私が住んでいる家の近くに、とても悲しい県道があるので、紹介しよう。
その名は、秋田県道401号雄和仁別自転車道線。
全国に148路線(2017年時点)存在する“自転車道県道”の一路線であり、多くの自転車道県道がそうであるように、国が昭和48年度から進めている大規模自転車道整備事業による国庫補助を受けて秋田県が整備した大規模自転車道である。
1970年代から80年代にかけてのサイクリングブームを受けてスタートした大規模自転車道整備事業は、現在までに135路線、4327kmが計画されているが、平成30年時点の供用済延長は3680kmで、計画から半世紀近くを経て未だに完成していない路線や区間が相当数存在する。
だがそんな中にあって、秋田県に計画された3本の大規模自転車道は平成中期までに全線が供用済となっており、全国的に見ても優秀な事業完遂の成績を上げている。
大規模自転車道事業として国庫補助を受けて都道府県が整備した自転車道は、原則として都道府県道に認定される。
ただし、都道府県道である自転車道の全てが大規模自転車道由来ではなく、2025年現在全国に「●●自転車道線」の名称を持つ都道府県道がおおよそ150路線あるので、大規模自転車道としてではなく都道府県が独自に整備した路線は全体の1割程度あり、山梨県は千葉県はそのような独自の自転車道県道を複数持っている。
……自転車道を完成させることが、整備の目的だったのならね……。(←不穏)
秋田県道401号雄和仁別自転車道線は、秋田市内を南北に横断するように走る、総延長35401mの一般県道である。
路線の中間部を占める秋田市中心市街地の周辺は、他の県道との重複区間(図中の点線部)となっており、自転車道としての実態がない。本県道の単独区間は、起点側の雄物川右岸堤防を走る区間と、終点側の旭川沿いを遡る区間の2つに大きく区分され、これらの区間にいわゆるサイクリングロードが完成している。重複区間を除いた単独区間の長さ(実延長)は26721mである。
今回紹介したい“悲しい”区間は、終点側にある。
次の図を見て欲しい。
本県道の終点側の単独区間は、秋田駅から2kmほど北上した手形(てがた)地区に始まり、以後は旭川の清流を遡るように、沿川最奥の集落である仁別(にべつ)を経て、太平山の登山基地となっている「仁別国民の森」の終点まで約18kmにわたって続く。
このうち手形から仁別までは、県道15号秋田八郎潟線が平行しており、一部に重複区間があるが、大半は近接する別路線となっている。
また、手形から旭川ダムまでの約13kmには「仁別サイクリングロード」、その先終点までの区間には「務沢(むさわ)自然研究路」という愛称が付けられている。
なお、この一連の経路の大部分は、昭和43(1968)年に廃止された仁別森林鉄道の廃線跡を再整備したものである。
なので、林鉄ファンの中にも、手頃な探索を期待して、この道を訪れたことがある人がいるかも知れない。
林鉄探索としてずいぶん昔の平成18(2006)年に紹介した「洞門の橋の洞門」も、この仁別サイクリングロードの一部であった。
……あったのだが、
令和7年現在、仁別サイクリングロードの添川以北の大半と、務沢自然研究路のほぼ全線が、通行止となっている!!!
