも、軌道跡は肩代わりしている。
昨今では環境破壊の問題が煩くなり、林道工事の残土を谷へ棄てるような乱暴な工事は許されなくなってきているが、補修にあってはその限りでないことを、2週間後に目撃している。




ここ、そういえば往路でも写真撮ってたな…。

ちょうど、軌道跡が林道の下にあることを「知ってしまった」のが、この場面だった。



これも同じアングルを往路で撮影してる。
架線が谷を渡っているが、それは林道上にある電信線だ。

軌道の路盤は、視界を遮るものがない絶壁にあって鮮明に見えているが、
近付くことは時間的にも体力的にも極めて困難であり、
この区間の踏査は自重せざるを得なかった。

次の尾根までは目視による確認が出来たということで、
その先から探索(実踏)を再開することにする。



白い雲がムクムクと湧き上がり、遠くない山の頂を隠しはじめていた。
豪壮な幅広の林道には一面に瓦礫が散らばっていて、荒涼たる風景に物寂しさを加えていた。

年に一度だけの手入れによって、辛うじて廃道化は免れているが、もう長らく本来の用途(伐木運材)には使われていない。
林道の荒廃は、それによってアクセスしうる林地の荒廃を意味し、地域林業の斜陽を象徴する光景だった。


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4号隧道(仮称)擬定地点の探索



16:12 《現在地》

小尾根を一つ回り込み、最寄りの緩斜面を下降路に選定した。

ここからみたび軌道跡を目指す。




はじめは緩やかだった斜面も、少し進むと足首に力が入る急斜面に。

それに伴い前方の視界が開け、ほとんど真下に逆河内の水線を見るようになった。
はっきり言って、足がすくんだが、心が折れる寸前、目指すべき軌道跡を発見した。

軌道跡は大岩に削られた堀割のようであったが、半ば以上埋没していた。
以降は斜めに斜面を下り、そこを目指した。




また、こんな感じなのね…。

どこまで行っても、軌道跡に平穏はなさそうだ。
路盤はちょうど45度の傾斜になっていて、もうこれ以上瓦礫を乗せることが出来ない状態で安定しているようだ。

まあ、歩けないというレベルではない。
ある意味、慣れっ子だ。
慎重に歩を進めることにする。





林道は、すぐ上にあった。

往路でも路肩から下を覗き込めば、当然軌道跡の存在に気付いたであろうが、
その時は林道=軌道跡だと信じていたので、この辺りの軌道跡は全部「未確認」だったのである。

その存在が予想される4号隧道(仮称)も、同じ理由で「未確認」だったが、
私が路盤から振り落とされずにこのまま進めれば、遠からず解決が出来るだろう。




久々に日射しの元へ来た。
逆河内の谷の出口に近付いたために、背後の山の端から、太陽が再び“日の出”をしたのだろうか。
或いは雲の動きによるものかも知れない。

前方には、林道が堀割で越えていた、逆河内出口の大きな尾根が壁となって立ちはだかっていた。
明らかにこの軌道の高さ(レベル)では、尾根を大きく回り込むか隧道を用いる以外に、向こう側へ越える術はないように見えた。

いよいよ4号隧道の出現は、予想より強く“予期されたもの”になってきたのである。





こんな所を、独り寂しく越えてきた。

今日一日で、私は何回、危ない場面を、自ら進んで乗り越えてきたのだろう。
自己最高記録を更新したのは、ほぼ間違いない。

親からもらった命を、これほど無造作に、しかもくり返して危険にさらしていることへの、幾ばくかの背徳感があった。
そして、それが当然のようになってしまった、今日の異常さについて思った。
普段の平均的な探索日なら3日に1回程度の危険な場面を、今日はこの直前を含め、20回は経験していた。

限界に近付きつつある疲労と、“慣れっ子”になってしまった危険地突破。
ここに精神的な緩みが加われば、事故が起きる条件は揃う。
それだけに、私は慎重にならざるを得なかった。



16:20 《現在地》

傾斜した軌道跡を歩くこと7〜8分で、いよいよ眼前に逆河内出口の尾根が立ちはだかった。

真っ正面には、林道の深い堀割のシルエットが見えていたが、それは間違いなく軌道跡のレベルまでは達していなかった。

ほぼ隧道意外は考えられない状態となったが、問題はその坑口が存在しているかどうかだ。

そして、通り抜けが出来るかどうか…。

おそらくこれが、今日最後の勝負所だろう。





出やがった。




まさに期待した通りの位置に、それは半円形の口を空けていた。

坑口前にも瓦礫が山積しており、
それは洞内にまで入り込んでいるようだったが、
それでも人が十分出入り出来るスペースは残っていていて、
未知の洞内へと私を誘った。


迷うことなく、私は進んだ。

苦難に満ちた“逆河内路”の出口へと、

輝かしい生還の期待を胸に。





裏切り!

