廃線レポート 富士電力大間ダム工事用軌道 第2回

公開日 2020.12.10
探索日 2019.05.23
所在地 静岡県本川根町

みんなが知るハイキングコースの直下に、こんな世界があった


2019/5/23 8:14 《現在地》

軌道跡、もしくは遊歩道跡、あるいはもしや軌道跡であり遊歩道跡でもあるという、謎めいた廃道。
皆様の楽しいハイキングシーンのすぐ足元で秘かに繰り広げられつつある今回の探索は、距離の中盤に差し掛かり、非常の険しさを纏い始めた。

この険しさは、地形図を見てもよく分かる。道は寸又川本流の崖壁に突入し、路盤と水面の落差は70mに迫る。
しかし、従来は右岸林道の下手にあたるこの位置に道があるとは、ほとんど誰も考えなかったから、ほとんどの人に意味を持たない険しさだった。そんな知られざる険しさが、私に牙を剥く。

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そんな険しさの真っ只中に、橋があった!
この道で出会ったものとしては2本目の橋。
しかし、肝心の橋桁がなくなっている。
長さ10mほどのもので、岩場の凹んだところを横断する桟橋だった。

また、橋のちょうど中間部に、橋脚の残骸があった。
コンクリートの土台と、そこから突き出した太くない1本の中空な金属柱であり、先端は切断されたもののように見えた。
華奢な感じからして、遊歩道時代に架かっていた人道橋のものだろうか。

(→)
末端に立って、失われた橋の向こうを見ると、高い石垣に守られた路盤がずっと続いているのが見えた。
そしてその路盤の上に、何か正体の分からない大きな物が置かれているのも見えた。
あの質感はおそらく木材ではなく、金属製のものだと思う。
気になる正体を確かめるには、近づいてみるしかない。




失われた桟橋を、斜面伝いに迂回中。
直前までいた橋台は、変わった造りをしていた。
川側の角の部分だけが空積みの石造に見えるものの(内部はコンクリートだろう)、残りは至って平凡な場所打ちコンクリートだった。
遊歩道としての景観に配慮して、橋上から見える部分だけ石造風にしていたのかも……?

チェンジ後の画像は、直下の眺め。
緑の間に青白い河原が見えるが、70mも下にある寸又川の谷底だ。近くに見えて、もの凄く高いのだ。




これから向かう方の橋台。普通のコンクリート造りである。
岩場と一体になったような立地で、よじ登らねば先へ進めない状況だ。
生えている木が使えそうだが、うっかり落ちたらまず助からないだろう。

未だに記憶が鮮明な千頭林鉄の奥地へは、もう何年も近づいていないが、この辺りの雰囲気には同じものを感じる。
緊張を思い出しながら、慎重に突破した。




8:18
橋台をよじ登って路盤に復帰すると、見えていた謎の物体が目の前にあった。

道幅いっぱいの大きさがある、金属のフレーム。
おそらくこいつの正体は、直前の橋に架けられていた橋桁だろう。
わざわざ橋から引き上げたのに、すぐそばに置き去りにした理由は不明だ。

そして、この橋桁は遊歩道時代のものだろうな、造り的に。
道自体は工事用軌道に由来していると思って見ているのだが、橋桁は取り替えられていたようだ。



さらに10mほど先にも、同じ橋桁の一部と思しき残骸が寄せられていた。

ここにあるのは橋の高欄部分だろう。
いかにも観光客に媚びたような、トラスモチーフの手すりだったようだ。
しかし、同じ橋の残骸でも、遊歩道時代ではなく工事用軌道時代のを見たかったなというのは、多分これを読んでいる全員共通の想いだと思う(苦笑)。

橋の残骸の先は、石舞台のような大岩が傍にある切通しで、大岩には金属の電柱が突っ立っていた。
遊歩道時代には街灯もあったのかもしれない。
この先も同様の金属柱を何回か見た。




今度は大きなガレ場が行く手を遮った。
どこを歩いても全く同じ条件と思える、安定角斜面化した平滑なガレ場だが、路肩には高い石垣があって絶壁に切れ落ちており、心理的にとてもスリリングだ。
そして、私の前にも物好きな人がいたらしく、古びたトラロープが横断していた。もう身体を支えるような用をなすとは思えないが…。

これを横断すると、また浅い切通しがあり、その先は――





8:21 《現在地》

なんという劇場型廃道!(笑)

膨大な崩土によってあらゆる部分が安定角斜面に埋め立てられて、
小さな滝が流れ落ちる谷を取り巻く、まるで擂り鉢か野外劇場のような、奇抜な地形に。

本来の道は、上下二段ある石垣の上段の上にあり、
ちょうど私の立ち位置から向こうまで延びているのだが…。
これを横断するのは、おっかないなぁ……。




ここでうっかり転げるようなことがあれば、この探索という舞台の底、“奈落”へ真っ逆さまだ……。

滑らかな斜面には踏み跡がないし、いかにも滑りそうでおっかない。

でもこんな斜面の経験だけは人並み以上。私は判断する。

GOだ!




Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA

これは横断中に撮影した全天球画像である。

ここから見渡す前後の廃道風景には、遊歩道なんていう軟弱なイメージはない。
完全に仕事のためのファイティングロード、軌道跡そのものだ。

そしてこの大きなガレ谷の直上2〜30mの位置に、天子トンネルがある(矢印の所)。
また、トンネル直前の右岸林道のガードレールも画像にはちょっとだけ写っている(○印の所)。
いずれも画像をグリグリすれば見つかるはずだ。そうして立体的な位置関係を確かめて欲しい。




8:23

崖を力技で突破していく見事な道の姿。私の大好きな険のオーラが漂っている。
そしてここから先は、見上げてみても右岸林道の頼りはない。
ヤツは一足先にトンネルに潜っていった。これからは寸又峡と一対一の対峙である。

また、これまでの展開から、ここが一昔前に遊歩道として使われていたことは間違いないが、
手摺りなんていう軟弱なアイテムは、最後まで設置しなかったらしい。
さすがは昔も今も山奥であることを第一のウリとしてきた観光地だと思う。
今の右岸林道を使った遊歩道も、現代の都会人には新鮮な険しさが感じられると思うが、
一昔前にここまで来るような観光客に印象を残すには、このくらいの道でなければ無理だったろう。



なんだあれは〜!

右岸林道沿いでもないこんな岩場に、なんと建物が残っていた?!

いったい何の建物だ?!



大間ダムまで あと推定.4km



地に足を付けない営み


2019/5/23 8:25 《現在地》

寸又川の崖壁に穿たれた道の行く手に、一軒の家屋を発見した。
ここへ至る唯一の道の状況からして、廃墟なのは間違いなかろうが、地形に対する極めて克服的な佇まいが印象を深めていた。
2階建ての建物で、2階の床が隣接する道の路面と同じ高さになっている。そのため出入口が2階部分にある。しかも、道と建物の間隔がなく直に接しているのも、地形が垂直に近いことを示している。

これと同じ建ち方をした廃屋を、9年前の千頭奥地でも目にしている。千頭林鉄の線路脇に残る大樽沢宿舎がそうだった。
いずれも背にしているのは寸又川の渓流だが、水面からの比高は桁違いにこちらが高い。というか、ここは高すぎて川沿いの印象はなく、山の中腹の崖から迫り出した家屋という印象だ。

現在ある建物は一軒分だが、その手前の赤色で示した敷地(空中だが?)にも、似たような建物があったのかも知れない。



建物の隣接地の斜面にニョッキリ突き出した、3本の柱。
これを支柱として、建物かテラスのようなものが作られていたのだろうが、床となる部分は全く残っていない。

人命を支えたはずの柱だが、その構造はあり合わせのものを継ぎ接ぎにした感じで、なんともユルい。
左右の2本の柱は同じ太さ、同じ高さがあるが、表面はドラム缶巻である。
ドラム缶に近い太さのぶっとい木の柱を、底を抜いたドラム缶で巻き立てて、最後に隙間にセメントを流し込んで固めたようだ。柱の断片から、このような構造が見て取れた。

おそらくこれは隣にある建物とセットで、遊歩道時代の売店跡だと思われる。
柱の上には木板が敷かれ、展望台みたいに使われていたと想像する。そこで大勢の観光客が、ラムネやらサイダーやらを呑みながら、寸又川の眺めを楽しんだと思う。こんな奇妙なドラム缶の柱に命を預けているとも知らずに(笑)。




比較した大樽沢宿舎の半分以下の小さな建物だ。
しかし、石垣に対する建ち方はそっくり。
この写真の範囲内だけだと道路沿いのただの平屋にしか見えないが、建物の床は2階という空中なので、廃墟という状況ではなかなか足を踏み入れる勇気は持てなかった。中を覗くだけで勘弁して。