例外は、沿線に人家などがある僅かな区間だけで、このサイクリングロードの本来の醍醐味だった、林鉄の幅やカーブ、勾配、車窓などを、林鉄に近い自転車のスピードで体感できる山間部区間は、ほぼ全てが通行止となっているのである。
それも、もう決して短くはない期間に亘って……。
上のチェンジ後の画像に、3箇所の撮影ポイントを表示している。
それぞれのポイントで数年以内に撮影した写真をご覧いただこう。
添川地区の旭川に架かる仁別サイクリングロード「一号橋」の2020年の写真だ。
昭和48年完成とされている橋だが、桁の下部構造や橋脚は森林のものを流用しており、実際にはかなり古い橋とみられる。
そのせいなのだろうが、数年前から通行止のままになっていて、修繕される気配もない。
これでも県道なので秋田県が管理者であるはずだが、なぜかずっと手書きの看板で通行止を告知していることも、管理に対するやる気の無さの現れに思えてくる。
そして、この封鎖された橋を境に、サイクリングロードには通り抜けの出来ない通行止区間が連続するようになる。
仁別集落より奥の務沢自然研究路は旭川の峡谷に沿って整備されており、林鉄時代を彷彿とさせる風景が連続する廃線ファンにとっても魅力的なプロムナードであった。私が学生だった当時には何度も行き来した思い出の道だが、、2000年代に入ると本格的に荒廃が目立ちはじめ、それと共に利用者も減少。やがて封鎖が常態化していった。
写真は2017年の状況だが、既に鋪装路とは思えないほど厚く堆積した落葉が随所に泥濘みを作り、落石や流失による寸断箇所も多発する、完全な廃道状態だった。そのうえヤマビルが多量に出没するので、探索時期を誤ると血まみれになる。
務沢自然研究路および県道雄和仁別自転車道線の終点である務沢駅跡の2015年当時の様子。
林鉄のプラットフォームと伝わる(真偽不明)低いコンクリートの土台上に、サイクリングロードとして整備した駐輪用スタンドが並んでいた。
さらに昔は(サイクリングロードとして作った)屋根もあったが、いつの間にか撤去されている。
(チェンジ後の画像)同地に立つ、秋田県道の標準形式である終点標。
これも県道の“遺物”にしか見えないかも知れないが、この県道は間違いなくここに供用中であり、大規模自転車道の完成事例としてカウントされている。
……といった具合で、県道401号雄和仁別自転車道線の山間部の区間は、通行止が常態化しており、全く維持管理が追いついていないし、もはや県に管理する意思があるのかも疑わしく見える状況だ。
そして今回敢えて新たなレポートとして紹介したいのは、この県道の一部である次の区間だ。(↓)
これは最新の地理院地図だ。
地理院地図は自転車道県道であっても都道府県道として色分けをしてくれているのだが、図中の「今回探索区間」としている部分を見て欲しい。
ここにある黄色い道が、県道401号雄和仁別自転車道線である。
途中の描かれ方に不審なところがある。
よ〜く見ると……
区間の途中に2箇所ある他の道路との交差部分で、微妙に県道が途切れているように見えないだろうか。
県道が“無色の道”に寸断されているというのは、地図上の表現としてみると、なかなか異例な事態であるし、インパクトがある。
しかも、(チェンジ後の画像の)「スーパーマップル ver.24」のような市販の道路地図や、グーグルマップなどの他の地図だと、この区間の県道というか道自体が描かれていない。私が知る限り、最近の地図としては、地理院地図だけがこの区間の県道を描いていると思う。
加えて、私は30年くらい前からこの辺りの道をちょくちょくサイクリングで通ってきたはずだが、正直、この区間については記憶がなかった。
以前は何の変哲もなく通れていたから覚えていないだけかもしれないが、とりあえず現状が激しく気になったので、ちょっと見にいってみたというのが今回のレポートだ。
そして発見する。
道路管理者だけでなく、幼馴染の私からすらも存在を忘れられていた、悲し過ぎる現役の県道を。
見慣れた旭川ダムで、記憶にない県道の入口を探す
2025/5/2 9:03 《現在地》
やってきた! なじみ深い場所へ。ここは旭川を堰き止める、旭川ダムの堤上路だ。
チェンジ後の画像は、堤上より見る太平山。
ダムやこの山の風景は、30年以上全く変わっていないように見える。
平成元(1989)年の夏、小学6年生の途中で両親に連れられ神奈川県から秋田県天王町(現潟上市)へ移住した私は、その転校先で現在まで続く大親友を得ると、彼と始めた“山チャリ”の遊びは、中学で得たもう一人の大親友も巻き込んで“チャリ馬鹿トリオ”を結成させ、中学〜高校の6年間は数え切れないほどトリオでのサイクリングを楽しんだ。