期待を裏切る、閉塞という回答。

土壁の決着は、身じろぎ一つ見せないコウモリたちによって黙殺され、私はもうどうすることも出来ず、すぐに引き返さざるを得なかった。

果たしてこの閉塞は、いかなる原因によるものなのか。
天井には破壊の痕跡は見えなかったので、おそらくは5号隧道と同じく、閉塞部=坑口部だったのではないだろうか。

洞内に僅かの落葉も舞い込んでいないことから、この土砂は表層のものではなく、かつ崩落は一時に発生したということも想像が出来た。




坑口から閉塞部まで、レポートではあっという間だったが、距離はこの写真の分だけあった。

長さは7〜80mといったところか。
この長さを尾根の規模と比較すれば、やはり閉塞部≒坑口部という結論が導かれるように思う。

なお、この隧道は内壁が全てコンクリート巻き立てに拠っており、あまり地盤が良くなかったのかも知れない。
それ以外は、特筆するような事は見あたらなかった。

例によって、隧道内部は“平和”だったのだ。




16:24 《現在地》

約4分間の洞内探索(往復)を終え、地上へ戻った私だが、閉塞による落胆はほとんど無かった。
それよりも、予期された隧道を確認出来た事の達成感が勝った。

5号隧道にしても4号隧道にしても、跡形無く埋もれているのは片側だけで、なお地上へ痕跡を留めていたことは、まるで探索される事を待っていたかのように思われて愛おしかったし、その期待に見事応えた自分を誇らしくも思えた。(見方を変えれば、それは私に対する“挑戦状”に他ならなかったのだが)
リスクを甘受したことについてまわった背徳感も、今は達成感へ昇華した。

4号隧道の探索終了は、今日の逆河内支線探索が事実上完結したことを意味していた。
未確認に終わった区間も少しはあるが、予備知識ほとんどゼロの初回探索の成果としては、十分だった。

ほぼ完遂という評価を下せる。
そして、この初回探索で唯一やり残した「終点の確認」は、2週間後に無事達成されている。



あとは、この坑口脇の崖錐斜面を斜めによじ登って、林道の切り通しへ復帰すれば良い。

普段の体力ならば何の問題もない行動だと思うが、これがえらくキツかった。
数歩ごとに膝を押えて休みながら、顔を引きつらせて登った。
あまりに辛く、登り終えた私はまた自分撮りをしたのだが、ひどいものが写った。

林鉄と林道を相互に行き来しながら探索する場合、
その比高が大きければ大きいほど行き来は苦しいが、
比高が小さすぎると、今度は林鉄が酷く破壊されているというジレンマがある。

逆河内支線にはそうした林鉄探索の苦しみが凝縮されていたが、挑むに足る実りもまたあった。




16:28

わずか20mの比高をクリアするのに4分もかかって、林道へ復帰。

目の前には、逆河内の出口となる大きな堀割の姿が。(→)

まだこの場所へ来るのは2度目だというのに、妙に懐かしく思えるほど、私は逆河内に没頭していたようだ。
名前から既に怖ろしげな“サカサコウチ”に、私は愛着を覚えてしまった。

林道から軌道跡を見下ろすと、歩幅の極端に小さな足跡が、小さな坑口から伸びていた。(←)
これが誰のものかは言うまでもない。





― これ以降は、消化試合。 ―


隧道の埋没した反対側の坑口は、やはり地上には痕跡を留めていないようだった。

それどころか、そこに繋がる軌道跡も、林道の路肩に連なる斜面に掻き消されていて、

全く見る事が出来なかった。



林道は切り通しを過ぎると、急激な下り坂となる。
そしてその傍らにある谷は、さっきまでの逆河内ではなく、寸又川の本流である。

逆河内支線の探索を終えた私だが、本流沿いの千頭林鉄本線は、
大樽沢分岐から逆河内支線へ折れたため、以奥の探索は残されたままになっている。



千頭林鉄の本線は、大樽沢から奥にも続いている。

今日探索したのは、図中の黄色く示した部分である。(加えて大間〜千頭堰堤間も探索したが、レポートを未制作なので除外した)

既に入手済みの【路線図】によると、大樽沢の先の本線は、小根沢、大根沢事業所、栃沢、釜ヶ島を経て、柴沢という所まで続いていたというのである。
そしてこの大樽沢〜柴沢間の距離は、実に17kmもある。

今日の苦労を思えば、それはまさしく絶望的な長距離。

にもかかわらず、まさかこの2週間後にそこへ挑むことになるとは、流石にこの帰路、思いもしなかったことであった…。


堀割以降、林道“下”にはもう2度と軌道跡を見つけることはなく、次にそれを見たのは…。



16:41 《現在地》

林道“上”のそれも相当高い位置にある、第3号隧道の姿としてであった。
4時間ぶりの、生還であった。

林道の20m下に始まった軌道跡は、堀割から500mの区間内で知らずのうちに入れ替わり、林道の10m上にいま再会した。
この途中の軌道跡は、林道の干渉から全く逃れることが出来ず、完全に消滅してしまったらしい。
これで本当に、逆河内支線の探索は、終了である。

このあと私は、そのまま日向林道を歩行して、自転車を停めている千頭堰堤へと向かった。
さらに自転車を漕いで大間集落の駐車場へ辿り着いたのは、この2時間半後の午後7時過ぎであった。

私にとっても記録的にハードな一日だったが、2週間後のそれを思えば、これでもまだ容易かったと言わねばならない。