プロパンガスの小さなボンベが軒先に置かれていた。
廃なボンベとか本能的に怖いので(破裂しそうに思えてしまう)近づきたくないのだが、こんな丸っこいボンベを初めて見た気がして、恐る恐る近づいて写真を撮ってみた。
しかし、こんな所まで交換用のガスボンベを持って来た人がいたというのも、恐ろしい話だなぁ。大変だろうに…。



中を覗いてみると、案の定、一部の床が抜けていて、とっても危険な状況。
ちょうど足を踏み入れる一歩目の位置が抜けているのは、何の罠だ?
その抜けた床の下に僅かに見える1階部分にも、ガスボンベがあった。料理用か、風呂用か。

そして2階部分には、明るい大きな窓に寄せたテーブルと椅子が所狭しと(そういう印象なのは天井が破れているせいかも)置かれていて、「寸又峡そば」が供されていたんだろうなという感じ。そういうメニューがあったかは知らないけど、きっとあったでしょう。あと何があったかな。体験談求む! 読者の中に利用者はいないだろうか。
昭和30〜40年代、林鉄を特別に設えた「すまた号」なるトロッコ列車に揺られて、今より遙かに天涯じみていた寸又の峡を訪れた兵(つわもの)は。

なお、右奥に目隠しされた窓や戸があるが、その向こうは前述したドラム缶の展望台だ。外へ出たら大変なことになる。




しかし、地に足を全く付けていないこの地の商売だが、意外に繁盛したのかもしれない。
“ドラム缶”とは反対側の隣地にも、2階建ての増築を行っていた形跡が。
しかし増設ゆえの安普請が祟ったかは知らないが、棚一つとそこに乗ったガスコンロ台を残して倒壊し、無残な残骸を晒すばかりとなっていた。

ここが遊歩道だったと考える根拠をこれまでいくつか見ているが、今回の廃屋の存在は決定打といえるだろう。
特に、登山道との区別という意味において、売店の存在は大きい。




8:30

廃屋を過ぎるとすぐに、切通しが現われた。
その切通しの出口には、何やら錆色をした大きな看板が、通せんぼでもするように立っていた。
向かおうとすると、風と川の音が急に強くなった。
正しくは、風の強く吹く場所に、渓声の轟く場所に、私が出ていこうとしていた。

この先、寸又峡温泉と大間ダムの間に横たわる最大の難所が待つ。
現在の右岸林道と、その原点である千頭林鉄が、開通当初から200mほどの長い隧道で臨んでいた難所中の難所で、固有名があり、“天子”、あるいは“松枯”と称された。
前者の意味は分からないが、いずれもただならぬ気配を漂わせる呼称と思う。




この場面、使い古された表現になるが、風雲急を告げるという印象を持った。

そのときの鮮烈な空気感を、動画に感じて欲しい。




まず、物々しい通せんぼと見えた大きな看板は、実際には道を塞ぐ位置にはなかった。
残念ながら、一切の文字が錆に冒され、全く読むことは出来なくなってしまっているが、
大きさからいって、ダムにつきものの看板だと思う。「放流増水注意」というやつ。
管理者にとっては重要な看板であるはずだが、長い間更新されていないことに、廃止からの時間の経過が窺える。



久々の複線区間……だったのか。ここは妙に広いぞ。路肩は空積み石垣だ。
ついつい遊歩道の印象に覆い隠されがちだが、依然として軌道跡の気配もちゃんとある。
単なるハイキングコース、遊歩道に、こういう唐突な広い場所が必要だったとは思えない。



ここまで、対岸をこうやって見るような場面はなかったと思う。
樹木に遮られて快明な眺めとはいえないものの、かつて「南アルプスの黒部峡谷」という宣伝をされた
寸又峡が誇った険阻は、このような木々の隙間からの景色であっても感じられよう。



道幅はすぐに従前へ戻り、路外の傾斜は樹木の存在を認める限界程度になってきた。

先に見える尾根の線は極めて傾斜が強く、どうやって越えて行くというのか。




の字、発見!!

すばらしいことだが、匿名の情報提供は完全に正しかった!

ありがとう! もし教えられねば、これを知ることはなかっただろう!




8:32 《現在地》

すっかり埋没寸前だが、辛うじて開口が保たれているのは、先の写真に見えている。

しかし、立ち入ったところで、貫通しているかは別の問題。

この点に関して、情報は皆無なのだ。 ……恐ろしく、愉しいことに。


いざ、未知なる隧へ戦い挑むとき!



大間ダムまで 残り推定.3km