当時は車に気兼ねなく走れるサイクリングロードが大好物で、学生時代を通じて最も多く訪れた行先だった仁別や太平山への行き帰りには、「仁別サイクリングロード」を利用することが多かった。
そしてこの旭川ダムは、仁別サイクリングロードから、さらに奥地へ通じる務沢自然研究路へと乗り継ぐ地点にあった。
昭和47年に治水専用ダムとして生まれたこのダムの長い堤上路は、昔から歩行者にのみ開放されており、当然のように自転車の私たちはここを毎回乗ったまま通った。咎められたことはなかったし、やはりいま思い出してみても、当時の私も、そして昨日までの私も、ずっとこの堤上路をサイクリングロードの一部だと思っていたと思う。
だが前述したように、地理院地図に描かれた県道雄和仁別自転車道線は、この堤上路を通っていなかった。
廃道探索者として秋田を出て全国で活動するようになって久しい私だが、灯台もと暗しと言うべきか、この区間への意識は喪失していたと思う。自分のことなのにはっきりしないのがもどかしいが、この辺りはあまり多く訪れすぎていて、そのうちの一回か二回、たまたま通っていたとしても、それを確固たる経験としては思い出せないのだ。
それでもはっきり言えることは、今日の私は間違いなく、今から行こうとしている道を予期できていない。
改めて、「現在地」である旭川ダムと、県道401号の位置関係を見て欲しい。
県道401号は、ダムの前後で一貫して旭川の左岸を通っており、堤上路を通っていない。
チェンジ後の画像も見て欲しい。
こちらはこれまでの度重なる調査で解明済である仁別森林鉄道やその支線の経路を示している。
仁別サイクリングロードや務沢自然研究路の大部分は、仁別林鉄の跡地を利用したものであるのだが、林鉄廃止後に間もなく整備された旭川ダムが谷を塞ぎ軌道跡を寸断したために、これらのサイクリングロードもダムの前後では軌道跡とは別の経路となったのである。
なお、どれもかなり古いレポートであり今見ると古さを感じると思うが、ミニレポ38、ミニレポ68、ミニレポ93は、いずれもこの図の範囲内の軌道跡を取り上げたものである。
高さ51.5mの堤上より見下ろす旭川の流れ。
このダムは治水専用のため、大雨時に流量を調整することはあっても、普段は流入する水をそのまま放水している。
探索時は太平山の雪代が多く、なかなかの水量だった。
一方の上流側の風景がこれだ。
普段はこのようにダムの高さより遙かに低い貯水位になっており、洪水時にのみ水位が上がり、堤高に見合った大きなダム湖が現出することになる。
なお、仁別林鉄の路盤は普段の水位であっても水没しており、見ることは出来ない。
……といった感じのよき風景を見ながら、ダムを渡って左岸へ着くと、そこが直ちに今回の探索の舞台である。
刮目してね!
9:08 《現在地》
堤上路を渡り、そのまま一本道でダムの管理事務所前へ。
この桜舞い散る明るい広場を、我らが県道401号雄和仁別自転車道線は、東西方向に横断している。
奥側が「務沢自然研究路」と呼ばれる終点側の区間で、私も何度となくダムを渡ってここへ来て、そのまま研究路へ向かった憶えがある。
だが、手前側起点方向の「仁別サイクリングロード」については、どうにも利用した記憶がない。ここまで来て記憶を手繰ったが、やっぱり思い出せなかった。
なお、県道401号はあくまで自転車道であるから、構造的に自動車は通れない。
ダム管理事務所への車両の出入りは、自転車道を跨ぐ市道があり、そちらが使われている。
この市道については私も何度も通っている。
次の写真は、務沢自然研究路に入口に立って、終点方向を撮影した。(↓)
本当に何度ここを通ったか分からないが、とはいえそれもずいぶん昔の体験が多く、前回通ったのは2017年だから、もう8年も前だ。
その時には既に完全に廃道状態だったし、その後に復旧したという話も聞かないので、もうわざわざ入口に注意喚起の看板を立てる必要もないくらい、この道路が通れないことは市民に周知されたのかもしれない。【前回設置されていた通行止の看板】
は撤去されていた。(おそらくこのすぐ先にある秋田市植物園までは通行可能なのだろう)
なお、傍らに立つ道標の木柱は、もはや行先を案内することが出来ないほどにボロボロだ。
確かここには、「務沢自然研究路入口 仁別森林博物館まで六キロ」などと書いてあったはず。
だが今回の目的地は、こちらではない。
進むべき反対方向へ、ここで振り返る。
務沢自然研究路側から仁別サイクリングロード方向を撮影している。
地理院地図の県道は間違いなくここを直進しているが、現地に設置されている案内標識は、「自転車道は左折」を案内している。
県道雄和仁別自転車道線は直進なのに「自転車道は左折」と案内している、この矛盾!
当然、真っ当なサイクリストは案内に従って左折して進むはずなので、その行く先(赤矢印の先)もちょっとだけ確認しておこう。
(どうでもいいけど、この案内標識の自転車のイラスト、フロントギアだけ妙にでかくてかっこ悪いなw)
左折すると、10mほどですぐに丁字路に突き当たる。
ぶつかった先は、二車線片側歩道付きの立派な道路で、県道と言われても信じそうだが、市道である。路線名は秋田市道太平山リゾートパーク線という。その名の通り、太平山リゾート公園という秋田市が整備した都市公園のメインルートとして、休日を中心に多くの市民が利用する。
現在の自転車道は、この市道太平山リゾートパーク線の歩道部分を利用して、秋田市街方面へ進むように案内されているのである。
チェンジ後の画像は、同交差点から案内された方向を向いて撮影した。
爽快な下り坂になっていて、私もこれまで幾度となく快走した憶えがある。
だが今日は、こっちじゃない。
今日は初めて、“こっち”へ行く!
地理院地図が県道として色塗りしてくれている、この道へ!
さっき通ったダム堤上路の入口がここを曲がったところにあり、そちらには数え切れないほど行き来しているのだが、ここを曲がらず真っ直ぐに進んだ憶えがない。
また、地理院地図以外の地図だと、この先に道が続いているようにはなっていない。
だが……
あるよ、道が…。
しかもこれ、確かに自転車道っぽい。
全体の道幅は6mくらいだが、路面の中央やや左寄りの位置に目立つ高い縁石が設置されている。
この配置、自転車道をよく利用される方ならばどこかで見覚えがあるかと思うが、縁石の左側部分が自転車道(兼歩道)で、右側は車道だろう。
一般的な歩道と車道の組み合わせより車道の占める割合が小さいし、そもそも歩車分離をするような道幅じゃないのにしっかり縁石で分離されていることが、車道兼自転車道として作られた道の証拠である。
で、これは個人的にはとても重要なポイントなのだが、このように縁石で車道と自転車道が区切られている場合、いわゆる自転車道県道になっているのは自転車道側の路面だけというのが通例だ。車道側の路面は、道路法上において別の道路となっていることが多い。
この場面においてもおそらく、県道401号に現に認定されているのは縁石の左側部分だけだと思われる。
……というわけで、
県道401号へ突入!
この先の路面の状況は、明らかに使われていない道路のそれに見えるが、
特に通行を規制する物がない!!!
(車止めがあるのは、自転車道だからであって、「通行止」ではない)
この先の県道401号は、道路法的には供用中の真っ当な県道で、かつ実運用上も一切の通行の規制がないのに、まるっきり廃道にしか見えないなんて、マジで忘れられてるだろ、この県道…。(涙)
県道401号雄和仁別自転車道線で一人のサイクリストと出会った
2025/5/2 9:10 《現在地》
見よ! これが秋田のサイクリングロードだ!!
当てつけみたいなことを書いたが、大好きである。
封鎖も規制も何もない供用中である県道で、かついわゆる車道未整備区間(=登山道的な県道)でもないようなところで、路上が草生しているどころか普通に樹木が育ってしまっているというのは、前代未聞だろう。
この県道も、この状況を作り出した秋田県道路行政のユルさも、大好きと言わねばならない!
本当にしつこいようだが、これは封鎖されている道路を無理矢理暴いて辿り着いた光景ではない。
ここまでのレポートを振り返って貰えば明らかなとおり、ただ地図に描かれている県道を通行しているだけの無辜の通行風景だ。
どうなっているんだこの県道! 県道をここに認定したことを、秋田県は忘れてるんじゃないか?! 忘れてるだろ!
……そして、チェンジ後の画像の赤矢印のところには…
「秋田県」の用地杭が!
樹木の生長に押しやられて傾いてしまっているが、紛れもなく秋田県の用地杭だった。
言うまでもなく、道路沿いにこのように設置されているのは、ここが秋田県道だからだ。 アチチ!
今回の区間だけでなく、この路線の他の区間沿いにも同じように点々と用地杭が設置されているのを確認している。
なお、私の読みだと、この道路のうち県道に認定されているのは縁石左側の自転車道部分だけだと思われるが、用地杭を縁石の位置に設置するようなことは行われておらず、また道路反対側の杭は未発見である。
ダム事務所前を出発した自転車道は、かなりの下り勾配で下って行く。写真はその最初のカーブである。
路面は当然鋪装されており、本来なら快適なダウンヒルが楽しめたのだろうが、数年分どころではない大量の落葉が路上に土を作っており、特に自転車道側は腐葉土の層がぶ厚いので、下りなのにスピードが全く乗らない。サイクリングロードとしては致命的に爽快でない。そもそも、至るところに笹や樹木が育っているので、サイクリングには不向きである。まるで廃道探索をしている錯覚に陥る。
一方の車道側は、道幅にやや余裕があるので障害物を避けながら走りやすいが、出来るだけサイクリングロード(県道)側を走りたいという私のサイクリストとしての矜持のせいで、出来るだけ頼らないようにした(おかげで余計に手こずった)。
う〜〜ん…。 真っ当なサイクリストならば自転車を放り出して怒り出しそうな整備状態だが、それでもなんだか気持ちイイな。
新緑のシーズンで天気が良いので、こんな失格サイクリングロードでも、MTBで下る分には結構気持ちが良かった。
いよいよ路上に堆積した土が深くなってきて自転車道と車道の境が分かりづらくなってきたので、好きなところを通っていいというルールに緩和したら、この広い道幅全てを独り占めにするのが気持ちよくなった。(後ほど、このような甘ったれた感想も叩きのめされるが……)
ただ、本当にしつこいけど、現役の県道の風景だからね(笑)。
この県道の最新に近いデータは、Wikipediaの本県道のページにまとめられている。
全長などは本編冒頭でも引用した通りであるが、それらのデータの出典は平成27(2015)年の『地域振興局別道路現況』(残念ながら現在はリンク切れで閲覧できない)となっているので、最近のものである。そんな最近のデータでも、未供用区間なしの全線供用済となっているので、今いるこの場所についても供用が継続していることが明らかである。
もしも地理院地図がなかったら、永久にバレなかったのでは……。
縁石がほとんど隠れて見えないせいで、2車線幅の広い1本の道のように見える部分が多いが、その広い道の全体がほぼ均一に自然に還っているのが、封鎖されて久しい廃道そのものだ。 封鎖などないのに! 誰か一人でも名残を惜しんで通行を続けていれば、そんな彼が通った路上の部分が最後まで自然に残るから、このように均一な森にはならないはず。特に車で出入りすると、轍として長く痕跡が残るものだが…。
また、所々に自転車のオーバースピード抑制の目的か、自転車道部分だけを塞ぐ車止めが設置されていた。
これは夜間や凍結時にむしろ事故の元になるので、最近のサイクリングロードにはあまり置かれない障害物だ。
現に私も突っ込んだことがあるからね。(無茶をしていた時代にね…苦笑)
見よ! これが秋田のサイクリングだ!!!
オーバースピードで倒木に突っ込んでクラッシュしたように見えるかも知れないが、そんな乱暴なことはしていない。
ただ、現役のサイクリングロードにはあるまじき倒木が邪魔で、乗り越えようと悪戦苦闘しただけのことである。
これまた無辜の姿だった。
路上に堆積した土や、たくさんの倒木はうっとうしいが、道自体はかなかな綺麗だ。
管理が行届いている綺麗さとは対極の、自然美。
道路の路面上に自然美があるのは、おかしいのだけどね。
それはともかく、この道が使われなくなった理由というのは容易く想像できる。
いちおう後で航空写真等で検証はするが、平行する市道太平山リゾートパーク線を整備したせいで、不要になったのだろう?
先ほども見たように、現在の自転車道の案内は市道へ誘導していることが、その証拠だ。
本来だったら、市道が完成した時点で、自転車道の案内だけでなく、県道の区域を移すか、せめて供用廃止の手続きを取るべきだったと思うが、秋田県や秋田市はそれをしなかった。あるいは、それをしたくても、市道の歩道部分だけを県道にする手続きのハードルが思いのほかに高いのかもしれない。制度的なところまで検証が出来ていないが、大規模自転車道として国の補助を受けて整備したのではない市道の歩道を、自転車道として県道に組み込むことが簡単ではない可能性があることは、考慮すべきだろう。
ダム管理事務所前から約300m、事実上の廃道状態となった県道を進むと、なおも下って行く前方に、1枚の大きな看板が見えてきたが、それが県道雄和仁別自転車道線の各所に設置されている巨大な案内板であることは、そのサイズ感や色合いから、遠目にもすぐに分かった! 同じものが【終点の務沢駅跡】
や雄物川沿いの区間にも残っている。
これには、ぞくっと来たね。
ここが確かに県道雄和仁別自転車道線として整備された道であることを最も明確にする遺物(遺物なの?)だと思ったから!
また、看板のすぐ背後を横切るように別の道路のガードレールと路面が見えるが、これは先ほど分れた市道太平山リゾートパーク線だ。この自転車道の事実上の現道といえる因縁の相手との最初の交差地点が、間近に迫っている!
9:16 《現在地》
キターーー!!!涙
涙なしでは見られぬ、精一杯の巨大看板!!!
上に大きく「雄和仁別サイクリング道路案内図」と書かれた、2m四方もあろうかという立派な案内板だ。
支柱にはちゃんと「秋田県」の文字があり、間違いなく県道の案内板だ。
色褪せはしているが、まだまだ内容の判別が出来るくらいには綺麗な状態で残っていた。
図上に示された「現在地」は、赤く太く描かれた自転車道の途中を確かに示していた。
ここは終点の務沢駅跡から5.1km、藤倉水源地の看板地点から2.6kmの地点であるらしい。
本県道の全線供用完成は昭和53(1978)年とされているが、おそらくその年代に設置された看板と思われる。地図上に描かれている諸々が当然のように古かった。当たり前のように国道7号が「秋田大橋」を通っており、秋田駅と土崎駅の間に泉外旭川駅はまだない。
自転車利用上の注意事項として、左の欄に4つの注意事項が並んでいる。
コースに入る前にブレーキ確認しろ、らんぼうな運転をするな、歩行者や「マラソン練習者」に注意せよ、ゴミを捨てるな、どれも現在でも通じる内容だが、1番目と2番目を全く疎かにしてクラッシュを演じたことが一度や二度ではない若かりし日を思う。
あの頃の私は、果たしてこの看板の前を通ったのだろうか。
思い出せない。
もしかしたら私は本当に、秋田に住み始めてから35年も経って初めて、この県道を見つけてあげられたのか。
そう思うと、ぐっとこみ上げるものがあった。
こみ上げながら(?)、看板の前を通過して先へ進もうとすると、直ちに自転車道側の路面に3つの車止めが設置されていて、他の道路との交差を予期させた。もちろん車道側にそのようなものはない。
いよいよ市道太平山リゾートパーク線との交差地点である。
ぶった切られてる(涙)!!!
県道が市道にぶった切られていて、そこに階段一つ分のフォローさえない!
市道は築堤の上を通っているのだが、その高さ2〜3mある盛土が容赦なく県道を切断していた。
ここで改めて、地理院地図の表現を見直してみてほしい(↓)。
圧倒的に正しい表現に草が生えるwww
確かに県道はここで市道に切断されているし、その切断をフォローするような通路もない。正しい!
私は、これが敗北なのか勝利なのか、よく分からない混乱の中で、築堤を自転車を押しながら登った。
おそらく、探索には勝利しているが、県道はいろいろと敗北している。
オブローダーでもなければ、この程度の斜面押し上げさえ、サイクリングの非日常だと思う。
秋田のサイクリングロードは過酷だ!
そして、数秒後によじ登り終えた――――その瞬間
市道を登ってきた一人のサイクリストと目があったのだ。
時代遅れのMTBを押しながら、草むらから路上に現われようとしている私と目があった。
私は咄嗟に会釈をした、彼も会釈を返した。 終了。
0.5秒にも満たないサイクリストたちの邂逅が終わった。
私には彼に伝えたいことがあったが、間に合わなかった。
こっちが県道401号雄和仁別自転車道線なんだよ!
ほら、あそこに案内板も見える! 県道はあっちなんだ!
あっちなんだよぅ……(涙)